十、①
それからぼくは、十五分くらいオルガさんとブリク語で打ち合わせをして、
〈じゃあ、あとは、筋書きどおりに〉
〈分かった〉
と二人で締めくくってから、指輪を彼女に返した。元どおり、左手人差し指にそれを嵌めた彼女は、さもそういう話の途中であったかのように、どや顔で、
「――とまあ、こんなふうに、ニホン語を喋っているかのごとく、相手に聞かせることができるわけだ」
と指輪の効果を自慢した。なかなかの役者っぷりである。
「いやいや、すごいですね」ぼくも頑張ってついていく。「その、アス……なんとか」
「アストリッド」
「アストリッドの指輪」いちおう、小芝居のつもり。「お仲間はみんな持ってるんですか?」
「貴重な指輪だが、みんな持っている。だから、旅の途中、世界じゅうどこに行っても、だれとでも話が通じたんだ。流石に、文字の読み書きまではできないがな」
「良いなあ。ぼくもひとつ欲しいなあ。ぼく、外国語がまるで駄目なんですよ。それがあったら、海外旅行に行きたいです」
「ふふ、ちょっと貸すのは良いが、あげるのはなしだ」
「そうですかあ。残念」
ぼくはよいしょ、と立ち上がって、話を切り上げた。「それじゃあオルガさん、ぼく、そろそろ着替えて、仕事を休む連絡をしなくちゃいけないので、居間に戻りますね」
「そうか。――では、例の件のとき、またな」
「はい」
意味ありげに頷いてみせたあと、ぼくはクローゼットを開け、下着と普段着を衣装ケースから適当につまみ出して、一揃い小脇に抱えながらトレイを回収し、「ではでは」と寝室をあとにした。で、廊下に出るときに、出入り口真横の定位置に立つ西谷さんへ軽く会釈したら、
「野々さん、ちょっと」
と呼び止められ、ジェスチャーで居間のドアの前まで連れてこられた。
そして案の定、声をひそめた彼女に尋問された。
「オルガさんと、いったい、なにを話していたんですか?」
「なに、って、もっぱら、指輪の話をしてましたけど……」これから当分、しらを切り続けなければいけないので大変だ。「こっちまで聞こえてきませんでしたか? あの、アス……アスなんちゃらの指輪のこと」
「もちろん聞いていましたが、聞き取れたのはいまさっきのやりとりだけで、あとはお二人とも、ほとんどなにを言っているか意味不明でした。アストリッドの指輪については、聞き取れた内容で想像がつきます。簡単に言うと、自動翻訳機のようなものですね?」
「そうですそうです。すごいんですよ。なんか、嵌めるだけでぼく、オルガさんの母国語がペラペラになってたらしいんです。こっちはずうっと、日本語を喋ってるつもりだったのに」
「そういうことなんだろうと思ってはいました。それは良いんです。――でも、話したのは、それだけですか?」
西谷さん、優しい声色で核心に迫ってきた。先生怒らないから正直に言ってごらん、的な迫り方だ。「ほかにも、とても重要なことを、オルガさんと話したんじゃないですか? 途中、野々さんが、非常に深刻そうな顔でなにかを考え込んでいたように見えました。指輪の話だけでは、ああはならないはずです」
「ああ、あのときか……」ぼくは、もっともらしく、苦笑いした。「実は、昨日西谷さんに相談した、オルガさんにからだを拭かせてあげたいって言う話、ぼく、本人にはサプライズにしようと思ってたんですけど、ついうっかり、喋っちゃったんです」
西谷さん、首を傾げてから、「……そんな話で、あんな雰囲気に?」
「ええ。向こうが、『きもちはありがたいが、いつまた魔物が送り込まれてもおかしくないから、当分鎧は脱ぎたくない』って言ってきたんで、いやあどうしたもんかなあ、って。なんとかオルガさんを説得できないか唸ってたんですよね」
「それで、結局、その話はどうなりました?」
「なんとか説得できました。詳しく話を聞いたら、単にオルガさん、自分を身ぎれいにするのがめんどくさかっただけだったんです。……本人
「そう、ですか……」
いかにも
「あとはそうですね、このあとのご飯の話とか、ぼくが情報を外に漏らさないように丸一日外出禁止になってる話とかをしたかな。そんなところですけど、なんか、まずかったですか?」
「いえ、大丈夫です。説明ありがとうございました」
西谷さんはぺこりと一礼すると、チョッキのポケットからメモ帳を出して、ページをめくりながら定位置へ戻っていった。たぶん、ぼくの証言を記録するのだろう。ほんとのところは、ほとんど全部、でたらめなんだけれど。
べらべら喋っていて、不思議と罪悪感は感じなかった。まあ、こんなところで躓いていては、オルガさんと二人で立てた作戦のスタート地点にすら立てないし、ぼくに平気で嘘をつけと言ってくるひとたちを
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