九、
〈――まずですね、この世界に、別の世界からひとが来ることは、基本的にありません。この世界のほとんどのひとは、この世界のほかに世界があること自体、信じていないというか、ほかに世界があったとしても、死なないとそこには行けないと考えています〉
〈それはわたしの世界も同じだ〉オルガさんが同調する。〈死なないと
〈そうそう。そこは一緒なんですね。だったらよく分かると思うんですけど、もし、どう考えてもこの世界ではありえないような、奇跡を起こすひとがある日突然目の前に現れて、『別の世界から来ました』って言ってきたら、やあやあようこそ、って、歓迎しますか? なんだろう、まずは、すごく、そのひとのことを警戒しませんか?〉
〈する〉オルガさんが頷く。〈魔王の差し金ではないかと、怪しんで身構える〉
〈いま、日本の警察は、まさにオルガさんを、そういう目で見ているわけです〉
〈なるほどな。わたしは、奇跡を起こしているつもりはないが、ノノの目にも、超人のように映っているのは、理解しているつもりだ。……あなたも、わたしを怪しんでいるのか?〉
彼女のまっすぐなまなざしに向けて、ぼくは、内心一点の曇りもなく、
〈最初は正直、怪しみました。けれど、いまは、信用しています〉
と言えた。良かった。さっききもちの整理をした
〈そうか〉オルガさんが微笑む。〈ありがとう〉
〈いえ。――で、話を戻しますけど、もし、オルガさんのお仲間も、同じように封印されて、魔法陣でこの世界のどこかに飛ばされて、魔物の追っ手をよこされているんであれば、お仲間が魔物を倒すか、魔物がお仲間を倒すか、どっちかの状況になってるってことですよね〉
〈そうだな〉
〈ここからの話は、お仲間の居場所が、ひとのいるところだってことが前提になりますけど、そんな状況に、この世界のひとが居合わせたとしたら、警戒っていう段階を超えて、いまごろ大騒ぎになってるはずです。いきなり魔法陣が現れて、そこからお仲間が降ってきて、あんなキマイラみたいな化けものまで降ってきて、一対一で戦いだしたら、その一部始終全部がこの世界じゃ奇跡ですから〉
〈そうだろうか。少なくとも、あなたは、そんなに騒ぎ立てなかった〉
〈ぼくの場合は、その、ちょっと特殊で……〉ひと嫌いのことは話すとややこしくなりそうなので、多少誤魔化した。〈たぶん、性格が、おとなしい? 方なんだと思います。けれど、一番の理由は、ぼくがだれかに言いふらす暇もなく、警察が、オルガさんのことを秘密扱いにすると決めて、ぼくに一切、情報を漏らすなと命令してきたからです〉
〈ケイサツは、わたしのことを隠そうとしているのか〉オルガさんも腕を組む。〈なぜだ?〉
〈それが、異常に対する適切な対応だから、ということらしいです。そのおかげで、今日一日、ぼくもこのうちから出るのを禁止されました〉
〈意味が分からない〉オルガさんが眉をひそめる。〈しかも、ノノにまで不自由を強いるとは。見当違いも甚だしい〉
〈ただですね、ぼくの外出禁止は、一日だけなんです。もしかしたら警察は、オルガさんの最終的な扱いを、じっくり検討する時間が欲しいのかもしれません〉
〈しかし、扱いと言っても、これ以上どうするつもりだ? やはり、わたしを殺すのか?〉
〈そこまでは、ちょっと分かんないですけど……〉
また話が逸れたので、本筋に戻す。〈それで、お仲間のことなんですが、とりあえずは、世界じゅうでなにか、お仲間が関わっていそうな騒動が起きていないか、調べてみるしかないと思うんですよね。それは、道具があれば、ぼくでもできます。その道具をお巡りさんに没収されているので、いまは無理ですけど、きっと、外出禁止が解けたら返してもらえるでしょうから、そのあとで良かったら、協力します〉
〈本当か! それは嬉しい〉オルガさんの表情が明るくなった。と思ったら、またすぐに曇った。〈しかしノノ、もし、わたしの仲間が、わたしのように、ケイサツみたいな連中に隠されているなら、いくらあなたが調べても、なにも分からないんじゃないか?〉
〈ああそうか、その可能性もあるのか……〉痛いところを的確に指摘されて、ぼくは思わずうな垂れた。〈考えが甘かった。そりゃそうだ。この国でそうなってるんだから、ほかの国でも、警察みたいな組織がいちはやくお仲間や魔物のことを掴んだとしたら、一般人には情報を伏せる、って考えるのが自然だよな。まあ、一般人が先に見つけた場合は、SNSに投稿して、それが拡散する可能性も、ないわけじゃないけど……〉
〈エスエヌエス?〉
〈ああ、ええと……、追い追い説明しますね〉
ひとまず話を保留にすると、ぼくは、脚つきマットレスから腰を上げ、腕を組んだまま、首を左右交互に傾けつつ、うんうん唸りながら寝室の中を歩き回った。オルガさんの望みにかなう方法がないか、なけなしの知恵を絞りに絞ろうとしたのだ。
一、二分くらいぐるぐるして、なにも思いつかず、どうにも煮詰まってきたので、意味もなくカーテンの端をつまんだり、クローゼットの取っ手に触ったり、壁を人差し指でなぞったり、出入り口の向こうからがっつりこっちを見てなにやらメモを取っている西谷さんにいまさら気づいたりしていたときだった。
ひとつだけ、福引きの回転抽選器から白いはずれの玉が出てきたみたいに、ぽろりと、残念な方法をひらめいた。それは、あまりにも無謀で、手がかりが掴めるかどうかも怪しく、かつ、ぼくの、そう、ぼくの人生を危険に晒しかねないやり方だった。なので、即、ボツにした。
つもりだった。
〈オルガさん、〉ぼくは彼女に背を向けたまま、声をかけた。
〈なんだ?〉
〈お仲間の手がかりを掴めるかもしれない方法は……〉
けれど、ここにきて、なぜか、〈あります〉と〈ないです〉が、脳内で
なにせ、その方法をとるということは、オルガさんのために、ぼくの平穏無事で静かな暮らしを、投げ打つということだったから。つい前日、ぼくの目の前に降って湧いたばかりの彼女に対して、いくら魔物から助けてもらったからって、そこまで協力する義務や義理があるだろうか? ――いや、ない。ここで、〈ないです〉と言ってぼくがさじを投げても、オルガさんはすんなり納得してくれるだろうし、ほかにぼくを責めるようなひともいない。
ぼく以外は。
ん? ぼくが、ぼくを責める?
どうしてそういう考えになるんだ?
そうか、
やらないと、後悔するかもしれないと思っているのか、ぼくは。
どうすれば良い。
どうすれば、自分にとっての正解になる?
〈なにか、迷いがあるんだな?〉
背後の近くで声がしたので、はっとして振り向くと、オルガさんが腰に両手を当てて立っていた。そして、ぼくの
〈ノノ、あなたを迷わせている話は、わたしの話だ。決して、あなたまかせではなく、わたしが、わたしの力で切り拓くべきものなんだ。だから、あなたの迷いを晴らすために、いまのわたしができることは、なんでもしよう。話せることは、なんでも話そう。なんでも良い。わたしに言ってみてくれ〉
やっぱり、ほんものには勝てないな、とぼくはこころから思った。彼女の瞳、表情、ことば、立ち姿、存在全部が、経験に裏打ちされたに違いない、確たる自信に満ちあふれていた。こちらの
そんな彼女を見ているうちに、ぼくの口から、自然とことばがついて出た。
〈オルガさん、〉
〈うん〉
〈例えば、オルガさんのことで、ぼくが捕まったり、殺されそうになったりするとします〉
〈うん〉
〈ぼくはどちらも御免です。――そうしたら、ぼくのことを、守ってくれますか?〉
オルガさんは笑顔のまま、まっすぐこちらを見据えて即答した。
〈ああ〉
ひと言で終わり。
あまりにも簡潔だったので、ぼくは拍子抜けして、鼻から噴き出してしまった。
〈ほんとに?〉
〈本当だとも! いのちの恩人に、嘘はつかない〉
〈えぇ、じゃあ、外出禁止が解けたあと、ぼくが出かけた先で狙われたら、どうします?〉
〈それは……〉
ことばに詰まったオルガさんは、それでも表情を崩さずに、〈なるべくここにいてくれ!〉
〈全然守れないじゃないですか〉
ぼくはすっかりおもしろくなって、笑いだした。オルガさんも一緒に笑ってくれた。ひとしきりそうしていたら、ぼくの脳内の天秤が、すとんと振り切れた。覚悟ができた、というよりは、自分が本当はどうしたいのかが自分で分かったので、そのきもちのままに動くだけだった。
〈おかげで踏ん切りがつきました。ありがとうございます〉
〈なに、わたしは、あなたを守ると約束しただけだ〉
〈ぼくがこの部屋にいる間、限定の約束ですけどね〉
〈ははっ、言ってくれるじゃないか〉
ぼくたちは脚つきマットレスに元どおり、並んで腰かけた。そして、ぼくの方から、こう切り出した。
〈オルガさんのお仲間の、手がかりをたぐり寄せる方法を思いつきました。それをいまから、お話しします〉
〈分かった〉彼女が真剣な顔つきに戻る。〈いったいどんな方法なんだ?〉
ぼくは少し調子に乗って、格好つけた台詞で答えた。
〈魔法を使うんです。――この世界の、魔法を〉
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