八、
〈みつだん〉
例によってぼくは、
〈そうだ〉頷いて、笑うオルガさん。〈ふふ、その顔は、それとその指輪を嵌めたのとに、いったいなんの関係があるのか、さっぱり分からない、という顔だな?〉
〈あの、はい、そのとおりです〉
〈心配は要らない。いまからちゃんと説明する。指輪を嵌めた手を、こちらに出してくれ〉
〈分かりました〉
言われたとおりにすると、オルガさんはぼくの手を取り、小指に嵌まった指輪を、あっけなくすぽんと外した。どうやら、気軽にほいほい脱着して良いものらしい。てっきり、なんの説明もなくなんかの契りを交わされちゃったとばかり思っていた。またしても心臓に悪い。
次に、彼女は自分の口元を指さしてみせた。注目しろ、ということなのだろう。そして、軽く息を吸うと、元気な声で、
「∩∑#⇒⊂オルガ⊥£≒〒⁂◆●♭〓∂ブレイザブリク%ニスカヴァーラ§∵∫◎∪√&⌘リクハルド※☆≠@⊆」
とおっしゃった。
要するに、なに言ってるのか分からなかったのだ。ところどころ、オルガとかなんとか、聞き取れる箇所はあったものの、あとは、ヨーロッパのどこかを感じさせるような響きの、まったく聞きなじみのないことばが彼女の口から発せられたので、ぼくの脳みそは完全に持て余して、まるっと聞き流してしまった。
続いてオルガさんは、目をぱちくりさせているぼくに向けて、自分がつまんでいる指輪を指し示したあと、ぼくが伸ばしたままにしていた右手の小指へ、もう一度それを嵌めた。そしてまた、元気な声で、
〈わたしは、オルガ。聖王陛下の盾たる、ブレイザブリクのニスカヴァーラ家、第十三代当主リクハルドが第三子だ〉
と、確か前の日も聞いたはずの自己紹介をしてくれた。今度は、細かい内容はともかく、はっきり日本語だと分かった。ぼくが何度も頷いて、話が通じたことを暗に伝えると、彼女はにこりと笑んで、解説をはじめた。
〈いま、一言一句、同じことばを繰り返したが、一度目は意味が分からなかっただろう?〉
〈はい。――え、同じこと喋ってたんですか?〉
〈うん。わたしは、この世界に来てからずっと、一度目に聞かせたことばを使っている。わたしがいた世界の主流なことばで、ブリク語というんだ。いまもそう、ブリク語で話している〉
〈え、いまは、日本語で喋ってますよね?〉
言ってから、ぼくははっとして、嵌めてもらった指輪を見た。〈……そうか、この指輪が、翻訳してるってことか!〉
〈そのとおり〉オルガさんがゆっくり頷く。
〈つまり、その……、この指輪のおかげで、オルガさんは日本語を喋っていないのに、ぼくには日本語で聞こえているんですね? ん、ということは? ……逆もか! ぼくが喋った日本語も、勝手にブリク語、でしたっけ? に翻訳されて、オルガさんに聞こえている。だから、喋ることばが違っても、会話ができるんだ〉
〈ふふ、流石ノノ、飲み込みが早いな〉
〈要は、あのこんにゃくだ。小学館の許可が要る……〉
〈こんにゃく?〉
〈ああ、いや、こっちの話です。――しかし、すごい指輪じゃないですか、これ〉
改めて、指輪をまじまじと観察してみる。見た目どおり金属でできているみたいだけれど、かなり使い込まれているのか、艶はほとんどない。ぼくのイメージする世間一般の指輪よりリングが太くて、その表面に一行、謎の記号の羅列がびっしり刻まれていた。オルガさんが書類に書いた文字と似ているので、たぶんこれがブリク語なんだろう。宝石とかはついていない。
〈そう、貴重な指輪なんだ。『アストリッドの指輪』という。特別な魔力がこめられていて、嵌めた者の話すことばを、話し相手に合わせてすり替える特性と、嵌めた者の聞くことばを、嵌めた者に合わせてすり替える特性を持っている〉
〈なるほど、魔法の力なんですね〉それなら分かる。なんでもありだから。〈それで、結局、密談するのとどういう関係が……、あっ、〉
〈気づいたか?〉オルガさんが、ぐい、と身を乗り出してくる。
〈そういうことか。――ぼくはいま、日本語で喋ってるつもりですけど、話し相手のオルガさんにだけじゃなくて、周りにも、ブリク語で喋ってるように聞こえてるんですね? そして、指輪を外したオルガさんが喋るのも、もちろんブリク語だから、見張りのお巡りさんには、二人してなにを喋っているのかが、全然分からない〉
〈そういうことだ。この策は、だれか、この世界の者に指輪を嵌めてもらわないと成り立たない。だから、ノノに来てもらったんだ〉
〈なるほどなるほど、ははあ……〉
いま、まさにぼくたちが密談中なのは理解できたし、お巡りさんに知られたくない話をしたいのだろう、ということも充分察した。それなら相手は確かにぼくしかいない。けれど、なんかまた面倒ごとに巻き込まれそうで、詳しく話を聞く前から、ちょっと気が重かった。
〈仕組みはよく分かりました。……でも、内緒話って、いったい、どんなことなんですか?〉
ぼくが聞くと、オルガさんはこちらに顔を近づけたまま、すっ、と真剣な表情になって、
〈仲間の行方を、突きとめたい〉
と答えた。
〈しかし、わたしは封印されていて、思うように動けない。この世界のこともよく知らないから、どうすれば手がかりを掴めるかも分からない。それで、なにか良い策はないか、ノノに知恵を貸して欲しいんだ〉
ぼくは、正直、完全に相談相手を間違えているのでは? と思った。ただ、冷たく門前払いできるほどこころが太くないので、それとなく、お巡りさんへの誘導を試みた。
〈あの、それこそ、警察が、行方不明のひとを探す仕事もしているんですけど……〉
〈そうなのか〉
彼女は一度目を丸くしたものの、すぐに表情を戻した。〈……いや、できれば、ケイサツには頼りたくない。彼らは、違う世界から来たわたしのことを、出会ってすぐに罪人呼ばわりした。好ましからざる者だと捉えているんだ。仕事には忠実かもしれないが、仮にわたしの仲間を探して見つけ出したとしても、わたしと同じように、身柄を捕らえようとするだろう。それは、仲間にとっても、ケイサツにとっても、良くない〉
〈ですかねぇ……〉誘導失敗。お巡りさんに対する心証が悪過ぎる。それはそれとして、ちょっと引っかかることが。〈あの、いま、警察にとっても良くない、って言いました?〉
〈言った。――最悪の場合、殺し合いになると思う〉
〈へえ?〉想定が極端過ぎる。〈じゃあ、オルガさんも、殺し合いを覚悟してたんですか?〉
けれど、そう口にしてから思い出した。前の日の夜、彼女と出くわしたときの、あの殺気、あの眼光、そしてことばの圧を。
〈……すいません。聞くまでもなかった〉
〈なにも、ノノが謝ることはない〉気を遣ってくれるオルガさん。〈死の
そして、彼女は思いを巡らすように、視線をぼくから斜め上の虚空に移した。
〈わたしの仲間も、わたしと同じように、四魔道士に拘束されて、七日間牢屋に閉じ込められた。そして、ひとりひとり、魔法陣に嵌められて、次々と消されていったんだ。この世界にいるかどうかは確証がないが、置かれた状況はさして変わらないだろう。いま、無事に生きているのか、それがなによりも気がかりなんだ。……せめて、みんながこの世界に来たかどうかだけでも、知る方法はないものだろうか〉
〈うーん……〉
ぼくは腕を組んで、ぼんやり、考えてみるだけはしてみた。〈そうですね、あの、オルガさんの言うお仲間というのは、一緒に、魔王を倒したひとたち、ってことで良いですか?〉
〈ああ。そのとおりだ〉
〈じゃあ、オルガさんみたいに、すごく強いひとなんですね?〉
〈ひとりひとりの強みはまったく別々だが、間違いなく、強い〉
〈そうですか。分かりました〉
そして、ぼくはとりあえず、考えた結果を発表しはじめた。
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