第一話 京極の名水

一、

 ぼくは、生まれ育った伊皆いみなというまちでいまも暮らしている。社会人になって、流石に実家から独り立ちはしたけれど、勤め先のある札幌さっぽろには引っ越さなかった。

 会社に近い方が楽じゃない? と周りのひとによく言われるけれど、快速電車なら三十分足らずで札幌まで行けるし、賃貸物件の家賃も安いし、住み慣れていて静かなこのまちの方が、なんとなく気楽だったのだ。

 そして、これはだれにも言わない話――正直なところ、ぼくは昔からずっと、人間関係というものを、とてもうっとうしく感じている。

 だから、入社のときから、会社のひととのつながりは仕事だけで完結させて、仕事終わりには速攻、それをかなぐり捨ててひとりになりたい、というきもちがとても強かった。そういうわけで、会社から少しでも遠ざかることを一番に考えて、住処すみかを決めたというわけだ。

 このたくらみはうまくいったし、うまくいかなかった。

 言われたことは粛々とやり、余計なことは言わずせずに五年間過ごした結果、ぼくは無事、会社の中で目立たない存在になれたらしかった。

 上司や同僚、同期のひとたちとは、仕事と大きな飲み会だけの割り切った付き合いで、野球観戦とかバーベキューとかゴルフとかには、誘われる気配すらない。ぼくのことがどう評価されているかは知らないけれど、こちらから見たら、プライベートには一切干渉されない、望んだとおりの働きかたができている。

 その一方で、通勤が思いのほか、つらい。

 ぼくが配属されている係は日中とても慌ただしくて、残業しないと仕事が片付かないことが多い。退社は八時九時になるのだけれど、そこから地下鉄、電車に揺られ、最寄り駅からさらに歩いてコンビニで夕ご飯、朝ご飯を買い、賃貸マンション一階の自宅にたどり着いたころにはもう、遅い日だと十時半を過ぎていたりする。だらだら食べてシャワーを浴びたら、日付が変わってしまう。

 そのうえ、始業時間に間に合うように、次の朝六時には起き、七時過ぎに家を出て、七時半の満員電車に乗りこまなければならないのだ。東京とうきょう勤めのひとにしてみたら、こんなのでもないのかもしれないけれど、片道一時間強の通勤時間が、じわじわぼくの睡眠時間と体力を削っていくのが分かる。週の後半はとにかく、眠くてだるくて仕方ない。

 結局、ひとりでいることと引き替えに不摂生を受け入れたぼくは、毎週土曜日に死んだように眠りながらも、社会に溶け込んでおだやかに生きていくことに、かろうじて成功していた。

 オルガと出会ったのは、そういう暮らしの最中さなかだった。

 出会い、と言っても、ひと嫌いのぼくはもともと、そんなもの求めてなかった。

 彼女の方からぼくのもとへやってきたのだ。

 ある日、突然。

 侵入者として。

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