貴方の旅に連れて行って

@haruhi777

第1話

 雪の欠片が、手のひらに落ちて溶けるのが分かる。風が寒さを纏って、こちらに叩き付けるのが服越しに伝わってくる。目線を上げれば、白色のグラデーションに包まれた山々が視界に飛び込んでくる。五感の全てが季節が冬であると訴えかけていた。


「寒いなぁ……」


 かじかんだ手を首元のマフラーに突っ込みながら、私は村の近くにある丘でぼんやりと季節を眺めていた。季節の移ろいがよく見えるこの場所だけが、村娘のリディに許された唯一の憩いの場だった。


 だが、いくらここで過ごす時間が心地よくとも、いつまでも座りっぱなしと言う訳にはいかない。


「クロエ婆様、まだ怒ってるかな……」


 頭の中に浮かぶのは、自分のことを親代わりであるクロエ婆様の怒り顔だ。婆様は村随一の医者ではあるのだが、いかんせん人に対して異様に厳しい。


 当然、その厳しさは婆様のもとで見習いをしている私にも向けられる。今日も、私が薬の調合を間違えたことに対して怒髪天を突く勢いで怒ってきた。


 そして、私はそれにいじけて家を飛び出し、今に至るというわけである。


「いや、私が悪いのは分かってるけど、いくら何でも頭を叩くことはないじゃない……」


 今日された出来事を思い返しているとだんだん腹が立ってくる。確かに私が悪いという自覚はあるが、婆様が悪いという糾弾の気持ちも同じだ。


 結局、立とうと思って上げた腰を再び地面へとつける。服の隙間から雪解け水が染み出しているのが、若干気持ち悪かった。


「あーあ、何か変わったことでも起こらないかなーー」


 座り直った私は、どうせ周りに人もいないので少し大きな声を出してみる。


 正直、生きているのが退屈だった。毎日、朝起きては村の手伝いをして、それが終わったらクロエ婆様のもとで修行をし、大して美味くもない食事を食べてから 寝るだけの日々。おまけに、これから冬になり山への散歩にすら行けなくなる。


「本当に……憂鬱だな……」


 さっきの威勢のいい声とは真逆に、積もりゆく雪に埋もれるほどのか細い声が私の口から漏れる。


 キーーキーー


 ふと、どこからか鳴き声が聞こえる。目をやると丘の中央に立っている木の上で、小さな青色の小鳥が囀っていた。


 キーーキーー


 もう十分に羽を休めたのか、小鳥は翼を広げて飛び立ち、村とは反対方向に向かって飛んでいく。あたり一面の雪景色に小鳥の空色が綺麗に映えていた。


 どこまでも自由に飛び立ってゆく小鳥、その姿を見て思う。私もあの鳥の様に外へと飛んでいけたのならと。だが、きっとそれが叶うことは無いのだろう。


 村というのは抜け出すことを、入ろうとすることを、決して許さない鳥籠だ。仮に無理して抜け出そうとも、その先に続く無数の他の籠に挟まれて圧死してしまう。故に誰もそこから飛び立つことなどできない。


 私はそんな諦念に沈みながら、鳥の軌跡を目で追う。そして、ふと違和感に気づいた。丘から続く、山へと繋がる一本道。その上に何か大きな物体が落ちているのだ。


 木の棒にしては大きく、獣の死体にしては小さすぎるそれは、よくよく見れば紛れもない男性の人影だ。


「ちょ……大丈夫ですか!?」


 気づいた途端に大慌てで声をかけたが、丘の上からでは声が届かないのか、そもそも気を失っているのか、相手からの返答はない。


 体中の血の気が引くのを感じる。この寒さだ。もし行き倒れだとしたら早く適切な処置をしないと手遅れになる。私は慌てて丘を駆け降りると、雪の上に突っ伏す件の人物の元まで走った。


「しっかり!しっかりしてください!できるなら返事も!」


 私は必死になりながら、その人物の手を取る。そして、そうなってようやく彼の姿の全体像が瞳に映った。


 その人は、随分と風変わりな格好をしていた。


 体を覆っているのは使い古されたボロボロの布地。次に目が行くのは、頭に乗っている大きな帽子だ。カラフルな素材と鳥の羽があしらわれたその逸品は、あちこちが土まみれの体とは裏腹に、美しさを保ったままでいる。


 そして、そんな姿よりも何よりも私の目を引いたのは、とてつもなく整った彼の顔たちだった。


「綺麗……」


 そのあまりの美丈夫っぷりに、思わず不謹慎な台詞が出てしまう。幸い声量を抑えるのに成功したので、彼の耳には届いていないだろうが。


「ぁ……ここは……」


 そんな不埒な感情を抱きながらも、必死に彼の全身を揺らす。すると、僅かに意識が戻ったのか、掠れた声が彼の口から漏れた。


「大丈夫ですか?無理しなくて良いので、何か仰りたいことがあるんだったら……」


 さっきまでの声量は抑えて私は必死に声に耳を傾けようとする。その甲斐あってか、彼の二の句はしっかり聞き取ることができた。


「何か……食べ物を……」


 彼はそう一言だけ口にすると、再び目を瞑り、首をがくりと力なく放り出してしまう。


「食料……食料ですね!」


 私は彼の必死の言葉を確かに受け取ると、素早く立ち上がる。まずは彼を運ぶための男手が必要だと思い、私は村の方へと必死に走り出した。


 ◇


「うぅ……あれ……ここは……」


「あ、ようやく起きた。随分と長いこと眠ってましたね」


 ベッドの上から、彼がゆっくりと体を起こすのが横目で分かる。私は手元にあった本をパタリと閉じると、寝ぼけ眼で頭を振る彼に向き直った。


「家にあったパンをあげたら、一心不乱にそれを貪った後に、今度は死んだように眠っちゃって……まぁ顔色は良くなった様なので安心ですけど」


 自分の置かれた状況に混乱しているであろう彼に、私はとりあえず説明することにした。


「ここは村の中にある診療所です。本来なら村人以外は入れちゃいけないんですけど、少し無理を通させて貰いました」


「え?そこまでしてくれたのかい?何だが申し訳ないな……」


 自分が置かれている状況を理解した彼は、何だか居心地の悪そうな表情をしている。まぁ初対面の人にそこまでされたら、そう思うのは妥当な反応だろう。


「大丈夫ですよ。しっかり村の皆から許可は貰ってます」


 だが、彼が罪悪感を感じるのは少しお門違いだ。誰だって目の前で人が苦しんでいたら、助けたいと思うのは当然で、医者見習いの私からしたら尚更だ。………外から来た人への興味や、美丈夫に見惚れる気持ちが無かったといったら嘘になるが。


「それは自体ありがたい限りなんだけど……やっぱりこの診療所の人や、村長に話を通すのは大変だったんじゃないかい?」


 私のそんな下心を知ってか知らでか、彼は尚も私に対してすまなそうにしている。そんな憂いを帯びた顔つきも綺麗だと思った。


「そうでもないですよ。確かにクロエ婆様には土下座しましたけど、村長に関しては賄賂を渡しただけですし」


「ごめん、どういう事!?」


 そしてそんな哀愁漂う顔つきが、私の一言を聞いた瞬間に困惑に塗り替えられる。コロコロ変わる彼の表情が何だか可笑しくて、思わず笑ってしまった。


 私は秘密です、とだけ彼に返答すると、話題を変えようと再び口を開いた。


「でもまぁ、そんなに心配しなくても良いと思いますよ。少なくとも、腕の動かない人を無理矢理追い出したりなんてしないと思いますし」


 私は彼が庇うように左手を置いている右手を見る。その視線に気づいた彼は驚くように目を見開くと、すぐに神妙な表情になった。


「参ったな。気付かれてたのか」


「介抱してたら誰だって気づきますよ。それに、別に恥じることも隠すこともないと思いますよ。きっと獣か何かに襲われたんでしょう?」


「いや、綺麗な鳥を追いかけていたら崖から落ちてしまって、それで怪我したんだ」


「なるほど、確かにそれは恥ずべきことですね」


「君、中々に辛辣だな……」


 私が正直に感想を述べると、彼はその整った顔を歪ませながら苦笑し、それに対して私も笑顔で応対する。それ自体は予測されたやり取りだったが、それよりも気になることがあった。


「……リディです」


「え?」


「だから……私の名前はリディです。これからはそう呼んでください」


 呆けている彼に向かって、私はモジモジとしながら言葉を紡ぐ。これからしばらく一緒に過ごすというのに、名前も知らないというのもおかしな話だ。そしてそれは、私にも言えることだから。


「それと後……あなたの名前も教えて下さい」


 頼み事をするために彼を正面から見据えると、その端正な顔と目線がかち合うことになる。気恥ずかしさでこちらの顔面は火を吹きそうになるが、何とか自分の意思を伝えることには成功した。


「…………」


 しかし、彼の方はというと沈黙したままだ。ひょっとして馴れ馴れしいと思われたのかもしれない。


 私は不安から「今のはやっぱり無しで!!」と叫び出したい衝動に駆られる。しかし、それよりも先に彼が口を開いた。


「ローランだよ」


「……え?」


 唐突な彼の言葉に、一瞬なんと言われたか分からなかった。だが、聞き逃した私に優しく微笑みかけながら、彼は尚も続ける。


「僕の名前はローラン、さすらいの旅人さ。これからよろしくね、リディ」


 彼が、ローランが私の名前を呼んだその瞬間に、室内の空気がまるで花びらでもばら撒いたみたいに、華やかに変わる。互いの名前を見知ったという事実の嬉しさが、きっと私にそう感じさせているのだろう。


 ふと見ると、ローランが自由が効く方の片腕を、自分の方に伸ばしているのが目に入る。私は迷わず、その手を勢いよく握りしめる。


「よろしくね、ローラン!凄く素敵な名前だと思う!」


 勢いに任せて敬語を崩しながら、私は笑いながら声を張る。さっきまで雪に埋もれていた彼の腕は冷たくて、冷気が私の方に伝ってくる。でもそれと同じように、彼には私の熱気が伝わっているはずだ。


 そんな風に、お互いに無いものを分け合える様な関係になれたらと思いながら、私はローランの腕を彼が悲鳴を上げるまで強く握りしめ続けた。


 ◇


 それから、私の日常は目まぐるしく、それでいて華々しく変化していった。


 もちろん、村の雑用に駆り出されることや、調薬に失敗してクロエ婆様に拳骨を喰らうことがなくなった訳ではない。


 だが、そんな色褪せた日常の隙間に挟まる、煌めくような非日常が、いつだって私の背中を押してくれて。どんな嫌なことだって、些事だと思わせてくれるようになったのだ。


『世界には色んな場所があるんだよ』

 いつだって彼の声が頭に響いていて、今だってそれに焦がれている。ローランは私に、自分が旅で見た様々な景色を、言い聞かせるように話してくれた。もとより外に興味のあった私にとっては願ったり叶ったりで、いつの間にやら自分の方からせがむことの方が多くなってしまった。


『僕は気ままな旅人だからね。持ってるのなんて日銭と土産話くらいだし、君がそれを楽しんでくれるのは嬉しいよ』


 しかし、そんなことを彼はまるで気にせず、変わらない笑顔で話を続けてくれた。天にも昇る巨塔、豪華絢爛な城、底も果ても無い大海原。どれもこれもが私には初めて聞く話で、それを見ることが出来ないのが口惜しくなるくらいに、ワクワクする話だった。


 彼から貰えたものと釣り合いが取れているかは分からないが、私の方も村に関することをできるだけ沢山ローランに伝えた。


 野菜を収穫する時のコツ、綺麗な花が咲く場所、彼が追っていた鳥の名前。退屈な話だったかもしれないけど、それでも、ローランは私の話を表情をコロコロと変えながら楽しそうに聞いてくれた。その表情には打算も嘘も見当たらなくて、寧ろ一緒に居られることへの喜びのようなものが覗いている気がした。


 ずっと、そんな楽しい日々が続いていた。交わる言葉が私たちの仲を結んでくれて、無いものを貰うように、有るものを与えるように、深まる絆を通してお互いの知らないを知っていく。


 他所者を嫌う村人の視線も、呆れたようなクロエ婆様の声もまるで気にならない。私の目にはローランしか写っていなかった。


 でも、今思えばそれは、盲目になっていただけなのだろう。日常が簡単に崩れ去ることなんて身をもって知っていた筈なのに、私はそれから目を背けていた。


 そして、それがいかに愚かだったのか、私は知ることになってしまった。 


 ◇


「手も、大分動くようになってきたね」


 ある日の朝、私は何の気無しに呟いた。目線の向かう先にいるのは、パンを右手に持ち、口へと運んでいるローランの姿だ。そのしなやかで品のある腕は、震えながらも確かに物を持つことに成功している。


「おかげさまでね。君と一緒にリハビリを頑張った甲斐があったよ」


「うん。これでもう私の手作りスープを溢して火傷する心配もないね」


「その節は本当にごめんって……」


 すっかり日常になった軽口でのやり取りを挟みながら、私とローランは笑い合う。彼が村に来てからかれこれ一ヶ月。今ではこうやって一緒に食事をとるのが習慣になっている。


 いつもと変わらない食卓の風景。それが今日も同じように過ぎ去っていくと、その時の私は思っていた。


「そろそろ、この村を出ようと思ってる」


「っ……!」


 食事もほとんど終わり、会話のタネもなくなってきた頃。その瞬間を狙い澄ましたようにローランが口を開く。


「この村にも随分とお世話になったけど、いつまでもそうって言う訳にはいかないからね。僕は旅に戻るよ」


 彼の声は未だ優しく、しかしそれでいて強い意志が篭っている。それはきっと、私の付け入る隙なんてないと言うことを意味しているのだろう。


「そうか……そうだよね……」


 努めて冷静に、自らの動揺が外に漏れ出てしまわぬようにする。分かっていたことの筈なのに、胸の中で喚くように暴れる感情は抑え難くて、少し気を抜いただけで溢れ出てしまいそうだった。


「でも、ここでの日々は本当に楽しかったよ」


 だが、必死に感情を抑える私のことなど露知らないローランは、呑気に感謝の言葉を並べている。


「僕には故郷と言うべきものがないんだ。だから、この村で君と一緒に過ごしていると、自分にいつまでもいて良い居場所ができたみたいで嬉しかった」


 まるで、私との思い出を過去のものの様に語るローラン。彼の瞳にはもはや私の姿など写っていなかった。それが悲しくて、苦しくて、悔しくて……憎らしいとさえ思ってしまった。


「だからリディ。僕は君に本当に……」


「……ローランは良いよね」


 自分でも驚くぐらいにドス黒い感情を伴った声が、私の口から溢れた。


「リディ?」


 割り込む様に放たれた私の一言に、ローランが困惑しているのが見て取れる。でも、そんな姿を見たところで、一度開かれた口は、切られた火蓋はもう閉じようが無かった。


「羨ましいよ、何処までも自由に飛んでいけて、いつまでも自由でいられて。……私はそうじゃないって言うのに……」


 白色の生地に泥水でも垂らしたみたいに、私の心中を、悪感情が止め止めなく伝っていく。口を止めなければならないと分かっている筈なのに、何故だか体は言うことを聞いてくれなかった。


「ずっとこの村にいるしかないんだよ。景色も人も変わらない、そんな鳥籠でいつまでも死ぬまでを過ごさなきゃいけないんだよ」


 尊敬心の後ろ側、恋心の裏側にある負の感情。他人には見せる価値もないそれを、私は無理矢理言葉にして紡いでしまう。


「ローランみたいに故郷も何もなければ良かったのに……こんな村なんてなくなってしまったら自由になれる筈なのに……!」


「リディ!」


 私の発言が最底辺を更新した瞬間に、怒りに満ちた声が私を貫いた。


「……それ以上はやめてくれ。それ以上を言われたら、僕は君を嫌いになってしまう」


「ぁ……」


 そこまで言われてようやく、私は自分がしでかしたことの重大さを理解する。彼の向けてくる冷たい視線がそれを何より物語っていた。


「僕の故郷は、僕が幼い時に盗賊に村ごと滅ぼされた」


「え?」


 座ったまま呆然としている私に向かって、ローランがポツリと呟く。意図が読めないでいる私に対して、彼は尚も続ける。


「僕は、両親も友も殺されて独りになった。僕が旅人なのは、自由なのは、孤独だからなんだよ」


 自らの過去を口にする彼は悲痛な表情を浮かべている。そして、その顔をさせてしまったのが自分という事実が私の心臓を締め付けた。


「だから、例え一時の気の迷いだとしても、故郷がない方が良いだなんて、言わないで欲しい。家族も故郷も、僕に無いものを全部持っている君にだけは、そんなこと言われたく無いんだから」


 彼は最後にそれだけ言うと、扉を開けて部屋を後にしてしまう。ソッと閉じられた扉の音が嫌に耳にこびりついていた。


 ◇


 こうやって一人でいると、よく両親のことを思い出す。


 私は二階の病室で、壁に寄りかかりながら、いつもそうしている様に両親が死んだあの日へと思いを馳せていた。


 両親が事故で死んでしまった時の事は、よく覚えている。


 二人は、散歩しているところを急な雪崩れに襲われて亡くなった。死体は外傷が酷く、まだ幼かった私は両親の最期の顔を見ることすら叶わなかった。


 それでも、大切な人が失われてしまったという事実は、私に他の誰よりも重くのしかかる。見れなかった死に顔の代わりに、生きていた頃の思い出がいつまでもフラッシュバックしていた。


 刺繍をする母の姿が好きだった。母が私のためにと作ったくれたマフラーは、今でも私の手元にある。


 作った野菜で料理をする父の姿が好きだった。父が作ってくれたスープは、今ではすっかり私の得意料理だ。


 本当に大好きだった。二人がいなくては生きていけないと思えるくらいに、両親が大切だった。


 でも、どこまで行ってもそれは私にとっての話でしか無かったのだろう。


 村の人々は、最初こそ両親が死んだ事実に心を痛めていた。だが、何ヶ月か経てば、村はまるで両親なんていなかったみたいに、また変わらない日常を送り始めた。


 母が縫い物をしなくなっても、別に誰も寒さで凍えたりしなかった。


 父が畑を耕さなくても、別に誰もひもじく飢えたりなんてしなかった。


 両親がいたはずの場所は、あっさりと他の誰かにとって変わられて、村では今までと変わらない日常が、私だけを爪弾きにして回り続けた。


 幼いながらに、理不尽だと思った。他人の死を悲しみはしても、受け入れはしてしまう、そんな村の構造そのものが。


 だから、変わらない鳥籠の様なこの場所が心底憎くて、いつしか抜け出したいと、そう思う様になるのも早かった。


 きっと、そんな感情は私の身勝手でしかないのだろう。誰しもが当たり前に受け入れる事実に、私だけが唾を吐いて、駄々を捏ねているだけだ。


 それでもやっぱり、私はこの村が好きになれなかった。その上、代わりを求めるみたいに、外の世界に自らの願望を見出してしまった。


 そして、その結果がさっきの醜態だ。


「謝らないと……」


 誰もいない部屋に、言葉が空白を埋め合わせるみたいに響く。そして、その名残が無くなる前に私は立ち上がる。


 ローランに謝らなければならない。彼がこの村から出て行ってしまう前に、傷つけてしまったことを謝罪しなければならない。そして、それと一緒に伝えなければならないことだってある。


「待ってて、ローラン」


 髪を直して、マフラーを巻き直して、私は扉の前に立つ。そして、自らの過ちを正すためにその扉を開いた。


 ◇


 雪がまばらに溶けて、鹿子まだらになっているのが丘からはよく見下ろせた。だが、季節の移ろいを感じるその景色を、いつまでも感傷に浸る様に見ている訳にはいかない。


「……ここにいたんだ」


 声が聞こえた。まだ年相応のあどけなさを残したその声は、この数週間毎日の様に聞いていた声だ。だがその声からは普段とは比較にならないくらいの熱量が感じ取れる。


「ローラン。貴方に大事な話を来たよ」


 ローランの目線の先の大木には、つい先ほど喧嘩別れしたリディが立っていた。


 ◇


 言うべき筈の言葉はあらかじめ決めてきていたのに、いざ彼を目の前にすると緊張感は全身を硬直させてきた。それでも、口にしなければ何も始まらないから、上擦った言葉を何とか発した。


「まずは、最初に……さっきはごめんなさい。言うべきじゃなかった酷いことを、言葉にしてごめんなさい」


 第一声は謝罪だった。これをしなければそもそも会話すらままならないと思ったからだ。


「……その件に関しては僕も悪いところがあると思ってるよ。さっきクロエさんから話を聞いたんだ……僕の方こそ、君の事情を何にも知らないのに君が身勝手だって、それこそ勝手に決めつけてごめん」


 それに対する彼の返答は、意外にも弱々しかった。どうやら、クロエ婆様から私の事情について大方聞いたらしい。


「ローラン。例えそうだとしても私は……」


 だが、たったそれだけのことで許してもらうのは申し訳が立たなくて、私は尚も謝罪を続けようとする。だが、それに彼の優しい言葉が覆い被さる。


「リディ、君の方こそもう謝らなくて良いんだよ。僕たちはきっと、知らず知らずのうちにお互いの嫌なところを踏み合っていただけなんだ」


「だからリディ、これでおあいこってことにしよう。別れる前に仲直りしよう」


 ローランの口から紡がれるのは、穏やかで慈愛に満ちた声だ。きっと誰もが伸ばされた手を取りたくなる様なそんな声。


 だが、私はその手を取ろうとしなかった。何故なら、その言葉は彼が一人で旅立つことを前提とした言葉だからだ。


「……それだけじゃダメなの」


「え?」


 虚をつく様な私の言葉に、ローランが困惑の声をあげる。だが、私はそれをあえて気にせずに言葉を続けた。


「それだけじゃ、貴方に何も返してあげられてない。私はもっと貴方のためになることをしてあげたい」


 自分の中でとっ散らかっている言いたいことを、拾い上げるみたいに私は言葉を吐き続ける。そして、最後の最後に、一番言いたかったことを口にした。


「お願い、ローラン。私を貴方の旅に連れて行って」


 そうやって、明確に言葉にした瞬間に、自分の中の気持ちがはっきりと定まった気がした。


「どうして……君が僕についてくることが僕の為になるんだい?」


 一方、ローランの方はいまいち私の言うことが飲み込めないのか、より瞳に映る困惑を深めている。私はそんな彼に、自らの気持ちを手のひらで雪を溶かすみたいにゆっくり伝えていく。


「……ローランは言ってたよね。自分には故郷がないからこの村で過ごせて嬉しかったって」


「でも、もっと正確に言うならローランが求めているのは何が起きても不変の『変わらない何か』なんじゃないの?」


 私が推測を言葉にした瞬間に、彼の瞳が見開かれて、体がこわばるのが見える。それが、私の考えが正解であることの何よりの証明だと思って、畳み掛けるように声をあげる。


「私が、『変わる何か』を求めているみたいに、ローランがそれを求めているんだったら、私はローランにとっての『変わらない何か』になってあげたい!」


 身の丈に合わない願いだと分かっていても、それを乗り越えられるくらいに大きく叫んで、私はローランだけをじっと見つめる。この思いが十全に伝わることを願いながら。


「だから、私は貴方の旅について行ってあげたい!貴方が何処へ行こうと、何時であろうと、私がずっと側にいてあげたい!」


 ひょっとしたら、身勝手だと思われるかもしれない。的外れだと呆れられるかもしれない。でも、それ以上にあの日の自分みたいに無いものに苦しむ彼を救ってあげたい。


「私が!ローランにとっての故郷に、家族に、なって見せる!」


 一世一代の告白が、丘の上で響いた。


「ははっ……」


 叫んだ分を息継ぎする私の耳元に届いたのは、朗らかな笑い声だった。


 視線を上げると、ローランは白い歯を見せながら、嬉しいような悲しいような顔で笑っていた。


「驚いたな。君がそんなに僕のことを思って、理解してくれていたなんて」


「……気持ち悪いと思った?」


「違うよ。寧ろ、君の大胆不敵さに感服してる」


  気まずさを誤魔化すような私の自虐を、彼は笑顔で受け流すと私のことを抱き締めてくる。それが彼の返答だった。


「ありがとうリディ。僕のことをそんなに思ってくれて。君がそう言ってくれるなら、僕は君を旅に連れて行くよ……でも、死ぬまで側にいるだなんて、本当に意味が分かった上で言ってる?」


「当たり前でしょ。ここに来て日和ったりしないわ」


 耳元で、囁くようにローランが呟く。何だかとてもこそばゆかったけれど、それは頑張って声に出さないようにした。


「それもそうだね。ありがとう……愛してる」


「私も、愛してる。これからよろしくねローラン!」


 私達は、他に誰もいない丘の上で互いの体温を分け合うように抱きしめ合う。降り頻る陽光が、二人の門出を祝福している様だった。

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