誕生日のはなし

綾瀬 柊

誕生日のはなし

***


 女の子が羽のように軽いなんて、幻想である。

 だが重さを上回る喜びがあれば話は別だ。そこには離しがたい温度があり、そのぬくもりを前に重さ云々は後回しになってしまうのだろう。


「……楽しいの?」

「むちゃくちゃ楽しい」

「……そろそろ下ろしたら? 重いでしょ」

俺は断固として首を振った。

「ぜんぜん重くない。羽と一緒で風吹いたらそのまま飛んでいっちゃいそう」

「一周回って怒る気も失せそう」

「もう半周回って喜んでくれていいよ」

息するようにめちゃくちゃなこと言うじゃん……と、こずえは呆れた声を漏らした。


 海野家のソファに座る俺の膝に座らせ、後ろからそのお腹回りを両腕でがっちりホールドして逃げられなくしていた。

 しばらくは居心地が悪そうに身じろぎしていたが、俺にしばらく離す気がないことを悟り諦めたようで、今ではすっかり大人しくなっていた。

 子どもに抱っこされてるテディベアってこんな気持ちなのかな……、などと、腕の中で現実逃避のような独り言を漏らした。


「あのね雅樹、一般女性はたいてい大型犬より重いんだよ。いま乗ってるからわかると思うけど私もそう」

「、どういう例え?? いまいちピンと来ないんだけど」

「仮にシェパードが40キロだとすると、そこにさらにチワワを何匹も足したくらい」

「余計わかんないんだけど」

 ちなみにこずえはプラスなんチワワなの? と問うと、聞こえていないふりをしだした。自分から言い出したくせに答える気はないらしい。


 後ろからハグできて楽しいけど、顔がちゃんと見られないのはイマイチだなと思う。前からしたいと頼めばよかった。

「ていうかシェパードにチワワってどういう組み合わせ?」

「雅樹は犬苦手じゃん、だからカッコいいに可愛いのを足していい感じにしたんだけど」

ときどき流行する甘辛ミックスってやつだと思ってくれていいよ、と言われ首を捻る。

 気まぐれにその肩に頭を乗せると、重いんだけどと苦情が来た。

「シェパードもチワワもいいや、こずえひとりでいい。こずえは甘いのも辛いのも好きだし、ひとりで甘辛ミックスみたいなもんじゃん」

「私って甘辛ミックスだったんだ」

「そうだよ、知らなかった?」

 自分の口から小さな溜め息が漏れた。憂鬱から出るそれではなかった。幸せが溢れ出ているのだ。

「すごいよ、幸せすぎて足まで痺れてきた……」

「それたぶん私の重みで血が止まってるだけだからね」

だから下ろしてって言ってるのに、とモゾモゾ述べた。諦めの悪いことである。

 腕はとうに緩めていたが、約束通り自ら下りる気はないようで雅樹はひとりほくそ笑んだ。


 物心つく前からの友であり、もう新たに知るようなこともないと思っていたのに。付き合うまで知らなかったが、こずえは尋常じゃない照れ屋であった。

 人前はおろか、外出時に腕を組むことすらできない。友人として過ごした時期が長すぎて、今さら恋人気分を味わうのは恥ずかしくて耐えられないのだそうだ。

 だがスキンシップ自体はやぶさかではないようで、

(どんな顔をしたらいいのか全然わかんない)

と目を泳がせながらも応じてくれるのがもう、心から愛しかった。


 そんな俺たちにも転機が訪れた。

 幼い頃の俺が見た予知で、

『こずえより先に俺が死ぬ』

と、いうのがあるのだが(とはいえ老人になってからのことなので、おおむね寿命みたいなものだ)、彼女にはそれがどうやら相当堪えたらしい。

 そのとき『ハグはストレスを減らし寿命を伸ばし云々』とネットで斜め読みしたようなことを教えると、それ以来人目を盗み、通りすがりに自らハグをしてくれるようになったのである。

 恥ずかしさからか力加減を誤るようで、なかばタックルじみた威力があるが、俺は人よりだいぶ前向きなので、(きっとこずえの愛情深さと比例してるんだろう)と受け止めている。


 それにこれは偉大な進歩だった。いっそ進化と呼んでもいい。

 以前はこずえの弟・颯太の足音が聞こえただけで、引っ付きたがる俺を捻り上げていたあのこずえが、自分からハグをかましてくれるのだから。

 そしてその根っこには、俺の寿命を伸ばすために、(嘘かもしれなくても、ハグが体にいいならやらないよりはマシかも)と思いつつやってくれているのが透けて見えて、めちゃくちゃ嬉しかった。

 俺の膝の上から下りずに腕の中にまだいてくれるのも、ハグと寿命説を胸に、恥ずかしいのと照れを我慢して身を預けてくれているに違いないのだ。

 こずえのこういう不器用な優しさが、俺は小さい頃からずっと好きなのである。


「……。もうそろそろほんとによくない? 足の血止まるよ。壊死するよ」

「平気平気、治るなら足くらいいくら痺れたっていいし」

振り向いたその顔が、ちょっとムッとしていた。

「だいたい、誕生日にハグってなに? 欲しい物を訊いたんだよ私は。財布とか靴とか言うと思ったのに」

 そう、今日は俺の誕生日なのである。

「ちゃんとくれたじゃん、『なんでも券』。10枚も」

 渡したらたいていのお願いは通じる、通称『なんでも券』である。

 それが欲しいと言ったら、「なんで今更そんなのを?」と首を捻りながら豪華な10枚つづりを作ってくれた。そして今日もらってすぐ、1枚をハグに使ったのだ。


 俺とこずえと颯太は、子どもの頃はお小遣いがそんなになかったので、こういった祖父母に渡すようなアイテムでそれぞれの誕生日をお茶に濁してきた。アルバイトができるような年齢になってからはすっかりやらなくなっていたので、かなり久々の登場ではあった。

 なんでもないチラシの裏に手書きしたような品ではあるが、侮るなかれ、その効力はとても強い。

 刺身の最後の一切れをもらうこともできるし、自分が勝つまで何時間でもゲームに付き合わせることもできる。

 ただし受ける側も、なんでもかんでもきくわけではない。出された要求に条件を付けることができるのだ。『最後の刺身を寄越せ』と言われても、『じゃあ好物のヒラメ以外なら』だとか、『ゲームの対戦も長くても1時間まで』だとか。


 そして今回の俺の『気がすむまでハグさせてほしい』に対しては、『誰かが家に帰ってくるまでなら』と条件が付けられた。


 膝をトントンと叩かれた。

「ねぇ感覚ある? 足痺れてるんでしょ?」

「ぜんぜん痺れてない。もしかしたらその感覚ももうないのかもしれない」

「めちゃくちゃ悪化してるじゃん」

血流は健康にかかわるのに、と、こずえは嘯いた。

「そうだ、そういえばこずえは誕生日なにほしい? もう来月なのにさー、なんかないの?」

「そう言われてもいま特に欲しいものないし」

「花束とかいる? フラッシュモブ雇う?」

そういうのは別にいい、と首を振った。

「結構いいと思うんだけどなー。俺、インド系のフラッシュモブとかあったら見てみたいんだけどな。キレッキレのダンス見たくない?」

「そう言われるとだいぶ見てみたいけど」

そこまでいくとモブじゃなくてメインじゃん、と静かにツッコまれた。


「んー。どうせもらうなら私も『なんでも券』かな」

なにか意趣返しでもするつもりなんだろうか、と内心ちょっと笑った。

「なにに使うの? 俺も心の準備しといたほうがいいやつ?」

ううん、と首を振った。

「私より長生きしてもらう。いつか死にかけたら『なんでも券』でバシバシ叩いて引き留める」

「わかった。こずえにビンタされたらゾンビになってでも甦るね」

「そこまではしなくていいよ。息吹き返して、そこから引くほど長生きするくらいでいいの」

ゾンビになられたら誰かがトドメ刺さなきゃだし……、と情け容赦のない言葉が続いた。


 玄関のカギが開く音がした。

「ただいまー、疲れたぁ……!」

海野家の母の帰宅である。

「おかえりー」

「おばちゃんおかえりー」

「あれ、まーくんの声がする。我が家の名誉長男~~、お誕生日おめでと~」

「ありがと~、リビングにいるよ~~」

 見られて冷やかされる前に下りる、とこずえは器用に全身の力を抜くと、ズリ落ちるようにして俺の膝から床へと滑り降りていった。


 彼女のいなくなった足には一斉に血が巡りだし、当然めちゃくちゃ痺れだした。ソファで身悶えする俺を見て、こずえは振り返り「羽と一緒に吹き飛ぶほど軽いんじゃなかったの?」と意地悪な笑みを浮かべた。


fin.

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