官能教育
泉侑希那
官能教育
命令されるのは気持ちいい。
自分の頭でわざわざ考えず、ただ言われた通りのことをする。そうすればご褒美や報酬がもらえるなんて、身に余る贅沢だとすら私は思う。
「ちょっと、須美子。手が止まってるわよ」
私の妄想を破るように鋭い声がした。思わずビクッと我に返る。
「さすがに疲れて来た? ……もうちょっと行けそうならがんばりなさい」
「は、はい! 集中します……!」
私は右手の指先に力を込め、今、自分が命令されていることに意識を強く向けた。右手首の動きに導かれるように、私の全身を伝う血が熱を帯びてゆく。
最高潮のひと時。
けれど、それは一瞬で過ぎ去る。
そして、私を気持ちよくしてくれた命令も、同時に終わる。
「お疲れ様。よくがんばったわね、須美子」
私は肩で息をしつつ、椅子に座ったまま背もたれに身を預けた。
「ありがとうございました……先生……」
「じゃ、採点しておくからね。あ、休憩してていいわよ」
「あ~疲れたぁ~! 2時間も勉強とテストで全身ガッチガチですよ先生ぇ……」
「ふふふ。でもきちんとやってくれるし正答率バッチリだし、褒めるところしかないわ。ホントに須美子は優秀ね♪」
「はぅぅ……嬉しいです、愛理先生ぇ……」
私の家庭教師である佐々木愛理先生は、勉強の教え方だけでなく、厳しさと優しさの使い分けがとても上手い。その手法にすっかり馴らされた私は、先生の言う通りに勉強を続けて、ずっと好成績を維持している。
二年前――私が高校一年生で成績に悩んでいた時――に家庭教師として派遣された愛理先生と初めて会ってから、打ち解けるまでに苦心してた頃が懐かしい。人見知りで他人への警戒心が人一倍強かった私に、先生は、いつもファッションモデルのように上品な立ち居振る舞いと、血縁関係のあるお姉さんみたいに気さくな笑顔で接してくれた。今思えば、先生との出会いは、私にとって一つの可能性だったのだ。その証として、いつしか私は、この年上の美しいお姉様と二人だけの勉強時間を楽しみながら、自分の心を満たせるようになっていた。
そんなお姉様――もとい愛理先生からの命令に従って勉強し、それをやり遂げた後には解放感と褒め言葉を、浴びるように味わう。
思考疲労によって全身が敏感になっている私は、こんな時、下腹部にほんの少しの湿り気を覚えて、恍惚とする。最初は気のせいだとスルーしていたけど、先生と過ごす時間が増えてゆくのに比例して、胸の奥に燻りを感じる。
きっと、私は近いうちに自分の気持ちを誤魔化しきれなくなるかもしれない。
その前に、愛理先生に気づかれてしまうだろうか。
それとも、勇み足で自ら本心をぶちまけてしまうだろうか。
答案へ採点する先生の後ろ姿を見ながら、私はテーブルに置かれたコーヒーグラスを手に取り、中身をぐっと喉の奥へ流し入れた。砂糖もミルクも入れてないから苦いけど、その分、素材自体の優雅な匂いが引き立つブラックコーヒーだ。
私が高校を卒業して、大学も卒業して、社会人になったら、愛理先生の隣で苦いコーヒーを嗜むのに相応しい女性になれるだろうか。
先生が何も命令してくれない未来でも、私は先生に可愛がられる資格を持っていられるだろうか。
「よし採点終わり! 95点! 上出来よ須美子! さ、この勢いで今日のラストスパート1時間やっちゃいましょ!」
愛理先生が満面の笑みで私の方へ振り返った。私はばれる筈のない高鳴る心音を抑えつつ、ゆっくりと勉強机に向かう。
「はい! よろしくお願いします!」
命令されるのは気持ちいい。
たとえそれが勉強であっても性癖であっても。
官能教育 泉侑希那 @I_Yukina
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