氷の騎士の元カレと入れ替わってしまった令嬢の話
一ノ瀬亜子
第1話
「これはつまり、もしかすると――」
「わたくしたち……入れ替わっておりますの⁉」
王立図書館の一角で、向かいあって尻もちをついている男女。狭い本棚の間には、何冊もの書物が散らばっている。
(ありえない……わたくしの目の前に『わたくし』がいるだなんて)
ロゼッタは何度か瞬きをして、正面にいる自分自身を凝視した。
咄嗟に近くにあった姿鏡を見るが、赤毛の長い髪、大きな瞳、華奢な体は映っていない。そこにあるのは、さらりと伸びた白銀の髪、冷たい印象がある切れ長の瞳、薄い唇、鍛えられた体――。
ロゼッタのいわば『元カレ』である、アシェル・ウォートリーだった。
◇
ロゼッタ・エリオットは、ラルス王国において公爵の爵位をもつエリオット家の一人娘だ。エリオット家は、ラルス王国西部一帯の領地を統治している有力貴族である。
ロゼッタは今年で十九歳になるが、権力のある家同士のつながりをより強固にしたいという父の思惑から、縁談話が数多く舞い込んでいた。
「ロゼッタ、次はデズモンド家のウィル君なんてどうだろう。先方からも今度、逢瀬がしたいとお声をいただいている」
「は……はい。お父様」
父であるドミニク・エリオットは、ロゼッタにそう伝えると意気揚々と広間をあとにした。ソファに腰をおろしているロゼッタは、一人重いため息をつく。
(お父様は、わたくしの気持ちなど考えてもくれないのだわ)
家同士の結びつきは大事だ。それも貴族にとって結婚という過程は重要な意味をもつ。ロゼッタは頭の中で理解はしていても、本心から望ましいことだと思えなかった。
(半年前にも、ウォートリー家のアシェル様と交際していたけれど、ひと月ともたずに離縁してしまった)
ロゼッタはかつて交際していた男の面影を脳裏に浮かべる。ラルス王国の中央部を治めるウォートリー家といえば、王宮を護衛している有力貴族だ。
アシェルはウォートリー家の嫡男であり、二十五歳という若さで王立騎士団の第一部隊騎士団長を務めている。
アシェルは何を考えているか分かりにくい、とても冷たい男だ。しかし、それがかえって『氷の騎士』として、令嬢たちに人気だという。
ドミニクからの勧めがあって、ロゼッタはアシェルとの交際を一時は受け入れた。何度か一緒に茶を飲んだり、歌劇を鑑賞したり、乗馬をしたりした。しかし、ロゼッタがなにを話しかけても反応は薄く、とてもじゃないが友好的だとは思えなかった。
(アシェル様だって、きっと家同士の親睦を深めるために縁談にのってくださっただけ。わたくし自身に興味はなかったのよ)
愛情がこもらない交際は寂しい気持ちがする。結局、ひと月ともたずロゼッタの方から離縁を申し出るに至った。ドミニクは残念そうに肩を落としていたが、アシェルに至っては氷の表情を貫いていて、最後まで何を考えているのかさっぱり分からなかった。
◇
どうやら図書館でアシェルとぶつかった拍子に入れ替わってしまったらしい。ひとまず互いを装いながら元に戻る方法を探るしかない。話し合いの結果、その日ロゼッタはアシェルの姿のままウォートリー家に帰宅した。
「おかえりなさいませ! アシェル様!」
使用人たちに迎えられ、なるべく違和感のないように装う。てっきりアシェルは他人に愛想を振りまかない冷たい男だとばかり思っていたが、使用人たちからは親しまれているようでロゼッタは驚いた。
(なんだか、意外だわ……)
ロゼッタは当たり障りのない返事をして、事前にアシェルから教えられていた私室に逃げ込んだ。そこでふと思う。異性の私室に入ったのはこれがはじめてだ。
緊張しながらキョロキョロと辺りを見回すが、アシェルの部屋は物が少なく、とくに目ぼしいものはない。だからか、書斎机の上に置かれている小箱に目がいった。
(こんなことをしてはいけないと分かっている。でも、ちょっとだけよ……)
何度も心の中でアシェルに謝りつつも、好奇心に負けて小箱に手が伸びてしまう。蓋をあけると、その中には何枚もの手紙が入っていた。
(え……これって……)
いけないものを見てしまった、とすぐに蓋を閉じようと思った。しかし、その便箋に心当たりがあって、一枚手に取り、中身を確認する。
「これも、これもこれも……ぜんぶわたくしから送ったお手紙だわ」
半年前に交際をしていた時、アシェルとは定期的に文通をしていた。アシェルは公務で忙しかったこともあり、会話よりも文章で接する方が多かったかもしれない。
たかだか手紙だ。容姿端麗なアシェルならば、恋文は数えきれないほどもらっているだろうに。物が少ないこの部屋で、唯一手紙だけが小箱の中に大事そうにしまわれているではないか。
(わたくしが同封した押し花まである……)
交際していたのはたったひと月ほど。それなのに、捨ててしまわずにこのようにとっておかれていると知って、ロゼッタは殊更に困惑したのだった――。
氷の騎士の元カレと入れ替わってしまった令嬢の話 一ノ瀬亜子 @ako_ichinose
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