お転婆お嬢さまの告白模様

めぐる真白

第1話

「うぉぉぉぉぉ!!」

 

 高い剣戟の音が響くたびに、周囲の熱気はさらに高まる。

 その中心にいる私は、それらの声を一切耳に入れていなかった。


 私、クリスティーナ・サヴィリオの意識は、すべて目の前の男に向けられている。

 彼から一瞬でも意識を逸らせば、すぐに地に膝をつけることになるだろう。

 

 男が鋭く振るう剣をいなし、私は反撃を繰り出す。まるで針の穴を通すかのように、正確に。

 私はその攻撃を紙一重で交わしながら、目の前の男に一矢報いる隙を狙っていた。


 エリュシオン魔法学院、学期最後の模擬トーナメント戦。

 このトーナメントは、魔力を持つ貴族子息や令嬢たちが集うエリュシオン魔法学院創立時から続く一大イベント。


 優秀な人材を数多く輩出する学院として、ここでの勝敗は単なる競技の枠を超え、参加者たちの未来に深く影響を与える。

 

 名誉あるトーナメントの決勝戦で挑む相手は、無敗の男――ルディウス・ベルノルト。

 ベルノルト侯爵家嫡男であり、この学園の男子寮寮長として、すべての試合で黒星無という未踏の記録を持つ。

 そして、女子寮寮長である私、クリスティーナ・サヴェリオは、ルディウスの幼なじみにして永遠のライバル。


 今日を逃せば、私はルディウスと真剣勝負を繰り広げることは二度とない。

 サヴィリオ家だって由緒正しい侯爵家の一門。本来、高位貴族令嬢が剣を振るうことなどありえない。

 私とルディウスの真剣勝負が許されるのは、学院生活の中だけ。今日がその最後のチャンス。

 来週、私たちはこの学院を卒業するのだから。


「やぁぁっ!」

 

 絶対に負けられない私は声を上げ、鋭く射抜くように剣を振るった。

 

「随分と気合いが入っているね!?」

「あなたに勝つ最後のチャンスだもの!気合いもはいるってものだわっ!」


 打ち合いながら交わす軽口に、ルディウスの金の瞳が好戦的に輝く。

 私は、誘うように口角を上げ、強く踏み込んだ。


「今日こそ、その膝を地面につけてあげるっ!」


 彼は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに私の剣を受け止めた。

 いつも余裕たっぷりのルディウスを驚かせたことに、少しだけ達成感を覚える。

 私は即座に気を引き締め、踏み込みの勢いを乗せて鋭く剣を振るった。

 両手で剣をしっかりと構え、私の渾身の攻撃を冷静に受け止めるルディウス。

 至近距離で睨み合った瞬間、ルディウスは剣に力を込め、一気に押し返した。

 私は無理に体をひねって着地すると、二歩、三歩と後ずさりしながら彼との距離を取った。

 

 ルディウスは演習場の真ん中に悠然と立っていた。

 剣を降ろし、無駄な力を一切入れていない。それでも、つけ入る隙はまるでない。


 その立ち姿に、一瞬、目を奪われる。


 憎らしいほど強くて、かっこいい。

 私の誇りでもある幼なじみを、思わず苦々しく睨んでしまう。

 

 なんでそんなにカッコ良く育ってしまったのよ! おかげで、令嬢達からの人気はうなぎ登りだわっ!

 泣き虫なルディを好きになったのは私だけなのにっ!どうしてカッコよくなったからって、他の人があんなに騒ぐのよ!

 

 私は、訝し気な表情を浮かべるルディウスを、苦々しく思ってしまった。

 

 武を尊ぶサヴィリオ家とベルノルト家は、両家の結びつきが非常に強い。

 母親同士も仲が良く、同時期に生まれた私たちは、自然と同じ時を過ごして育った。


 幼い頃のルディは身体が弱く、体調を崩しやすかったため、部屋で過ごすことが多かった。

 体格も小柄で、可愛らしい顔立ちに加え、控えめな性格も手伝って、女の子と見間違われるほどだった。


 男勝りな私と違い、ルディは両家から猫可愛がりされていた。本人はひどく不服そうだったけど。


 しかし、貴族の世界は弱肉強食。

 その容姿と控えめな性格のせいで、ルディは貴族令息たちから密かにいじめられていた。

 当時は、何度もいじめの現場に割り込み、背中で庇ったものだわ。

 その度に、金色の瞳に涙をためて見上げるルディウスの可愛らしさは、筆舌に尽くしがたかった。


 可愛い弟のように思っていたルディへの印象が変わったのは、些細なきっかけだった。


『僕がてぃーなちゃんを守るんだ!』


 ある日のお茶会で、ルディウスを守るために貴族令息と取っ組み合いになった。

 その時、私の顔についた擦り傷を必死に手当てしながら、涙をこらえて宣言するルディウス。

 あまりに真剣な顔つきに、心臓がドキリと跳ねた。


 それが、彼に恋をした瞬間だった。


 でも今は、目を合わせるためには見上げなければならない。

 丸かった目は切れ長になり、可愛らしい微笑みは精悍さを増した。

 今や、黄色い声援を浴びても、顔色一つ変えはしない。


「ほんとむかつく……っ!」


 右手の剣の柄をしっかりと握り直す。


「私だって、今日こそは絶対に負けられないの!」

 

 これが最後よ、クリスティーナ。

 この試合に勝たなきゃ、私の願いは叶わない。

 勝って、ルディウスに言うんでしょう?


 私をお嫁さんに選んでほしいって!


 エリュシオン魔法学院には、ある言い伝えがある。

 最終年度の試合で勝利した者は、その後、好きな相手と結ばれるというもの。

 過去にも多くの卒業生が、試合後に思いを告げ、恋人同士になり、婚姻に至った。


 これに勝たなきゃ、意地っ張りな私は、ルディウスに告白なんて一生できないわっ!


 ルディウスだって年頃なのに、未だ婚約者を決めていない。

 だからこそ、虎視眈々と侯爵夫人の座を狙う年頃の貴族令嬢ハンターの数は計り知れない。


 きゃあきゃあと黄色い歓声を上げるご令嬢たちをちらりと見やる。

 可愛らしいドレスに身を包んだ、ふわふわと綿菓子のような可愛い女の子たちは、一生懸命手を振っている。

 それに比べて今の私は、トーナメントを勝ち抜きいくつもの試合をこなした後。汗や泥にまみれて華やかさの欠片もない。

 それでも、負けるわけにはいかないの。

 こちとら何年越しの想いだと思ってるのよ!  今さら奪われるなんて冗談じゃない! 

 

「ルディウスさまぁ~!」


 ご令嬢たちの声援など歯牙にもかけず、煌めく黄金の瞳は私だけを射抜く。

 殺気とも言える視線を一身に受け、ぞくりと背筋を走る愉悦を噛み締める。

 この感覚を知ってしまえば、もう戻れない。


 この瞳が、私以外を見つめるなんて絶対に認められないわ!


「炎よ!」


 距離を詰めながら、私は鋭く詠唱し、五つの炎の玉を出現させた。

 一つ一つは小さいが、炎の色は白く、高温度の炎が圧縮されているのがわかる。


 ルディウスはピクリと眉を跳ね上げ、剣を構え直した。

 

 この魔法は、私の魔力量をもってしても、一気に繰り出すのは五つが限度。

 今すべての魔力が消費されたことは、ルディウスにもわかっているはず。


 ゴォォォ!!

 

 轟音とすさまじい熱量を纏った二つの炎を彼に向かって打ち出す。そして、その後ろに続く様、私は身体を低くして一気に距離を詰めた。

 

 ルディウスは、私に視線を固定させて、二つの炎を鏡のように出現させた水魔法で防ぐ。

 しかし、あまりにも威力が高い炎は、水鏡を燃やし尽くした。

 目を見張ったルディウスだったけど、瞬時にもう二枚ほど水鏡を出現させて防いだ。


 その驚いた様子に私は、思わず笑みを浮かべ、脇を突く様に剣を振るった。


 長く打ち合えば、体力の差で絶対に勝てない。私が勝つには、短期決戦しかない。

 ルディウスの水魔法とは相性が悪い。でも、この火力なら全てを焼き尽くせるはず!


「ティーナちゃんっ! 何を考えてるの!?」

「あなたに勝つことだけよ!」

「だからって、魔力が枯渇したらっ!」


 ルディウスの顔に焦りが浮かぶ。

 魔力が枯渇することは魔法剣士にとって命取りになるからだ。

 私たちがまず最初に学ぶことは、常に身体強化魔法をかけ、重傷を負わないようにすること。

 攻撃魔法は、生身の身体で受け止められるものでもないし、剣一つでも魔法剣士が振るえば威力が何倍にも跳ね上がる。

 魔力がなくなれば、身体強化も使えない。今私の身体は無防備で、少し剣先が触れるだけでも大けがにつながるのだ。

 

「手を抜かないでっ!」


 そう叫べば、ルディウスの瞳が揺れた。私は彼に向かって勢い良く剣を振り下ろす。

 しっかりと受け止めたルディウスと至近距離で見つめ合う。


「最後なんだから、ちゃんと戦って! 私の為に!」


 勝たせてもらったってなんの意味もない。全力で戦ってルディウスを打ち負かさないと、この恋は実らない。

 

 剣を合わせたまま、三つ目の炎を彼の死角をねらって打ち出した。

 ルディウスは、それをあっさり防ぐと、剣の力を利用して私から距離をとる。

 眉間に皴を浮かべて、ルディウスは叫び返した。

 

「わかったよ!! ただし、これ以上の無茶は看過できないからっ!」

「ええ、これが最後よっ!」


 生み出した最後の二つ炎をひとつに合わせた。そして、無理やり魔力を生み出し剣に炎を纏わせた。


「ティーナちゃん!?」


 慌てた声を上げたルディウスは、すぐさま地を蹴り私との距離を詰める。

 彼には分っているようね。私が最終手段を用いて魔力を生み出したことを。


 私たち、魔法剣士は魔力切れを起こしても、最終手段として無理やり魔力を生み出すことが出来る。

 それは、体力を魔力に変換させるということ。

 すごくコスパは悪いけど、私達魔法剣士は、魔力がなくなれば身体を守る物がなくなり、死ぬ可能性が跳ねあがる。

 その代償として、しばらく動けなくなるんだけどね。


 一気に距離を詰めたルディウスは目前に迫っていた。

 でも、遅い。


 私は、自分の剣を掲げ、振り下ろす。

 剣からは、炎が吹き上がり、炎は龍を模した形となって、ルディウスに襲い掛かった。

 これだったら、ルディウスの水魔法であっても、防ぐことはできない。


 足を止めたルディウスは、眼前へと迫る炎龍を見つめて、ゆっくりと手を広げる。

 

「水よっ! 炎を包み込めっ!」


 その瞬間、大きな水泡が現れと炎龍を閉じ込めた。

 中で狂ったように暴れまわるも、水泡はびくりともせず、水流を生み出し、炎龍の身体にまとわりつく。

 しかし、水もブクブクと泡を吹き、表面からは煙のようなものが立ち上がっていた。

 高温に熱せられた水が蒸発しているのだろう。


 白炎の竜も少しずつ小さくなり、威力が下がっているのは分かる。

 しかし、水泡の大きさもどんどんと縮まり、このままいけば炎龍が解放されすべてを燃やし尽くすだろう。

 勝てる!!


 そう私が確信した瞬間だった。

 

 ルディウスは水泡を鋭く睨みつけたまま、静かに天へ片手を掲げる。

 その手がゆっくりと回転すると、演習場の空に黒い雲が渦を巻きながら広がった。

 やがて、ぽつり……ぽつり……と雨が降り始める。

 次の瞬間、空を裂くような雷鳴が轟き、土砂降りの豪雨が辺り飲み込んだ。

 

「うそ……」


 そして、その豪雨は形を変え、まるで龍のようにうねりながら炎龍を呑み込んでいった。

 炎を飲み込み、一瞬で消え去った水龍の余韻が消えた瞬間、

 

 カァン――――……。


 何かを弾いたような固い音が鳴り、私の右手から重さが消えていた。

 額から汗が頬を伝い、顎に落ちるのを感じても、私は瞬き一つできなかった。

 目の前には、鋭い視線で見据えるルディウスが、こちらに剣を突き付けているんだから。


「勝者、 ルディウス・ベルノルト!」


 勝敗が決した。審判の声と共に、割れんばかりの歓声が演習場にこだまする。

 ルディウスが剣を下ろすのを、私は、ただただ茫然と見つめていた。

 

 負けた、の……? 私、 ……負けた?


 ドクドクと、大きな鼓動だけが、やけに耳につく。

 ここまで必死に頑張ってきた。可愛らしいルディウスが強くなろうと必死に努力していた姿に、心を甘く締め付けられてから。

 もはや、学園の言い伝えにすがるしかなかったのに。

 唯一の可能性を失った。ルディウスに選んでもらえないの……?


 その思いが胸を締め付ける。


「僕の勝ち、だね」


 黒髪の間から流れた汗を乱暴に拭いながら、黄金の瞳を弓なりにするルディウス。

 降ろした剣を鞘にしまいながら、ふっと笑う彼を見て、私の心の枷は決壊した。


「う、うわぁぁぁぁん!!」

「え、ちょっ、 ティーナちゃん!?」


 突然大きな声で泣き始めた私に、ルディウスは盛大にうろたえる。

 その慌てっぷりは、昔私の後ろをついて回っていた可愛いルディを思い出させるけど、私に宥める余裕なんかない。


「ど、 どど、どうしたの!? ティーナちゃんっ!」

「負けた、私、ルディに負けちゃったぁぁぁ!」

「ま、負けてもよくない!?僕がティーナちゃんを守れるっていう証拠だよ!?」

「それじゃダメっ!ダメなの~!」

 

 悲しさと共に、涙があふれるのを止められない。だって可能性が消えちゃった。

 この試合に勝つことが、ルディウスのお嫁さんになれる唯一の可能性だったのに。


「今日だけは、絶対に勝たなきゃいけなかったのに~っ!」

「ごめんっ! な、なんかごめんっ!? あああ、そんなに泣かないで。ティーナちゃんの綺麗な目が……」


 子供のように泣き喚く私の前に、ルディウスは片膝をつき、慌てながらも涙を拭こうと手を伸ばす。

 ほっぺたに手が触れようとした時、彼は自分の手を見て慌ててバンザイした。

 当然のように頬を差し出していた私は、ショックを受ける。

 もう、頬に触れてもくれないの? 幼いころは、私が泣くと一生懸命手で拭っていたのに。


「う、うぅ~、ルディ~……」

「わぁぁっ! 違う、違うっ! 僕今砂埃と汗まみれで汚いからっ! タオル、タオル持ってくるからちょっと待っててっ!」


 ルディウスは、そう言って身体ごと後ろに下がる。

 冷静でいられない私は、ルディウスとの間に広がった距離を見て、ぼろぼろと涙をこぼす。

 

「やだぁ……、 行かないで、 ルディ……」


 手を伸ばして彼の袖口をぎゅっとつかむ。

 本当は縋り付きたい。でも、嫌がられたら一生立ち直れない。それだけ、ルディウスの事が大好きなんだもの。


 私は、しっかりと袖口を握りしめたまま、顔を伏せる。ざわざわと観客が騒ぎ出しているけど、そんなことに気を回せる状態じゃなかった。

 そして、周りのどよめきを聞いているルディウスの眉間に、深い皴が寄っていることも。


「場所を移そう。ちゃんとつかまって」

「え、きゃっ!」


 ルディウスの声が異常に近くに聞こえたと思ったら、私の身体はあっという間に抱えられて、ものすごい速度で移動を始めていた。


 かなりの速度で歩いているようだけど、私の身体をがっちりと支えている腕は、思った以上にしっかりとしていて、落とすような不安定さなど微塵もない。

 幼い彼を抱き上げていたのは自分の方だったのに、いつの間にか身体も立場も逆転していたんだ。

 彼に勝てる要素なんて一つもなかったんだと、私の心は打ちのめされていた。


「とりあえず、保健室に行くから。……ティーナちゃんが何を考えているか、教えて?」


 そっと見上げた先のルディウスは、私を一瞥もしないでただ前を向いていた。

 

 「……っ、うん」

 

 こうして構ってくれるのも、最後かも……。これから、私たちの関係が変わってしまう恐怖に、心の奥がギシギシと悲鳴を上げる。

 私は、涙にぬれる顔を伏せると、彼の胸に頭を預けてぎゅっと胸元を握りしめたのだった。


 **


 カララ――……パタンッ。


 静かな音を立てて、保健室に入ると、ルディウスは一番奥のベッドに向かった。

 そっと私を降ろし、シャッと音を立ててカーテンを引く。それから近くにあった椅子を引き寄せて、座った。

 

「ティーナちゃんの勝たないといけない理由って、教えてもらえる?」


 来た、と思った。彼の真剣な瞳に、ごまかしは絶対に効かないと分かっていても、往生際悪く逃げ出したくなった私は、慌ててルディウスから距離を取ろうとする。


「逃げないで」


 咎めるように私の手をギュッと捉えられ、彼の眼光が鋭く射抜く。

 絶対に逃がさないという意思がそれだけでもわかる。


 それでも往生際が悪い私は、だんまりも決め込んで居ると、ルディウスは突然私の手の平に、唇を落とした。


「え、…………!?」

「ティーナちゃん、僕に隠し事するの? 隠し事はしないって約束でしょ?」

「そ、それ、子供の頃の口約束っ、……!?!?」


 小さく立てられたリップ音に私の身体はびくりと跳ねる。

 咎めるように、私の手に音を立てながらキスを落とすルディウスから逃げようと、必死に腕に力を籠めるけど微動だにしない。


「ちょ、ルディウス汚いわっ! 私だって、汗と埃塗れっ!」

「汚くないよ。ティーナちゃんはどこだって綺麗だ」

「ひょわっ!」


 ルディウスに捕えられた手の薬指が、彼の口腔に飲み込まれる。ぬるりとした感触が伝わって私の脳が限界を迎えた。


「言う、ちゃんと言うから、手を離してルディ!!」


 そう叫ぶと、ルディウスはにこりと目だけで微笑み、口に含んでいた指の付け根をひと噛みして漸く解放してくれた。

 心の安寧の為、手を引き戻そうとするけど、人質と言わんばかりに捕えらたままルディウスは微笑む。

 絶対に逃がさない、鉄の意思を感じた私は、顔を真っ赤に染め上げたまま小さく息を吐いた。

 

「………… 学院最後のトーナメント戦って言い伝えがあるの、 知ってる?」

「ああ、 優勝者が告白すると好きな相手と結ばれるというやつ?」

 

 うんと頷き、私は、ルディウスの顔をしっかりと見る。

 ルディウスと見つめ合う形となって、心臓はどくどくと音を立てて、息が苦しい。

 それでも、こうやって見ることも最後になるかもしれないと、しっかり彼の顔を見据えた。


「私、試合に勝って、あなたに告白したかったの」


 彼の瞳がどんどんと丸くなる。ひどく驚いた様子に私は、苦笑いを浮かべた。

 全然私の気持ちに気づいていなかったんだなと、笑ってしまった。


「ずっと昔からあなたのお嫁さんになりたかった。 でも、モテるあなたに好きになってもらえる要素は皆無だわ。こんな私が選んでもらえるはずがない。だから、試合に勝って言い伝えにすがってルディウスに告白をしようと思ったの」

 

 自分の手が目に入る。手の甲は、細かい傷だらけだし、手の平だって、剣を振りすぎて皮膚が厚く固くなっている。

 歌や、裁縫よりも剣を振るっている方が楽しいし、お茶会でおしゃべりをするよりも、外で走り回っている方が性に合っているわ。

 

 男勝りなわたしだけど、意識してもらいたくて、藁にもすがる思いで最終試合に挑んだ。でも負けた。ダメだった。


「ずっと、ルディが好きだった」

 

 私の視界に膜が張る。歪んだ視界の先で、金色の瞳が一瞬だけぎらつき、何かを狙うような獰猛さを感じた。


「急にごめんね。でも結局、負けちゃったから、……んっ!?」


 彼を怒らせたと思って、慌てて謝る。申し訳なさから視線を下げると、視界が陰った。

 僅か後、唇に柔らかな感触。

 私、 ルディウスにキス、 されてる!?

 

「んんっ、え、んむっ!?」


 慌てて逃げ出そうと身体をよじるけれど、いつの間にかがっちりと身体に腕が回り、後頭部を手で押さえられていた。

 パニックに陥った私は、苦しくて喘ぐように口を開くと、口腔にぬるりとした感覚が伝わってきた。

 ちょ、ちょっとまって!? し、 舌を入れてる!?


 目を見開いても、視界はルディウスに支配されて、 ギラギラとした金の瞳が私を射抜く。

 何時も優しく見つめてくれるのに、 今の彼はまるで獲物に食らいつく獣のようで。

 いつにない彼の様子に怖気づいた私は、ぎゅっと目をつむるしかなかった。


「ん、はっ、んん……」


 呼吸をしたくて、顔をそらせば、追いかけるように唇が覆われる。

 いつまでキスを続けるつもり!? 息、苦しい……!

 私は、どんどんとルディウスの胸を叩いた。

 はっとしたルディウスは、最後に小さなリップ音を立てて、ようやく離れてくれた。

 

「な、なにするの!?」

「僕、謝らないからね」


 私を腕の中に閉じ込めたまま、頬を膨らますルディウスに、私ははぁ!?と大きな声を返してしまう。


「い、今、一世一代の告白してたのに、いきなり、き、キスするなんてどういうつもり!?」

「僕が我慢してただけで、ずっとずっとしたかった! ちょっとフライングかもしれないけど、僕達卒業したら結婚するし、我慢できなかったし、もういいかなって思って」

「ぼくたち、結婚? ……どういうこと?」

「僕と、ティーナちゃんは婚約者じゃない? 普段から、もっと色々としたかったけど、あの義兄上達が……」


 そう言って憎々し気に顔を歪ませるルディウスに対して、私は混乱を極めていた。

 

「ちょ、ちょっと待って? 私達が婚約してる? 卒業したら、結婚? ……そんな話一切聞いていないけど!?」


 あまりに会話がかみ合わず、お互いに顔を見合わせる。


「僕達、婚約してるって、聞いてないの?」

「う、うん……何も、知らない、わ」


 だんだんと現実が飲み込めてきたのか、ルディウスの顔色が悪くなって、ぶるぶると震えてだした。

 常に穏やかな顔をしているルディウスが、こんな悪魔のような表情を出すなんて……。ちょっと、いや、だいぶ怖い。

 

「…………あいつら、やりやがったな!? ってうわっ!」


 絶叫したルディウスが、勢い余ってベッドから転げ落ちるのを、私はただ呆然と見つめていることしかできなかった。

 

**

 

 ステンドガラスから、木漏れ日が差し込みキラキラと輝いている。目の前には厳かな声で祝福の祈りを捧げる神父様。

 

「……私たちが、こんなことになるなんて信じられないわ」

「僕は10年以上前から、この日を、ずっとずーっと待ち望んでいたけど?」


 ぽつりと零した言葉に即座に反応を返すのは、今日、私の旦那様となる人。

 隣に立つ彼に顔を向けると、わずかに唇を尖らせていた。


「ごめんなさい。……今日のルディウスがあまりに素敵で、緊張しちゃって」


 くすりと笑いながら言うと、陶器のような滑らかな肌をぽぽっと赤くさせた。

 いつもさらさらと流している前髪をきっちりと上げ、普段は隠れている額を出したその姿は、随分と精悍な印象を与える。

 白地に銀糸で豪奢な刺繍が施された装いは、彼の黒髪とのコントラストを際立たせ、持ち前の美しさを一層引き立てていた。

 

「ティーナだって、綺麗だよ」


 じっと私を見つめて、ルディウスは言う。

 その瞳の奥に隠し切れない熱がくすぶるように、見え隠れしていた。


「やっと、僕のものだ」


 じっとりとにじみ出ている彼の熱に包まれ、私の顔が赤く火照る。

 こんな大事な式の最中になんて目で私を見てるのよ! 今日は待ちに待った結婚式なのにっ!

 

 あれから三カ月。私は晴れて、大好きなルディウスと結婚式を迎えることができていた。


 運命の試合の後、お父様を締め上げて事実確認をした。そうしたら、私とルディウスの婚約は本当の事だったの。

 なぜ当事者の私が知らなかったかだけど、それはお父様とお兄様たちのせいだった。

 私を過剰に溺愛するお父様とお兄様たちは、嫁入りの話をしたくなくってずっと黙っていたんですって!

 そんなことってありえる!?私の気持ち知ってましたよね兄さま!?


 あまりの事に、怒った私はそのまま家を出ることにしたわ。

 過保護な男性陣に呆れたお母さまが、ベルノルト家に連絡を取ってくださっていて、早めに居を移す段取りを進めてくださっていたみたい。


 行かないでくれと泣き叫ぶ、父と兄達の首根っこをつかんで恐ろしい冷笑を浮かべて送り出してくれたお母さまの顔は忘れられない。


 それから、私は実際にベルノルト家に迎え入れられ、そのまま結婚式を迎えることになる。

 

 気持ちを確かめ合った後、これまでのすれ違いを埋めるように、ルディウスの溺愛が加速していた。

 その上、タガが外れたように、過剰な触れ合いも。

 

 隙あらばハグやキスは当たり前。それだけには治まらず、何度か本当にまずい状況もあった。

 はっきりと断ればいいものの、私もあの獰猛な視線を向けられると、何でも言うことを聞きたくなってしまって……。

 いいタイミングで割り込んできてくださる、お義父様とお義母様に感謝しかない。

 私の純潔が今日まで守られたのも、ベルノルト家のお義父様とお義母様のおかげだわ。


「今日は、絶対に逃がさないからね」


 隣でぽつりとつぶやいた言葉に一気に顔が赤くなる。

 ルディウスったら、何もこんな時に、意識させなくていいじゃない!

 思わずブーケに顔を埋めて、赤く染まった顔を隠した。


「ゴッホンっ!」


 厳かな祈りを上げていた神父様がわざとらしい咳ばらいする。

 恥ずかしさのあまり、ブーケの隙間からじろりとルディウスをにらむ。彼は、涼し気な顔で前を向いていた。


「新郎、新婦。誓いのキスを」


「「 はい 」」


 ゆっくりと息を吸って、平常心を取り戻す。それから、ルディウスと向かい合うと、膝を曲げてベールを上げやすくした。

 視界からベールがなくなり、はっきりとルディウスの顔を見上げることが出来る。


「……あら、泣き虫ルディじゃない」


 さっきまで散々私をからかっていたルディウスの黄金の瞳には、涙がにじんでいた。


「だって、僕の夢が叶ったから」

「私の夢だって叶ったわ」


 ちょっと強気に言ってやると、ルディウスは少し驚いたように目を丸くし、その後、本当にうれしそうな笑顔を浮かべた。


「ずっと大好きだよ。ティーナ」

「私も、ずっと愛しているわ。ルディ」


 そして、ゆっくりと顔を寄せ合い、誓いのキスを交わしたのだった――。

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