エピローグ

エピローグ


 右腕を掲げる。内側の白いところで、ピアノのタトゥーが光った。汗が滴になって僕から出て行った。これらを見ないと終わったという実感が湧かない。

 ライブを終え、舞台袖に戻ってくる。スタッフからタオルを受け取る代わりにアコースティックギターを預けた。振り返るとステージの方はまだ興奮冷めやらぬ様子で、たくさんの歓声が聞こえていた。やり遂げたという巨大な満足感が心地よく体を包んでいた。

 しかしその余韻に長く浸っている時間はなかった。舞台袖を突っ切って、白壁の廊下に入る。控室の扉を開けた。すぐにパソコンを開いてイヤホンを耳につける。タオルで汗を拭っても、温度はなかなか静まってくれない。

「サディークさん、お久しぶりです」

 パソコンの画面に彼の顔が映る。僕らは一週間に一回、こうしてオンラインで面会をしている。警察や刑務所の職員も、こんな突拍子のない僕のわがままに付き合ってくれていた。

 サディークさんはいつものことながら何も喋らない。ただ、探るような目で僕を観察している。

「実はさっき、ライブが終わったばかりなんです。アメリカは、えっと、今18時ぐらいですね」

 それからはたわいのないことを話した。話したと言っても会話は一方通行で、サディークさんは相変わらず一言も喋らなかった。

「またそちらに行きますね」

 この言葉で、面会はいつも終わる。今回はイタリアなのでオンライン通話だけど、アメリカでのライブの時は、いつも彼の刑務所を訪ねている。もう10回はこうして、何かしらの手段で会っていた。

 ある日、職員に「なぜそうまでしてサディークに会おうとするのか」と尋ねられたことがある。彼はジョーを殺した男だろう、憎くないのかと。

 すぐに答えることができなかった。自分でも、はっきりとしたことは言えない。ただ、ジョーのピアノの音はきっと、サディークさんであっても誰であっても平等に、やさしく響く。ジョーの音楽を信じていたい。それだけなのかもしれない。


アンコール! アンコール!

 会場から声がする。さっきアンコール出演は終わったのに、まだまだ熱気は引いていかないみたいだ。再び立ち上がった。もう一度歌を歌いに行こう。あの人に会いに行こう。

 光の方へ歩いていく。ふと、

「食われんなよ?」

 隣であの人の声が聞こえる。


             THE END

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.CRY. 緋奈 椋 @omotimotiti

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