『花の宴』～美桜のリリカル～

花の宴 美桜のリリカル

　雪解け水が大地を潤し、ミスミソウやスハマソウ等を始めとした雪割草の妖精が目覚めの声を上げる。雪柳や水仙たちも咲く気満々な様子だ。地球温暖化やら環境破壊やら、人間共が散々破壊行為を繰り返し生態系が狂って来ている中、植物や花たちは懸命に己の責務を全うしようとしている。実に健気だ。

　東の空が藍色から薄花色へと移り変わり、黄金の光が空を支配し始める。それを受けて緩やかに流れる川面がキラキラと輝き始めた。川沿いの土手に立ち並ぶサクラ並木は、蕾が柔らかく膨らんできている。朝露に濡れ、桃色に色づいたそれは今にも産声をあげそうだ。どうやら今年の開花は例年より少し早いらしい。その証拠に、白木蓮（マグノリア）が開花の準備を急いでいた。

　都下の某所、ここは咲守家邸の敷地内の一部だ。そのサクラ並木に、ほっそりとした一人の少女が佇んでいた。紺色のブレザーに白のブラウス。紺色の地に白と緑のタータンチェックの膝丈プリーツスカート、黒のローファーを身に着けている。芸能人から政治家、芸術家や学者など華々しい活躍をする人材を数多く輩出する事で有名な六連星（むつらぼし）学園の制服だ。因みに、男子は紺の地に赤と緑のマドラスチェックのパンツと白のワイシャツ、紺色のブレザーで、男女共に制服のデザインはオールシーズン、春夏、秋冬で生地が異なるだけとなっている。

　「そろそろ準備を始めないと……」

十八歳の誕生日を目前に控えた咲守美桜（さきもりみお）は、溜息混じりに呟くと天を仰いだ。

　肩の辺りで切りそろえた漆黒の髪がサラリと揺れた。肌はどことなくカスタードクリームを連想させ、小さめの唇はぽってりとしており熟れたサクランボのようだ。鼻は高くはないが形は整っている。物憂げに見上げる双眸は零れそうな程大きく、濃く長い睫毛に縁どられたその瞳は研磨された黒曜石のようにしっとりとした艶があった。目尻がやや上がり気味のせいか、気の強そうな印象を受ける。全体的に見て美少女と言うよりは個性的な魅力の持ち主、という表現が適していた。

　その瞳に小さな光の玉が映し出されている。その光の玉はよく見ればウスバカゲロウのように儚げな透明の羽を持ち、更に目をこらせばその体は白い花びらで作られたような衣装に身を包んでいる少女だった。彼女たちは、春の訪れを無邪気に喜ぶ陽射しの妖精たちだ。故に、肉眼では視えない存在だ。

　美桜は異能の一族の娘だった。その中でも咲守家は古（いにしえ）……卑弥呼が存在した、とされている時代から『令和』と呼ばれる現代に続く。『咲守』という苗字の通り、国内における花と言う花が滞りなく咲き誇れるよう花々の憂いを晴らし、守護する役割を担っていた。

　他には国内の植物を守護する役目を担う『常盤守（ときわもり）』一族、風を守護する『風守（かざもり）』一族、水を守護する『護泉水（ごいずみ）』一族、大地を守護する『地護院（ちごいん）』一族、火を守護する『火護（かご）』一族と、合わせて六つに分かれており総称して「六守族」と呼ばれている。その全てを束ねているのが国内の四季を司る星宮（ほしみや）一族だ。

　これら一連の事は、六守族と星宮一族の絶対的な秘密として代々受け継がれ、隠密に日本の四季を守り抜いて現在に至る。表向きでは格式高い名門一族、世界を股にかけて活躍する財閥グループとしてその名を馳せていた。

　俄かに、サヤサヤとサクラ並木の葉が一斉にさざ波のように音を立てて揺れた。一際、その存在を主張するように美桜の視線の先にある一枝がカサカサと震える。此処でいう桜とは、一般的に言うものではない。古より、一族に代々秘匿され伝わる唯一のもので『邪馬台国櫻』と呼ばれている特殊なサクラだ。一見、ソメイヨシノとよく似ているが、葉の茂るタイミングが異なり、花びらは八枚ついており限りなく白に近い透き通るような薄紅色だ。

　「今回力を貸してくれるのはあなたね、有難う」

美桜は囁くように語り掛けると、その一枝に向かって両手を伸ばした。一枝はそれを待っていたかのようにふわりと浮かび上がり、そのまま美桜の両手に収まった。長さは凡そ70cmくらいだろうか。枝を捧げた邪馬台国櫻の本体が、誇らし気に葉をサラサラと鳴らす。

　「うん、とてもしなやかで浄化の力が強いわね」

美桜は満足そうに微笑むと、丁寧にその一枝を抱え直した。そのまま踵を返し、自邸へと足を運ぶ。向かった先は敷地内の神社だ。緋の鳥居を前に、丁寧に頭を下げる。そのまま参道の左端を歩き、本殿の前に得意気に鎮座している狛犬たちに「今日もお勤め有難う」と声をかけ、宝物殿へと向かった。扉の前で一礼し、静かに開ける。少しずつ高くなって来た陽光に内部が照らされた。室内の奥に祭壇がある。その場所には花守家の宝剣や神楽鈴、大麻（おおぬさ）、清めの塩などが納められている。祭壇の前で丁寧に頭を下げた。それから手にしてた邪馬台国櫻の一枝を恭しく祭壇に捧げた。

　美桜は『春分の日』に行われる奉納舞の準備をしていたのだ。

　この日は、星宮一族を始め六守族全てが集まり、未明に儀式を執り行う。古来より二十四節季において一年の始まりでもあり、一族内では「春季皇霊祭」という正式名で呼ばれている。この日の前後三日間を合わせた七日間が世間一般で言うところの『お彼岸』であり、特に「咲守」一族にとっては、秋の「秋季皇霊祭（春分の日）」と共に最も重要な『行事ごと』として多忙を極める時期となる。国内全ての自然界のお清めを始めとし、生きとし生けるものの生命を慈しみ称え感謝を捧げる儀式全てを一任されているのだ。

　咲守家の長女として生まれた美桜は、生まれながらにして邪気を始めとした悪しき物を浄化する力と、自然霊……即ち精霊や妖怪、付喪神等と呼ばれる類……に、好かれる体質を持っていた。その為、幼い頃より奉納舞の修行を積み重ね、十歳の誕生日を迎えた頃より「春季皇霊祭」の舞姫を任されるようになった。

　今回の一枝は、その奉納舞に必要な道具の一つだった。舞姫自らが

その一枝を選び、感謝を込めて手折る事を許される。その一枝を宝物殿にて祀り、浄めと力の充電の時期を経る。舞の際に「浄化」と「癒し」と「希望」の力がその一枝の開花と共に最大に発揮されるのだ。その開花を合図に、日本国内の邪馬台国櫻が一斉に咲き始め、続いてソメイヨシノの蕾が綻び始める。

　余談だが、秋季皇霊祭では邪馬台国櫻の一枝の代わりに、白い菊の花が使用される。

　けれども、美桜はサクラが嫌いだった。サクラに因んだ己も名前も含め。勿論、花自体に罪はないし大切なものである事も十分に理解している。何故なら……いや、今は美桜を追おう。

　美桜は再びサクラ並木を歩いていた。いつもなら自邸の正門で学園に送り迎えをする専属運転手が待っている。だが今朝はまだ朝早い事もあり、卒業式でもある今日は一人で歩いて学園まで行くつもりだった。徒歩二十分ほどのその間、考えなければいけない事があるのでちょうど良い。

　ふと、人の気配を感じて立ち止まる。

「また今年もお前なんぞの篝火役をやらないといけないのかよ」

　あからさまに不機嫌そうなテノールの声の主は、右向かい側斜め前の櫻の木陰より姿を現した。六連星学園の制服に身を包んだ背の高い男子だった。気怠そうに鞄を左手に抱え、ワイシャツは胸元部分のボタンをしどけなく開けたままにしている。肩まで伸ばされた赤褐色の髪を無造作に後ろで一つに結び、端正な顔立ちが台無しになるほど眉を顰めていた。髪よりも心持ち赤みの強い双眸は俗に言う『龍眼』の持ち主だった。

　彼は火を守護する火護一族の直系の長男、名は凌（りょう）という。美桜と同じ歳で、実は彼女の婚約者なのだ。

　「毎年思うのだけど。何故お姉様なんかが春季皇霊祭の舞姫なのかしら？　私の方が相応しいのに」

　砂糖菓子のように甘ったるい声が響く。その声の主は、彼の右隣に寄り添う小柄で華奢な少女からだ。彼女もまた六連星の制服に身を包んでいる。事情を知らない者が見たらこの少女と凌が恋人同士だと思うだろう。雪のように白い肌と、薔薇の蕾のような唇、小さな卵型の顔を彩る栗色の髪は優雅に波打ち腰まで流れている。高く上品な鼻梁、緩やかな弧を描く眉、キラキラ輝く明るい茶色の瞳は愛らしい杏眼で、くるりとカールをした長い栗色の睫毛はまるで睫毛のエクステンションを施したかのようだ。一つ年下の美桜の実妹、牡丹だ。彼女はイギリス人だった父方の祖母に似たようで、さながらビスクドールのように可愛らしい。

　美桜は、これまでもう何度も聞かされた二人の言葉にうんざりしていた。

「この愛らしい牡丹の方がどう見てもお似合いだろう。お前も知っている通り、俺の牡丹はコノハナサクヤ姫の再来と言われてるんだぞ！」

「そうよ、優秀な凌様がどうして醜いイワナガ姫なお姉様の引き立て役をしないといけないの？」

　美桜は吐き出すようにして応じた。

「あなたたち、好き勝手に女神様の名前を語るなんて罰当たりよ。何度言ったら理解するのかしら？　それに、奉納舞での篝火の御役目は大変に名誉な事だと思うけど。気に食わないなら火護当主に申し出てしかるべき手続きを取ってから降板すれば良い事よ？」

　婚約は、各六守族の力関係が均等になるように星宮と六守族の中から厳正に審査され取り決められる。美桜たちの婚約は、生まれた頃から決められたものだった。

　「お前はホント可愛くないな。醜い上に屁理屈ばっかり言いやがって。大体、花属性のお前と火属性の俺なんて相性最悪だろう？」

　　それには思わず吹き出してしまった。そんな美桜に、ムッとした視線を向ける二人。牡丹はそんなふくれっ面も可愛らしい。

「それを言うなら牡丹だって花属性じゃない。それに、私の母は花属性、父は風属性。『月に叢雲花に風』って事で相性自体は良くないけど、二人はずっと相思相愛のままよ？　当人同士の心がけ次第で、相性の悪さはいくらでもカバー出来ると思うの」

　美桜は言いたい事だけ淡々と述べると、プイッと横を向いてそのまま学園へと歩き出した。二人が後ろでギャーギャー騒いでいるが付き合い切れない。

　巷では……愛らしい牡丹はコノハナサクヤ姫、不美人の美桜はイワナガ姫と学園内でも揶揄されているのは本当の事だった。

　噂によると、美桜は美少女の妹に嫉妬して虐め暴力を振るう悪女なのだそうだ。更に、凌に横恋慕した美桜は恋人同士である凌と牡丹を引き裂き、無理やり凌と婚約をした、というデマゴギーがまことしやかに流れていた。牡丹と凌が率先して吹聴した彼等の願望が原因だ。

　「お姉サマって典型的な悪役令嬢よね！　可愛い私は勿論ヒロインよ、うふっ。残虐非道な悪役令嬢に虐められるけど健気に耐え続けるの。でね、ある時ヒーローに救われるのよ。逆ハーエンドもいいわ」

　牡丹は上機嫌で語る。少し前より流行っているという『令嬢』モノのファンタジー作品がお気に入りらしく、携帯を片手に暇さえあれば読み耽っていた。

　そもそも、舞姫に指名される条件は完全実力主義で最も適正のある者が選抜される。学力・知性・身体能力の他に優れた人格までもが要求される為、一族の誰もが三歳の誕生日を境に隠密……俗に言う「影」により監視がつけられるのだ。

　その証拠に秋季皇霊祭の舞姫は、咲守一族の傍系……直系当主である美桜の母親の姉の娘、菊乃が務めている。もし相応の実力があったなら、牡丹が舞姫に指名されていた筈なのだ。更に言えば、一度指名されても実力不足と判断されれば容赦なく下ろされる下剋上の世界、その気さえあればいくらでもチャンスはあるのだ。

　つまり常に己の言動が「影」により密かに見られているという訳だ。それらの事は、物心つく頃にしっかりと教え込まれる筈なのだが。どうやら妹の牡丹と婚約者の凌は、脳内花畑につきその事をすっかり失念しているようだった。

　それでも美桜は牡丹が羨ましかった。両親は、美桜の実力を認めて尊重はしてくれている。だが、愛情は全て牡丹が独占していた。

　美桜には両親から抱き締められたり頭を撫でられたりした記憶がない。どんなに良い成績を修めても、舞姫に選ばれても、走高跳の全国大会で優勝しても、出来て当たり前とされた。それに、誕生日を祝って貰った事が無い。誕生日が春季皇霊祭と同じ日のせいか忘れられたままだった。八月生まれの妹は、「お誕生日おめでとう生まれて来て有難う」と、毎年盛大に祝われているというのに。

　だから美桜はサクラが嫌いだった。美しいサクラを象徴するコノハナサクヤ姫と呼ばれる牡丹、誰からも愛される妹を連想させるから。

　対して美桜は、イワナガ姫と陰口を叩かれ誰からも愛されない。その現実を、桜を見る度に嫌でも現実に返らざるを得なくなるから。

　とは言うものの、美桜への悪評も含め、一度はしっかりと二人にけじめをつける必要がある。それらをまとめて片付けられる機会を密かに狙っていたのだ。ついでに、不実な婚約者有責で婚約破棄に持ち込みたい。ただ、妹だけを溺愛している両親からは益々嫌われてしまうだろう。ほんの少し胸が痛んだ。

　それが、本日の卒業式後のパーティーだった。「影」からの報告によれば、凌は美桜を断罪した上で婚約破棄を言い渡し、牡丹と新たに婚約する事を発表する計画を立てているらしい。

（呆れた。流行りの悪役令嬢ファンタジーの世界をそのまま実現しようとするなんて……）

　二の句が継げぬとはこの事だ、と美桜は感じた。

「大丈夫かい？　前から言っているけど、力を貸すよ？」

　前触れもなく、されど耳に響くバリトンボイス。龍の石像が学園の正門となっているその付近に、長身細身かつしなやかな筋肉を持つ男子が美桜を待っていた。三つ年上で学園内の大学に通う星宮壮真（ほしみやそうま）だ。彼は星宮一族の長男で、どういう訳か頻繁に美桜を気にかけてくれる。象牙色の肌に、ツーブロックで長めにカットされた黒髪が優雅に流れキリリとした眉に高く整った鼻梁、知的に引き締まった形の良い唇を持っている。ハシバミ色の美しい瞳は、典型的な桃花眼で何とも言えない妖艶さを醸し出していた。優美に整った顔立ちは、神が気合を入れて創り上げた彫刻と言っても頷けてしまうほどの美形で、成績優秀、人格者、弓道部のエースでもある文武両道に秀でた彼が、数多（あまた）の女性を魅了するのは言わずもがなだ。

　そんな彼が、どうして自分などを構ってくれるのか美桜は非常に不思議に思っていた。相当博愛精神に満ちた御仁なのだろう。さすが星宮一族の次期当主と言われる事はある。所謂、『ノブレス・オブリージュ』というものかもしれない。そう解釈していた。

　彼との出会いは、美桜が初めて舞姫を務めた十歳の頃だ。「可愛いね。頑張っている子は好きだよ」なんて言ってくれて。昔からリップサービスも自然だった。俗に言う、天然人タラシというやつだろう。

　「いつも気に懸けて下さって有難うございます。これまで面倒で避けて来たツケを一気に払うつもりです」

　と笑顔でこたえた。今回の美桜の対処の仕方は『星宮一族』と『六守一族』から評価がなされる事だろう。やり方とその結果次第で、舞姫降板という事態も起こり得る。ただ、それでも牡丹と凌には相応の罰が待っているのは確実だ。

　「一人で頑張るのも大切だけど、時には周りの力を借りる事も大事な事だよ。無理はしないでね。何かあれば助けるからね」

最早聖人と呼べる領域ではないだろうか？　壮真の言葉に目頭が熱くなった。お礼と共に頭を下げ、彼のエスコートを受けて学園内へと向う。周りの女子からの憎悪と怨嗟の視線が全身に突き刺さる。これがもし牡丹なら、嫉妬と共に「あれだけ可愛いなら仕方ないよね」という諦めも入り混じる視線となる。何せ、牡丹本人公認の親衛隊が出来るほどのモテぶりなのだ。まさに愛され体質、それは牡丹の天賦の才能だろう。彼女なら瞳を潤ませれば悪意を向ける女子に戦意喪失を促し、親衛隊もしくは凌が威勢よく助けに現れる。

　美桜の場合は、絡んで来た相手の目をじっと見つめるだけで殆ど恐れをなして逃げていくし、その上に護身術には『腕におぼえあり』だ。

　「咲守美桜！　貴様との婚約を破棄する！」

それは唐突に、凌が得意げに声高に宣言する事から始まった。卒業パーティー会場、宴もたけなわ。保護者や教師陣はほろ酔い気分で話が弾み、生徒たちは友達同士或いは恋人同士で盛り上がっている最中だった。

　「何だなんだ？」

「噂の断罪劇が始まるの？」

　係わりのない人々は大いに興味を抱き、一族所縁（いちぞくゆかり）の者たちはギョッとして顔色を変える。取り分け、火護当主夫妻の顔色は青を通り越して白くなっている。美桜の両親は珍しいほど狼狽えていた。周りの多種多様な反応を尻目に、美桜は冷めた眼差しで凌を見据えながら進み出る。周りは無言で道を空けて行くので自然に花道が出来上がった。

　鼻息荒く意気揚々とした凌、その腕の中で身を震わせている牡丹。二人を守るように取り囲む牡丹公認親衛隊がざっと二十名ほど、戦闘態勢を取って美桜を睨みつけている。美桜はと言うと、頭の中が冴え渡り妙に冷静だった。

　「あら、不実な婚約者殿から漸く解放されるのね、とっても嬉しいわ。火護凌、勿論あなた有責の婚約破棄ね」

　凛とした美桜の声が響き渡ると、シーンと水を打ったように場が静まった。美桜の反応が予想外だったのか慌てふためく凌と牡丹。二人は何やらコソコソと打ち合わせをしている。戸惑うように彼等を見守る親衛隊、まさに茶番だ。

　「な、何故俺の有責なのだ？」

動揺して声が裏返る凌。

　「だって生まれた時から決められた婚約よ？　長年に渡って私の実妹と不貞行為を働いた訳で。あなた有責になるのは当たり前でしょ？」

「ち、違うわ。私も良くない事だと分かっていても、愛し合っていて、お姉様は嫉妬して、だから、その……」

　慌てて話の腰を折ろうと奮闘する牡丹だったが、もはや日本語の意味を成さない。

　「そうだ！　お前は俺の寵愛を受ける妹に嫉妬して牡丹を虐めていただろう！　そんな女を妻になど言語道断だ！」

　かっこいいところを見せようと、必死に言葉を引き継ぐ凌だったが支離滅裂だ。

二人で知恵を絞って流した妄想という名のデマゴギーの設定すら生かされていないではないか。

　対して美桜は、盛大に惚ける事で幕引きを早める事を狙う事にした。

「虐め？　何の事？」

「この期に及んで惚けるな！　目撃者だっているんだぞ？」

　それを合図に、親衛隊の中で三名ほどおずおずと進み出る。自信無さげで頼りない事この上ない。

　「ぼ、僕は見ました。学園内の噴水に牡丹さんを、つ、突き飛ばす美桜先輩を……」

「わ、私は牡丹さんの教科書を破っている美桜さんを……」

「ぼ、僕は美桜さんが牡丹さんを階段から突き落とすのを……」

　牡丹と凌は満足そう笑み合う。「ほら見ろ！」と意気揚々と話す凌。美桜は冷笑を浮かべた。

　「あらあら、噴水や階段から突き落とすとか一歩間違えば殺人よ？　あなたたちそれを黙って見ていたのだとしたら、親衛隊の癖に大した人でなしね。そもそもの話、私と牡丹とでは校舎が違うもの、その犯行は不可能ね。それに、傲岸不遜で倫理観の欠けた凌の事は元から大嫌いだったから、牡丹に嫉妬する理由も無いしね」

　ここぞとばかりに、日ごろの鬱憤を晴らすべくつらつらと述べる美桜。対して、憤怒の形相で「ふざけんなよ！」と脇目もふらず怒鳴り出す凌。自慢の髪が乱れるのも構わず、怒りでわなわな打ち震える牡丹。重ねて、牡丹の親衛隊からはブーイングの嵐が飛び交う。

　突如、パンパン！　という柏手を打つ音と共に

「そこまで！」

　という張りのあるバリトンボイスが響いた。星宮壮真が颯爽と登場、美桜を庇うようにして前に立つ。その一連の動作が流れるように優雅で、まるで舞を踊っているかのようだ。誰もが自然に目を奪われる。シーンと水を打ったかのように場は静まり返り、皆は彼が何を言うのか固唾をのんで見守った。

　「君たちの言動は全て『影』に録画されているから、浅知恵な悪巧みはバレバレだよ。見苦しいから辞めた方がいいよ」という壮真の一声で、呆気なく幕を閉じたのだった。

　後から聞いた話によると、牡丹と凌の二人は幼いころから各自につけられているという「影」監視の件は、幼児に言う事を聞かせる為の作り話だと思い込んでいたらしい。

　火護当主夫妻からは平身低頭で謝罪を受けた。だが何より意外だったのは、美桜自身の両親から謝罪を受けた事だ。

「牡丹は容姿以外取り柄が無いから、優秀な姉を持って卑屈にならないよう自由にさせたつもりが甘やかし過ぎた」

「美桜は聡い子だから解ってくれる筈、とあなたに甘え過ぎたわ」

　何と事はない。しっかりと美桜は両親に愛されていたのだ。自分はいらない子だと勝手に思い込んで無意識に悲劇のヒロインを気取っていただけだった。中二病とも言い換えられるだろう。

　やはり、サクラは嫌いだ。美桜は再確認した。何故ならサクラを見ると、独り善がりが過ぎて穴があったら入りたいくらい恥ずかしい自分を思い出すから。

　さて、婚約破棄騒動の結末を述べよう。

　凌有責で婚約破棄が成立した。彼は再教育の一環として星宮家の「専属運転主見習い」となった。運転免許を取得してからも、本人が心から反省して悔い改める兆しが確認出来るまでは、無期限で見習い期間は続くという。

　牡丹は秋季皇霊祭の舞姫を務める菊乃の「侍女見習い」として鍛え直す事となった。二人とも改心する事、そして常日頃の仕事に対する取組み方、出来具合で今後の配属が決まるという。

　プライドが高い彼等にしてみたらこの上無い屈辱だろう、十分な罰だ。親衛隊は三か月の自宅謹慎と三年間の奉仕活動が課せられた。

　春季皇霊祭当日未明、神楽鈴がシャン、と鳴る。その刹那、冷え冷えとした空気が和らぐ。白衣、純銀色の千早に緋袴……咲守一族の巫女衣装に身を包んだ美桜だ。

　彼女が左手の神楽鈴を鳴らした途端に、ボッと篝火が美桜の行く手を照らす。言わば、それが篝火役のお役目なのだが、今の美桜に篝火役が誰が務める事になったか等、考える余裕は微塵もない。

　美桜はゆっくりと舞台の中央に向かいながら再び神楽鈴を鳴らす。鈴が鳴る毎に、場が祓い清められるていく。右手に持つ例の『邪馬台国櫻』の一枝を天に掲げた。篝火に赤々と照らされた蕾がふわりと綻ぶ。ふわり、ふわりと一つ、また一つと。一枝のサクラは瞬く間に満開となった。自然を称え、万物に感謝を捧げる祈りを込めながら、美桜は舞い踊る。それに呼応するように、サクラ並木の『邪馬台国櫻』たちの蕾が微笑みを浮かべていく。それから次第に、喜びの声をあげるかのようにソメイヨシノへと連動、一斉に花開いていくのだ。

　凌が務める筈だった篝火の代役は、急遽星宮壮真となった。彼は右手に松明を掲げ、美桜に真剣な眼差しを向けている。

　彼自らが篝火役に立候補した事、同時に壮真が美桜の婚約者となった事、初めて出会った時から美桜に心を奪われており、秘かに想いを寄せてきた事。

　その夢のような事実を彼女が知るのは、奉納舞を終える頃……

　そして、あれほど嫌っていたサクラの花が好きになっていく事を、美桜は未だ知らない。