「ネーの賢者」は、今日も半泣き

青銅正人

「ネーの賢者」は、今日も半泣き

「ねーこしゅきゅしゃん」

白い柔らかな光に満ちた賢者の間に、今日も口の回らない元気な声が響いていた。


 丸テーブルを囲む八脚の椅子の一つの上に、いつの間にか褐色肌で黒髪巻き毛の二歳になるかならないかぐらいの幼児が座っていた。

 ほどなく残り七脚の椅子の上にも、それぞれ赤ん坊が現れ合計八人になった。


「あーもう、ダメでしょウィート君。君が来ると、他の子達も強制で来ちゃうんだから。大した用もないのに、来ちゃダメですよ」

「ごめんしゃい。ねーこしゅきゅしゃんに、あいたかったの」

椅子から降りて猫助の側に寄ってきた褐色肌の幼児がうなだれた。


「仕方ありませんね。すぐ帰るんですよ」

猫助と呼ばれた三毛猫?は、ウィートの頭を肉球で軽く撫ぜた。ウィートは目を細めながら身をよじらせて、うれしそうにしていた。

「それと、うまく言えないなら『猫』、いや『ネー』でいいですからね」


「ネーしゃんは、なにをたべゆの?」

「唐突ですね。私は何も食べる必要がありませんが、仲間は小鳥や小さな動物、虫を食べますよ」

「こむぎ、たべにゃいの?」

「たべませんねぇ。私たちは肉食ですからね。ほら歯が尖っていて穀物や野菜を食べるのには向いてないんですよ」

と猫助は口を開いて右前足で唇を引っ張って尖った歯を見せた。

「ほへー! しらにゃかった」


「うぎゃー」

「びー」

「…」

「みーみー」

「くんくん」

「だー、だ、だー」

「うー」

「あー、タイムアップです」

 猫助は前足で「ぽふぽふ」と柏手を打った。すると前足からたくさんの光の粒がこぼれ出て、赤ん坊たちの乗る椅子の周りをクルクル回り始めた。

 キラキラとした光が収まると、部屋にはテーブルと椅子、テーブルの上には猫助の愛する木箱だけが残っていた。

 猫助は机に飛び上がって、箱に入ると丸まり、二本の尻尾を箱の外に垂らして、眠るのであった。


 ――現の世界――


「最近、家の息子がおかしい」

カムット族の族長である俺フェラーは、日の出頃の過ごしやすい時間帯に、大いなる川の川べりに広がる麦畑と用水路を見回りながらつぶやいた。今俺には二つの悩みがある。


 一つは害獣のことだ。俺たちの一族は、最近穂の落ちない小麦を東方から導入した。無駄になる麦粒が減り、収穫が増えたのは良かったが、同時に小麦蔵に大小2種類の獣が現れるようになった。

 こいつらは蔵を荒らし、せっかくの小麦を食べてしまう。どちらも見つけ次第殺すようにしているが、小さい方は数が多く、また狩るには小さすぎる。何とかしないと、せっかく増えてきた収穫が水の泡だ。

 老人たちに言わせると、畑に落ちて残る小麦の粒がほとんど無くなったもんで、小麦を食う害獣も村の蔵に目を付けたんだろう、てことらしい。迷惑な話だ。


 もう一つの悩みも、害獣が関係しているのだが、息子ウィートのことだ。息子はなぜか大きい方の獣がお気に入りで、いつも触ろうと追いかけまわしては、威嚇されてべそをかいている。だから大きい方を狩るときには、なるべく息子には見せないようにしている。


「毛皮付きがいいならヤギでいいじゃねぇか? 乳も出るしな」

と言ってやると、

「ネーがいいの」

とそっぽを向きやがった。「ネー」というのは大きい方の害獣のことらしい。


 ウィートは、最近ますます良くしゃべるようになった。それとともに、おかしなことを聞いてくるようになった。

「ネーは、なんでたたないの?」

「ネーは、なんでしゃべらないの?」

「ネーは、ぽふぽふしないの?」

最後のは意味不明だが、

「ネーも獣だから、しゃべらねぇのも立たねぇのも当たり前だ」

と答えてやると、

「ちがうもん」

と毎回息子は地団太を踏むのだった。

 また時々、

「ネーのしっぽがたりない」

と暗い顔をしながら、訳の分からんことをつぶやいてやがる。


 それがここ二三日おとなしい。いや何かこそこそしている。気になったので見回りのついでに、俺はウィートの後をさりげなくつけてみた。

 ウィートは、畑の縁に茂っている旅人の木のうち背の低い一本の傍に座り込んで、

「はぁー、かーいいねぇ」

とつぶやきながら、その根元を見ていた。

 俺はゆっくりと音を立てないように、ウィートの背後に立つと、いったい何を見ているのかと、樹の根元を覗き込んだ。


 そこには大きい方のクソ害獣の子供らしき獣がいた。三角形の耳と縞模様から、多分間違いない。三匹がくんずほぐれつしていて、確かに何かこう心癒されるようなものがあるが、相手は害獣だ。

「こら、ウィート。ネーを見つけたら、大人に知らせろと言っといただろ」

「おとなにしらしぇたら、いつもいなくなっちゃう」

息子が悲しげに言った。

「害獣を始末しないと、俺たちの食うもんがなくなっちまうんだぞ」

「ネーは、こむぎたべないって、いってた」

 誰だ! 変なことを教えたバカは、ネーは蔵を狙ってくる害獣じゃないか!

「誰が、そんなことを言ってたんだ?」

「ネーが、いってた」

「ネーは、獣だからしゃべらん。嘘をつくな!」

「うそじゃないもん!」

息子は、地団太を踏んだ。


「とにかく、その三匹は俺が預かる。そこをどけ」

息子は、泣きそうな顔で両手を広げて言った。

「ネーは、よいけものなんだよ!」

 俺だって、息子を泣かせたいわけじゃない。どうしたものかと息子とにらみ合っていると、三匹の親と思われる獣が、俺たちの足の間をとことこ歩いていき、子供の前にポトリと何かを落とした。


「ん?」


 親が落としたものに、ちびネー達が一斉に飛び掛かって、うにゃうにゃぐるぐると変な声を上げながら、引っ張り合いをしている。よく見るとそれは小さい方の害獣だった。

 やがて小さい方の獣は、バラバラになり、ちびネー達はそれを食い始めた。

「な! ネーは、こんなに小さいのに肉食なのか?」

「ネーが、そういってた」

 ネーが言ってたというのは、よく分からんが、小さい害獣の対処法が見つかったのかもしれん。


 しかし、ネーをだいぶ始末したので、どうやって蔵に十分な数を集める?

「なーウィート、父さんが間違ってた。ネーは良い獣だ。どうしたら、ネーをもっと集められると思う?」

ダメもとで、息子に聞いてみた。

「ネーは、はこがすきなんだよ。はこがあると、すぐはこでねちゃうんだよ」

意外なことに、役に立ちそうな答えが返ってきた。


 早速、俺は村の全ての蔵の日陰に、ネーサイズの木箱を置かせた。

 翌日には、箱にネーが丸まって寝ている姿をちらほら見かけた。やがてその数がだんだんと増えてきた。今では、蔵の周りで小さい害獣を食ってるネーも見かけるようになった。ちびネーを引き連れている親も居る。

 一つの箱に複数のネーが重なり合っていることも多くなった。箱をもっと増やさねば。


 いつものようにウィートが忍び足で、ネーに近づいているのが見えた。

「フシャー!」

ネーが毛を逆立て背中を丸めて、息子を威嚇していた。

 なぜか息子は、全てのネーに嫌われている。なぜかとか言っているが、俺には理由が分かっている。息子はネーが好きすぎるんだ。ネーを見ると息子は鼻息が荒くなり、視線に妙な圧が現れる。これが、ネーには気にいらないんだろう。

 ほら、俺みたいに座ってぼーっとしていると、組んだ足の上や肩の上に、ネーがいつの間にか登ってきて、なぜろと言うように背中を向けてくる。

 振り返った息子が、俺を見て口を半開きにして驚いている。息子は、こちらに向かって駆け出した。途端にネー達は飛ぶようにいなくなった。息子は、がっくりと肩を落として、立ち止まった。

「どーして、ネーは、もふらせてくれないの」

息子は半泣きで、そう言った。


 隣村には、ネーがいないらしい。小さい害獣のことで隣村の村長と話していて分かった。村の蔵のそばにいるネーの中から、何匹かを適当に見繕って、箱に入れて譲ってやった。

「バブル、ブニ、ヌール、さよなら」

息子が箱の中のネー達に、涙をこらえて別れを告げていた。

 ネーの譲渡を息子に納得させるのは大変だった。一応了解したみたいだが、今も未練たっぷりだ。

「「「フシャー」」」

ネー達には、全然息子の愛が伝わっていないことが不憫だ。


 驚いたことに、息子は村中のネー全部に、名前を付けているらしい。それでも未だに、一匹も触らせてくれるものはいないらしい。報われない奴。一匹ぐらい懐いてやれよと思うのだが、獣のことだし説得の方法がない。


 しばらくして再び訪れた隣村の村長は、えらく感謝してきた。まーそりゃ、ネーは小さい害獣の天敵だからな。箱を置いとくだけで、居つくしな。


 そうこうしているうちに、その噂を聞きつけたのか、他の村からも、ネーを譲ってほしいという話が来るようになった。幸いネーは多産だったし、子育てもうまい。うちの村で増えすぎた分を少しずつ分けてやった。

 その度に、ネーと息子の温度差の激しい別れを、見ることになっちまったが。


 ネーを譲ったどの村からも感謝の声が届いた。

 それとともに、

「どうやって、ネーのことを見つけたのか? どうやって居着かせる方法をみつけたのか?」

と聞かれることも増えてきた。

 その度に、

「息子のウィートが、ネーの有用性と飼い方を見つけた」

と事情を話しているうちに、いつしか家の息子に二つ名がついていた。

『”小麦の守護者ネー”の賢者』と。


 でも賢者様は、ネーを触れないんだがな。

「まってーっ、ザキー、しっぽでいいから、なぜさせてー」

今日も賢者様の半泣きの声が、村に響きわたっていた。

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