悪役令嬢は死刑を告げる

染舞(ぜんまい)

悪役令嬢を全うした君

「それで……今年の誕生日は何がほしいんだ?」

 食事が一通り終わったところで父であり、公爵である男が静かに問うと、食堂には冷たい空気が漂い始めた。

 緊迫した空気……誰かが耐えかねてつばを飲み込む音が聞こえた。

 父の問いかけの相手は、一家の末娘カリスティーナ。彼女はもうすぐ17の誕生日を迎える。

 食事の手を止めて妹の様子を兄と姉が確認するが、カリスティーナは父親の鋭い眼光や部屋にいる全員の視線、重苦しい空気を気にしていないかのように無表情でナイフとフォークを置き、口元を上品に拭った。

 それは毎年の……いや、ここ数年で当たり前になったやりとりだ。

 先に言っておくと、カリスティーナの誕生日を祝わない年があったというわけでも、贈り物をしなかった時があったわけでもない。単に、直接贈り物について当人に聞き始めた、というだけだ。

 ただ、父親のそんな問いかけに対し、まともな返答は一度もなかった。

『特に何も』

 カリスティーナは社交界での評判とは裏腹に、家の中では驚くほどに静かだった。家族が揃っての食事中も、ほとんど喋ることはない。

 家族全員、そうおしゃべりな方ではないが、その中でも特に喋らないし、表情も動かない。それでいて使用人たちからは概ね好かれている。適度な距離感を保ちつつ、不当な扱いは決してしなかったし、気遣いもあり、何より公正だった。

 もしも使用人たちにカリスティーナについてどう思うのかを聞いたならばこう答えるだろう。

『寡黙でいらっしゃいますが、公正で優れた方です』

 外ではよく喋り、よく暴れていて、学業の成績も決して良くないというのに、だ。

 きっと外での彼女の姿しか知らないものは今の姿を見てひどく驚き、目を擦るかもしれない。見間違いではないかと、何度か見返すだろう。

 ただこの家の中においては静かな姿がカリスティーナであった。だから誰も驚くことはないのに緊張している理由は……問いの『答え』を切実に求めているからだった。


 現公爵は、公爵としての責務をしっかりと果たしている。これは自他ともに認める事実だ。彼の手腕のおかげで10年前の魔物の大量発生での被害を最小限に抑えられた、と誰もが称える。

 優れた公爵……だが、父親として良き父であったかというと、頷くのは難しい。

 それでももう成人している兄と姉に関しては、今は亡き婦人が存命の頃であり、子育ては彼女が担っていたため、父親が留守がちであったり仕事に没頭していても大きな問題なく二人は成人を迎えた。

 問題は末娘だ。

 婦人は末っ子のカリスティーナが2歳の時に亡くなった。カリスティーナの父親も兄と姉も、悲しみから抜け出す方法として仕事を選んだ。

 姉は外で就職していたためほとんど家に帰らず、父親と兄は一応屋敷に住んではいたが、ほとんど仕事漬けだった。

 わずか2歳のカリスティーナを気にかけるのは使用人たちだけ。

 幼い頃のカリスティーナは好奇心旺盛でよく笑い、よく怒り、よく泣く……喜怒哀楽がはっきりした子どもだった。

 はずだ。

 公爵はそのはずだ、と記憶を遡る。ただハッキリとはしない。頭の中で天真爛漫に笑う娘の姿を思い浮かべようとして、うまく行かない。表情の部分が、まるで未完成な似顔絵のようにのっぺりとしている。

 当然だろう。彼の中にある娘の情報は、側近である侍従長から聞いたものだけなのだから。その年頃の写真もほとんどない。上二人の幼い頃の写真はたくさんあるにも関わらず……。

 公爵が娘の写真がないことに気づいたのが、まさしく数年前のことだった。まったく向き合ってこなかったことに遅ればせながら気づき、少しでも娘のことを知ろうと家族で食事を摂るようになったが、その頃にはすでにカリスティーナはほとんど喋らなくなっていた。

(今年も……ダメか)

 すぐにどうにかなる問題ではないと分かっていても、公爵は顔には出さずに落ち込んだ。今年も娘は、何も頼ってはくれないのだろうと。

 しかし今年は違った。

「なんでもよろしいのですか」

 いつもとは違う返答に、公爵は威厳などかなぐり捨てるようにやや興奮気味に身を乗り出した。視線の先にいるカリスティーナは、どこまでも吸い込んでしまいそうな黒い瞳を父親に向けていた。

 カリスティーナは、透き通るような赤紫色のややくるりとカールした髪とその黒い瞳を持ち、見た目だけならば亡き公爵夫人によく似ている。……いや、本来ならば中身も似ていたに違いなかった。

 そして、子どもたちの中で唯一亡き婦人の身体的特徴を引き継いだ末の娘を見るたびに、公爵は妻のことが頭をよぎってしまう。そのためにずっとカリスティーナを避けてきたのだということを、彼はもう自覚していた。

「もちろんだ。なんでも言うと良い」

 ようやく訪れたチャンスだと公爵は思った。父親として、やり直せるチャンスだと。

 カリスティーナは……しかし視線を少しそらし、顎に手を当てた。相変わらず表情は動かないが、躊躇しているような素振りに公爵は「家門に誓おう」と、安心させるように言った。

(どんなものでも手に入れて見せる)

 実際、公爵家の力を総動員すれば、そうそう入手不可能なものはない。

 公爵はどんなものを要求されるだろうかと想像してみるが、宝石、くらいしか思い浮かばない。カリスティーナの好きなものも、公爵はろくに把握できていないのだから仕方ない。それでも普段の冷静な彼であったならばもう少し考えられたかもしれないが、彼は浮かれていた。

 ようやく父親らしいことが出来ることもそうだが、何よりも……笑っていたからだ。

 ずっと無表情を貫いていたカリスティーナが、控えめとは言え、公爵にも分かる程度には笑っていた。

 だからまさか思ってもいなかったのだ。美しく笑っている娘の口から飛び出るのが

「では、私を破門してください」

 そんな願いであるとは、頭の片隅にもなかった。

「……え?」

 聞き間違いかと思った公爵に向かって、カリスティーナは美しく微笑みながら、淡々と告げた。

「私を……あなた達から開放してください」

 それは――親としての、家族としての死刑宣告。

 あまりのことに言葉を失う公爵……と長男に長女は、全員が同じような顔をしてカリスティーナを見ていた。

 口を少しだけ開け、目を見開き、眉を下げ……瞳から光をなくした……絶望したような顔。

 そんな家族の状況に気づいているだろうに、カリスティーナは自身の専属侍女に何かを持ってこさせた。それを公爵に示す。一枚は小切手であり、かなり細かい金額まで記載されている。

「こちらは今まで私にかかったであろう養育費です。出来る限り過去の帳簿を参照し、計算いたしました。ただ間違っていて、足りなかった場合も手間ですので10億リラほど足しております。

 この程度、公爵様にとっては些細な額とは思いますが、育てていただいた恩義としてお受け取りください」

 カリスティーナは公爵のことを、「父」とは呼ばなかった。淡々と、事務的に話していく。

 もう一枚の紙は破門申請書であり、呆然と公爵はその書類を眺めたが……正式なものであった。これに彼がサインをし、国に提出すればカリスティーナは公爵家から追放され、平民になる。貴族年鑑からも名前が消え、家系図からも名前が消えて公爵と『血の繋がった他人』になる。

 ペンと紙の用意をしていたカリスティーナは、動こうとしない公爵に向かって「ご安心ください」と口にした。

「私を破門にしたところで、公爵様が責められることはないでしょう。私の悪行は有名ですし、社交界での評判は最悪ですから。むしろ今まで苦労したことに対して同情してもらえるはずです」

「! お、お前っ! いつから!」

 聞き逃し難い言葉に我に返った公爵が顔を上げた。社交界でのカリスティーナの評判は確かに悪い。いつも公爵はその尻拭いをしてきた。公爵は外で彼女が暴れるのは、自身に甘えていると思っていたのだ。家では素直になれないから、わざと迷惑をかけているのだと。

 しかし今の言い方では、外での振る舞いはまるで今この瞬間を迎えるためにわざと行ってきたように聞こえる。つまりずっと昔からこの瞬間を待ち望んでいたように聞こえる。

 カリスティーナは

「……いつからだと思いますか?」

 否定の代わりに問いかけてきた。だがその問いかけこそが答えでもあった。

 公爵には分からなかった。いつから娘が自身と家族を辞めたがっていたのか、分からなかった。分からないのだ、彼には。カリスティーナのことが何も。

 答えなかった公爵に、カリスティーナはペンを差し出した。公爵にはそれを拒否することは出来なかった。

 彼は最後まで……カリスティーナの瞳にわずかに浮かんでいる寂しさに、気づくことはなかった。




***




 ごわごわした衣服。それでいて高価なドレスなんかよりも格段に動きやすい服を着て、カリスティーナと呼ばれていた少女は舗装されていない道を歩いていた。

 いや

「すごいぞ二人共! こんな速度で走っても布が足に絡まらないぞ!」

 走っていた。

 相変わらず表情は殆ど動いていないが、それでも明らかに生き生きと瞳を輝かせ、同行者を振り返る。そこにいるのは彼女より少し年上の男女。

 薄茶色の髪を肩で切りそろえた女性は心配そうな顔をしていて、鋼色の尖った髪をがしゃがしゃとかき混ぜている男性は呆れた顔をしていた。

「おじょ……ティナ様! そんなに走られるとまた足の裏が痛くなりますよ」

「大丈夫だ! 歩けなくなったら運んでもらうから」

「いやあのね、誰が運ぶと思ってるんですか、誰が」

 堂々とした返答に、男性が問えば当然のように女性陣の目線が向かった。言葉はないが「お前だろ」とハッキリ告げている。

「護衛でも荷物持ちでも雑用でも、なんでもするから連れて行ってほしいと言ったではないか」

「いやたしかに言いましたけど」

「では責任取って私という荷物もちゃんと背負え」

「堂々としたお荷物宣言だなぁ!」

「当たり前だろう? こう見えても私はお嬢様だったのだぞ! どう考えても平民生活にはお荷物だ!」

 どうだっ! となぜか胸を張っているカリスティーナ……もとい、ティナはやっぱりほとんど表情が動いていない。しかし、代わりとばかりに目の輝きが分かりやすい。

(こんなに分かりやすいのに、あいつらはまったく気づかなかったな)

 男はティナが屋敷を去る姿を公爵一家が愕然とした顔で見つめていたのを思い出し、肩を竦める。屋敷を去るための準備を彼女がしていた時……決意をしてもどこか家族を諦められずにいた彼女に公爵たちはこれっぽっちも気づかなかったし、去る瞬間も寂しさに揺れていることにも気づかなかった。

 公爵達の能力が優れていることも、国や人々に貢献していることも男は認めていたし尊敬している部分もあったが、ティナに関することだけは許せそうになかった。彼らが本当はティナのことを愛していたとしても、それを言葉なり態度なり、何らかの方法で伝えなければ意味はない。伝わらなければ意味はない。

 ティナが必死に愛を伝えても、受け取ってもらえなければ意味がなかったように。

 彼女のどこか男らしい口調や素振りが尊敬している兄を真似たことだということも、髪型や化粧にドレスのデザインは姉に合わせたものだということも知らないし、教えてやる気も男にはなかった。

 男はふっと笑ってティナの髪を撫でた。令嬢であった時は太ももにまで達するようだった長さの髪は、肩を越えたあたりにまで短くしていた。あんな長さの髪の手入れなど、貴族のお嬢様でなければ手間がかかりすぎる。

『わぁっなんだこれは! 頭が軽いぞ! 髪ってこんなに重かったのか』

 せっかくきれいな髪を切ってしまうのはもったいない気もしたが、より身軽になったと嬉しそうな姿は微笑ましく、何よりもそちらの方がティナには似合っていると男は思った。

「はいはい……それで? 今はまだ荷物持ちの出番ではないですか?」

「うむ。今はまだ荷物は走りたい気分だ」

「あまり遠くにいかれてはダメですよ」

「大丈夫だ。そこまでお荷物なことはしないぞ。子どもではないからな!」

 どやっという顔をして走っていくティナを、男も女も仕方ないなぁという顔で見送る。もしも普通の旅人ならば、いくら多少整備された道沿いを歩いているとは言え一人行動は危険なのだが、誰も心配はしていなかった。

 二人にとって重要なのはティナの笑顔と幸せであり、それを曇らせるものは発生する前に排除するのが当然だからだ。

 と、二人が見守っている中、ティナがコケた。やはりはしゃぎすぎたせいで体力の限界が来ていたようだ。

「まぁまぁティナ様、お怪我は」

「大丈夫だ! それより疲れたから私はこれから荷物になる」

「荷物になるって……はぁ、どうぞ」

 こけたことすらどこか楽しそうなティナに呆れつつ、男は慣れたように身をかがめ、彼女を抱えた。その際に石鹸の匂いがした。今までは高価な入浴剤やら香水やらの匂いがしていたが、今はそんな贅沢はしていない。

 髪や肌の手入れも完璧ではないだろうが、それでも男は今のティナの方がいいと思った。

 豪奢で重たいドレスではなく、走り回れる服を着て。

 人を突き刺せそうな高いヒールではなく、地面を自由に走れる靴を履いて。

 ずっとその場を支配するような濃い香りではなく、清潔な石鹸と太陽の匂いを纏って。

――今度こそは、自由に生きてほしいと。男も女もそう思っていた。

 いや


(絶対に、今度こそ守り抜いて見せる)


 そんな決意を知っているのかいないのか。ティナは眠そうに目を擦った。

「うー、眠いから寝ていいだろうか」

「子どもですか」

「分かった。今から子供になるから寝ていいだろうか」

「まぁ、大きな子どもが出来ましたね、パパ?」

「誰がパパだ」

「あはは、パパー」

「お嬢!」

 一見奇妙に見える組み合わせの三人は、しかし同時に微笑ましく、誰が見ても幸せそうに笑いながら、ゆっくりと道を歩いていくのだった。

 その道の先に、今度こそ未来があると信じて。


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