砥石城攻め

@kinchanmaru

砥石城攻め

  かの有名な関ヶ原の合戦を目前に徳川秀忠軍の別働隊を率いる真田信之は真田信繁の守る砥石城を落とすため、静かに行軍していた。



上田平から太郎山に入ると薄らと霧が流れてきた。




「あの時と、まるで逆だな」



信之はぽつりと呟いた。



「は、先の戦で殿は砥石城から打って出て見事、上田城のお父上と徳川軍を挟み撃ちにし、大勝利を収められました」



真田兄弟の従兄弟であり、重臣の矢沢頼康は誇らしげに答えた。



「そうじゃ、この霧の流れにのって山を駆け下り、上田城へと参じた」




五年前、徳川家康は上田城を落とす為およそ八千の兵で上田城に襲いかかった。

この矢沢頼康は信之の父 昌幸と共に二千の兵と上田城に籠城し、支城である砥石城からは信之が出撃。


徳川軍の背後からは武装した農民も加わり見事勝利を収めたのであった。




「この先は霧が濃くなる、断崖に気を付けよ」




騎馬で先導する頼康が左腕をあげて合図をすると全軍がぴたりと足を止めた。


この先を行けば城の櫓門が見えるという所まで来ると頼康は信之の隣に馬をよせた。



「ただ今、物見に様子を探らせております」


「うむ」


「殿、誠によろしいのですか?ここは」


「真田の家は儂が守る、それが源次郎との約束だ」



頼康が全てを話し終える前に信之は決意を言葉にした。

源次郎とは弟 信繁の通称である。



「その為には避けては通れぬ」



と、偉そうに言ってはみたものの、自分の選んだ道に自信を持てずにいた。



儂が守らねばならぬ真田の家とはなんなんだ

同じ腹から産まれた弟を倒してまでも守らねばならぬ家とはなんだ。



五里霧中とはまさにこのこと。

霧は信之の頭の中にまで立ち込め、信之の行く未来を曇らせた。



「何かあればこの城を守るのは儂だと思っておった、ずっとその想いで……」



何故このようなことになってしまったのか、わかっていても、そう思わずにはいられなかった。


信之は最後に三人で鍋を囲んだ時のことを思い出していた。


儂が徳川、父上と源次郎が石田方につき東西に別れて戦をすると決めた日の猪鍋の味のしないこと。


鍋を囲む時はいつも賑やかだった。

静かなのは母上と姉上がいないせいだと言ってみると、二人も「それでか、腑に落ちた」と笑ったのも束の間。


直ぐに沈黙が再来した。



「兄上は真田の家をお守りください、我々が勝てばその時は必ずや兄上をお助けします」



儂はいつも弟に守られてきた。

源次郎が守ったものは儂だけではない。

儂の大事なものもだった。


源次郎は幼い頃から、恐らく意味も分かっておらぬ頃から「兄上のことはわたしがお守りします、兄上は真田の家をお守りください」と言っていた。


兄を助けるようにと、父上の教えだった。



しかしこの戦、おそらく石田方に勝ち目はないだろう。




「もうお前に守ってもらうことはないのか」




信之がぽつりと呟くと、信繁は黙ったまま、頷くことも首を横に振ることもなかった。




いつも終わりは突然くる。


次で最後だ、これが最後だ、などとは誰も教えてくれない。


いつかのように家族で鍋を囲んで笑い合う日はもう来ないのだ、二度と。



源次郎が居てくれたから儂はこの家の当主として存在できたのだ。


一方の源次郎は儂という重荷を捨て、ようやく自分のために生きていくのであろう。



武田が滅びたと言われた日、兄弟力を合わせて真田を守って行こうと誓ったのに。

儂は一人になってしまったのか。




「櫓には誰もおりません」



物見の声が信之を現実に引き戻した。


言われてみれば怖いくらいに静かだ。

源次郎はどんな罠を仕掛けているのだろう。




突撃の準備は整っている。

全軍が信之の合図を待っていた。


本当に弟と戦わなければいけないのか。

今から引き返すことは出来ぬのか。

これは夢ではないのか。



「殿、よろしいですか」



今から戦わずに済む策はないのか。

儂がこの城を落としたら、秀忠様が上田城を落としたら、儂は本当に一人になってしまうのではないか。

今ならまだ一族で争わず済む道が見つけられるのではないか。




信之の不安そうな表情を見た頼康は馬から降りて跪いた。




「それがしにも、源次郎様との約束がございます」


「なんだと?」


「これから先は三十郎が兄上をお守りせよ、と仰せつかりました」



この三十郎は源次郎のことが大好きであった、父上を心から慕っていた。

この男とて辛いのだ。


儂は一人ではない。



「殿!三十郎はどこまでも共にまいります 誓って殿をお一人にはいたしません!」


「そうか、きっと儂を一人にしてくれるなよ三十郎」


「はっ!」



頼康の迷いのない返事を聞いた信之は、声が震えるのが悟られぬよう大声を張り上げ、力いっぱい采配を振りあげた。



「かかれー!」



号令に従い兵たちは信之の脇を駆け抜けて行く。


そしていとも容易く門は壊され、吸い込まれていく兵たちを見つめていた。



なんて不思議な話だろう。

儂の城の門を壊しているのが儂の兵とはな

先の戦では儂がこの城から出陣したのに。

父上と源次郎と仲違いした訳でもないのに。

源次郎はいつも儂を守ってくれたのに。



何故この城を守っているのは儂ではなく源次郎なのかと思ったが……

そうか、最後まで源次郎は儂の大事なものを守っているということか。


そう考えると少し笑いがこみ上げた。



「源次郎、大儀であった」



信之が誰にも聞こえないほど小さな声で呟いたのも束の間、頼康の慌てた声が響いた。




「殿ー!大至急!」



急いで城門まで駆けつけると城には一兵もおらず、まさにもぬけの殻であった。



「守っておらぬではないか!」と信之がツッコミを入れると耐えきれず頼康が笑いはじめ、ぼう然としていた兵たちも釣られて笑いだした。




「いつの間にやら霧が晴れましたな」


「儂の心もすっかり晴れたわい」



当初、真田昌幸のいる上田城は秀忠が、信繁のいる砥石城は信之が攻め落とす予定であったが、信繁が上田城にいるとわかると「上田城は落とせぬ」そう言って使者を呼んだ。



「総大将 秀忠様にお伝えせよ、上田城は捨ておき大殿のいる決戦の地へ急ぐべきであると」



早馬で駆ける使者の背中を見送ると、二人は眼下に広がる上田平を眺めた。



「殿、戦わずに済みましたな」


「ああ」




儂はまた、源次郎に守られたのだな。

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