構造色の天使

縁代まと

構造色の天使

 私の羽はよく『暗い』と称される。


 天界で神に生み出された天使たちは光り輝く真っ白な羽を持っており、暗い大地を歩いていようが暗い空を飛んでいようが一目でわかるほどだった。

 しかし私の羽は自発的に光ることはないし、元々の色も薄い灰色に近く地味だ。


 他の天使たちを見ては羨ましく思うこともあったが、きっとこうして生まれたことにも理由があるはず。神が無意味なことをするはずがない。

 そう信じて私はお役目を果たすべく奔走し続けていた。


 この世には今、天界がある。

 我々が生活する故郷だ。


 現在、神はそんな天界の下に新たな世界――下界を創造しようとしていた。

 これにより他にも様々なものが作られ、天使以外の生き物も生まれ出るらしい。

 そんな創造のために必要な材料を広大で真っ暗な世界から集めてくるのが私たちのお役目だ。

 もう何百年も飛び回っては謎の鉱物や目に見えない物質などを神に献上している。


(……この真っ暗という概念が初めはよく理解できていなかったっけ)


 なにせ生まれた時から暗い状態しか知らないのだから、当たり前すぎてそれを指す言葉を考えることすらしてこなかったのだ。

 しかし神曰く、下界の創造で『光』ができるという。

 その話を聞かされた際に闇や暗いという概念を教えられた。


 私の羽が暗いと言われ始めたのもその頃だ。

 覚えた言葉を早く使いたい者による戯れだったのかもしれないが、いつの間にかそれが定着してしまっていた。


 天使ヨナエルの羽は暗い。

 これが天使たちの常識になるのに、そう長い時間はかからなかった。


(神から名を賜った誉れさえあれば、そんなことは気にならないと思ってたけれど)


 今の私はとても悩んでいる。

 仲間たちが私を軽んじることを覚えてからはそうもいかなくなってしまったのだ。

 そんな悩ましい日々を過ごしながら私は仕事をこなし続けていた。


     ***


 「聞いたぜ、聞いたぜ、おまえ『神の失敗作』と呼ばれてるらしいな?」


 暗い天界にはあちこちに闇色の湖ができ、その中で精霊が生み出されていた。

 神が作り出したものではないという話もあるが、闇も神の作ったものなので、そこから生まれたのなら神が作り出したものと言っても過言ではないだろう。


 私の前で闇色の湖から半身を出し、ニタニタと笑ってそんなことを言ったのは闇の精霊ニブルだった。

 頭のてっぺんから足先まで真っ黒で、赤い目が開いていないと見失うことも多い。

 ニブルは意地悪な物言いが特徴で天使には毛嫌いされていたけれど、数多くの闇色の湖を自由に移動できるのか遭遇することが多かった。

 今日もそうだ。


「愚かな評価だ」

「おっ、ヨナエルが悪口を言うなんて珍し――」

「神が失敗なんてするはずがないのに」

「そっちかよォ」


 ニブルはつまらなさそうに両手を頭の後ろで組む。

 私はそれを無視して地面に散らばる鉱石を拾い集めた。先日力自慢の天使が掘り起こしたもので、まだ残っているのに今日は別の場所へ行ってしまったのだ。

 するとニブルは「それをやった天使、俺も見てたぜ」と笑った。


「凄かったなぁ、おまえには一生真似できねぇんだろうなぁ」

「……」

「本当に失敗作なんじゃねぇの? おまえは天使なんかより俺たちに似てるだろ、そんな仕事してねぇでこっちに来ればいいのにさ」

「それで得られるものなんてないだろう」


 それだけでなく神の役にも立てない。

 そんなの私の存在意義がなくなるも同然だ。


 横目で睨みつけるとニブルは「こわいこわい」と言いながら、しかしまったく怯んだ様子もなく地面に頬杖をついて見上げてくる。


「得られるものはあるじゃねぇか、自由だよ」

「自由? ――私が自由でないように見えるのはニブルの目が淀んでいるからだ」

「そうかなぁ、そうかなぁ。案外淀んでんのはそっちの目かもしれねぇぜ?」


 いちいち面倒くさい言い方をしてくる精霊だ。

 私はさっさと鉱石を拾い集めると暗い羽を広げて飛び立った。別れの挨拶なんて必要ない。

 それなのにニブルは「またな~」などと声をかけてくる。

 返事はしなかったが、また会うことになるのだろうなという予感だけはあった。


     ***


 神の姿は天使たちと同じなのだろうか。

 いつも声しか聞こえず、なにかを授ける際も片腕しか見えないので確信は持てないが、もしそうなら何故私だけ異なるのですかと訊ねたかった。


 しかし実際に問えるチャンスが巡ってきても、そんなことを口にする勇気は出なかった。天使の中でも勇気ある者は疑問をハキハキと口にしているというのに。

 私と違う者ばかりだ。

 そう自覚するほど自信はなくなり、暗い羽だと言われるたび心まで暗くなっていく。


 あれからニブルに先日と同じようなことを何度も言われた。

 きっと私がムキになるのが面白いのだろう。

 そのため、ここしばらくは意識的に闇色の湖を避けていた。ただし仕事の効率が悪くなってしまうので、いつかはまた会うことになる。

 それが少し億劫だった。


 ――仲のいい天使が少ないので今までわからなかったが、ニブルに執拗に付き纏われているのは私だけらしい。

 天使に絡むことはあるし、だから嫌われてもいるが、何十何百と話しかけられているのは私くらいのものだと知った時は愕然とした。


 姿が似ているからじゃないか?


 そう揶揄われたのが昨日のこと。

 ……私が本当に闇の精霊として生まれていたなら、こうも悩むことはなかったのだろうか。

 天使でなくとも神の手伝いをできるなら私は――私は天使でなくてもいい。

 しかし昔ニブルから聞いた話では、ニブルは神に会ったことすらないという。会おうと思っても会えないのだそうだ。


(自由か……神にお会いできない自由など意味はない)


 輝く砂粒を袋に詰めながら思う。

 しかしそんな砂粒すら私の羽よりも輝いていることが羨ましかった。自由を得られればこんな気持ちにもならなくなるのだろうか。

 羽が暗いことは解消されずとも、なにを言われても気にならないくらい楽しいものを見つけられるのでは。


 そんなことを考えてしまい、ハッとして頭を振る。


(私がこんなことだから羽が暗いのかもしれない。原因を他に求めるな)


 自戒しながら今日も暗い空へと飛び立つ。

 仲間たちのもとへと戻ると、天使の中でもとびきり大きな羽を持つ天使がその羽に負けないほど大きい鉱石を持ち帰っているのが見えた。

 どうやら知恵を活かして地中深く埋まっていた鉱石の塊を掘りだしたらしい。

 そして大きな羽だったおかげでひとりでも持ち帰ることができた。


 いいな、と思う。

 私には……活かせるものがない。


     ***


 月日は経ち、ついに下界を作り光を得る目途がついた。


 そんな時、神は天使の中から十名を選び出し『光の十徒』と名付けた。

 これからは更に複雑化した作業を行なうため、天使たちに指導者を据えて複数のグループに分けることになったらしい。


 私はなぜかその光の十徒のひとりに選ばれた。


 天使たちは戸惑っていたが、それは私だって同じだ。

 大きな功績を上げたことはない。ただ地道に仕事を続けてきただけである。

 しかしその継続こそが評価されたのではないか。――そう知恵のある天使が言っていたが、私には信じられなかった。


 どうやら同じ気持ちの天使は他にも多くいたらしく、ある日数名の天使に呼び出されて睨みつけられる。


「ヨナエル、光からは程遠いお前に光の十徒は相応しくない」

「だからその座を譲れと?」

「いいや、神が選んだものを我々が変えられるはずがない。だがお前は自身が相応しくないと理解し、日々そう思いながら生きるべきだ」


 そんなことを言われなくてもずっとそうして生きているというのに。

 きっとそう説明してもこの天使は理解してくれないんだろう。


 言うだけ言って天使たちはその場から去っていった。

 鬱屈とした気分になっていると、この場でもっとも聞きたくなかった声が耳に届く。


「ひっでぇなぁ、おまえの同胞は」

「ニブル……」


 呼び出されたことばかり気にしていてわからなかったが、闇色の湖の傍だったらしい。ニブルは相変わらず鋭い歯を覗かせて笑いながら私を揶揄ってくる。

 しかし天使たちに言われるよりは気が楽なのは、ニブルが我々とは異なる存在だからだろう。

 同じ存在に言われるほうが堪える。


「それで、おまえはまだ悩んでんのかぁ?」

「それなりには」

「ないものねだりをしても意味ねぇのによ。――ただ俺から言わせりゃ、おまえら天使は全員別物だぜ?」


 別物?

 いつの間にか俯いていた顔を上げるとニブルのにやけた笑い顔が目に入った。


「力を持つ天使、知恵を持つ天使、羽の大小、そして色。みーんな違う」

「……私だけが違うのではないと?」

「そうとも。いつまでもウダウダ悩んでるおまえに俺がアドバイスしてやるよ、あいつらは他の天使と違う特徴を活かしてる。けどそれはたまたま早い段階で機会が巡ってきただけだ」


 ニブルは私の暗い羽を指す。


「おまえの暗い羽にも、いつか意味ができるんじゃねぇの?」

「……もしかして私を励ましているのか? いつも意地悪なことしか言わないのに」


 心外そうな顔をしてニブルは「いっつも心配してやってるだろぉ?」と心にもなさそうなことを言った。

 しかし今まで聞いてきたどの言葉より信用できる気がしたし、それに嬉しい。


「そうか、……そうか、ありがとう、ニブル」

「――そこで屈託なく礼を言えるところはやっぱ天使だよなァ」


 口先を尖らせたニブルは闇色の湖の中へと引っ込んだ。

 照れ隠しかもしれない。そう思うとおかしくて、いつの間にかさっき天使たちに言われた言葉など忘れてしまっていた。


     ***


 そうしてついに下界が作られる日がきた。


 神は集めた品々をぐるりぐるりと掻き混ぜる。

 すると白い――いや、光る点が数多と生まれ、暗い空間にじわりと広がっていった。その下にでこぼことした大地が形作られていく。

 私たちの住む天界と似ているが、異なる世界だった。


(似ているけど異なる、か……)


 ニブルの言っていた天使の話を思い出しながらそれを眺める。

 やがてすべての大地ができた後、神は天にまばゆい光の玉を作り出した。

 それはあまねくものを煌々と照らし、世界に『光』をもたらす。


 その時だ。神の御業を見守っていた天使たちがざわめいたのは。


「わ、私の羽が……!?」


 見れば光を受けた私の羽が極彩色に輝いていた。

 そう、私の羽は光を受けて初めて様々な色を発し輝く羽だったのである。

 神は大地を指さしながら私たちに言葉を贈る。――この地で生き、この地で暮らす生き物の礎となれ、と。


 ああ、これこそが私たちの本当の役目だったのだと理解した。

 神はそれ以外は命令しなかった。

 それは我々に自由に生きてみせよということだ。


 私は輝く羽をはばたかせ、生まれたばかりの下界へと降りていく。

 その先で待つのはきっと自分の特徴を活かせる自由な世界だ。どのような形であれ私の羽に意味が、私の羽の仕組みに意味があれば、それだけで嬉しい。


 その気持ちは、ニブルに励まされた時の嬉しさに似ていた。


     ***


「――で、天使ヨナエルは地上で生きる鳥たちの祖となり、子孫の一部はおまえさんの羽の特徴を上手く受け継いだってわけか」


 夜の帳が降りた頃、影の中から顔を出してひとりごちる。

 覗いた巣の中では鳩が眠っていた。見ろよこの羽、あいつにそっくりだ。

 昼間、あのクソ眩しい太陽に熱された空間は居心地が悪かったが、それでも鳩を見ていると笑えてきて肩を揺らした。


 まあ、おまえの意思はどこいったんだよとか、ヨナエルとしてもっと色々と生きてみてもよかったんじゃねぇかとか、……俺と生きてみてもよかったんじゃねぇかとは思うが。

 そんな後ろ向きな気持ちは今はしまっておいてやろう。


「だって……今のおまえは俺が羨むほど自由だもんなァ、ヨナエル」


 ヨナエルは光に求められ、光を求める羽を遺した。

 光の十徒とやらに相応しかったわけだ。

 ちっちぇ悩みから解き放たれたおまえは自由だった。俺が保証してやろう。


 そう言ってやると、鳩は身じろぎして月の光を僅かに反射させ、あいつと同じ美しい色を光らせた。

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