また、どこかで

蒼珠

また、どこかで

 嗚呼、もう、だめ。

 もう、頑張れない。

 骨の形が浮き上がる、痩せ細った身体。

 豊かだった髪は、いつの間にか、かなり少なくなり、艶もない。

 血管の浮き上がった、からからに乾いた肌。

 ひび割れた、ささくれ立った指先。

 長いこと、潤いと色を失くしている唇には血がにじむ。


 刺し過ぎた点滴の針は、肌を青く色付かせ、滲み、枯れた薔薇のように黒ずむ。もう元の肌色に戻ることはないだろう。


 真っ白な敷布や掛布を汚したくないものの、どうしようもない。

 水分を奪われ、乾いて行く。

 かさかさと鳴る枯葉のように、乾いて行く。

 弱弱しい鼓動は、止まりかけの時計の針のようにたどたどしい。

 何かが腐ったようなえた臭いと消毒薬の強い臭い。


 鼻に酸素カニューレの命を繋ぐ管、腕には点滴の管命の道、指先にはバイタルサイン生命兆候測定器具のコード伝送線、まるで出来の悪い傀儡人形のようだ。


 両親と祖父、医師、看護師たちには悪いが、もう諦めてもいいのではないだろうか。

 もう……もう、どうしようもない。


「手術をすれば元気になるよ」


 貴方たちも信じてない癖に。

 自分にはもうそんな体力がないのが分かっている癖に。

 泣きそうに瞳を潤ませてた癖に。

 医師に呼ばれて、近くの場所で待機している癖に。


 あと、どれぐらい、朝の光を瞳に映すことが出来るのだろう?

 あと、どれぐらい、呼吸をしていられるのだろう?

 あと、どれぐらい、生きていられるのだろう?

 もう、長く生きられないのは自分でも分かる。


 お医者さんじゃないのにね、と思い、少し笑ったが、笑ったつもりだった。頬の筋肉が仕事をしなくなって、久しい。


 嗚呼、何もやりたいことがやれなかった。

 一度でいいから、走ってみたかった。

 電画テレビに映る元気な人たちのように、なりたかった。

 友人と他愛のない話をして笑いたかった。

 遊園地、という所にも行きたかった。


 許されたのは、ほんの少し調子のいい時に本を読むことだけ。

 すべて知識しかない。

 やりたいことがやれるのなら、どんなに楽しいことだろう?

 せめて一日だけでも、自由に歩きたかった。

 病院の外の世界を見たかった。


 自分は何も生きる証を残してない。

 思い出は病院の中ばかり。




 そこに、威勢がよくて大好きな祖父が、背の高い男の人を連れて来た。

 黒い外套コートに黒い服。

 もう上着もいらない陽気だと聞くのに、季節に似つかわしくない服装。

 それを誰も不思議に思っていないようだ。


 勘違いしていた。

 祖父が連れて来たのではなく、祖父と一緒に入って来ただけだった。祖父には外套の男が見えてないらしい。

 やっぱり、そうなのか。

 知っている。物語で有名な人型のだ。

 本当にいた!と驚かなかった。

 話してみたい。

 しかし、自分の衰えた身体は、もう動かない。

 だから、迎えに来たのだろう。


 ピーピー…ピーピー。

 機械の音がする中、祖父は慌てて部屋を出て行き、看護師たちも慌ただしく動き始める。

 そんな中、人型のは、優しい声で信じられない話をした。

 しかし……それが、もし、本当なら。

 何とか頷くと、その人は初めて微笑んでくれた。 

 幸せな気分のまま目を閉じる――――。






「あら、悪魔ではなかったのね」


 また、勘違いしていた。


「俺のどこをどう見たら、悪魔に見えるんだ」


 憮然と言う悪魔…じゃない人型の


「すべてよ。角がないので死神かと思ったのだけれど、悪魔の形は様々あるようだし。では、何なのかしら?」


「魂を狩るもの」


「それなら、悪魔でしょう?」


「人間が誤解しているだけだ。人間の概念で一番近いのは、天の御使い。『天使』」


「……まぁ、驚いた!イメージと真逆だわ。どうして黒外套で黒ずくめの格好なの?」


「趣味」


「趣味なのね……ふふっ」


 笑えてる。

 今の自分はちゃんと笑えてる!

 嬉しくて更に笑った。

 悪魔、ならぬ、自称天使とこんな風に話すのも楽しい。

 身体から解放されることが、これ程、気持ちいいものだとは思わなかった。

 正に身軽。

 魂だけの存在。いわゆる幽霊の状態だ。


 

 ただ、まだこの場所から動けない。

 自分のからからに乾いた身体は真下にある。

 魂だけの状態は不安定なので迷子にならないよう、自称天使に色々と細工をしてもらわないと、連れて行ってもらえないのだ。


 魂のあるべき場所へ行くのは最後でいい。

 未練が残っている状態の方が色々と支障が出るので、自分が生きた年数分ぐらいは、幽霊のまま、あちこち見回っていい、と聞いている。

 それは、なんて楽しく、わくわくすることだろうか。



 駆け付けた両親と祖父が、自分の抜け殻に取り縋って泣いている。

 親より先に逝ってしまった。

 最低の親不孝。

 しかし、安心して欲しい。

 これからは、楽しく過ごすのだから。

 貴方たちが逝く時に、迎えに来れるだろうか。

 案外、遊び歩いていて忘れているかもしれない。

 それぐらいは許してくれるだろう。


 魂のあるべき場所で、また、会いましょう。

 お互い、見分けが付かないかもしれないが、その時は、また、どこかで。

 また、どこかで会いましょう。


 そして、自称天使の差し出す手を取り、両親たちにしばしの別れを告げた。





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また、どこかで 蒼珠 @goronyan55

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