大きなお皿

朝本箍

大きなお皿

 実家には直径四十五センチほどの大きなお皿がある。白地に青の花模様で、雰囲気は和風と中華の間くらい。

 これだけ大きなお皿が活躍する機会はいくら五人家族といっても限られていて、夏休みの冷やしひやむぎ祭りを除けば、大抵は特別な日の「ごちそう」を盛るために使われていた。

 例えば、クリスマス。

 お皿は食卓の中心に置かれ、主役の座を欲しいままにしていた。ひとりひとつのチキンレッグは端から相手にならず、クリームがだれてしまうからと遅れて登場するクリスマスケーキですらその座を奪うことは難しく、端に追いやられてしまう。

 そして、そんなお皿に盛られるのはいつでも同じものである。

 お寿司などそれぞれの好きなものがメインになる家族の誕生日は言うまでもなく、メニューが大体固定されていたクリスマスはむしろ、そこだけ変わる理由など見つからないくらいだった。

 枝豆、ストリングチーズ、サラミ、骨付きフライドチキンに紅白のかまぼこ。

 今思うとお酒のつまみっぽさが強く、チキンレッグとフライドチキンで鶏が渋滞しているが、当時は何の疑問も抱いていなかった。サラミが生ハムになったり、かまぼこが一色になることもあったが、これが定番の「ごちそう」である。

 何故このラインナップになったのか?

 両親曰く、何が食べたい? と聞けば必ずこれらを欲しがったから、らしいが、妹の記憶によればかまぼこは父親の好物らしい。それを聞くと、母親が酒豪なこともラインナップへ影響していそうだが、とにかく私と妹の食べたいもの全部盛りが発端だったのだ。お酒も飲めなかったのにずいぶんと渋い。

 実は私には弟もいるのだが、残念ながら歳が離れているので彼が物心ついた頃には「ごちそう」は定番化しており、口を挟む隙はなかった。彼の好きなものは最初から食卓の脇へ置かれる運命にあったのだ。申し訳ない。ちなみに彼は肉が好きで、ここ数年は肉メインの飲食店店長をしている。

 今では実家には両親しかおらず、お皿の出番は確実に減ってしまった。一枚で流し台を占拠するお皿は出すのも洗うのも何もかもが面倒なのだ。それでもまだ、吊戸棚の中で自分は主役です、という顔をしている。流石の貫禄だ。

 私も未だに特別な日には自分が持っている中で一番大きい、小さなお皿へ「ごちそう」を用意する。

 ストリングチーズは値段が上がり、骨付きフライドチキンは一袋に入っている個数がずいぶんと減ってしまった。かまぼこはあまり好きではないので出番が減りつつある。

 それでもやっぱり「ごちそう」は「ごちそう」なのだ。今年のクリスマスはピザを食べに行く予定だが、それとこれとは別。今はお酒も多少飲めるので少しいいブランドの商品にしようかなと色気を出している。特にサラミは、お値段が味へ直結しているような気がする。

 クリスマスが終われば今年が終わるまであと数日。年末年始にはきっと、お皿の出番もあるだろう。

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大きなお皿 朝本箍 @asamototaga

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