「空白のアート」

浅間遊歩

「空白のアート」

 美術館の一角に、何も描かれていない真っ白なキャンバスが展示されていた。タイトルは「無限の可能性」。

 作者は新進気鋭の現代アーティスト「ITO」こと、伊藤。彼はこのキャンバス一枚で、莫大な名声と富を手に入れていた。


 美術館を訪れる人々は首をかしげながらも、「深い」「これが現代アートか」と感嘆した様子で語り合う。

 しかし、謎めいた笑みを浮かべて見せる伊藤は、心の中でこう思っていた。


(ただの白紙に過ぎないのに、よくもまあ勝手に深読みするもんだ。)


 彼は芸術家としての自分の内面に疑問を抱きながらも、名声を捨てられず、次々と空白の「作品」を発表していた。


 ある日、一人の老紳士が美術館を訪れ、白いキャンバスの前で長時間じっと立ち止まっていた。紳士は深いため息をつくと、伊藤にこう言った。


「この絵は完璧だ。あなたの本当の思いがよく現れている。」


 伊藤は驚いて紳士を見た。


「何のことですか?」


 紳士は穏やかに微笑む。


「君が『描いて』いるのは、『何も描けない』という恐怖そのものだよ。キャンバスの空白は、君自身が抱えている空虚さだね?」


 その言葉を聞いた瞬間、伊藤は全身に寒気を覚えた。

 白紙のキャンバスは、彼の心の中に広がる「何もない空間」を見事に映し出している、伊藤自身は空っぽだ、と紳士は言っているのだ。

 心の底まで見透かされたように感じ、伊藤は震え上がった。


 その夜、伊藤は全ての作品を処分し、消息を絶った。

 そして数年後、再び美術館に展示されたのは、真っ黒に塗りつぶされた一枚のキャンバスだった。


 タイトルは――「虚無の完成」。


 観客たちは再び賞賛し、それを見た伊藤は、新しい設定が問題なく受け入れられたことに胸をなでおろした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「空白のアート」 浅間遊歩 @asama-U4

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説