Episode 30 女神の雫

【二十三年前、フェアヴァルト公国 滞在三日目】


「君に剣の心得があるとは初耳だ」


 アスガルド卿はゆっくりと斧を構え、足を前後にずらした。


「ふふふ、奇跡は便利ですよ。私みたいな者でも剣の術理を扱えるようになるのですから」


 アスガルド卿は「なるほど」と一言云い、リンネットに向かい、一直線に駆け出した。彼女は身体を半身に構えてレイピアの鋒を彼に向けた。膝を曲げ、姿勢を低くすることで的を小さくしていた。


 アスガルド卿はぐんぐん距離を詰め、レイピアの鋒が眉間に当たる直前で斧を振るった。レイピアの細い刀身に斧のくびれ部分が絡まり、彼女の手からレイピアが離れた。その隙を見逃さずに、もう一つの斧で斬り掛かったのだ。

 しかし彼女はまったく慌てる様子がない。


「あら、私の剣が」


 リンネットはすぐさまに背面側に宙返りする形で、アスガルド卿の斧を蹴り飛ばして攻撃を回避した。蹴り飛ばされた斧は彼女が闘技場に入ってきた入口近くの地面に突き刺さった。そして彼女は手を伸ばし、空中に放り上げられたレイピアを呼び寄せた。

 剣を掴んだ瞬間、彼女は彼に向かい大きく踏み込み、一呼吸で数十の突きを繰り出した。一回一回の速度が凄まじく、フィンと、過去に聴いたことがない空気を裂く甲高い音が鳴り響いた。

 彼が羽織っている外套に少しずつ切れ込みが入り、最後の一刺は彼の頬を裂いた。お互いにある程度の距離を取り、彼女は少し自慢気に「どうですか?私の剣戟は」と彼に訊いた。


「なるほど。確かに剣の術理を解する者の動きだ。だが……」


 瞬間、アスガルド卿が彼女の真正面に移動した。


「その程度で満足している時点で、やはり君は騎士ではない」


 彼女の左肩から右脇腹に向かい、斬撃が伸びた。リンネットは「え?」と戸惑いを隠せない様子で、堪らず距離を取る。彼女の足元に血が滴り落ちていた。


「あ、貴方。なんで……」

「なんで?おかしなことを云う。この試合は国同士の優劣を示す場でもある。相手が護国の英雄ともあれば、その影響も大きかろう」


 彼女は、信じられないという表情だった。そして遂に、本気で戦う、彼を殺すという覚悟が決まったのか。すっと顔から感情が消え去り、剣を杖に戻した。


「……貴方の考えは解りました。残念です」


 彼女は杖を前に突き出して詠唱を唱えた。


「彼に想像を絶する苦しみを。血塗られし女神の絶望の世界クルエンタ・デスムンド


 詠唱とともに杖が彼女の血を吸収して、宝石が赤く染まった。彼女の美しかった白い髪は、暗い輝きを放つ黒色に変化し、瞳は最初の明るい赤色とは異なり、暗い赤色へと変貌した。外套も彼女の血が広がるように赤色になった。


 宝石から溢れ出た赤黒い泥のようなものが、足元を覆っていく。


「これが君の目『女神の雫』の真の力か」

「ええ。遊びはお終い。貴方はもう何も出来ない。この世界では速さなど無意味よ」


 アスガルド卿の姿が消えた。目で追えぬ速度で動いているようだ。


「だから無駄だと云ったでしょう」


 リンネットが開いた掌をぎゅっと握ると、空中で固まったアスガルド卿が現れた。彼女のつくる世界では対象の時間を自由に操作できるようだった。

 彼女は杖を剣に変え、ゆっくりと彼に近づいていく。


「貴方にこんなことはしたくなかったのだけど、残念」


 私が「やめて!」と叫ぶも虚しく、彼女には届かない。そして、彼女が彼の胸に剣を突き刺そうとした瞬間、ドッと重い音がなった。

 斧だ。彼女のうなじに斧が当たったのだ。先ほど、彼女が蹴り上げたアスガルド卿の斧だ。


「かはっ……!」


 リンネットが膝から崩れ落ち、泥の中に倒れた。恐らく、気絶したことによって奇跡が解けたのだろう。空中で静止していたアスガルド卿が消え、彼女の横に瞬間移動した。


「今回は回帰の斧レオルシオンを使って正解だったな。危うく死ぬところだ」


 リンネットが動かないことを確認して、司会が試合終了のアナウンスを告げた。


「第二戦目、終了です!!勝者はアーサー・アスガルド!!」

 

 会場が歓声で溢れるなか、彼はそっとリンネットの身体を仰向けにした。その刺激で、はっと目を覚ました彼女に彼は困ったように云った。


「まったく、本当に私を殺そうとするとはどういう了見だ。英雄」

「だって、貴方が私を本当に斬るから……」


 彼は、一体何処にそんな傷があるのか、と言いたげに彼女の身体を見た。それを見てリンネットが驚いた。


「うそ、傷がない!?」

「あれは幻惑の斧イルルーシオだ。あの傷は君が見た幻覚だ」

「それはおかしいです。あの二つの斧からは聖力を感じませんでした」

「君が奇跡の有無を確認するタイミングに、聖力エネルギーを込めなかっただけのことだよ」


 彼女はそんな事かと額に手を当て、少し落ち込んだ様子だった。


「なんで私を挑発してきたんですか」

「同盟国とはいえ別の国だ。公になっていない情報もたくさんあるだろう。今後のためにコルナ国の戦力、君の切り札を見ておきたかっただけだ」


 「なるほど。やられましたね」と云う彼女を前に抱きかかえて、アスガルド卿は闘技場から退場した。彼女は満更でもない様子で「降ろしなさい!」と暴れていた。


―――――――――――


【用語】


■フェアヴァルト公国

竜の棲む山脈の入口にある国。

聖界に存在する二〇の国から一人ずつ代表が選出され、統治している。

 基本的には聖界全体の管理を担っている国で、政治活動、インフラ整備が主な業務。故に国民の多くは技術者、職人、事務員である。


聖界会議サント・コンチリオ

聖界の各国の王が集まり、魔界への対応、聖界内の政治について議論する場。


■グレグランドの十二騎士

騎士王に選ばれし、聖界を守護する十二人の騎士。

称号は先導、不侵、久遠、全知、沈黙、金製、全治、開明、閃撃、追究、謀略、紅蓮。


■奇跡

神、聖なる種族が起こす現象の総称。

精人たちは奇跡を起こすエネルギーを「聖力」と呼ぶが、他国では魔力を使って奇跡を起こすと勘違いされることが多い。

主に聖界、神界で使われ、「民の奇跡」「精霊の奇跡」「神の奇跡」という大きく三つに分類される。


■魔法

神、魔なる種族が起こす現象の総称。

エネルギー源は魔力と呼ばれ、世界に広く認識されている。純粋な人は魔力をつくる事ができないため、魔力を溜め込んだ道具、魔具を用いることで魔法を使える。

主に神界、魔界で使用される。


■魔術

主に人界の魔術師が使用する魔法のこと。

魔術師が使用出来る魔法の数は実際の魔法の種類より少ないが、技術的な研鑽を積むことで起こす現象を変化させ、様々な状況に対応できるようになっている。


■聖獣

神性を持つ獣の総称。

聖力を生み出せるため、奇跡を扱う種もいる。人間と聖獣の混血を獣人と呼ぶ。


【登場人物】


■マルタ・アフィラーレ・ラスパーダ

三十九歳の女性で聖界最大の国、グレグランドの十一代目国王。この物語の案内人であり、昔ばなしの主人公。

十七歳の時、故郷の村を魔物の侵攻によって失ってしまう。

何かの罪を悔いているが、その詳細は不明。


■セーラ

マルタの昔ばなしを聞く少女。

二ヶ月ほど前からマルタの家を訪問している。

ルーンの森の泉の精霊アルセイアスが言うには、彼女の存在は想定外らしい。


■アル

セーラの幼馴染。

幼少期にセーラとは離ればなれになり、容姿もかなり変わっている。

セーラは警戒心を持っているようだが。


■レイモンド・ルーク

二十三歳の男性。青髪の長髪を後ろで結っている。

グレグランドを拠点とする商人で護身術の心得がある。ルーカス・ルークという二歳上の兄がいる。

お酒好き。


■フウラ

王都の跡地、地下都市に住む「燈火あかりの精霊」。

身長はマルタより頭半個分ほど高く、地面に届くほど長く伸びた茶色の髪を持つ女性。

その昔、王都が何かに襲われて滅んだ後、地下で逞しく生きる人々の姿に惚れ、地下都市を照らす役割を担っていた。


■アーサー・アスガルド

二十五歳の男性、閃撃の騎士。

黒の短髪をオールバックにしている。

態度から誤解されやすいが、困っている人を見過ごせず、面倒見が良いタイプ。

好きな武器は短剣だが、弓や斧も扱う。


■ミナ・リンネット

白の長髪と緑の瞳が特徴的な二十歳の女性。

魔界と聖界の境界付近の国、コルナ国の奇跡使いで護国の英雄と呼ばれている。

自然から聖力エネルギーを吸収する体質のため使用できるエネルギー量は実質無限であり、かの精霊王オズワルド・ファフテールをもはるかに超える量である。

一方で、奇跡使いとしては二番手に甘んじており、本人は気にしている。

アーサー・アスガルドとは何かしらの因縁があるようだ。

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