Episode 25 妻との再会

【二十三年前、賢人ソフィアの森 滞在七日目】


 その日は雨だった。風こそなかったが、雨粒が森の葉にぶつかる音がばばばと、これでもかと鳴っていた。

 私達はフード付きの外套を着ていて、雨粒の勢いを全身で感じていた。

 レイノルズはアナ・ソフィアの器の正面に跪いて、奇跡を唱え始めた。


「まずは器を完成させる。人体の創造フマエル・クレシオン


 レイノルズの周囲が青く、淡く輝き始め、アナ・ソフィアの肌がくすんだ灰色から薄い肌色へ、黒かった髪は白色に変化した。フウラが云うには、人体創造の奇跡の難易度はそこまで高くはないそうだ。

 レイノルズはアナのシャツのボタンを少し外し、胸元に右手を当てた。


「さあ、次だ。心の臓よ、動き、器に熱を与えよコルシュラーゲ・ダカローレム


 アナの胸元がぽうっと赤く光り、肌越しに透けて見える心臓の影が拍動を始めた。するとフウラが唸りながら、こんなことを云った。


「今のは複合奇跡ですね。三つ、いや四つかもしれません」

「それって難しいの?」

「ええ。奇跡とは、元となる聖力エネルギーは同じですが、個人の感覚や価値観によってその形を変えるものです。故に赤の他人の奇跡を扱うためには、その人をある程度理解しないといけません。稀になんでも出来てしまう天才もいますが」


 たしかに、王都の跡地で大蛇と闘った時に私が使った奇跡、「我が剣をより鋭く、より重くせよアフィラーレ・ベシュベーレン」も二つの奇跡の複合で、それまでは成功した事が無かった。

 気が付くとアナの胸元の光が消えていたが、なんと、彼女は呼吸を始めていたのだ。


「ふう。やっとここ迄来たか」


 レイノルズはそう呟き、立ち上がった。いよいよ、魂を入れる様だった。


「レイノルズ、本当にやるんですね?」


 フウラが最後にと尋ねた。


「もちろんだ。この為の千年間だったのだから」


 彼は両手を正面に伸ばして、奇跡を唱え始めた。


記憶の解析メモリアーゼ指定情報の抽出ダータム・エクスト視点変更・感情機構の構築ヴィデムート・アフェクタ類似環境下における発現形の解析フォルマ・シミリス情報を擬似魂へ変換インフージオ・アニマフィクタ擬似魂の輪郭形成フィグーラ魂の注入・適合インフンデレ・エトアダプト


 凄い詠唱だった。そのどれもが専門性高く、彼以外の誰が扱えるのか、想像もつかなかった。

 彼が詠唱するたびに、彼を取り巻く光の輝きが色を変えていく。擬似魂の輪郭形成フィグーラを唱えると何やらぼんやりと赤く輝く、ジャボン玉のような、いや水の固まりのようなものが彼の正面に現れた。そして、最後の詠唱に合わせて、アナの身体の中にすっと入っていった。

 彼は相当消耗したようで、膝から崩れ落ちた。私たちが「あ!」と彼に駆け寄ろうとすると、それよりも早く誰かが彼を受け止めた。


「レイ、大丈夫ですか!?」


 私はレイノルズから目線を外し、その人を見た。アナだ。先ほどまで木にもたれていたアナ・ソフィアだ。

 彼女は私たちを見て、眉間に皺を寄せ、怪訝な表情をつくった。


「ここは……あなた方はいったい。ん、もしかしてフウラさん?」


 フウラは口に両手を当てて、座り込んでしまった。私が心配してフウラの顔を覗き込むと、彼女は大粒の雫を頬に伝わせていた。これがいったい何に対する涙なのか、当時の私には分からなかった。


「アナ……私が判るか」


 レイノルズが彼女に声をかけた。


「何を云っているんですか?当たり前です」


彼は一言「そうか」と云って気を失ってしまった。


―――――――――――


【二十三年前、賢人ソフィアの森 滞在七日目】


 レイノルズの家に戻った私たちは、彼を二階のベッドに寝かした後、一階でアナと話をした。


「……改めて確認をしますが、本当にアナですか?」


 フウラはまだ信じ切れていない様子だった。


「そう聞くということは、私は死んだということですね。そしてレイが甦らせたと。たしかに記憶に違和感があります」


 彼女は驚くほどに冷静だった。


「……驚きはしないんですか」


 フウラが訊ねると、彼女は笑顔で答えた。


「驚きよりも悲しみ…ですね。私は心から彼を愛しているのに、私は彼の妻では無いということですから」


 優しくも悲しく微笑む彼女に、フウラからそれ以上の言葉は出てこなかった。


「あんたは何で自分が異質な存在だと分かるんだい?」


 レイモンドが尋ねた。


「一人の記憶が無いからです」


 私たちははっとした。


「おそらくですが、レイは自身の記憶を材料に私を創ったのでしょう。故に、私は自分が一人でいる時の記憶を持っていないのです」


 やはり、いかに精巧に身体と魂を再現しても、死んだ当人を復活させることにはならなかったのだ。


「生前、アナは彼に『無くしたもの、壊したものを創ろうとしては駄目です。それが積み重ねてきた出来事は奇跡なのですから、必ず矛盾が生じます』と云っていますね」


 辛いことだと思った。彼女は自分はアナだと、アナ・ソフィアだと思いながらも、本人でないことを理解しているのだ。そして、他人として彼女を語る、自身について語っているのだ。


「さて、彼が起きたらお別れです」


 私たちはその言葉に呆気にとられてしまった。


「え、どうして」

「私の存在は彼の為になりません。創造の精霊は常に、前を、人々の笑顔を見ていなければ」


 そう云って彼女は満面の笑みを浮かべた。

 

―――――――――――


【二十三年前、賢人ソフィアの森 滞在七日目】


 レイノルズが目を覚ましてから、私たちは再びあの木がある丘に来た。雨は止んでいたが、雨雲はまだ頭上に鎮座していた。

 彼は何故またここに、と云いたげな表情だった。


「なあ、アナ。家に戻らないか。私は君とゆっくり話がしたいんだ」

「その必要はないです」


 アナは振り返らず、木に向かい、私たちに背を向けながら答えた。


「どうしてそんなことを云うんだ」


 レイノルズは困惑しているようだった。


「私は貴方の妻、アナ・ソフィアじゃないからです」

「何を……君はどこからみてもアナじゃないか」

「外見だけです。でも、綺麗な時の彼女の姿にしてくれてありがとう」

「……記憶だってあるだろう。さあ、家に戻って一緒にあの頃の話をしよう」

「必要ない、だって貴方の記憶ですから。こんなに沢山ある記憶は全て、貴方のものですから」

「覚えていないことばかりさ」

「いえ、十分過ぎます。こんなにも彼女の事を覚えていてくれてありがとう」

「私は君を愛しているんだ」

「はい、彼女も貴方を愛しています」

「これからも傍にしてくれ」

「彼女はいつも傍にいます。私は必要ない」

「君は…君は…」

「はい、私は彼女ではありません。私は…アナの偽物です」


 レイノルズが後ろから彼女を抱擁した。肩を震わし、鼻を啜る音がした。彼女の肩も震えていた。


「別れなければいけないのか」

「はい、私は偽物ですから」

「偽物なんかじゃない」

「いえ、偽物です」

「偽物なんかじゃ……」

「私を『創って』くれてありがとう」


 彼女は大粒の雫を頬に伝わせながら、こちらを向いた。


「ありがとう、レイ。私を創ってくれて。愛してる」


 そう云って彼女の身体は淡い、綿毛のような光になってしまった。彼女の魂が存在を拒否したのだ。身体もまたそれに従ったのだ。

 レイノルズが光を必死に集めようと、泣きながらもがく姿は、切なく、痛々しく、そして哀しみに溢れていた。


 そんな彼とは裏腹に、雨雲は去り、晴れ間が顔を覗かせていた。


―――――――――――


【用語】


賢人ソフィアの森

サンサント王国の西方に位置する森。

その名には人類最初の賢人の名が使われている。


■奇跡

神、聖なる種族が起こす現象の総称。

精人たちは奇跡を起こすエネルギーを「聖力」と呼ぶが、他国では魔力を使って奇跡を起こすと勘違いされることが多い。

主に聖界、神界で使われ、「民の奇跡」「精霊の奇跡」「神の奇跡」という大きく三つに分類される。


■魔法

神、魔なる種族が起こす現象の総称。

エネルギー源は魔力と呼ばれ、世界に広く認識されている。純粋な人は魔力をつくる事ができないため、魔力を溜め込んだ道具、魔具を用いることで魔法を使える。

主に神界、魔界で使用される。


■魔術

主に人界の魔術師が使用する魔法のこと。

魔術師が使用出来る魔法の数は実際の魔法の種類より少ないが、技術的な研鑽を積むことで起こす現象を変化させ、様々な状況に対応できるようになっている。


【登場人物】


■マルタ・アフィラーレ・ラスパーダ

三十九歳の女性で聖界最大の国、グレグランドの十一代目国王。この物語の案内人であり、昔ばなしの主人公。

十七歳の時、故郷の村を魔物の侵攻によって失ってしまう。

何かの罪を悔いているが、その詳細は不明。


■セーラ

マルタの昔ばなしを聞く少女。

二ヶ月ほど前からマルタの家を訪問している。

ルーンの森の泉の精霊アルセイアスが言うには、彼女の存在は想定外らしい。


■レイモンド・ルーク

二十三歳の男性。青髪の長髪を後ろで結っている。

グレグランドを拠点とする商人で護身術の心得がある。二ルーカス・ルークという歳上の兄がいる。

お酒好き。


■とある存在

聖界に滞在する精霊に制約を課した存在。

他の詳細は不明。


■フウラ

王都の跡地、地下都市に住む「燈火あかりの精霊」。

身長はマルタより頭半個分ほど高く、地面に届くほど長く伸びた茶色の髪を持つ女性。

その昔、王都が何かに襲われて滅んだ後、地下で逞しく生きる人々の姿に惚れ、地下都市を照らす役割を担っていた。


■レイノルズ・ソフィア

ソフィアの森に棲む、創造の精霊。

常に実体化しており、人と同じ様な生活を送っている。

巷では発明家と呼ばれており、機能や実用性ではなく、生み出したもので『如何に人の感情を動かせるのか』を重視している。


■アナ・ソフィア

千数百年前の人物で、当時、「人類最初の賢人」と呼ばれた女性。身体は強く無かったが、活発かつ聡明な人間だとフウラは語る。

魔力や聖力を必要としない、不思議な技術を開発し、賢人として扱われていた。

レイノルズ・ソフィアの妻。


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