Episode 25 妻との再会
【二十三年前、
その日は雨だった。風こそなかったが、雨粒が森の葉にぶつかる音がばばばと、これでもかと鳴っていた。
私達はフード付きの外套を着ていて、雨粒の勢いを全身で感じていた。
レイノルズはアナ・ソフィアの器の正面に跪いて、奇跡を唱え始めた。
「まずは器を完成させる。
レイノルズの周囲が青く、淡く輝き始め、アナ・ソフィアの肌がくすんだ灰色から薄い肌色へ、黒かった髪は白色に変化した。フウラが云うには、人体創造の奇跡の難易度はそこまで高くはないそうだ。
レイノルズはアナのシャツのボタンを少し外し、胸元に右手を当てた。
「さあ、次だ。
アナの胸元がぽうっと赤く光り、肌越しに透けて見える心臓の影が拍動を始めた。するとフウラが唸りながら、こんなことを云った。
「今のは複合奇跡ですね。三つ、いや四つかもしれません」
「それって難しいの?」
「ええ。奇跡とは、元となる
たしかに、王都の跡地で大蛇と闘った時に私が使った奇跡、「
気が付くとアナの胸元の光が消えていたが、なんと、彼女は呼吸を始めていたのだ。
「ふう。やっとここ迄来たか」
レイノルズはそう呟き、立ち上がった。いよいよ、魂を入れる様だった。
「レイノルズ、本当にやるんですね?」
フウラが最後にと尋ねた。
「もちろんだ。この為の千年間だったのだから」
彼は両手を正面に伸ばして、奇跡を唱え始めた。
「
凄い詠唱だった。そのどれもが専門性高く、彼以外の誰が扱えるのか、想像もつかなかった。
彼が詠唱するたびに、彼を取り巻く光の輝きが色を変えていく。
彼は相当消耗したようで、膝から崩れ落ちた。私たちが「あ!」と彼に駆け寄ろうとすると、それよりも早く誰かが彼を受け止めた。
「レイ、大丈夫ですか!?」
私はレイノルズから目線を外し、その人を見た。アナだ。先ほどまで木にもたれていたアナ・ソフィアだ。
彼女は私たちを見て、眉間に皺を寄せ、怪訝な表情をつくった。
「ここは……あなた方はいったい。ん、もしかしてフウラさん?」
フウラは口に両手を当てて、座り込んでしまった。私が心配してフウラの顔を覗き込むと、彼女は大粒の雫を頬に伝わせていた。これがいったい何に対する涙なのか、当時の私には分からなかった。
「アナ……私が判るか」
レイノルズが彼女に声をかけた。
「何を云っているんですか?当たり前です」
彼は一言「そうか」と云って気を失ってしまった。
―――――――――――
【二十三年前、
レイノルズの家に戻った私たちは、彼を二階のベッドに寝かした後、一階でアナと話をした。
「……改めて確認をしますが、本当にアナですか?」
フウラはまだ信じ切れていない様子だった。
「そう聞くということは、私は死んだということですね。そしてレイが甦らせたと。たしかに記憶に違和感があります」
彼女は驚くほどに冷静だった。
「……驚きはしないんですか」
フウラが訊ねると、彼女は笑顔で答えた。
「驚きよりも悲しみ…ですね。私は心から彼を愛しているのに、私は彼の妻では無いということですから」
優しくも悲しく微笑む彼女に、フウラからそれ以上の言葉は出てこなかった。
「あんたは何で自分が異質な存在だと分かるんだい?」
レイモンドが尋ねた。
「一人の記憶が無いからです」
私たちははっとした。
「おそらくですが、レイは自身の記憶を材料に私を創ったのでしょう。故に、私は自分が一人でいる時の記憶を持っていないのです」
やはり、いかに精巧に身体と魂を再現しても、死んだ当人を復活させることにはならなかったのだ。
「生前、アナは彼に『無くしたもの、壊したものを創ろうとしては駄目です。それが積み重ねてきた出来事は奇跡なのですから、必ず矛盾が生じます』と云っていますね」
辛いことだと思った。彼女は自分はアナだと、アナ・ソフィアだと思いながらも、本人でないことを理解しているのだ。そして、他人として彼女を語る、自身について語っているのだ。
「さて、彼が起きたらお別れです」
私たちはその言葉に呆気にとられてしまった。
「え、どうして」
「私の存在は彼の為になりません。創造の精霊は常に、前を、人々の笑顔を見ていなければ」
そう云って彼女は満面の笑みを浮かべた。
―――――――――――
【二十三年前、
レイノルズが目を覚ましてから、私たちは再びあの木がある丘に来た。雨は止んでいたが、雨雲はまだ頭上に鎮座していた。
彼は何故またここに、と云いたげな表情だった。
「なあ、アナ。家に戻らないか。私は君とゆっくり話がしたいんだ」
「その必要はないです」
アナは振り返らず、木に向かい、私たちに背を向けながら答えた。
「どうしてそんなことを云うんだ」
レイノルズは困惑しているようだった。
「私は貴方の妻、アナ・ソフィアじゃないからです」
「何を……君はどこからみてもアナじゃないか」
「外見だけです。でも、綺麗な時の彼女の姿にしてくれてありがとう」
「……記憶だってあるだろう。さあ、家に戻って一緒にあの頃の話をしよう」
「必要ない、だって貴方の記憶ですから。こんなに沢山ある記憶は全て、貴方のものですから」
「覚えていないことばかりさ」
「いえ、十分過ぎます。こんなにも彼女の事を覚えていてくれてありがとう」
「私は君を愛しているんだ」
「はい、彼女も貴方を愛しています」
「これからも傍にしてくれ」
「彼女はいつも傍にいます。私は必要ない」
「君は…君は…」
「はい、私は彼女ではありません。私は…アナの偽物です」
レイノルズが後ろから彼女を抱擁した。肩を震わし、鼻を啜る音がした。彼女の肩も震えていた。
「別れなければいけないのか」
「はい、私は偽物ですから」
「偽物なんかじゃない」
「いえ、偽物です」
「偽物なんかじゃ……」
「私を『創って』くれてありがとう」
彼女は大粒の雫を頬に伝わせながら、こちらを向いた。
「ありがとう、レイ。私を創ってくれて。愛してる」
そう云って彼女の身体は淡い、綿毛のような光になってしまった。彼女の魂が存在を拒否したのだ。身体もまたそれに従ったのだ。
レイノルズが光を必死に集めようと、泣きながらもがく姿は、切なく、痛々しく、そして哀しみに溢れていた。
そんな彼とは裏腹に、雨雲は去り、晴れ間が顔を覗かせていた。
―――――――――――
【用語】
■
サンサント王国の西方に位置する森。
その名には人類最初の賢人の名が使われている。
■奇跡
神、聖なる種族が起こす現象の総称。
精人たちは奇跡を起こすエネルギーを「聖力」と呼ぶが、他国では魔力を使って奇跡を起こすと勘違いされることが多い。
主に聖界、神界で使われ、「民の奇跡」「精霊の奇跡」「神の奇跡」という大きく三つに分類される。
■魔法
神、魔なる種族が起こす現象の総称。
エネルギー源は魔力と呼ばれ、世界に広く認識されている。純粋な人は魔力をつくる事ができないため、魔力を溜め込んだ道具、魔具を用いることで魔法を使える。
主に神界、魔界で使用される。
■魔術
主に人界の魔術師が使用する魔法のこと。
魔術師が使用出来る魔法の数は実際の魔法の種類より少ないが、技術的な研鑽を積むことで起こす現象を変化させ、様々な状況に対応できるようになっている。
【登場人物】
■マルタ・アフィラーレ・ラスパーダ
三十九歳の女性で聖界最大の国、グレグランドの十一代目国王。この物語の案内人であり、昔ばなしの主人公。
十七歳の時、故郷の村を魔物の侵攻によって失ってしまう。
何かの罪を悔いているが、その詳細は不明。
■セーラ
マルタの昔ばなしを聞く少女。
二ヶ月ほど前からマルタの家を訪問している。
ルーンの森の泉の精霊アルセイアスが言うには、彼女の存在は想定外らしい。
■レイモンド・ルーク
二十三歳の男性。青髪の長髪を後ろで結っている。
グレグランドを拠点とする商人で護身術の心得がある。二ルーカス・ルークという歳上の兄がいる。
お酒好き。
■とある存在
聖界に滞在する精霊に制約を課した存在。
他の詳細は不明。
■フウラ
王都の跡地、地下都市に住む「
身長はマルタより頭半個分ほど高く、地面に届くほど長く伸びた茶色の髪を持つ女性。
その昔、王都が何かに襲われて滅んだ後、地下で逞しく生きる人々の姿に惚れ、地下都市を照らす役割を担っていた。
■レイノルズ・ソフィア
ソフィアの森に棲む、創造の精霊。
常に実体化しており、人と同じ様な生活を送っている。
巷では発明家と呼ばれており、機能や実用性ではなく、生み出したもので『如何に人の感情を動かせるのか』を重視している。
■アナ・ソフィア
千数百年前の人物で、当時、「人類最初の賢人」と呼ばれた女性。身体は強く無かったが、活発かつ聡明な人間だとフウラは語る。
魔力や聖力を必要としない、不思議な技術を開発し、賢人として扱われていた。
レイノルズ・ソフィアの妻。
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