人身事故の事情

藤堂こゆ

人身事故の事情

 これは私がずっと小さい頃の記憶です。


 私の母は不安症です。今もそうです。世間の大多数の人にとっては何でもないようなことも、母はひどく怖がります。

 スマホが怖い。車の運転が怖い。インターネットが怖い。――ほかにもいろいろ。

 きっと未知のものを極度に怖がる癖があるのでしょう。


 スマホなど無い時代に戻りたいと言うこともありますし、ひどいときは「消えていなくなりたい」「死にたい」と言うこともあります。

 今は直接行動に出ることは無くなりましたが、昔は「死ぬ」と言って家を飛び出そうとして父に止められるというようなこともありました。

 これからお話しするのはその類いの記憶です。


 何歳のときだったかは覚えていません。どこでの出来事かも覚えていません。

 ただ、幼い私は母と一緒に駅のプラットホームにいました。

 母は何を思ったか、突然「一緒に死のう」と言って、私の手を握ったまま一号車の方へと走り出しました。


 私は最初、何が起きているのかわかりませんでしたが、足をもつれさせながら着いていくうちにわかってきました。

 母は電車に飛び込んで自殺するつもりなのだと。

 それも私を巻き込んで。


 私は恐怖しました。

 幼い私は今よりもずっと死というものに対する考えや理解が無く、「死」はただただひたすらに畏怖の対象でしかなかったのです。

 死ぬなら眠っている間に死にたい、とさえ思っていました。(今は違います。死んでしまうのは残念で怖いことですが、知らぬうちに死んでしまうなんてのはまっぴら御免です。)


 私は当然、精一杯の力で喚きました。そして頑として立ち止まりました。

 ホームの端が遠からぬ所に見えました。

 母がどんな反応をしたかはわかりません。ただ、その手は諦めたように私の手を離れて、母は一人で走り去ってしまいました。


 それからどうしたかわかりませんが、覚えているのは駆けつけた父に連れられて駅の事務所に行ったことです。

 母は狭い事務所の中の椅子に座っていて、連行された囚人のような顔で私たちを見ました。

 それから、私たちは帰りました。


 これで全部です。

 幼児の記憶とは頼りないものですから、もしかしたらこの記憶も夢か想像の産物なのかもしれません。

 でも電車の人身事故のニュースを聞くと、ときどきのです。


 かといってこれが現実だったのか確かめる気にはなれません。

 夢だったとしてもいくらかの現実に基づいたものに違いありませんから、そういった過去を掘り返すのは嫌なのです。

 今でも常々「死にたい」と言っているような人に、とてもこんなことは訊けないのです。

 そう思うと、この「記憶」は胸の中にしまって墓場まで持っていくのが一番いいのでしょう。


 母はいつまで恐怖しているのか。私はいつまでその「恐怖」に怯えるのか。

 母が死ぬまでなのか。それとも母が恐怖を忘れる日が来るのか。

 私にはわかりません。

 でも確かなことは、これは誰にでも起こり得ることだということです。……私にも、あなたにも。


 私は当分死ぬ気はありません。

 それにもし死ぬなら、なるべくひと様に迷惑をかけないような、かつ美しい死に方がいいと思っています。


 交通機関を麻痺させた上に潰れた蛙のような死体を残すなんて、まっぴら御免ですから。


(了)

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