追放された暗殺者、実は殺してなかったターゲット達と事業を始める【序話】

卯月 幾哉

夜明けのプレリュード

 その男に名前はない。


 男は、物心つく頃から暗殺ギルドに属していた。

 一度も任務に失敗しなかったことから、ギルドでのコードネームは「ゼロ」になった。

 潜入任務などでいくつかの偽名を使い分けることがあったが、日常生活を含めて好んで用いたのが「ライ」という偽名だ。彼の仲間の多くは、長く彼をその名で呼ぶことになる。


 よって、以降の文中でも彼をライと呼ぶことにする。


    †


「――俺がクビですか」


 と、ライが言う。

 彼の目の前には、育ての親に等しい暗殺ギルドの長がいる。

 ヴィート・カッショ。名前を教えてもらったことはないが、ライはある情報源・・・・・から彼の名を知っていた。


 ここは暗殺ギルドの隠れ家の中で、彼らのいる部屋はヴィートの執務室だ。


「ああ。お前には悪いと思っている」


 ヴィートは、欠片かけらもそうは思っていなさそうな冷淡な口調でそう言った。

 この男はいつもそうだ。他人に弱みを見せることをよしとしていない。


 ライが正式に暗殺者になってから十年間。

 少ない報酬に不平不満を述べることもなく、組織の手足として忠実に働いてきた。

 その報いがこれ、というのであれば、ライとしても思うところがないではない。


 ジャラリ、と大きな音が鳴った。

 ヴィートが革袋を机上に置いたのだ。中身は硬貨だろう。


「せめてもの餞別せんべつだ。そいつを持ってとっとと消えろ」

「……」


 ライは革袋をつかみ取ると、執務室を退出した。

 その足で、住み慣れたギルドの隠れ家からも出て行った。



 ライが去った後、ヴィートはパチンと指を鳴らす。

 直後、一人の暗殺者がどこからか音もなく現れた。


「スティル、命令だ。ナンバー2からナンバー15までのメンバーと全員で、ゼロを殺せ」


 コードネーム「スティル」。暗殺ギルドの中で、ライに次ぐ実力を持つ暗殺者だ。


「……別に、あんなやつ俺一人でも……」


 実績はともかく、実力では負けていない。スティルはそう思っていた。しかし、――


「俺は命令だと言ったぞ」

「……了解」


 スティルは、現れたときと同じように音もなく姿を消す。


「悪いな、ゼロ」


 誰もいなくなった執務室で、ヴィートはゆっくりと椅子に背を預けた。


(……ゼロは優秀すぎる。あいつをこのままのさばらせておいたら、早晩、俺の立場も危うくなりかねない)


 そのような理由で、ヴィートはライの処分を決めた。



 ……部屋の片隅では、一匹のネズミが巣穴から首を出していた。



    †



「……来たか」


 町を出てしばらく進んだところで、ライは追手の存在に気づいた。


「……うん? あと十四人もいるのか。ナンバーズ総出とは、手厚い送別会だな」


 ライが感知できる範囲にはまだ一人しかいなかったが、ある存在・・・・が彼に他の追手の存在も教えてくれた。


 ナンバーズ。暗殺ギルドでライを除く上位十五名の実力者集団だ。よく順番が入れ替わるので、ライは誰が何番なのかよく覚えていなかった。


 とはいえ、先行して来た一人については、ライにとっても付き合いの長い人物だった。

 コードネーム「スティル」。ナンバーズのトップの男で、歳はライより十ほど上。ライが成長する前は、ギルドでナンバー1の暗殺者だった。

 〈無音サイレンス〉というギフトを持つ男だが、そのギフトは発する音を消せるだけで、姿や気配、匂いまで隠匿いんとくできるものではない。ギフトに胡座あぐらをかかず、隠形おんぎょうに専心していればより優れた暗殺者になっただろう――ライはそう思ったことはあるが、本人に指摘したことはない。


 ここで「ギフト」というのは、この世界で十人に一人が生まれながらにして神から授かるとされる、何らかの特殊能力のことだ。


 スティルは、ライの背後からナイフを投げてきた。ライはそれを見もせずにかわす。

 接近して切りかかってきたスティルに対し、ライはナイフを持った手首を掴んで勢いのまま放り投げる。


「チッ……!」


 スティルは宙返りをして着地を決め、ライから距離を取った。


「……親父の差し金か?」


 答えはわかっていたが、一応、ライは質問した。

 「親父」とは、暗殺ギルドの長であるヴィートのことだ。ギルドの養成施設で育ったライは、昔から彼をそう呼んでいた。


 スティルはライの問いを鼻で笑う。


「……ハンッ! おめでたいやつだな。まさか、何事もなく組織を抜けられるとでも思ってたのかよ」


 スティルの返事は直接的な回答にはなっていなかったが、ライにとってはそこまで聞ければ十分と言えた。


「そうか……。引く気はない、と思っていいな?」

「たりめーだ。……前々から、てめぇのことは気に入らなかったんだ! ナンバー2以下の連中なんざ必要ねぇ。てめぇはこの俺の手で……ッッ!?」


 スティルの声が不意に途切れる。


「……カッ……! ……ハッ……!?」


 スティルは背をのけぞらせた。両手で喉を抑え、苦悶くもんの声を漏らす。手に握っていたナイフは足元に転がった。

 見れば、その首には一本のピアノ線が巻き付いていた。ピアノ線の先はスティルの背後の立木に繋がっている。


「――奇遇だな」


 グローブを着けた手でピアノ線を引きながら、ライが言う。スキルでもなんでもない。純粋な暗殺技術だ。


「俺も前々から、貴様とは趣味が合わないと思っていた」


 ライは力加減を調整し、少しだけ締めつけを緩める。スティルの意識を奪わず、なるべく長く苦しめるための加減だ。


「……ガ……ハッ……! ……グフッ……!」


 スティルは前後からピアノ線に引っ張られ、その場から一歩も動くことができなかった。予備のナイフを取り出しピアノ線を切ろうとしたが、その手にライが投げたナイフが突き刺さった。


「絞殺が好みだったな」


 淡々とライが言葉を紡ぐ。

 まるで、死刑台におもむく囚人の罪科を並べるがごとく。


「標的を長く苦しませ、その様子を見てたのしんでいた」


(それの何が悪い……ッ!)


 スティルはパクパクと口を動かし、声にならない言葉を発しようとした。

 ライはその唇の動きを読んで、彼が何を言おうとしていたか理解した。


「別に悪くはないさ。お前は仕事をしただけだ。やり方はお前好みでいい」


(だったら、なんで……!)


「別に、俺の勝手だろう? お前をどうやって殺そうが。俺はただ、降りかかる火の粉を払っただけさ」


 スティルは白目をき、涙とよだれを垂れ流す。


「――あぁ、標的と無関係なやつらもよく殺してたな。お前」


 ライはたっぷりと彼を苦しませ、最後にピアノ線を強い力で引き絞った。



 ややあって、その場に一人の女が現れ、ライにかしずくように寄り添う。

 灰色のローブで全身を覆い隠してはいるが、琥珀色の瞳をした金髪の美女だ。


 彼女はスティルの死体を見て息を飲んだ。


「――殺しもなさるのですね」


 彼女の今の名はルチア。かつて、ライの標的だった女だ。

 ルチアは今日このときまで、ライが殺人を忌避きひしているわけではないということを知らなかった。彼女が知る限り、ライは標的を生きたまま逃がし続けていたからだ。


 ライは、彼女のその問いに肩をすくめた。


「俺は別に、殺人コロシを否定しているわけじゃない。ただ、無駄な殺しが嫌いってだけだ」

「お見逸みそれしました」


 ルチアは頭を下げ、ライに対する認識を改めた。

 ライに最大限の礼を尽くす彼女は、「自分の主はこの御方」と心に決めていた。


「追手はバジリオとアニータが対処しております。……よろしかったでしょうか?」


 ライはルチアの言葉を聞いて、ぴくりと片眉を動かす。――道理で、ナンバーズの残り十四名がいつまで経っても近づいて来ないわけだ。


「……あまり、死人が目立つ動きをするもんじゃないがな」


 ライは苦言めいたことを言った。

 ルチアがいま名前を挙げた二人も、かつてライの標的とされ、表向きは死んだとされながら生きながらえた者たちだ。


「二人とも、居ても立ってもいられなかったようで……」


 ルチアは、ややばつが悪そうな顔で言い訳をした。


「……」


 そもそもライには彼女らの働きを非難する意図はなかったが、えてフォローはしなかった。


 バジリオは対集団の足止めに長け、アニータは敵の無力化に向いたスキルを持っている。多数のナンバーズを相手取るにあたって、適任ではあるだろう。


 ライは小さく嘆息たんそくし、ルチアに問う。


「――親父を殺したな?」


 ルチアはそれを聞くや否や、雷に打たれたかのように勢いよく地にひざまずき、平伏する。


 ライの懐には一匹のネズミがいた。

 〈鼠王ラット・キング〉――ライの持つスキルの一つによって、彼はネズミを使役し、彼らから情報を得ることができる。


「勝手な真似をして申し訳ありません! しかし、あの愚物ぐぶつの所業は許し難く……!」


 ルチアにとって、敬愛するライをギルドから追い出し、あまつさえ始末しようとしたヴィートの行いはとても看過できないものだった。

 〈鼠の友ラット・フレンド〉のスキルを持つ彼女は、ライのネズミたちから情報を傍受することができた。それを利用して仲間たちに情報を共有しつつ、彼女自らヴィートを手にかけた。


 そんな彼女に対して、ライはかがみ込んでそっとその肩に手を置く。


「気にしなくていい。遅かれ早かれ、そうなっていただろう」


 暗殺ギルドが殺すと決めた相手を逃がすことはない。――ライのように、死を偽装でもしない限り。


 ルチアは、ライの許しを得られたことで歓喜に身を震わせて顔を上げる。


「ある意味、ちょうど良かった。親父が生きていたら、俺があっさり死んだなんて簡単には信じないだろうからな」


 そう言ってライは、手を自らの顔にかざす。再び手をけると、そこには先ほどとは全く違う顔立ちの青年が立っていた。


 このとき既に、ライはスティルの死体と衣服を交換し終えていた。


「……ああ、そうだ。他の連中が暴走しないように、上手いこと言っておいてくれるか?」

「ハッ!」


 ルチアは再び頭を下げて、ライの頼みを快諾する。


 ライのギフト〈神贋戯曲ディバイン・アート〉によって、スティルの死体は先刻までのライそっくりの見た目に変化していた。

 これを見れば、誰もライの死を疑うことはないだろう。


 ルチアはその死体を見て眉をしかめる。まるでライが死んだかのようで、気分が悪いのだ。

 確かに、他の仲間たちにもしっかり情報を共有しておかないと、彼彼女らが何をしでかすか、ルチアでさえもわからなかった。仲間の内には、ルチア以上にライを熱烈に信奉する者もいるのだから。


 ルチアは彼女の能力ギフトを用いて、仲間に通達を行った。



 〈鼠王ラット・キング〉と〈神贋戯曲ディバイン・アート〉。この二つの能力は、ライにとって特に重要な役割を果たしてきた。

 暗殺任務をけ負ったライは、〈鼠王〉で標的の情報をつぶさに調べることにしていた。初めは失敗を避けるためだったが、いつの間にか殺すか否かを選別するための情報源という意味合いの方が強くなっていた。それほどまでに、身勝手な理由で目障りな人物を排除しようという依頼主がおおかった。

 〈神贋戯曲〉を用いれば、死体をでっち上げるのも、標的の容姿を変えるのも容易だった。



「――これから、どうされるのですか?」


 ルチアの問いに対し、ライはニヤリと笑みを浮かべる。


「何も考えてない」


 常に用意周到だと思っていたライのそんな能天気な答えに、ルチアは意表を突かれて噴き出してしまう。


「これで俺も死人の仲間入りだ。死人同士、ひとつギルドでもおこしてみるか?」


 ライの冗談めかしたアイディアを聞き、ルチアは花が開いたような笑顔を見せる。


「それは素晴らしい考えですわ!」


 ライは苦笑し、頭の後ろをポリポリと掻く。

 思いつきを言ってみただけで、まだ具体的な案は何一つなかった。


「……ま、追々な」


 ライが当て所なく歩き出すと、一歩後ろからルチアがそれに続く。


 この十年間でライの標的とされ、そのライの手引きで命を拾った人間は、近隣諸国を含めて百人以上いる。

 みな、ライのためなら死んでもいいと思っているような連中だ。


 これから彼らは、ライが思いつきで始めたギルドでの事業をきっかけとして、各国に大きな影響を及ぼす存在になっていく。


 ただし、その激動の中心にいるのがどんな人物なのか――。

 それを世間が知ることはない。



(了)

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