septet 07b 脱出/煌めく花弁-羽-
palomino4th
septet 07b 脱出/煌めく花弁
セメント造りの高い塔、放棄された灯台のある孤島に彼は投獄されていた。
身に覚えのない殺人事件の容疑者に仕立て上げられ、精神鑑定にかけられ閉鎖病棟に入れられた。
そこで起きた緊急事態のために病院が閉鎖、収容されていた患者らは転院させられたそうだが、彼は特殊な事情のためにこの病院とは異なる場所に連れてこられた。
そこには自分と同じ顔の患者が他に2人おり、中でも1人が病棟から消失したらしい、という噂を聞いていたが彼は眉唾モノだと思っていた。
それが関係してるのか、果たしてどういう判断でこの時代錯誤の島流しが行われたのか分からないが、彼の方は大体察しをつけてある。
つまり現実の彼の肉体はもう少し味気ない施設の室内におり、三食運ばれる給食の時に彼はそちらに引き戻されるわけだが、その時に添えられた色鮮やかなカプセルにきっと秘密がある。
この閉鎖病棟での投薬のおかげか、穏やかで怒りのない心になったものなのか平和そのものな世界にいることができた。
まるでこれまでの自分は凶暴な野獣で、それが鋭く頑丈な角を切り落とされて気性そのものが大人しくされたような心持ちだった。
妄想の中でこの牧歌的でもある孤島に寝起きしている、というところである。
風のそよぐ島を歩きながらあくびの出るほど退屈な平和を満喫した。
もっと精力的に空想を駆使すれば、この島に変化のある刺激的なものを置くことができたかもしれないのだけどぼんやりとした今の頭は思い描くのも億劫だし、そもそも欲望も抑えられている。
ここに来る前、病棟で老いた医師に見せられた手紙を思い出してみる。
「みすず」という心当たりのない差出人から、「B1013」(彼の名前だ)という宛名への封書にはこんな書き出しの便箋が入っていた。
『こんにちは。貴方とは面識がありませんが、貴方の方は私の名前に心当たりがあるかもしれません。もうじき貴方を閉じ込める壁の中からの脱出が行われるかと思いますが……』
ところが今の彼は閉鎖病棟よりもさらに押し込められた離島に1人閉じ込められている。
なにより脱出の意志もないのだ。
誰だか知らないが目論みは外れたな、と彼は思った。
何の特徴も名前すらも無いどこにでもいる取るにたらないただの人間、それが自分だった。
投薬のもたらす平穏な離島の時間の中で、彼は島流しのことを考えていた。
日本歴史上の島流しで頭に浮かんだのは
この島流しからは藤原成経・平康頼の二人が赦免され戻ることができたが、首謀者扱いの俊寛だけはそのまま島に残された。
『平家物語』や歌舞伎にも語られ、島に置き去りにされ片腕を伸ばす無念極まるその姿は絵にも描かれている。
三人の内、一人、島にいる自分は俊寛なのかとも考えたが彼の中にはやはり投薬のおかげか俊寛の悲痛や絶望は無かった。
帰りたい場所も思い出せなくなっていた。
現実界の食事、給食では自傷行為を防ぐために食器やカトラリー類は、極力柔らかく凶器になりにくいものが選ばれ回収もしっかりされていた。
その中で、彼はたまにある食パンの日に付いてきた個包装のスプレッド類を使わずに隠しておくことを考えて実行してみた。
定時の食事とは別に口寂しい時にこっそりと食べてみようかなどと思いついて使わずにいたものだった。
回収時にゴミとして戻っていないことに気づかれてるかどうかは分からなかったが、ひとまず時間外のつまみ食いの背徳感を味わう楽しみができた。
日持ちのしなさそうなものから口にする中、保存期間の長そうな蜂蜜のチューブはそのまま残った。
空想の島の灯台に上り、そこから島を囲む海原を見回した。
煌めいた海面は美しく、流刑の悲惨さの感じられない優雅さだけがそこにある。
ガラスも破れて風の通るままの灯篭の中を歩いていると海鳥の羽が落ちているのに気づいた。
意識すると、それで現れたかのように、周囲には白い羽が床に散乱している。
軸ごと抜け落ちている
彼は正羽と羽毛をかき集めて貯めてみた。
廃墟の灯台に入ってくる海鳥たちの数は無数で落としていく羽の量も膨大だった。
ギリシア神話の工匠ダイダロスはミノス王によってクレタに囲われていたが、息子のイカロスと共に、王の元から脱けることを選んだ。
王は陸路も海路も封じていたが、空路だけは封じられずにいた。
ダイダロスはかき集めた羽を並べ、正羽を紐、羽毛を
独房の彼は給食の食器類を戻した後、隠し持っているスプレッド類を確かめた。
ため込んだままの蜂蜜のチューブを並べると、かなりの数が揃っていた。
これを……夢想の島にも持ち込めるか。
夢想の島の灯台、その灯篭に上った彼はまず羽を巨大な鳥が開いた両翼を描くように床に並べた。
それから正羽の軸を紐で結び、そこから翼の骨格に近いところに羽毛を重ねて蜂蜜を接着剤にして貼り付けていった。
夢想の島に嫌気が差していたわけでは無い。
それは現実界の独房も同じだった。
自由を奪われ諦めたはずが、自分に羽があるのかもしれないと思うとただ無闇に海へと羽ばたきたくなったのだ。
彼は黙々と両翼を作り上げていった。
イカロスは上昇し過ぎて太陽に蜜蝋を溶かされて墜落した。
ダイダロスは太陽からの熱と海水からの湿気を避け高度を守り、外の陸地までの飛行を成功させた。
高過ぎず低過ぎず。
高度が重要なのだ。
やがて出来上がった贋物の翼を彼は両腕に付けた。
両腕を広げながら踊るように回転すると、吹き込む風の抵抗感が彼の身体に伝わってきた。
灯台を下りた彼は歩いて見当をつけていた崖に向かった。
切り立った崖の端で海から吹く風を確かめた。
そこから後退し、改めて前を見据えてから全力で駆け出した。
崖の端をから飛び出しながら両腕の翼を大きく広げた。
強い風が吹き付け翼に当たったが、脆い骨格は風の強さを受け止めきれずにすぐに折れ、彼は滑空することなくそのまま崖下の海の中に転落した。
彼は心の中でこの失敗、こうなることを知っていたのだ。
多分、彼から様々なものを遠ざけた者たちに対する叛逆として、避けられないこの失敗——「脱出の失敗」そのものが行われたのだった。
何の後悔もなく、彼は海に沈んで行った。
水の中、深い闇に沈んでゆきながら彼は海面を見上げた。
水に分解された翼の羽が断片になり光に照らされて輝いている。
それは水面に落ちた薔薇の花弁だった。
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