結界聖女はおねむが大好き。あなたのことはもっと好き。

陸奥こはる

おねむが大好き。

 ”結界の聖女”こと私は、一日の大半を睡眠に費やしていました。決してサボっているのではなく、強い結界を国中に張り巡らせる為に沢山の力を使い、睡眠で魔力を補充し続けなければいけないからです。

 まぁ眠るのが元から好きであったので、願ったり叶ったりではありましたが……。


 そんなある日のこと。

 かつて私に結界を張って欲しいと頼んだ王様が、大勢の臣下や神官を連れてやってきました。


「……結界の聖女よ、お主が幾年と眠っている間に国はとても大きくなった。もうどこからも攻められることも無い。魔物も減った。お主は必要が無くなった」

「そうなのですか……?」

「そうだ。ゆえに、お主にはここから立ち退いて貰うことになった。拒否するのであれば実力行使にて排除いたす」


 もうお役御免だから出ていけ、と言われました。

 多くの臣下や神官を連れてきたのは、私の”結界”の強さを知っているからこそ、万が一にも争いになった時に実力行使に出るつもりであったから、のようです。


 思うところはありますが……しかし、もう求められていないのであれば、それに対してどうこうと反応するのも疲れるだけです。

 私は抵抗をすることもなく頷きました。すると、王さまたちは警戒をすぐに解いて、「ならばよし」と踵を返しました。


 私は自分の持ち物など何も持ってはおりませんでしたので、特別に支度に時間を要さなかったこともあり、その日のうちに出て行くことにしました。

 長い間を共にした寝室を去るのは若干の名残惜しさがありましたが、こればかりは致し方がありません。


「……どこに行こうかしら」


 ごしごしと眠気眼を擦りながら、ドレスの裾を引きずって街を歩いていると、お腹が鳴りました。

 困りました。

 世間のことなんてよく分からなくて、聖女の頃は、僅かに起きている時間にすぐに料理が運ばれてきたのですが……しかし、これからはそうはいきません。

 仕方が無いので、私は街の外に出ると森の中に入り、食べ物を探すことにしました。


 しばらくして、小さなドングリが沢山ある場所を見つけましたので、拾ってぽりぽりと食みました。

 見渡せば大きな果物も実ってはいますが、背が高い木々の先についているものばかりで、背の低い私では取ることが出来ません。


 たまにリスがやって来るので、ドングリを分け与えたりしながら、気が付けばお腹がいっぱいになりました。

 すると、今度は眠気がやってきました。

 私は柔らかそうな綿花が密集している場所を見つけ、そこっと横になって、すやすやと寝息を立てました。


 どのくらい眠っていたかは定かではありませんが……目を覚ますと、私を囲むようにして、森の動物たちが集まって静かに寝息を立てていました。

 私は眠りながらいつもの癖で結界を張っていましたが、そのせいで集まってしまったようです。 

 動物たちはとても危険には敏感で、だから、私の近くにいればとても安全だと本能で理解して寄ってきたようです。


 私がぼうっとしていると、先ほどドングリを分け与えたリスがやってきて、どこで見つけたのか私に小さな苺をくれました。

 私はリスにお礼を言って苺を頬張ってから、それからまた眠りました。





 ――数カ月が経ちました。

 私は今までと変わりなく眠り続け、その間に変化があったのは私ではなくて周囲でした。


 張った丸い形の結界を覆うように茨が伸びて来て、いつの間にか、私は茨の園の中に座していました。

 覆った茨の先に咲いた薔薇から香りが漂っていました。

 綿花のふわふわと相まって、なんだかいつも以上に心地よくて、私は大好きお眠がもっともっと大好きになりました。


 もっとも、その一方で、日の光が少し遮られることも増えたのが残念ではありましたが……。

 ぽかぽか陽気も睡眠には大切な要素ですが、私は剪定など出来ませんので、こればかりは諦めるしかないのかも知れません――と、そう思っていたのですが、翌朝に私が目を覚ますと、綺麗に窓のような形に茨が切り取られていて、お日さまの光が入ってくるようになっていました。


 何が起きたのでしょうか?

 怪訝に首を傾げていると、大きなハサミを持ったもふもふな熊さんが現れました。どうやら、熊さんが私の為に茨を切ってくれたようです。


「ありがとう」


 私がそう言うと、熊さんはにっこり笑って、ずいっと頭を近づけて来ました。

 これは撫でて欲しいという仕草です。

 よしよし、よしよしと撫でてあげると、熊さんは満足したようでスキップして森の方へと向かいました。

 私はそれを見届けてから、ばふっと横になりました。お眠です。





 永い時が経ちました。

 私の結界を覆う茨は増え続けて、けれどもその都度ごとにもふもふ達が手入れをしてくれたお陰で、気が付くと茨の街と城が出来上がりつつありました。

 そして、私の結界の魔力を吸収して普通の植物では無くなってきたのか、冬になっても薔薇が枯れなくなりました。


 まるで、絵本の中に出て来る森の都のような光景を見ながら、私はゆっくりと瞼を閉じました。

 周囲は少しずつ変わっているけれど、私はいつもと変わりません。

 睡眠に興じる日々の過ごし方はもちろんのこと、老化に対して結界を張って加齢を弾いていることもあり、見た目も10代も半ばのままです。


 普通に老いて死んでいくことを悪いことだとは思っていませんが、しかし、私は今はまだ老衰に至ることを受け入れる気にはなりませんでした。


「お食事が出来ました」

「ありがとう」


 そういえば、もふもふ達の様子が少し前からおかしくなりました。

 なぜか亜人になっていました。

 もふもふになって欲しいと言えば元の姿に戻ってはくれますが、どうしてまたそういう体に――いえ、私はその答えを理解していました。


 結界の影響、です。


 今なお拡大を続ける茨が私の結界の影響を受けているように、もふもふ達もその在り様を変えたのです。

 私がこの力を某国の為に使っていた時は、魔力が変な影響を与えないようにと神官や魔術師が防衛策を取っていたのだと思います。


 ですが、ここでは対策も無く垂れ流しですから、どうしても影響が出るわけです。もふもふ達が病気になったりするわけでは無かったので、そこまで深く考えずにいたのですが……。


「時に女王陛下」


 もふもふ達が私のことを女王陛下と呼ぶようになりましたが、なんだか恥ずかしくて悶えそうになってしまいます。

 だって、食べては寝ての繰り返しで、どこも女王らしくなんて無いのだから。


 しかし、すっかり定着してしまった呼び方ですから、今更修正するのも億劫なので放置することにしていました。


「……お耳に入れて頂きたい情報がございます。人間の国が一つ滅んだようです」


 それは少しだけ気になる話題であったので、詳しく聞きました。私がかつていた某国が自滅して無くなった、という内容でした。

 虚しくなりました。かつて某国の平和の為に力を貸したことが、それら全てが無駄であったのだと、そう言われたような気がしたからです。


「女王陛下……泣いておられるのですか?」

「そうね。とても悲しいわ。せめて、無辜の民が無事であってくれると良いのですが」

「そのご心配は必要ないかと思います。国の不穏を感じ取った段階で、多くの民は別の国へと向かわれたようです」


 大部分の人達は上手く逃げおおせたと聞き、私の心は軽くなりました。

 けれども、今すぐに拭い去ることが出来そうにもない沈んだ気持ちが、どうにも燻り続けてもいます。


 こういう時にどうするべきか、私はそれを経験で知っていました。

 寝れば良いのです。

 瞑った瞼の隙間から一滴の涙が流れて、それは私の頬の下にある薔薇へと落ちて華を僅かに揺らし、柔らかい香りが舞いました。

 鼻先をくすぐる安らぎの香りのお陰で、私は思っていたよりも早く、まどろみの中へと落ちることが出来ました。





 茨が造り上げた城と街が広がり続けた結果、いつしかこの場所のことを人間が”人ならざる者の楽園”と呼ぶようになっていました。

 亜人はもちろんのこと、少しずつ妖精たちも住まい始め、私への女王陛下という敬称に合わせるかのように一つの国が出来てしまったのです。


 そんな時でした。

 一人の人間の青年が私に会いにやってきた、という報告を受けました。どうするかをもふもふ達に訊かれ、私は何の気なしに、本当にそれは気まぐれに「話をしてみようかと思います」と言いました。


 瞼をゴシゴシとこすりながら会いに行くと、使い古された背嚢を背負い、片眼鏡を掛けた青年がいました。

 青年は片眼鏡をくいと掛け直してから、興味深そうに眼を輝かせて、私を見つめました。


「妖精の女王……本当にいるなんて思ってもみなかった……」

「私に何かご用ですか?」

「えーと……あの……用があると言いますかなんと言うか……」

「……?」

「一目見てみたくて」

「茨で出来た街並みや城をですか?」

「それもありますが、その、一番はあなたです。想像していた通りに綺麗です」

「は、はぁ……そう……ですか。ありがとうございます」


 私の力を借りたいが為に機嫌を取る為にやって来たとか、そういう器用なことが出来る人物には見えませんでした。

 言葉通りの目的であることが雰囲気から分かります。異なことを考える人もいるのものですね、と私は思いました。


 ただ、そう思うと同時に綺麗という言葉に裏も無いとなると私も少し照れてしまいまして、ついつい視線を逸らしました。


「そ、それで、あなたは何者なのですか?」

「僕は学者なんです」

「学者……?」

「はい。ですから、出来ればここへの滞在の許可を頂きたいなと。人間は足を踏み入れない場所ですから、どうなっているのか気にはなっていたんです。……無理なら無理でも構いません。一番の目的であるあなたの姿が見れましたので、それだけでも満足です」


 青年は屈託無く笑うと、すぐにでも踵を返せるようにと背嚢を背負い直しました。

 私は少し考えました。


「……」


 ちらり、と伏し目に青年を窺うと、にこっと笑顔を見せてくれました。どこか幼さも残した容姿であった青年は、その真っすぐで裏表の無いようなところも相まって、妙な愛嬌がありました。


「……く、くるものは拒みません。ですが、万が一にも何か悪いことをしたら、すぐに追い出します」


 少しどもりながら私がそう答えを出すと、青年は嬉しそうに笑いました。

 その表情を見て――どきり――と私の胸が高鳴りました。

 不思議な感覚です。

 よく分からないのですが、なんだか落ち着きが無くなり、気づいたら私は弧を描くようにウロウロしていました。


「許可を出して頂いてありがとうございます。ところで……何かお悩みごとでしょうか? 急にうろつき出されてどうされましたか?」

「な、なんでもありません。は、早くこの城から出て行って下さい。調査なら城外でも出来るハズです」


 こういう時は寝るのが一番です。

 私は青年を突き放すようにして城から出るように促すと、そのまま綿花のベッドに潜り込み、ぎゅっと目を瞑りました。


 ですが、上がり始めた体温と早まる自らの呼吸のせいで、なかなか寝付けませんでした。

 私が夢の世界に行くことが出来たのは、小一時間も先のことです。

 後に振り返ってみれば、今日と言う日こそが、私の中でとある感情の萌芽が産まれた日であったのだなと、そう思います。





 青年が滞在を始めてから――半年ほどが経ちました。

 学者と言うだけあって青年は好奇心が強く、物怖じせずにもふもふ達との交流を深めていったようで、この茨の園で彼を厭うような者も現れませんでした。


「もふもふもふもふ~」

「わぅ!」


 窓の外を眺めると、わんわんのもふもふに顔を埋め、ぐりぐりと顔を押し付けている青年が見えました。

 青年の裏表の無さが、もふもふ達の警戒心を取り払ったのだということが、とてもよく伝わってきます。


「……」


 無言のまま一部始終を見つめていると、青年が私の視線に気づき、こちらを見て手を振って来ました。


「女王陛下、今から果物を取りに行こうと思っているんですが、良かったら一緒にどうですか~?」


 青年がお出かけのお誘いをしてくれましたが、こういったことは今回が初めてではありませんでした。

 今までにも、ちょくちょく声をかけてくれていました。


 ですが、私はその全てにお断りをお伝えしています。

 お気持ちあっての提案なのは分かるのですが、私はお出かけよりも、やはり眠っている方が好きだからです。


 それに……青年の近くにいると、浮ついたような変な感覚を覚えるものであったので、それが怖かったというのもありました。

 ですから、今回も丁重にお断りしたのですが――すると、青年が今までにないくらいに寂しそうに俯きました。


「……残念だなぁ」


 青年がここまでの落胆を見せたのは初めてで、少し大げさでした。これでは私が酷いことをしたように見えてしまい、それは本意ではありません。

 私は「うぅ……」とか「あぅ……」とか呻きながら悩んで、それから、今回ばかりはと青年に付き合うことに決めました。


「ま、まぁその、今日は天気も良い日ですから、やはり私も外に出てみようかなと思わないでもありません」

「え……?」

「気が変わったのです。また私の気が変わらないうちに、早く案内してください。果物を取りに行くのでしょう?」


 私がそう言うと、青年は太陽のような明るい笑顔になり――きゅっ――と胸が締め付けられるような、そんな感覚に私は襲われました。

 落ちたら這い上がれない谷の淵に立たされているような、底なし沼の水面につま先をつけてしまったような、恐怖にも近いような感覚でした。


 ですが、私はそうした心境から脅える一方で、不思議な期待も抱きました。

 落ちた谷底にはふわふわのベッドがあるかも知れないし、嵌った沼は実は蜂蜜で満たされた沼かも知れないと、そう思えてならないのです。


 私は本当にどうしてしまったのでしょうか……? 永き時を寝て過ごしているうちに、おかしくなってしまったのかも知れません。


「お足元にお気をつけください。……手を」


 ただの水たまりを前にして、青年は手を差し出して来ました。

 少し横に逸れれば避けられる程度であるのに、手を繋ぐ意味などありましょうか?

 分かりません。

 全くもって分かりません。

 ただ確かであるのは、私はおずおずとしながらも、結局はその手を握ったということです。


「……小さくて可愛いらしい手ですね」


 ――可愛い。

 ただ単に手をそう言われただけのことですし、青年にとっては何気ない一言なのかも知れませんが、私はみるみるうちに顔を真っ赤に染め上げました。


 嬉しい、と思いました。

 可愛いなんて言われたことが無かったものですから、例えそれが手のことであっても、満たされていくような安心感が沸き上がったのです。


 でも、素直にそれを伝えるのは恥ずかしくもあり、ついつい口から出て来たのは気持ちとは正反対の言葉でした。


「いきなりそんなことを言うのは、し、失礼ですよ。……気持ち悪いです」

「す、すみません」

「……次からはそういったことは言わないようにして下さい」


 一度は繋がった手を振り解く私の本音は、”また言われたい”であり、”今度は手だけではなくて、私の全てに対して可愛いと言って欲しい”とさえ思いました。

 ですが、同時にこの想いは途轍も無くはしたないようにも感じていて、それゆえに私は必死に隠しました。


 複雑な私のこの気持ちに青年が気づいてくれると良いな、等と都合の良いことを考えながら、私は離してしまった彼の手を寂しい気持ちで見つめました。

 このあと青年が果物を取ってくれて、一緒に食べましたが、味がよくわかりませんでした。


「わふぅ……」


 救いになったのはもふもふたちでした。

 慰めてくれるかのように、私の傍からはなれることなく、ずっと寄り添ってくれました。


 もふもふを抱きしめる私の目の端から、一粒の涙が流れました。

 自分がどういった感情に揺さぶられて泣いているのか気づくことが出来ず、私は困惑しました。

 山の天気のように変わる自分自身の心の理由をようやく理解したのは、さらに半年が過ぎた頃でした。





 さて、私は青年の手を振り解いた日を皮切りに――不眠症に陥りました。もふもふ達が、心配そうに私の様子を見にきてくれますが、ハッキリ言って大丈夫ではありません。


「じょ、女王陛下……ここしばらくの間、睡眠を取らずにいるようですが、体調は大丈夫なのですか?」


 私が眠るのは、それが好きであったからというのも大きいですが、それと同じくらいに結界を張る為の魔力を取り入れる為でもあります。

 余剰分を溜めていたこともあり、ひとまずは持ちましたが、そろそろ限界が近づいていました。


「……あの青年のことですか?」


 私がこうなった原因が青年だというのは、いつの間にか広まっており、ほぼ全てのもふもふが知るところになっています。

 それゆえに、すぐに答え合わせをしてきました。


「……気になるのでしたら、お呼びしましょうか?」


 会いたくないと言えばウソになりますが、その反面会うに会えない心境でした。

 あの時に些か可愛げのない態度を取ったことが尾を引き、それが棘のように私の心の中に刺さり、あの日を境に青年を露骨に避けるようになっていたからです。


 偶然に目が合えば会釈をする程度で、青年が何かを言いかけようとしても待たず、私は背中を見せました。

 青年も私のことを今ではもう快くは思っていないでしょうに、今更会って何を話せと言うのでしょうか?


「別に……会わずとも……良い……のです。そのような気遣いは無用……で……」


 と、そこまで言ったところで、私はバタンと倒れてしまいました。

 いよいよ限界がきてしまったようです。

 あまり他人には聞かせられないような「う゛う゛ぅ……」という呻き声を漏らしながら、私の意識はまどろみの中に落ちていきました。


「――女王陛下⁉」

「――医者を呼べ!」


 頭の中がぐるぐるぐるぐるぐるぐると回って、もう何も考えられません。





 一体どれだけの間眠っていたのか分かりませんが、誰かに手を握られていることに気づき、私は目を覚ましました。

 空いている方の手で隈を拭うように目元を擦りつつ、ゆっくりと顔を上げると、そこには青年がいました。


「えっと……」

「起きましたか?」

「……どうしてあなたがここに?」

「もふもふたちに呼ばれたんです。女王陛下の傍にいてあげて欲しい、と」


 余計な気遣いは必要が無いと言ったのに、あのもふもふ達は随分と勝手なことをしてくれたようですが……しかし、私は苛立ったりはしませんでした。


 意地を張っていた自覚はあります。

 あのままでは恐らく、私は青年と永遠に話をすることが叶わなかったに違いありません。


 ですから、些か急な展開ではありますが、逃げられない状況でこうして相対出来ているのは喜ばしいことであって、そういった意味ではもふもふ達に感謝の気持ちを抱きました。


「……しばらく眠っていないそうですね。駄目じゃないですか。体がおかしくなってしまいますよ」


 青年はとても心配そうに、優しい声音でそう私に語り掛けて来ます。

 避け続けて来たことでもう嫌われているかも知れないと思っていましたが、どうやらそうでは無いようです。

 快く思っていないであろうと言うのは、私の考え過ぎであったのが分かりました。


「……もう少し寝られた方がよろしいかと思います」


 青年は私の額に掌を乗せると、そのまま優しくゆっくりと下げて瞼を閉じさせてくれました。

 私は繋がった手の温もりに安心を覚えながら、言われるがままに、再び寝ようとして頷いたのですが――


「……今まで滞在を許可して頂きありがとうございました、女王陛下。そろそろ僕は出て行くつもりです」


 ――そんなことを青年が突然言いだしたものですから、一気に目が覚めてしまい飛び起きました。


「じょ、女王陛下……?」

「で、ででで、出て行くと言うのですか……?」

「それは、その、はい。元々の目的である調査もだいぶ終わりましたから。……長居をすればするほど、離れるのがもっと辛くなります。だから、キリが良いところで切り上げるつもりでした」


 そういえば、青年は学者であり、元々は調査が目的であったと言っていたことを私は思い出しました。

 彼の立場になって考えて見れば、いつかはここから去るのは当たり前のことであり、なんらおかしいことではありません。

 ですが、私はそれをすっかりと失念してしまっていまして、そのせいで激しい動揺に見舞われました。


「なっ……そんな……出て行くなんて……」


 気が付くと、私はぽろぽろと泣いていました。

 もう会えなくなると思うと悲しくて寂しくて、自分でも制御が出来ないくらいに涙が溢れて来ました。


「えっ、あの、えっちょっ……」


 青年を困らせるつもりなんてありません。

 去ると言うのであれば、それは仕方が無いことなのですから、淡々と見送るのが私のやるべきことです。

 それがお互いにとって一番の流れのハズでした。

 ですが、泣いてしまったせいで、そうはいかなくなりました。


「どうして急に……そ、そうだきっと疲れているんです。ずっと眠っていなかったせいですよ。女王陛下は眠るのがお好きだと聞きました。大好きな睡眠をとらないせいで、おかしくなってしまっているのかも知れません」


 好きな睡眠を取らなくなったせい、と言うのは確かにそうかも知れません。

 寝不足が続いたせいで、冷静に感情を抑制したり判断を下す、といったことが今の私には困難でした。

 しかしながら、そもそも眠れなくなった原因は何でしょうか? あれほど好きであった睡眠が取れなくなったのは何故でしょうか?


 答えは単純でした。

 私は今の朦朧としている状態だからこそ、考えるのではなく感覚で、半ば強制的に自分の気持ちに素直に気づくことが出来ました。


 要するに――眠ること以上の関心を青年に持ってしまったから、なのです。私は睡眠よりも青年の方が好きになっていたのです。

 私はこうした自分の気持ちを知ると同時に、もうどうにでもなれと青年に抱き着き、非力ながらも一生懸命に離さないようにと力を込め、嗚咽混じりにこう言いました。


「――わ、私は眠るのが大好きです。でも、あなたのことがもっともっと大好きです。だから眠れなくなりました」

「……」

「それなのにここから居なくなるなんて言うから、寂しくて悲しくて、もう涙が止まりません」

「……」

「……どこにも行かないで」


 私は全ての気持ちを吐露し終わると、答えを聞くのが怖くて、耳を塞いでベッドに潜り込んで丸まりました。

 ですが、彼の反応がどうしても気になって、やはり眠るなんて出来ません。

 永遠には慣れていたハズなのに、過ぎる一秒一秒が途方もなく長く感じられて、気が気ではありませんでした。


「……女王陛下」


 ややあって、青年に腕を掴まれ、優しくベッドの中から引きずり出されました。

 私は抵抗することもせず、ただただ青年の顔を見つめました。

 凛々しい表情でした。

 以前に感じた幼さが青年からは抜け切り、立派な一人の男性の表情であったのです。


「僕は……美しいあなたにそんなことを言われたら……」


 青年は随分と悩んでいましたが、けれども、意を決したように私の気持ちに対する答えを述べました。


 単なる我儘でしかない私の言動を、青年は無視しても良かったのです。

 自らの学者という仕事の為にも、私のお願いなど無かったことにしてしまえば良かったのです。


 ですが、青年は私の気持ちに真っすぐに向き合い、そして言いました。


「――」





 私をこの日を境に、不眠症から解放されました。

 大好きな睡眠を貪れるようになったのです。

 そして、それに合わせるようにして、自らの年齢を若いままに保つことを止めました。

 彼と共に歳を取り、老いて、そして二度と目覚めることが無い眠りにいつか二人でつきたいと思ったからです。


 時間が流れに流れて私と青年はすっかりと老い、もう長くはないことを悟り、しわくちゃになったお互いの手を握った時……私は幸せだけを感じていました。

 愛する人と共に、いつか終わりのない眠りにつくことが出来る――その日が近いことに、一切の躊躇いも不安も感じませんでした。


「……私の我儘に応えてくれて、ありがとう」


 私がしわがれた声で言うと、彼は頬を掻きました。

 願わくば、彼にとっても私と過ごした一生が幸せであったと感じてくれていると良いなと、私は強くそう思いました。

 すると、彼は私が何を考えているのかを察し、こう言いました。


「……僕も君と一緒になれて良かったと、そう思えているよ。だから安心して眠っていいよ。大丈夫、僕もすぐにいくから」


 茨で出来た園で、私は安心して眠りました。

 愛した彼の腕に抱かれて、守り続けたもふもふ達に見送られ、大好きな最後の睡眠を迎えることが出来ました。


 ……おやすみなさい。



 ――fin

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