大好きなあなたの……

幽幻桜

第1話

コーヒーの香り。……私の『  』な、香り。


私はどうしても、コーヒーだけは好きになれなかった。

独特の香り。あの苦み。真っ黒な色。……好きになれない。

でも、私の彼氏は違った。

あなたはコーヒーが大好きで。私に一口くれた時、やっぱり嫌いで、変な顔をしてしまった時も、あなたは笑って「ごめんね」と言った。でも、あなたの好き、を制限したくなくて、私の前でも飲んでいいよ。とその時に言った。あなたは悪いよ、なんて言ったけど、コーヒーを飲むあなたは好きだから。

あなたがコーヒーを飲む時だけ、私もコーヒーを苦手じゃなく思える……そんな気がするんだ。だから、遠慮なく飲んで欲しい。そう伝えた。


あなたはとても優しかった。そんなあなたが大好きだった。

誰に対しても分け隔てなく接し、こんな、捻くれてる私のことを好きだと言った。

その時も、あなたはコーヒーを飲んでいたね。

嫌いな香りと好きな人。

私は、あなたの好きに応えた。


それから。

私達は同棲を始めた。

コーヒーが好きなあなたは、毎朝コーヒーを淹れる。

その度に、私の嫌いな香りが部屋中に広がる。

でも、私は何故か満足で、不快な思いになんてならなかった。それは多分、あなたのおかげだと思う。……嫌いでは、あるけれど。恋って凄いね。

私は毎朝、広がるコーヒーの香りと共に起きる。コーヒーを淹れているってことは、あなたはもう起きているから。

少しでも長い時間、一緒にいたい。

私が起きて、おはようと言うと、あなたもおはようと言って、私のおでこにキスを落とす。

……嗚呼、幸せだったな。


結婚の話が出た。

あなたは、私と一緒になりたいって、この先もずっと一緒にいたいって言って私にプロポーズをしてくれた。

私は泣きながら、はい、と答えた。

コーヒーの香りは、徐々に苦手意識を失って、あなたの好きに溺れていっていた。


夫婦になって。

子供はまだいないけれど、二人きりで、とても幸せな日々を過ごしてきた。

私もあなたに合わせて、コーヒーを飲むようになった。

美味しいとは、思えないけど。それでも、幸せだった。二人の日々が幸せだった。

なのに。なのに――……。


あなたは突然、いなくなってしまった。私の前から、いなくなってしまった。

……交通、事故だった。

私は泣いた。わんわん泣いた。

大好きなのに。愛してるのに。

ずっと一緒だって、言ったのに。

二人だった部屋に、一人ぼっち。

あなたの面影や香りがまだ、残っているのに。

あなたの仕草や表情が、忘れられないのに――――……!


……そうだ、あなたと言えばコーヒーだ。

コーヒーを淹れるのは、いつもあなた。

だから、私は分からないなりに、頑張って、一杯の、コーヒーを淹れた。

……コーヒーの香りが、広がる。

一口、飲んでみる。

……美味しく、ない。やっぱり不味い。

だからコーヒーが嫌いなんだ。

いつもいつも、美味しかったのは、あなたのおかげだったから。

コーヒーの香りを嗅ぐと、あなたを思い出す。

コーヒーは、あなたとの思い出の香りなんだ。

「……やっぱり、嫌いだなぁ……!」

私の頬を、涙が伝う。

コーヒーの香りが、『好き』に変わった瞬間だった。


おしまい

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大好きなあなたの…… 幽幻桜 @mikoluna

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画