うんこ
三坂鳴
生きている証
冬の冷たい空気が静かに町を包み込み始めた頃、父は少しずつ体調を崩し始めた。
幼いころは毎朝、自分の布団を勢いよく跳ねのけて起きてきた父の姿しか知らなかった。
その父が、ある日を境に「ちょっと疲れやすいな」とこぼすようになり、仕事から帰ったときの足取りが明らかに重くなったのを覚えている。
いつもの明るい声が少しだけ震えていたのを感じながら、私は「大丈夫?」と問いかけた。
しかし、父は大げさなくらい元気そうに見せようとするように微笑み、「全然平気だ」と笑っていた。
そのころ、朝起きて台所へ行くと、母が小さなため息をつきながら鍋に火をかけている姿をしばしば見かけた。
母はけっして口数が多い人ではなかったが、その背中がやけに心細そうに見えた。
けれど私が近づくと「おはよう。 ご飯できてるから食べなさい」と、それまでと変わらぬ穏やかな声で促してくれる。
食卓には湯気を立てる味噌汁と焼き魚。
そしていつもの漬物が少しだけいつもより塩辛く感じられた。
父はそれでも会社を休まず、ぎりぎりまで働き続けた。
時折、ソファに腰を下ろしてシャツの首元を緩め、「ちょっと息苦しいな」と言いながらも、私の顔を覗き込んで「でも大丈夫。 うんこもちゃんと出てるからな」と冗談っぽく笑ってみせた。
私はそんな父が少し可笑しくて、つい吹き出してしまう。
父はいつも、自分の体の調子をはかるかのように「うんこ」という言葉を口にした。
それが子どもの私には、どこか無邪気で微笑ましいものに思えた。
だが、病院で詳しい検査を受けると、父は重い病気を患っていることがわかった。
医師に「だいぶ症状が進んでいます」と告げられ、母はその場で顔を覆って泣き崩れた。
そんな母の肩を、父はそっと抱き寄せて「大丈夫だ。 まだうんこも出てるからな」と、弱々しい笑顔で励ました。
医師は入院を勧めたが、父はすぐに応じようとはしなかった。
「家で過ごせる間は家がいい。 病院のベッドじゃ気が滅入る。 もう少しだけ家で頑張ってみたい」と言い、苦しそうに息を吸い込みながら、母の手を強く握った。
入院の必要を先延ばしにする決断は、母をさらに不安にさせた。
しかし父は、「生きてるうちに、家でできることは全部やりたいんだ。 ほら、家のトイレで『うんこ』をするあの感じ、あれこそが日常の幸せってもんだろう?」と、いたずらっぽく笑って首をかしげた。
私はその言葉を聞いて、胸に熱いものがこみあげてきた。
父が言う「日常の幸せ」とは、普通に起き上がり、歩き回り、当たり前にご飯を食べ、そして当たり前にトイレで用を足すこと。
それらは何気ない営みだけれど、父にとってはかけがえのない時間の証しだった。
それから数週間、父の体調は少しずつ悪化していった。
前はふらつきながらも庭の草むしりに出ていたのに、今では食事の後はベッドに横にならないと呼吸が整わなくなった。
朝になると咳き込み、血の混ざった痰をティッシュに吐き出す様子を、私は居間の隅からこっそり見つめていた。
父はその姿をあまり私に見せたくないのか、決まって「お前、学校は大丈夫か? そんなとこに立ってないで行ってこい」と言い、咳を抑えようと肩を震わせた。
ただ、その後はきまって「まだうんこはしっかり出るから大丈夫だ」と自分に言い聞かせるようにつぶやくのだ。
母は父の看病に専念するようになり、仕事を減らして家にいる時間が増えた。
必要な薬を取りに行ったり、看護師の往診を受けたりするうちに、父もまた、「俺も本当は、もっと生きたいんだ。 こんなところで終わりたくない」と、本音をぽろりとこぼすようになった。
ある晩、父がベッドに横たわりながら、私にだけこっそりと打ち明けたことがある。
「実はな、無性に腹いっぱいカツ丼が食べたい。 でもな、食べたら食べたでしんどいのはわかってるんだ。 だからこそ、いまは無理に口に入れても仕方ないって、医者にも言われてな。 わかってるんだけど、食べたいんだよなあ」
そう言って、天井を仰ぐ父の目は潤んでいた。
私は言葉を失い、そのまま父の枕元に座り込んだ。
翌日、母が買い物から帰ってくると、父はいつになくはしゃいだ声をあげた。
「おかえり! うんこはちゃんと出てるぞ!」
それは母に向けた、今日もなんとか生き延びているという小さな報告だった。
母は「よかった」と、忙しなく荷物を下ろしながらも、少しだけ目を潤ませて笑った。
家族の会話はほとんどが父の体調を中心に回っていたけれど、「うんこ」という言葉はその中で妙に明るい響きを持っていた。
まるで、そこにはまだ命の光が残っているのだという証明だった。
しかし、そんな父の状態も長くは続かなかった。
ある夜、激しい腹痛を訴えながら、「やばい、トイレ行くぞ」と慌てて起き上がったものの、廊下まで行ったところで膝から崩れ落ちそうになった。
あわてて駆け寄った母と私が支えようとしても、父の体重は想像以上に重く感じられ、そしてその体は信じられないほど熱く、同時に酷く冷たくもあった。
額に浮かんだ汗を拭きながら、「大丈夫か? しっかりして」と呼びかける母の声が震える。
父はそのときもなお、「うんこ……出るはずなんだ。 出せば楽になるはずなんだ」と、どこか必死な表情で訴えた。
あまりの痛みに耐えられない父は、ようやく入院を決意した。
医師の手際よい処置が施され、点滴が打たれると、父の呼吸は少しだけ安定を取り戻した。
ただ、それと引き換えに、父の目の輝きがわずかに失われていくように感じられた。
白いベッドの上、薄暗い病室の窓から見えるのは、どんよりとした冬の空。
時折、母が買ってくる季節の果物を、父は申し訳なさそうに一口だけかじり、「ありがとうな。 うまいよ」と、ささやくように言ってまた目を閉じる。
夜になると、病室の照明が落とされ、天井の蛍光灯が低い音を立てていた。
ナースステーションのかすかな声や物音が遠くに聞こえ、父はその中で眠ったり目を覚ましたりを繰り返していた。
どうにか痛みを緩和する薬を入れてもらっているはずなのに、時々苦しそうに身をよじる姿を見て、私は胸が張り裂けそうになる。
ある夜、うわごとのように「カツ丼……カツ丼……」とつぶやく父の唇から、涙がこぼれ落ちるのを見た。
その小さく震える唇が、必死に生きようともがく父の心を物語っていた。
退院の見込みは薄いとわかっていても、母は毎日病院に通った。
父もまた、私たちが来るのを待ちわびていたのだろう。
病室のドアを開けると、まだかすかな笑顔で「お、今日は調子いいぞ。 うんこだって出せる」と、いつもの台詞を口にした。
私と母はそんな父に安心を覚えながらも、その裏にある切実な願いを感じ取っていた。
父は本当にこの世に未練があった。
生きたいのだ。
ただ「うんこが出る」というだけのことで、自分を奮い立たせようとしていた。
だが、冬の終わりが近づいても、父の体は軽くなるどころか重く沈んでいく一方だった。
医師からは遠回しに「余命」という言葉が示唆され、母はそのたびに涙をこらえて病室を出る。
私は父の手を握り締め、「こんなに痩せてしまったのに……どうして」と、どうすることもできない無力さに苛まれた。
父はそれでも「大丈夫だ。 まだうんこが出る日があるからな。 出るうちは生きてる証拠だ」と、苦しい呼吸の合間に笑おうとした。
ある日の深夜、いつにも増して父の咳がひどくなった。
ナースコールを押すと看護師が飛んできて、医師もかけつけ、慌ただしくベッドの周りで処置を施す。
点滴の液を変え、酸素マスクをつけても、父は苦しそうに酸素を求めて空気を呑み込み続けた。
母は何度も「頑張って」と口にし、私はただ目の前の光景に立ち尽くすばかりだった。
父はかすかに意識を保ちながら、母の手を弱々しくつかんで言った。
「……まだ、うんこ……諦めたくない……」
それは、どうしても生きたい、まだ終わりたくないという強烈な願いが込められた言葉だった。
その夜をなんとか乗り越え、父は翌朝、ほんの少しだけ落ち着いた表情を見せた。
しかし、唇は乾き切り、呼吸も浅い。
体を起こすのも難しい状態だったが、それでも父は目で私を呼び寄せ、「おい、今度、庭に咲く花、ちゃんと見てきてくれ。 俺にも見せてくれ。 写真でもいいから」と頼んだ。
私は深くうなずき、すぐに病院の外に出て、スマートフォンでまだ寒そうに揺れる蕾を何枚か撮影した。
父に見せると、「きれいだな……」と、小さく笑った。
その笑顔には、やはり生きる希望が刻まれていた。
そしてついに、父に最期の時が訪れた。
春の匂いがかすかに混ざり始めた夜明け前、父は浅い呼吸を繰り返しながら、震える声で言った。
「もう、うんこは出そうにないな……」
その言葉を聞いた母はこらえ切れずに涙を落とし、私は父の手を握りしめて涙をこぼした。
意識が遠のく中、父は「でも、出せた日々があった。 あれは幸せだった」とかすれた声で続けた。
それから、ふっと息を吐くようにして、父は静かに目を閉じた。
息が止まった父の手は、生きていたころよりずっと軽く感じられた。
私はその手を握りしめたまま、どうしようもない空虚感に包まれた。
あの「うんこ」という言葉は、父が自分の命を測り、その尊さを噛みしめるための大切な指標だった。
恥ずかしさも、くだらなさも、あの言葉には含まれていたかもしれない。
しかし、一日一日を必死に生きようとする父にとって、それは輝かしい希望でもあったのだ。
葬儀が終わり、遺影の前に手を合わせる日々が続く。
何げなく鏡を見れば、そこに映る自分の面差しが、父によく似ているような気がしてならない。
悲しみに沈みそうになるたびに、父のあの言葉を思い出す。
「うんこが出るってことは、生きてる証拠だな」
今となっては、その言葉が胸を締めつけるほど切なく、そしてどこか暖かく感じられる。
あの頃、当たり前に思っていたことが、どれほどの奇跡だったのかを痛感するのだ。
あれから月日が流れたが、私は時々、トイレに入るときに父のことを思い出す。
便座に座って、少しだけあの人のぬくもりを想像する。
「今日も、なんとか生きてるよ」
そうつぶやいてから、自然と目を閉じる。
そして「ああ、こうして体が動いて、排泄ができるというのは、本当にありがたいことなんだな」と、深く思うのだ。
これは父が、私たち家族に最後まで示してくれた命の証。
大切なものを教えてくれた、かけがえのない存在の欠片が、胸の中でそっと響き続けている。
うんこ 三坂鳴 @strapyoung
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