甲羅と私。
彼方 紗季
甲羅と私。
ださい。だっさくて仕方ない。
私の頭には大きな黒い甲羅。
まじ最悪。
うざいジジイに言われて、嫌々あご紐のホックを着ける。努力義務なんだとよ。
休み明けはそんな感じで始まった。
最寄り駅までは約5分、歩きで行けば15分。
そこを我慢すればこんなもの、つけなくていいけど。睡眠時間に勝るものはない。
自転車でかっ飛ばすあの空気も好きだ。少し上がっていく坂も。少し狭い道も。のろのろ歩いてる歩行者も。全部、なんだかんだ好きだ。
だけど、そんな日常にこんなものがやって来た。
ヘルメット。許し難し。
「いってらっしゃい、気ぃつけてな」
ひらひらと手を振るジジイを一瞥して、右足を漕ぎ出す。弟はスマホを片手にケラケラと笑いながら写真撮りやがった。ちょっとブレるハンドルに気をつけながらバランスを取っていく。許すまじ。
すぐ角を曲がるとそこはちょっと坂道。
来たか、坂道め。今日はクールに登ってやるからな。右手で3から4にギアを上げた。漕ぐ足が途端にスローになる。
後ろから車が来るのを感じて、少し端に寄る。
なんか見られてる気がして、思わず下を向く。
車が通り過ぎて、ふと横を見る。家の窓ガラスに反射した自分が見えた。
わーださい。中高生でも着けてないって。
早く一人暮らししよ。
あとから考えてみれば、角を曲がった瞬間にヘルメットを外してしまえばいいものの、この時の私にその考えはなかったようだ。
5分の道のりを漕ぎ終え、スピードを落としながら駐輪場の中に突入する。
「自転車から降りて歩いてください」の赤字を横目にずんずん進んで行く。
あ、定位置取られた。入り口から3つ目の角を曲がったすぐが私の定位置。意外と穴場なのに。まぁそういう日もあるかぁと自分を納得させ、さらにその奥に停める。ここでもまぁ、無理やり停めたりしないか。
停めるのは簡単。出すのが難しい。これは心理戦なのである。
そして今日は追加でヘルメットなんてものを置いていく必要がある。めんど。
あごのバンドを外し、ゆっくり黒い甲羅を持ち上げる。当然髪はぐちゃぐちゃだ。今日はいい前髪だったのに。ちょっと湿った甲羅の中身を上にして、カゴに投げ入れる。流石にこれ盗む変態はいないね。
お土産でもらったキーホルダーをちゃりんと鳴らして、鍵をかける。それを指でくるくるしながら駐輪場の外に向かう。前からワイシャツ姿の女子高生。ミニ丈、アイドル前髪、くるんと上がったまつ毛。勿論頭に甲羅なんて乗せてない。最悪。しかもちゃんと降りて歩いてる。偉すぎ。
前髪を指の腹でかき撫でながら、外に出る。こういう時に限って知り合いに会うんだよなぁと思いつつ、平然を装いながら駅に突入する。
大丈夫、今日はメイク時間10分。
「はよー」
「どした? 元気ないじゃん」
夏菜子は隣の椅子に置いていたバッグを退けながら私を見た。
「こいつはいつもだよ」
前にいる春田が振り返りながら言ってくる。
「んなことないって」
「まぁ休み明けはいつも最悪だよねぇ、体が追いついてこない」
「それもある」
私はスマホを取り出して時間を確認する、あと10分。余裕じゃん。
「ピした?」
私は立ち上がってカードケースをひらひらさせた。これはICカードをタッチして出席扱いにしたか?ということ。一昔前は出席カードなるものを書いていたらしい。
「あーよろしく」
春田は財布を投げて来た。
「私のもよろしく」
夏菜子のカードケースも受け取り、ドアの方に向かう。部屋に入ってくる人に揉まれながら3つをピして、席に戻る。ピ待ちの人の目が痛い。なんてことは気にしていられない。
「はいよー」
「ありがとー」
夏菜子はカードケースを受け取ってバッグの中にしまう。Di◯r。かっこいい。
「ん」
スマホをいじっている後頭部に軽く財布を叩きつける。
「あーあざーす」
ノールックで財布を受け取り、ジーンズの右ポケットに突っ込む。「いつか落とすんじゃない?」いう言葉は飲み込んどいた。
熱心にお話しするタイプの教授が1限。板書が適当で何言ってるかわからない教授が2限。3限空きコマ。4限スライド多めの若い教授。まぁ、2限は爆睡ですよね。
ブブっとスマホが鳴り、明かりを下げながら通知を確認する。「敵(弟)から写真が送信されました」お前も授業中じゃんかよ。
スライドに目をやりながら机の下で通知をタップする。出て来たのは朝の写真。
こっちを見ながら右足をペダルにかけて、出発しようとしている私。
ださい。だっさくて仕方ない。
私の頭には大きな黒い甲羅。
ため息と共に顔を上げると、横から視線を感じた。
「なにそれ」
うわ、最悪見られた。
スライドを見ながら左手でボタンを押し、画面を切った。
「弟」
「嘘つけ」
スマホを寄越せと言わんばかりに春田は手を伸ばしてくる。右手でぺしんとその腕をはたくと、いてぇーとぶつぶつ言いながら手を引っ込めた。
最悪。
「だからいつもよりぺたんこなのか」
じろりと声の主を睨む。
「え? 何が」
夏菜子は私と春田を見比べる。
「前髪ね」
「そう」
「ジジイがうるさくてさ」
「あーうるさそうだもんな、おまえんちの父さん」
「え、何?」
夏菜子は私の顔を覗き込んだ。
「ヘルメット。着けろってさ、聞かなくて」
「あー今日からだっけ」
「正確には4月1日ね」
「努力義務なのにねぇ」
「そうなんよー」
「可哀想だけど、そんなあんたが可愛いよー」
私の顔をぷにぷにしてくる。
「あんたに言われたくないわー」
相手の顔をぷにぷにし返す。
「ひどーい」
「準グランプリに言われたくないですー」
「いつの話のをしてんのよー」
ぷにぷに合戦が行われている最中、春田はスマホで時間を確認した。
「じゃ、次B棟だから」
「じゃーねー」
「さいならー」
ぷにぷに合戦終了。
「アキ、帰ろっか」
「うん、帰ろー」
例の写真見せてよーとしつこい準グラをなだめつつ、駅に向かう。ママチャリのおばさんでさえ、頭に甲羅は乗っけていなかった。
3つ目の角を曲がり、定位置より奥の方に向かう。げ、最悪。私の自転車と隣の自転車の間に無理やり電チャがねじ込まれていた。
重いんだよなぁ、これ。
渋々そいつを引っこ抜いて、自分のを出し、またそいつを仕舞う。そいつのカゴにもヘルメットなんてありやしない。どうか足の小指でもぶつけますように。
黒い甲羅を装着。ライト点灯。もう薄暗い駐輪場は少し不気味な空気を漂わせる。チッチッチと音を鳴らしながら、押して歩く。
後ろからチカチカと光が差して、少し端に寄る。スポーティーな自転車にスリムな甲羅を頭に乗せ、少年は颯爽と追い抜いていく。あれだったら許容範囲だよなぁとげんなりした。
信号待ちの間も、坂を下っている最中も、視線を感じる。努力義務です。努力義務。
角を曲がって家が見える。長かったわー。
車庫の奥に自転車を停める。あごのホックがパチンと鳴り、解き放たれる。重い甲羅を持ち上げる。ぺたんこの前髪を掻き上げて、リュックを背負う。
明日は脱ぎ捨ててやる。そう決めた。
甲羅と私。 彼方 紗季 @kanatasaki
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