第34話 美しき様式、美しき物に宿るのは
司祭に案内された修道院は荘厳だった。
神話を模して造られたステンドグラス。青い絨毯や垂れ幕。それらにはミガル地方の記章が刺繍されている。腰壁から天井の高い位置まで丁寧に彫られた装飾が続き、拝礼堂の中央には、神秘の女神像が鎮座している。
白い石を切り出して彫られた女神像は、慈悲深い表情で人々を見下ろしている。目には母なる海を思わせる青い宝石が埋め込まれていた。
「さあ、こちらに」
女神像を通り過ぎ、礼拝堂の奥へと続く扉を開ける司祭に誘導され、エイラス達は廊下に進んだ。
「それにしても皆さんお揃いでいらっしゃって。光栄なことでございます」
先を行く司祭が目配せしながら話しかけてきた。老いた目元には笑い皺ができているが、目の奥は笑っていない。元々、司祭が呼んだのはエンバーとトニーだけだ。それが総勢六人で押し掛けたのだ。嫌みの一つも言いたくなるだろう。
エイラスは微笑み、小さな司祭の意識を逸らすことにした。
「ミガル修道院はヒューラでも随一の美しさと聞いておりましたので、皆、興味があったんですよ。そうですよね? カタファ」
突然、名を呼ばれたカタファだが、淀みなくエイラスの発言に被せる。。
「急に押しかけてすみません。でも、俺みたいな移民からすると、ミガルは憧れの地で。ジブも修道院出身だし、ミガルの名を聞いたことは何度もあるだろ? そうだよな?」
「ああ、コーソムの田舎からしたら、すげぇ綺麗ですよ」
更に急に話を振られたジブだったが、適当に話を合わせた。ジブはこれでも空気を読ことには長けている。。
褒められた司祭は気を良くしたのか、笑顔で廊下の奥にある部屋の扉を開けた。
部屋には中央に二席、椅子が置かれている。それを取り囲むように乱雑に椅子が置かれ、壁沿いには本棚が並ぶ。部屋の奥には祭壇があり、その上には肖像画が置かれている。軽くウェーブのかかった黒髪、浅黒い肌、光る剣を持った男ーー英雄ドルススタッドの肖像画だった。
「さあ、お二人。こちらへ」
司祭は中央の椅子を指し示しながら、顔の皺をさらに深くしてエンバーとトニーに笑いかける。二人はゆっくりと歩き出して椅子に腰かけた。天井の魔法灯の光が二人に当たる。その背後にある肖像画の照明も相まって、トニーとエンバーの姿が浮き立っていた。
「素晴らしい、素晴らしい。生きているうちに王族や大司教様以外の神秘をお持ちの方とお話できるとは」
扉を閉めた司祭はガヨとジブを押し退けて、部屋の中心へと歩いて行く。エイラスも扉の前から歩み寄り、彼らを見守った。
司祭は椅子に座る二人の前に跪く。そして小さく身をかがめ、二人の靴に口づけをした。これは崇拝の意だ。
「神秘の女神に愛されたお二人を歓迎いたします」
司祭はそのまま床に手と額を擦りつける。
エンバーは両腕で自身を抱え込むようにしていた。神秘という言葉がエンバーに与える影響を、彼自身が一番よく理解している。おそらくエンバーは今、自らの衝動と戦っている。
トニーはその宗教的意味合いを理解し足をひっこめた。彼は、立場は元修道士ではあるが、神を信じているわけではない。
嫌がるトニーの顔を見たジブが視界の端で体が前のめりになったのが見えたので、エイラスは彼の足を踏んだ。ぐ、と小さな声が漏れたが、司祭には聞こえていないようだった。顔を上げた司祭が、今度はエンバーの手のひらに口づけをしようとするのを止めたのはカタファだった。
「司祭様、まずは彼の力を見てやってください。司祭様のお言葉があって初めて、神秘があるとされるのですから」
「いや、はは。そうですな」
カタファはよろよろと立ち上がる司祭を介助する。司祭のその手は興奮で震えていた。カタファの介助に礼を言った司祭は、力を試すものを持ってくると話し、部屋から出ていく。扉の閉まる音とともに、エイラスは踏んでいたジブの足を開放した。
「いってぇ……」
「こうでもしないと飛び出していたでしょう」
足先を抱えるようにしてジブはしゃがみこんだ。悶絶する赤い髪を尻目にエイラスは部屋の中央に視線を向ける。
椅子に座るエンバー、トニーの前にガヨとカタファが立っている。
エンバーが司祭の消えていった扉の方を見ていることに、ガヨが気付いた。
「司教が気になるか」
エンバーは自身を抑えていた両腕を解いた。しかし、その目は薄く細められており警戒を露わにしている。
「いや、廊下だ。空気の流れが変だ。壁の中に薄く風が流れてる」
エンバーの探るような声に、トニーが言葉を重ねた。
「隠し扉でもあるんじゃないか」
「そんなもんあるのか?」
カタファの驚いた声にトニーは冷静に返す。
「戦争の名残だ。攻め入られた時の逃げ場だったり、焚書を逃れるために本や聖遺物を隠したり、異端者を拷問したり。まあ用途はいろいろあったと聞いている」
トニーの声は、かちゃりと空いた扉の音で遮られた。司祭が戻ってきたのだ。
現れた司祭の手には、二つの細長いガラス管と女神像があった。大きめな酒瓶程度のその女神像はさまざまな煌めきが内包された深い青色をしている。
「珍しい! それは空の上にしかないと言われた鉱物ではないですか?」
カタファが司祭の横に付き、小刻みな歩調に合わせて歩く。女神像の素材に触れられたことに司祭は大きな笑みを浮かべた。目じりが溶けたような笑顔だったがその目はぎらついている。
「お分かりになりますか。そうです。おっしゃる通り、空にしかないとされていた鉱石です。それが近年、深海で見つかりましてな。この石は金剛よりも固いとされています。王に献上しても恥のない一品です。」
「ええ、ええ。知っています。こんな貴重なものが、この大きさで。高度な魔法でしか彫刻を施せないとも聞いています。計り知れない価値がある代物です」
商人の性か、カタファの声も興奮して上ずっている。カタファの解説に気を良くした司祭も、笑みの皺が深くなっていた。司祭の向かう先にいるガヨは、エンバーの側に一歩体を後退させた。エンバーが暴れた際に止めるためだった。
司祭がエンバーの前に立った。トニーを含めた二人の背筋が伸びていくのがわかる。
「赤髪の。これを持っていたまえ」
司祭は振り返りもせず、片手でガラス管を差し出した。ジブは、承知いたしましたと色よく返したが、口角が引くついている。司祭の中ではジブは小間使いと同格のようだった。
エイラスは静かにトニーの後方へ移動した。これで座る二人を4人で囲む形になる。何かあっても助力のしやすい距離だ。
「さて」
司祭は両手で恭しく女神像をエンバーに渡した。数歩下がり、またしても跪いた。膝が床板につく硬い音が響く。そして救いを求める信徒のように両手を前に伸ばし、青い女神像をエンバーの前に突き出した。
「それを破壊してごらんなさい」
目の前に座っているトニーが動いた。エイラスからは彼の背中しか見えないが、小刻みに肩が震えている。エンバーは片手に女神像を握り、目は司祭を見据えたまま口をつぐんでいる。
ドルススタッドの鐘を鳴らして ぜじあお @zezi_ao
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