大魔導士ディックの奇妙な命令

異端者

『大魔導士ディックの奇妙な命令』本文

「遠い所まで、ご足労いただきありがとうございます」

 広間で老人に向かって、やや年老いた男、その村の村長は深々と頭を下げた。周囲からどよめきが起こる。

 剣と魔法の世界、ゼン・ラ。

 老人は、そこでは絶対的な力を持つ大魔導士ディックだった……が、既に誰の目にも虫の息だった。もはや大した力を残していまい――村長以外のその場に居た誰もがそう思った。

 だが、ディックははっきりとした声で言った。

「して、依頼の件は――」

「はい。先に手紙でもお伝えしましたが――」

 村長は気にした様子もなく話を続ける。彼は昔にディックに依頼したことがあり、その力をよく知っていた。

 彼が言うには、大規模な盗賊団がこの村を狙っており、なんとかして追い払ってほしいとのことだった。

「ふむ……追い払うだけで良いのですな?」

「はい、できれば血生臭いことは避けたいので……既に奴らが潜伏している場所は分かっています」

「なるほど、なるべく手荒なことをせず追い払いたいと……」

 ディックは少し考えているようだった。

 正直、これは少し難しい問題だった。攻撃魔法を使って奇襲するというのなら簡単である。しかし、傷付けず追い払うとなると――

にわとりを五羽、いや十羽集めてくだされ」

「は?」

 今度は村長も含めて誰もが理解できないという顔をした。

「だから、鶏を十羽――」

 ディックは繰り返しそう言った。

「は、はい! 承知いたしました!」

 村長は理解できないままに承諾していた。


 盗賊団は近くの山の谷あいに潜伏していた。

「ああ、退屈だ」

 若い男はそう言って空を見上げた。隣にはもう少し中年の男が居た。

「まあ、そう言うな。……どうせ、今夜には忙しくなる」

 彼らは今夜、村を襲撃する予定だった。

「でもなあ……あんなちっぽけな村、いきなり真昼間まっぴるまに襲っても良くないか? それを何日もかけて下調べして、夜を待って――」

「馬鹿。首領も言ってただろ? 『用意は周到に』だ」

 盗賊団の首領はまだ若いが慎重な男だった。狙った獲物にもすぐには手を出さず、相手に何もないか下調べしてからしか襲わなかった。

 その結果、失敗したことは今まで一度としてなかった。

「その用意の間に、奴らは魔導士を呼んだらしいな」

「ああ、年寄りの奴な。あんな村の奴らだ。どうせ安い、老いぼれの魔導士しか雇えなかったんだろ」

 盗賊団の物見は既に魔導士らしき者を村に招き入れたのを見ていた……が、それは大魔導士ディックだとは知らなかった。既にディックは離れ小島で隠居生活をしていて、今ではその弟子たちの方が顔はよく知られていた。

 今回依頼を受けたのも、かつて懇意こんいにしていた村長からだったからだ。義理堅い彼だったから受けたものの、大魔導士にしてみればただ同然の仕事だった。

「ま、そんなの居ても居なくても……」

 中年男はそこまで言って黙った。

 大きな陰が、彼らを包み込んでいた。

 頭上には赤いうろこに覆われた巨体が羽を広げている。

「ド、ドラゴン……!」

 若い男は呆然と空を見上げた。

「そんな!? ……この辺りにこんなのが居るなんて聞いてないぞ!?」

 中年男はそう言ったが、それはドラゴンにしか見えなかった。それも一匹や二匹ではない、ドラゴンの群れだ。

 下調べは入念にしたはずだ。それなのに……。

 ドラゴンたちは飛び回りながら炎を吐いた。周囲の木々が燃えていく。

「おい! お前ら! 早く逃げるぞ!」

 そう叫ぶ声で我に返った二人は必死で逃げ出した。

 気が付けば、盗賊団は野営の荷物も置いたまま逃げ出していた。

「待て! お前ら、落ち着け!」

 ――そんな馬鹿な!? この辺りに居るはずが……!

 首領は止めようとしたが、我先に逃げようとする部下を止めることはできなかった。部下がそれでは自分だけ留まる訳にもいかず、ついには彼も逃げ出した。

 すっかり盗賊団が逃げ去った後、ドラゴンが鳴いた。

「コケ……コケコッコー!」

 その姿は既に鶏に戻っており、周囲の木々にはどこも焼けた様子はなかった。


「まさか鶏にこんな使い方があるとは……」

「流石、大魔導士様だ!」

「いやはや、年老いてもやはり大魔導士ディック様だ!」

 物陰でその様子を見ていた村人たちは、口々にそう言ってディックを褒めたたえた。彼が村にやってきた時とは大違いだった。

「あれ? ディック様は?」

 先程まで一緒に居たはずのディックが、どこにも居なかった。

「もうお年ですし、先に戻られたのでは?」

「ああ、そうだな!」

 彼らは喜び勇んで、村長の家に報告に向かった。

 その広間でディックは椅子に深く座り目を閉じていた。

「ああ、やっぱり先に戻られて――」

「先に?」

 村長は首をかしげた。そんな彼に盗賊団を追い払った様子を伝える。

「本当に……ディック様だったのだな?」

「はい、先程まで一緒に居ましたから間違いありません」

「大魔導士ディック様は……既に亡くなっておられる」

 村長は静かに言った。

 この時になってようやく、彼らはディックが眠っているのではないことを知った。

「は!? では、我々が一緒に居たディック様は!?」

「おそらく……ディック様の……大魔導士様の最期の思いがそうさせたのだろう」

 そんな……幽霊だったのか……――彼らは口々にそう言った。

 そして、しばしの沈黙が訪れた。

「本当に……最後の最後まで、お疲れ様でしたなあ……」

 村長はそう言って深々と頭を下げた。その目尻には、涙が浮かんでいた。

 それを見た者たちも、無言で頭を下げた。

 誰も言葉を発しない中、小鳥の鳴き声だけが響いていた。


 もう、この辺りまで来れば大丈夫だろう。

 山中を一人歩いていた弱々しい老人は一瞬粘土のような塊になると、たちまち生き生きとした若者の姿になった。

 その正体はディックの一番弟子、ファルスだった。

 途中からディックの代わりを演じていたのは、彼だった。師が久々に依頼を受けたと聞いて、不吉な予感がした彼は姿を消して付いてきていたのだ。

 師の名を、大魔導士の名を傷付けないように、上手く演じられただろうか?

 彼はそれだけが心配だった。

 ふと、ポケットに何か入っていることに気付いた。取り出してみると、飴玉あめだまだった。

 姿を消していたのに、これを入れることができたのは――全ては見抜かれていたのだ。彼が付いてくることも、彼が代わりを演じることも……。


 やはり、あなたは偉大な師だった。


 彼は人知れず涙した。


 ディックの亡骸は住んでいた離れ小島に送られ、丁重に葬られた。

 村は「ディック最期の活躍の地」として知られることとなった。

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