【短編】ドラゴンスレイヤーの代償は灰の中に

シンナ

ドラゴンスレイヤーの代償は灰の中に

――この世界アリデウスでは、12歳になると必ず一つの“ギフト”を授かる。


それはこの世界に生きる誰もが避けて通れない儀式だ。ギフトは神から与えられる祝福であり、同時に試練でもある。得られる能力は人によって異なり、同じものが現れることは極めて稀だという。そして、どのギフトにも必ず“代償”が伴う。それがこの世界の常識だ。


剣を振るだけで空間を裂く“飛剣”のような能力を持つ者がいれば、代償として体力を著しく消耗する。逆に、火を操る能力を持つ者は、その代償として極端に冷えに弱くなることもある。能力と代償――それは常に釣り合いを取るものだ。


ただし、世の中には例外も存在する。


“アウターギフト”――能力と代償の釣り合いが異常なほど偏った特異なギフトだ。例えば、100年前にドラゴンを討ち倒した英雄が持っていたギフトは、山を吹き飛ばすほどの剣技を振るう代わりに、ほんのわずかな体力を消耗するだけだったと言われている。その英雄の石像と、討ち取ったドラゴンの石化した心臓は、今でもこの町の博物館に展示されている。


それは、町に住む誰もが知る物語だ。


そして今日、僕は12歳の誕生日を迎え、ギフトを授かる儀式を行った。


祭壇の中央には神官が立っていて、左右には祝福のために集まった家族や友人が並んでいる。普段は静かな儀式の場が、今日はどこかそわそわとした空気に包まれていた。


「次は、アーク・ヴィリル。前へ。」


呼ばれた僕は緊張で硬くなりながらも一歩を踏み出す。背後からは母さんの視線が温かく注がれているのを感じた。


神官の前に立つと、彼がゆっくりと両手を掲げた。


「天の加護を受けし子よ。汝に与えられる力を、慎重に、そして賢明に使うことを――」


彼の声に呼応するように、僕の足元に光の円環が浮かび上がった。その光が体に吸い込まれ、全身が暖かな光で包まれていく。


そして、次の瞬間。


「授けられたギフトは――“変質”。」


僕がその言葉を聞いた時、胸の奥に小さな期待が芽生えた。


変質――それは、取り込んだ生物の力を自分に宿す能力。獣の鋭い牙、猛禽の鋭い視力、あるいは魔物の異能すら得られるという。


「これって……すごい力なんじゃないか?」


僕がそう呟くと、神官の表情がわずかに曇った。


「能力としては確かに強力だ。ただし……代償が非常に重い。」


代償。それは、ギフトを使う上で避けられないもの。


「君のギフトの代償は、『自分の姿形や本質を失う』ことだ。」


「姿形や本質を……失う?」


神官は深く頷くと、僕の目を見据えて言葉を続けた。


「変質の能力を使うたび、君は君自身の輪郭が曖昧になっていく。最終的には“何者でもない存在”になるだろう。」


その言葉に息を呑む。


「……それって……僕が僕でいられなくなるってことですか?」


「その通りだ。しかし、どう使うかを選ぶのは君自身だ。力に飲まれるか、力を支配するか――それを決めるのは君だよ。」


儀式を終えて家に帰ると、母さんが優しい笑顔で迎えてくれた。


「おかえりなさい、アーク。どんなギフトを授かったの?」


僕は少し迷ったが、母さんに嘘をつくわけにはいかなかった。


「変質……っていう名前のギフト。生物の力を取り込めるんだ。でも、その代わりに……僕が僕でいられなくなるかもしれない。」


僕の言葉に母さんは静かに頷くと、そっと僕の頭を撫でた。


「それでも、あなたはあなたよ。ギフトの力は道具と同じ。どんな力であっても、正しく使えばきっと素晴らしいものになるわ。」


母さんの言葉に、胸の中の重石が少しだけ軽くなった気がした。


それから数か月、僕は変質の力を使わないまま、普通の日常を過ごしていた。


友達と遊び、母さんの手伝いをし、時にはカイルと剣術の稽古をする――そんな何気ない日々。けれど、その穏やかな時間は、突然やってきた災厄によって奪われた。


「魔物だ! 魔物が町に攻めてきたぞ!」


黒煙が空を覆い、人々の悲鳴が響き渡る。突如現れた魔物の群れが町を蹂躙し始めたのだ。僕と母さんは、町で最も頑丈な建物――博物館へと避難した。


博物館にはすでに多くの町民が集まり、怯えた表情で身を寄せ合っていた。その中央に鎮座するのは、ドラゴンの石化した心臓。


僕はその巨大な心臓を見上げながら、英雄の物語を思い出していた。


「英雄は……こんな時、どうしたんだろう……」


その時、外からの悲鳴と爆発音が響いた。


「だめだ! 防ぎきれない! このままじゃ町が――」


町の外では、魔物を食い止める戦いが続いている。しかし、それが押し返されつつあることは誰の目にも明らかだった。

僕は、自分が何もできないことに胸が締め付けられた。


博物館の中は怯えた人々のざわめきで満ちていた。子どもを抱きしめる母親、神に祈りを捧げる老人、そして自分の非力さに歯噛みする男たち――その誰もが、一歩でも外に出れば命を失うと理解していた。


外からは絶え間なく響く爆発音。地を揺るがす魔物たちの咆哮。戦っているはずの人々の悲鳴が混ざり、胸を締め付ける恐怖と焦燥感が募る。


僕もその中にいる一人に過ぎなかった。


「僕に……何ができるんだ?」


ふと、目が巨大な石化した心臓に吸い寄せられた。英雄が討ち取ったドラゴンの心臓――その伝説は子どもの頃から何度も耳にしてきた。


――英雄は、この心臓を持つドラゴンを討ち取った。町を救い、多くの命を守った。


「でも、僕は英雄じゃない……」


僕は唇を噛みしめる。手は震え、心は締め付けられるばかりだ。


「変質の力を使ったら、僕は……僕でいられなくなる。だけど……」


考えれば考えるほど、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。自分が生きる意味とは何か。命を守るために、何を犠牲にするべきなのか。その問いの答えは、どれも曖昧でどれも怖かった。


「それでも……使わなかったら、きっとみんな……」


顔を上げると、目に映るのは怯えた人々の姿だ。彼らは戦えない。戦えるのは――いや、戦わなければならないのは僕しかいない。


心臓の鼓動が早くなる。


「……ごめん、母さん。僕……行くよ。」


母さんの顔を見られなかった。僕はまっすぐドラゴンの心臓へと向かう。


手を心臓に触れると、冷たさと硬さが伝わった。だが、同時に体の奥底から熱が湧き上がってくる。


「これが……変質の力……」


光が弾けた。心臓は音を立てて砕け散り、僕の体に吸い込まれていく。熱が骨の髄まで浸透し、肉体が軋むような感覚が全身を駆け巡る。


「ぐっ……!」


両膝をつき、額を床に押し付けた。骨が変形し、皮膚の内側から鋭い鱗が現れる。腕が太くなり、爪は鋭利な刃物のように変わっていく。


「う、ああああああ!」


叫び声をあげる僕の声も、いつしか低く濁ったものに変わっていった。


気づけば――僕はもう、僕ではなかった。


外へと飛び出す。


足元の石畳が崩れるほどの力強さで地面を蹴り、魔物の群れへ突進した。


僕の腕――いや、ドラゴンの腕が巨大な魔物を一撃で切り裂く。爪が深々と魔物の体を引き裂き、その血が辺りに飛び散る。炎を吹き付け、魔物の群れを焼き尽くした。


「これが……ドラゴンの力……!」


喜びではない。恐怖でもない。胸の奥から湧き上がるのは、抑えようのない衝動だった。破壊の快感。


「もっと……もっとだ……!」


その衝動に任せて、僕は無我夢中で魔物をなぎ倒していった。


だが、上空から巨大な影が覆いかぶさる。


「……来たか。」


頭上を見上げると、そこにはドラゴンがいた。黒い鱗に覆われた体。口から漏れ出る炎の気配。それは紛れもない、伝説に残るドラゴンそのものだった。


ドラゴンが空を裂く咆哮を上げると、次の瞬間、炎が降り注いだ。


炎が町を覆い尽くした。


爆音とともに家々が崩れ、人々の悲鳴がかき消される。熱がすべてを焼き尽くし、命の痕跡すら残さない。


気づけば、僕以外のすべてが消えていた。


「……母さん……?」


周りを見回す。けれど、そこには灰しかなかった。母さんも、友達も、何もかもがなくなっていた。


胸がぎゅっと締め付けられるような感覚があった。だけど――涙が出ない。


「なんで……泣けないんだ……?」


それでも、胸に広がる喪失感は確かにあった。


僕は自分を見下ろす。鋭い爪、硬い鱗、燃える瞳――そこにあるのは、もう“僕”ではなかった。

僕は自分の姿を見る。鋭い爪、硬い鱗――そこにあるのは、人の形を保っていたが、もう“僕”ではなかった。


けれど、それは今やどうでもよかった。僕が何者であろうと、この目の前に広がる景色は変わらない。


――焼け野原。


焦げた匂いと漂う灰が、すべてを物語っている。


町は壊れた。人は死んだ。そして、その中心には僕がいる。


「守るためだったのに……」


声を漏らした瞬間、胸の奥にじわじわと痛みが広がる。守ろうとした気持ちはあった。あの時、逃げる道を選ぶこともできた。それでも、僕は――選んだんだ。


ドラゴンの力を得ることで、町を救えると信じて。


けれど、結果はどうだ?


僕の手は何も救えなかった。


この鋭い爪で引き裂いたのは魔物たちだけじゃない。僕の体が耐えられた炎に、ほかの人たちは焼き尽くされた。


――僕が何もできなかったせいで。


「くそっ……!」


拳を振り下ろす。地面が砕け、瓦礫が飛び散る。けれど、虚しさは消えない。


「なんでだよ……なんで……!」


悔しさが湧き上がる。その感情がとぐろを巻き、体の中で膨れ上がっていく。


「お前のせいだ……!」


ふいに、胸の奥で感情が弾けた。


それは、僕の中に芽生えた燃えるような怒りだった。


「ドラゴン……!」


あの炎を吹き付け、すべてを壊したあの存在。そいつさえいなければ、町は焼かれず、母さんも友達も生きていたはずだ。


「殺してやる……!」


自然と、口からその言葉が漏れる。


手に力が入り、鋭い爪が音を立てる。復讐心が胸を支配していく。もう、僕はドラゴンを倒すためだけに存在している――そんな気さえしていた。


空を見上げる。焼けた空の向こうに、黒い雲が垂れ込めている。その中にあの影がいるのかどうかもわからない。けれど、今の僕にはそれで十分だった。


「お前がどこにいようと……必ず見つけ出して、討つ。」


声にこもるのは憎悪。怒りで心が満たされていくのを感じる。


「何もかもを焼いた分……今度は、僕がお前を焼き尽くしてやる……!」


爪を地面に叩きつけ、焼け野原を歩き出す。


旅立つ足取りは重くはなかった。むしろ、無力感を背負っていた時よりも力強いものに感じた。


「もう戻れない。」


後ろを振り返らない。それは、この足元に刻まれた焦げた町が、僕が背負わなければならないものだと理解していたからだ。


「この力を、僕は使う。」


変質の代償を受け入れる。失った感情も、人としての姿も――すべて、もう戻ることはない。


それでも、あのドラゴンを倒すために進む。


空は焼けたままだ。


その中でひときわ濃い雲が垂れ込める遠い空に、ドラゴンがいるかもしれない。


その影を追うように、僕は歩き続けた。


焦げた風が僕の背中を押し、焼け野原に足音だけが響いていた。

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