【カクヨムコン中間選考突破】母へ

月代零

さようなら、お母さん

「つっかれたーー……」


 慣れないヒール高めのパンプスを乱暴に脱ぎ捨て、黒い革のバッグとスーツのジャケットをリビングの床に放り投げる。それから、これは放り投げてはいけない、白い布に包まれた一抱えほどの箱――遺骨を、そっと床に置いた。


 今日は、母の葬儀だった。一人娘のわたしは人生で初めての喪主を務めて、へとへとになっていた。人前に立つことや、弔問客の相手をすることももちろんだが、「母を失くして悲しんでいる娘」として振舞うことが、殊更疲れた。


 少し前から体調を崩し、入退院を繰り返していた母は、この冬、あっけなくこの世を去った。風呂場で倒れて、そのまま亡くなったらしい。近所に住む母の妹――わたしからすると叔母さん――がたまたま様子を見に来て、発見に至ったようだ。


 葬儀は身内だけでひっそり終わらせてもよかったと思うのだが、叔母さんが親戚やご近所さんなどに連絡して、一般的な規模の葬儀を行う運びとなってしまった。わたしも叔母さんには世話になっているから、あまり文句も言えないのだけれど。

 そして諸々を終えて、わたしは遺骨と共に、一人暮らしのマンションに帰ってきた。何故かと言うと、母は生前、父と同じ墓には入りたくない、散骨してほしいと言っていた気がするからだ。


 それだったら必要な手続きとか、業者の選定とかしておいてほしいと思うのだが、全く何も用意されていなかった。はっきり遺言に遺されていたわけでもないから、知らなかったことにして父の家の墓に埋葬してしまえばいいと、心の隅で思うのだが、そうする思い切りもない自分に、少々腹が立つ。


 あの人はいつもそうだ。それとなくほのめかしておけば、誰かがやってくれるだろうという甘えが、言動の端々に滲み出る。はっきりとお願いはせず、自分で能動的に動くようなことはしない。卑怯だと思う。


 子供のわたしから見ても、両親の仲は良くなかった。母は事あるごとに、結婚なんてしなければよかった、別れられるなら別れたいとぼやいていた。その言葉は、幼心にも自分の存在を否定され、また自分が母の人生の枷になっているようで、胸の奥に重苦しい痛みを覚えたものだった。

 そしてわたしは、高校卒業と同時に家を出て、以来ほとんど帰っていない。父も母も好きではなかったし、帰る理由なんてなかった。子育ては終わったのだから、あとは好きにすればいいと思う。それでも、いがみ合いながら一緒にいる理由は何なのだろう。世間体だろうか、二人にしかわからない何かがあるのだろうか。いずれにせよ、わたしの知ったことではないけれど。


 父は数年前に他界し、今回わたしの手には母の遺骨が残された。実家の片付けも残っている。

 こんなものを残されても困る。大いに困る。それが正直なところだった。


 とりあえず、ソファに寝転がってスマホを手に取り、散骨に付いて調べる。そして上の方に出てきたサイトをいくつか眺め、「うう……」と唸った。

 費用は数万円から数十万円ほど。払えない金額ではないが、遺恨のある相手に気持ちよく使える額でもない。早く手放してしまいたいが、勝手に処分すれば死体遺棄や死体損壊の罪に問われてしまうらしい。


 たまたま目に入ったが、遺骨から炭素を取り出し、それをダイヤモンドに加工するなんていうサービスもあるようだった。ただし、こちらは更に目玉の飛び出るような費用がかかるし、第一そんなふうにして遺骨を手元に残すつもりはさらさらない。

 確かに、ダイヤモンドは炭素の塊だ。人間も、他のどんな生命も、突き詰めれば元素の塊だ。それがダイヤモンドに加工されることがあっても、何ら不思議ではないのだろう。


 ふと、娘にそんなふうに疎んじられてしまう、母の人生を思った。あの人は、幸せだったのだろうか。何をよすがに生きていたのだろう。

 結婚しなければよかったとぼやく一方で、わたしには「あなたが幸せならいいの」と、お仕着せのような台詞を吐いていた母。どれがあの人の本心だったのだろう。直接聞いてみればよかったのだろうか。でも、もう遅い。


 たとえ結婚や子供の存在があの人の枷になっていたのだとしても、わたしにその責任を追う義務はないのだ。

 母の人生は母にしか背負えないし、わたしも自分の人生しか背負えない。この思いも全て抱えて生きて、わたしもいつか元素に還るのだ。


「さようなら、お母さん」


 四十九日が過ぎたら、散骨を請け負ってくれる業者に連絡しよう。それでいい。

 わたしはよっこいしょと立ち上がり、冷蔵庫から缶チューハイを取り出して一気にあおった。



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