最終話 レイズ・ミー・アップ

 三ヶ月が過ぎ、星来が一般外科の研修を終える頃。

 凌雲りょううん大学病院は新聞各紙と地方ネットのテレビ局、インターネットでパブリック・コメントを公表した。


『一般的に切除不能に分類される脊椎肉腫の切除に成功し、対象になった患者が高いスポーツレベルに復帰した。

 統括診療部長率いる外科系スタッフのチームが協力し、高度なロボット支援手術で行われ、おそらく世界初の手術症例である。

 このロボット手術チームは、さらに数ヶ月前に脊髄修復を併用した胎児手術にも成功している。こちらも良好な経過であり、母親は帝王切開にて出産を完了し、新生児の発育も順調である。』


 ************************************


「あんな事言ってるけど、本当はまだ練習試合に少し出ただけなんだぜ」


 病院のカフェテリアで、大盛りのカツカレーを平らげながら蓮は愚痴った。

 星来は前に座って遅めの昼食をとっている。

 もう三時なのだが、蓮にとってはオヤツなのだそうだ。

 今日は彼の定期検診日で、それに合わせて星来は仕事を抜けてきたのだ。


「体の調子は大丈夫?」

「うん、足先に少ししびれがあるけど、それ以外は」

「そう……」

「あんまり深刻な顔しないでよ。まだまだ練習はしていくし、生きてるだけですごい、みたいなんだから」

「でも……」

「とりあえず一般入試で大学に入れる様に勉強を再開したけど、俺、ねーちゃんみたいに賢くないからなぁ」


 蓮の強さがまぶしく思えた。

 小児ガン患者は進学の遅れなど、人生の初期に大きなハンディキャップを負うことも多い。まだ未成年でも、それまで思い描いていた人生の目標を諦めなければならないこともある。


「えらいよ、蓮くん」


 医師に出来る事など大きくない。

 医師治し、自然癒す。

 彼を健全たらしめているのは、彼自身だ。


「あら、弟さん?」


 赤ん坊を抱いた女性に声をかけられた。

 甲斐美春だ。

 子供は、胸の前に着けた抱っこ紐の中でスヤスヤと眠っている。


「いいえ、彼氏です!」

「蓮くん……嘘ついちゃ駄目でしょ」

「はは、さすがにカップルには見えないわ」

「美春さん、今日は?」

「主人に届け物。ついでにこの子の顔を見せようと思って」


 美春が体を傾け、星来に顔を見せようとすると、赤ん坊は目を覚まして手足をパタパタと動かした。


「あらあら、ほんと、眞杉先生に会うと元気になるわねぇ」

「何だか……すみません」

「ふふ、この子があなたを嫌ってるなんて、主人の言う事なんて気にしないで。きっとそうじゃなくって、大好きなのよ。はいはい、綺麗なお姉さんにはバイバイして、パパのところに行きますよ。眞杉先生、失礼します」

「はい……失礼します」

「綺麗なオネーサンかぁ……」

「な、何が言いたいの? 蓮くん」

「確かに、あの陰キャのセイラねーちゃんが、随分綺麗になったよなぁ。どちらかと言うと、かわいい系だけど」

「な、生意気言わないの!」

「あ、俺もそろそろ帰らなくっちゃ。親父が迎えに来るんだ。ねーちゃん、バイバイ」


 皿半分ほど残っていたカツカレーを瞬く間に片付け、蓮は走って行った。

 星来はほっとため息をついて席を立った。

 今日は週に一度、彗に会う日なのだ。


 彗は施設の嘱託医や当直を減らし、定期的に先端医学講座に顔を出す様になった。

 星来の指導のためだ。

 厳しい評価を受ける事もあるが、楽しみな時間でもある。

 岸統括診療部長は今後も、ロボット支援手術のオペレーターとして星来を育成・活用していこうと考えているらしい。

 だが、華々しく発表される成果の中に、星来の名前は無い。

 成功は自分の物にして、失敗した時は切り捨てるつもりなのだろうと、麗美は憤慨している。

 それでも自分の能力が他人ひとの為になるなら、と言うと、「お人好しが過ぎる」と叱られる。

 先端医学講座の研究室に行くと、すでに彗は座ってコーヒーを飲んでいた。


「お待たせしました、すみません」

「いや、いい」

「なかなか派手に花火を打ち上げているな、大学病院は」

「はい」

「実際には、患者の経過はどうなんだ?」


 医療の華々しい発表、特にマスコミを通した情報は過大な成果にされていることが多い。彗は承知していた。

 星来は説明する。


「甲斐さんの赤ちゃんは足首の力が弱い可能性があると言われています。蓮くんはまだ五年は経たないと、治癒とは言えません。肺に小さな転移を疑う病変があって、経過観察中です」

「そんなものだろうな。失敗か成功か――さらにはその治療が患者の人生にとって最良であったのか、など、年単位で見ないと分からない」

「はい」

「では、今日の課題に取り組むか」


 今日のシミュレーションは肺があるスペース、胸郭と腕神経叢だった。太い鎖骨下動脈を取り囲むように神経が並んでおり、複雑だ。

 何度か修正のアドバイスをもらって終了した。


「はあ、難しかった……」

「よくやった……正直、パブリック・コメントが出て、慢心しているところが無いかと思っていたが、杞憂だった」

「慢心なんて……とてもまだ。自分に自信なんて無いです……」

「自己肯定感の低いところが、お前の欠点でもあるが長所でもあるな」

「だって、いまだに診察室ではうまく口もきけませんし……」

「少しは自信を持て。二つの手術は……手放しで称賛とは言わんが、限界を突破した、良い手術だった」

「……先生、どうもありがとうございました」

「お前の手術だよ。俺は何もしていない」

「私、何だか……実感が無いです」

「何かをやり遂げた時は、案外そんなものだ」

「先生の言う通りでした。……私は目の前の事を頑張ることしかできません。結局、患者さん達は自分の治す力――自然の力で癒されていくんだと思いました」

「医は自然の臣なり、か。謙虚だな。自覚は無いかもしれないが、お前は少しずつ変わっている。……良い方向に」

「そうなら良いんですけど……」

「お前のおかげで俺も変わった……色々とな。感謝している」

「かんしゃ……ですか?」


 彗の最後の言葉は、どういう意味なのか分からなかった。


「しかし……星来、本当に……よくやったな」

「は、はいっ! ありがとうございました」


 彗はカップのコーヒーを飲み干して立ち上がった。


「今日は、これで帰る」

「はい……あの……」

「何だ?」

「私、まだ足りないことだらけです。これからも、ご指導を……よろしくお願いします」


 星来が立って頭を下げると、彗は頭を軽く撫でた。


「ああ、また来週」

「……はい、あの……それと」

「まだあるのか? 何だ?」


 彗は笑って星来の頭から手を離した。


「途中で相談したい事があったら……」

「連絡しろ」

「……ありがとうございます」


 去って行く彗を見送り、星来はため息をつきながら腰を下ろした。


 ――まさか、褒めてもらえるなんて。


 彗の手の感触が頭に残っている。

 それを追うようにそっと触れた。

 頭を撫でられるなんて、いつ以来だろう。

 父の手とは違って、柔らかかった。

 ふと、何度も見た記憶の夢を思い出した。


 あの雪の日に会った青年の手――。

 一人で泣いていた自分の雪を払い、白衣を広げて降る雪から守ってくれた。

 そういえば、あの青年の瞳の色も緑がかかった不思議な色をしていた。


 ――こぼれる命もすくい取れればいいのにね。

 青年の言葉だ。


 彗先生の目の色も同じ……?


 ――あれ?


「あれ、あれれ? え……どうしたんだろ」


 大変だ。顔が熱い。鼓動が速まって、心臓が爆発しそうだ。


「何で? 何で?」


 頬に手を当てて冷やそうとする。インフルエンザになったみたいだ。いや、そうかもしれない。こんなに急激に体温が上がるなんて。


「やー、星来、お疲れ様! 何か美味しい物でも食べに行こうよ」


 麗美が研究室にやって来た。顔を真っ赤にしている星来と、机の上にあるコーヒーカップを見比べる。


「クンクン、恋のニオイがする」

「そ、そんなんじゃないからっ!」

「いや、絶対間違いない」

「ちがうって!」


「お、二人ともそろっていますね。ちょうどいい。また新しい症例の手術相談が来ましたよ」

「古市先生!?」

「やったねセイラ! またケイセンセイに、いっぱい会えるじゃん!」

「だから、ちがうったら、ちがうってば!」

「おや、これは……何ともにぎやかな。さてさて、今度はどんな人間の奇跡が観察できるのやら。楽しみで仕方がありませんね」


 古市は面白そうに髭を撫でた。







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