眠りの砂漠【短編・旅日記】

冬野ゆな

眠りの砂漠についての記述

 公国からずっと西に行ったところに、眠りの砂漠と呼ばれる広大な砂地がある。

 東西にまたがる巨大な岩場である、アバード砦を越えた先にある砂漠の一角である。このあたりの砂漠は小さな村や街が点々と存在しているのであるが、どこの人間であっても眠りの砂漠には近づかないという。砂漠の砂は眠り薬の材料として重宝されているのにも関わらず、である。

「毒を平らにして薄切りのサラミよりもなお薄くしたものの端切れを、ちょいと食べるのが薬であるなら、あそこは伸ばしていない毒そのものだからさ」

 バザールの男は白い歯を剥き出しにしてそう言った。

 つまるところ――眠りの砂漠そのものは、強烈な眠気に逆らえなくなる死そのものなのだ。


 わたしが眠りの砂漠を目指したのは、偶然赴いた小さな村に恩を返すためである。

 砂漠の目印を見失い、食糧も尽きたまま数日間彷徨ったあげく、とうとう水も無くなったわたしは、偶然村の外に出ていた村の子供に助けられることとなった。彼は、見ず知らずの旅人であるわたしに手を差し伸べてくれたのである。体調が戻るまで世話になり、そのあいだ、彼になにか欲しいものは無いかと尋ねた。

「わたしの持つものであればね。ここに来るまでの間に多少はやりとりがあったんだ」

「それじゃあ、婆ちゃんのための薬が欲しいんだ」

「薬というと、どんな?」

 彼は祖母と二人暮らしだった。両親は村落の人間と行商で外に出ていて、半年は帰ってこないということだった。

 祖母は健康そうに見えたが、最近は眠りが浅くなって、昼間のうちに眠ってしまう事が多くなったという。そういえば、すり切れた服の手直しをしながらうとうとしているところを一度見た。あれは歳のせいではなく、夜中に眠れていないせいだったのか。彼いわく、そんな祖母のために眠り薬が欲しいのだという。

「あの日、外へ出たのも、風に乗って眠りの砂漠の砂が飛んできやしないかと思ったんだ」

「ここへ飛んでくることはあるのかい?」

 彼は首を横に振った。

 海に砂糖粒をひとつ入れたとして、海が砂糖の味になるだろうか。

 つまりはそういうことだった。

 彼は祖母のために、準備をはじめていたところだった。このままでは彼自身が眠りの砂漠まで赴いてしまいそうだった。ゆえに、わたしが代わりにその役目を引き受けることにした。

 死にかけていた旅人に頼むのも彼は気が引けていたようだったが、わたしはいくらかの食糧と水を融通してもらって出発した。


 眠りの砂漠までの目印を教えてもらい、わたしは慎重に砂漠を渡った。

 いくらかの丘を越えて、砂漠から大きく斜めに突き立つ古代の塔が見えてくると、道が間違っていないことを確かめる。砂のせいで倒れきらない塔は、塔の上部がよく見えた。既に崩れていて人が立つには向かない。いつか崩れやしないかと思う。

 ここを北へと向かい、そのあいだに夜をふたつ越えた。

 旅路はこれといった障害もなく進み、わたしはやや安堵にも似た気持ちで砂地を渡り続けた。

 最後の目印を後にすると、この先にすぐ岩場が見えてくるはずだと聞いていた。すぐとは言ったが、それらしいものは無い。はやる気持ちをおさえて、「すぐ」というのがいったいどの程度なのかを考えた。結局二時間ほど歩いたところで、ようやくそれらしい岩場が見えてきた。確かにこれまでの道のりに比べれば「すぐ」だ。わたしは気を取り直す。

 砂の中からいくつかの岩場が風よけのように存在している。その真ん中を突っ切ると、不意に強烈な眠気を覚えた。足元がふわりと浮いたようだった。膝が落ちそうになり、気持ちのよいふわふわした感覚に見舞われる。

 これが眠りの砂漠の力か。

 わたしは奥歯に仕込んだ気付薬を噛みしめた。苦い味が口に広がり、わたしの意識を無理矢理に覚醒させてくれる。気付薬も安いものではないが、永遠の眠りにつくよりはいい。

 ゆっくりと周囲を見回す。

 入り口付近には骨らしきものが転がっていた。

 それが人なのか獣なのかわからずとも、砂の上で死んだように――あるいは眠るように死んでいる鳥を見れば一目瞭然だった。ここに長くいるのは危険だ。わたしは口元まで覆っているマフラーを鼻でおさえ、更に奥に進んだ。口の中の苦味がわたしの意識をなんとか引っ張り上げている。

 死体や骨の無いところを選び、瓶の中に砂を採取しようとしゃがみこむ。

 そのとたんに、これもまた強烈な眠気が襲ってきた。

 わたしは自分の頬を叩きながら、なんとか砂を採取し終えた。

 急いで立ち上がると、すぐさま眠りの砂漠に背を向けた。なにゆえこんな場所が出来ているのかわからない。興味はあるが、調査をしようと思えばもっと専門的な装備が必要なはずだ。


 ともかくわたしは、這々の体で眠りの砂漠から離れた。

 離れてもどこか眠気がとれなかった。眠りの砂漠と言われるだけはある。

 だがおかげで砂は手に入った。少なくとも多少は使える――と、思う。

 そこからまた二日ほどかけて、わたしは村へと戻った。あの祖母と孫はわたしの帰還を喜んでくれた。孫はさっそく砂を調べ、調合を始めた。彼が薬を作っている間、わたしは五日ぶりに再びの安堵した眠りについた。


 二日後、わたしは彼らに別れを告げて旅に戻ることにした。

 薬の礼として――(そもそもわたしは助けられた礼として眠りの砂漠に行ったのだから、礼というのもおかしいが)眠り薬をみっつばかりもらい受けた。紙に包まれた眠り薬を鼻から吸い込めば良く眠れるのだという。

 村を離れて、気ままな旅路に戻ったその日の夜、古代遺跡の影にキャンプを張ったわたしは薬を手を取った。使ってみるかどうか紙の包みを前にしばし悩む。

 だが薬に頼らずとも、今晩はよく眠れそうだった。

 遺跡の影に、月明かりが優しく落ちた。

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