ひとつまみのエラー
伊月素乃
1話
〈ごめん、今週末出張入ったから旅行行けなくなった〉という連絡が来て、(え、休日に出張?)と思った。でも〈それは仕方ないね、気にしないで〉と理解のあるふりをした。
続けて送った〈最近出張多いよね?大変だ〜〉には(本当に出張なの?)という疑念が隠されているけれど、気付いているのか否か、また気付いている上でスルーをしているのか。
〈忙しい笑〉という返事に、(笑う前に申し訳なさそうな態度を取るか、ていうかまずリスケをして、まだ出来なくてもその意思があることくらいは示しなよ)と大きく不満を抱いた。
それでも、それらを全部飲み込んで〈無理しないでね〉とかたちだけの優しさを生み出した。本当なら、今すぐにでも〈浮気相手と会うから?〉と右ストレートをぶちかましたい。
私の彼氏は、きっと浮気をしている。
「
呼びかけにつられて顔を上げると、ちょうど私の顔を覗き込もうとしている同期の
一瞬にして苛立ちが湧くも、その背景に二十時を回りそうになっている丸時計が見えて、なんだかいっきに疲れに襲われる。苛立ちは他所へ追いやり、ひとまず処理中の業務を中断してエクセルを閉じる。
「何か用事?」
「いや、もう退勤した。上がんなら飲み行こ」
「他誰かいる? 二人ならやめとく」
「メグがいる」
「じゃあ行く」
「りょーかい。下で待ってるからなるはやで」
軽やかに手を上げて私の視界から消えていく男。同期とはいえ、異性と二人きりで食事に行くことを私と彼氏の間では容認されていない。
〝黙っていればバレないよ〟と大抵の人は言うけれど、それは私のポリシーに反するし、一度でも自分に不潔な嘘を塗ることになれば、気付かない間に不貞を遮る線なんてものは消えてしまう。
きっとそうやって徐々に罪の意識が薄れて、人は簡単に浮気をして、繰り返す。
「メグどこで飲んでるって?」
「駅前の立ち飲み。まだ部長に捕まってんじゃね」
「え、私も連絡しようか」
「由奈からも連絡来たらメグ気遣わね?」
「……たしかに」
駅ビル内の居酒屋に入り早一時間。すでに四杯目のビールが残り僅かとなっている。私にしては珍しい速さだ。それもこれも彼氏への不満、不安、不信感がそうさせる。
先に店で飲んでいると思っていたもう一人の同期メグは、ここへ来るまでにおそらく総務部長に捕まり、その総務部長が常連の店で飲むことになってしまったらしい。紀良がやり取りをしてくれているから、あまり向こうの状況が読めていないけれども。
「メグが来れそうにないなら、私帰ろうかな」
「何で?」
「こういうのだめだから」
「かってえな。飲んでるだけだろ」
「それでも、彼氏がこの状況になったら私なら〝同期なんだし理由を話せば途中で帰れたでしょ?〟って思うよ」
残り僅かとなっているビールを飲み干す。隣からは「ふうん」と興味なさげな相槌が届く。一応「ごめん」と謝ると、「やだ」と断られた。紀良と私が見つめ合う謎の時間が発生する。
カウンターテーブルに肘を突き手のひらに顎を乗せ、顔を傾ける紀良から無料で色気が放たれる。身長は百八十センチ超え。細身ではあるが、鍛えているのか華奢には見えない。シャープな輪郭に高い鼻、スッキリとした目元に薄い唇、優しげな黒い髪。
品があるザ、モテ顔の男は爽やかな笑みを浮かべて周囲を魅了する。が、蓋を開ければ女をひめくりカレンダーのように切り捨てもて遊ぶ節操なし。
……うん、私も今日はすでにほろ酔いだし、尚のことこの状況は良くない。
「ごめんやっぱ私帰」
「――由奈、知らないふりして、悪い女だね」
私の声を遮った紀良がうすい笑みを浮かべる。カウンターテーブルの上に背面を上にして置いていたスマホを持ち上げ、軽く操作をして画面を私に見せる。
「……何これ」
「由奈」
「じゃなくて」
「ああ、俺?」
暗闇に動く二つの影。ベッドのヘッドサイドにあるウォールランプがその影に映る人物達の顔を明かす。動画は消音になっている。けれども艶かしいリアルな音が脳裏に流れ込む。……知っている。私はこの夜に起きた出来事を。
視線が下がる。紀良がほくそ笑んでいるのが伝わる。紀良の指が私の人差し指を摘み、爪先までゆっくりと移動する。
「一緒に帰ろっか」
鼓動が速まる。アルコールが足の爪先から頭まで巡っているのか、熱くて頭がふわふわして、異様に気持ちが良い。会計を済ませた紀良と一緒に店を出て、まだ人がたくさんいる道を並んで歩く。
肩がぶつかると腰を引き寄せられ、そして、どちらからともなく指を絡め合う。
〈もうキャンセルした?出張来月にずれた!〉
不貞を遮る線は、どこにも見当たらない。
ひとつまみのエラー 伊月素乃 @imsooono
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