溺れる者は母をも掴む

月森優月

1

 溺れる者は藁をも摑む。

 私はその藁を掴んでいた。――母という、もろく、弱く、それが故に強くあろうとする人を。

 掴んだ藁はいとも容易く千切れてしまったけれど。

 私は母を赦さないと決めた。三十八歳、冬の日だった。

  陽光がカーテンの隙間から差し込んでいる。寒さに手を包みながらカーテンを開けると、眩しいほどの晴天だった。雀が目の前の電線から飛び立ち、チュンチュンと軽やかに鳴いた。

 母が死んで初めての朝。持病がなかったのに母は突然脳梗塞で死んだ。我が強くて、刺しても死にそうになかった母の最期はあまりにも呆気なかった。悲しみは津波のように寄せては返し、母の訃報を聞いた日は何度も泣いた。急いで実家に帰り、色々な手続きをした。義父は何にも出来ない人だった。あまりにも馬鹿で無知だったから、面倒なことは私に全て押し付けた。電話をかけたり、病院やら警察やらと対面しているときに泣くわけにはいかないから、心を殺してただ目の前のことをこなした。早急にやらなきゃいけないことを一通り終えたあとは、部屋の隅で涙を何回も何十回も流した。義父と会話らしい会話も特にしなかった。義父のことはどうでもよかった。義父に愛されたいなんて思ったことがない自分は、どこか歪んで育ってしまったのかもしれない。

 自分が正しい愛され方をされてなかったと気付き始めてから数年、私は母を憎むことすら出来ないでいた。ずっと母はそんな感じで、それが普通じゃないと気付く術がなかったから、辛さも淋しさも押し殺してなんてことないいった顔で生きてきた。

 でも、気付いてしまった。結婚をし、新たな家庭を築こうというスタートラインに立ったとき、母がおかしいということをやっと受け入れられるようになってきた。

 夫と手を繋ぎ、抱きしめられ、必要とされる。それでも私は常に不安だった。

「大丈夫だよ。俺が大事にするから」

 そう言われても、私は常に母にかけられたかった愛情を探していた。

「すごいじゃん。仕事で褒められるなんて俺でもほとんどないのに。努力が報われて良かったね」

 仕事のことを褒めてくれる夫に頭を撫でられると、これが母の手だったらよかったのにと思ってしまう。夫の温かい言葉が胸に満ちると、母が何も言ってくれなかった淋しさが胸を締め付ける。

 母からの愛情の飢餓は、母が死んだことで着地点を完全に見失った。私の気持ちが辿り着くべき場所はどこなのか。答えは多分、私にしか分からないのだろう。

 

 むかしむかし、私は母に期待されずに育った子供だった。勉強しなさい」とも「いつまで寝てるの」とも言われたことはなかった。

 だから、私が不登校になったときも母の諦めは異常なほどに早かった。

「今日も休ませてください。はい、すみません」

 布団を頭から被っていても母の声は聞こえてしまう。ごめんね。という気持ちはなかった。ただ、私はイラついていた。先生にすみませんと思う気持ちは微塵もないのを知っているし、「大丈夫?」と声をかけてくれることも最初のうちだけだった。

 私の昼ご飯を作り、ばっちりと化粧をして「じゃあ行ってくるね」と家を出て彼氏に会いにいく。ひとり残される部屋で、早く時間が経てばいいと思った。時間がどんどん過ぎて学校卒業してしまえばいいのに。卒業した先に何があるかなんて想像もしたくないけれど。

 むしろ私は、卒業出来るのだろうか。出来たとしても、卒業後生きていけるのだろうか。

 でも、私は結局負けなかった。学年が上がるときに私は学校へ復帰した。復帰した始業式の足の震えと手のひらの汗。誰も助けてくれなかった。誰も声をかけてくれなかった。だから、私は自分で自分に打ち勝ったのだ。一人で闘い、一人で耐えた。精神と身体が耐えきれなくなって時々休みつつも、無事中学を卒業したのも、私一人の頑張りでしかなかった。母の力添えなんて、なかった。

 母は私を守ってくれない。大人になって出来た彼氏も不登校気味だったことがあるらしく、そのときは母親がフリースクールを探してくれたり、一緒に学校の近くまでついていってくれたという話を聞いた時、涙が零れたのは何故なのか。分かっている、きっと私は母に守ってほしかったんだ。寄り添って安心させてほしかったんだ。

 母は結局私が不登校時代付き合っていた彼氏とは破局したし、無口でつまらなくて父性の欠片も感じさせない男と再婚した。つまらない人間と一緒にいれば、自分が正しいと思い続けられるという優越感が母は欲しかったのかもしれない。義父は母の踏み台でしかなかったのだろう。

 私は愛されてなかったわけではないって分かっている。母はいつも自分を貫き通し、非があっても謝ることもせず、喧嘩した時は無視されるだけだった。でも、美味しい料理を毎日作ってくれて、洋服や雑貨を買ってくれた。それが正しい愛情ではなかったと三十代になってから気付いた時、酷く絶望した。母は母らしいことをしていなかった。学校復帰したって表面上褒めてくれただけで、次の日には学校でどう過ごしているか聞いてくることもなかった。

 私は母に期待していた。褒めてほしい、たまには叱ってほしい、そんな僅かな期待は母の死によって消えてしまった。

 実家にはまだ母の元彼の影が残っている。元彼と写った写真が本棚の一番端にねじ込むようにして隠してあった。母にも、写真が見つかったら後ろめたいという気持ちがあったのだろう。

 窓を開けると凍りつくような空気が滑り込んでくる。私は母を振り向いた。母は窓辺の布団に寝かされている。化粧をほどこされ、生前の気の強さはどこにも残っていない。長い睫毛は私も遺伝したなと感じた。

 これで母を赦すことなんでしてはいけないと思った。死んだら全て水に流すなんて、そんなの綺麗事でしかない。そんなことで私の心は癒されない。

 母の青白い顔が陽の光に照らされる。微動だにせず、目を開けることもない母。

「お母さん。私、お母さんのこと赦さないよ」

 だから、忘れないよ。いつか母を赦せる日まで。私はちゃんと母を憎もうと思った。

 私は藁を失った。夫は藁にはなり得ない。でも、今まで掴んでいた藁が毒を持っていたのなら、掴まないでいられる人生の方が楽に生きられるのかもしれない。これからはもう少し楽に生きてもいいのかもしれない。

 お母さん――。

 私は母をちゃんと憎むことが出来る。憎んで憎んで大嫌いになったあと、いつか赦せる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。

 分かっていることが一つだけある。

 今の私はもう、藁がなくても溺れないだろう。

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溺れる者は母をも掴む 月森優月 @november1102

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