刃に手を添える、あなたの涙が止まる。

村山朱一

第1話 時よ止まれ。

 時よ止まれ、お前は美しいVerweile doch! Du bist so schön.

 そう唱えたのは誰だったか。

 そう唱えられたのはどこでだったか。

 分からないが――――しかし、そんな言葉が出るのは、きっとこんな光景を見たからだろう。私はなんの根拠もなく、そう思った。




 私の首に刃を這わす、君。



 かちかちと、淡い唇の中で歯が震えている。

 汗で張り付いた艶やかな黒い髪が、月夜の光に濡れている。

 私を見つめる瞳は、濡れて、黒く。

 刀を握る白い指は、細く、柔い。


 君は何歳になったのだったか。

 たしか、今年で十四じゃなかったか。

 上野で食べたチョコレヱトに、「ほっぺたが落ちそうです」なんて、恥ずかしがりながらつぶやいた君は、もうそんなに大きくなったのか。


 私を、殺せるようになるまで。



「なぜ――――」


 刃が首に食い込むのを感じながら、私は君の名前を呼ぶ。


「――なぜ、泣いているんだい。己黒みぐろ


 それで、やっと気づいたのだろう。

 ハッと息を吐く音が聞こえて。

 濡れた君の黒い瞳から、涙がこぼれる。こぼれて、白い頬を伝って、堕ちていく。

 うるうるとした瞳に月が射す。

 月光が、照らす私を反射する。


 よかった。私は笑えているらしい。


 人ならざる白の髪を夜風になびかせる、醜い私。

 死に装束の白が、月の光を弾いている。

 金の瞳を細め、笑えている。

 嗤えている。


「親の仇を殺すんだろう」


 化け物らしく、笑えているのだ。私は。



「この私を――――おしろい様を、殺すんだろう? 己黒」



 時よ止まれ、お前は美しいVerweile doch! Du bist so schön.

 本当に時が許したのならば、私は、ずっとこの夜の君を見つめていたかった。

 だけれど。

 この言葉を残したゲーテは、この言葉を刻んだ劇で、この言葉を吐いた者の魂を――――悪魔に、捧げてしまうのだという。



 刃に手を添える。

 君の涙が止まる。



 あぁ。

 こんな気持ちになれるなら、悪魔に魂を渡してやったって、良い……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

刃に手を添える、あなたの涙が止まる。 村山朱一 @syusyu101

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ