七章 炎と雨(7)
「おぬし、三廻部村でなんと呼ばれていると思う? 村を救った守り神だそうな」
あれから数日後、神域の神社を訪れた空閑が、ひよりへの差し入れにと米や食料を持って来てくれた。それから天翔の頭を撫で回して抱え上げ、常葉のほうを見て言ったことがそれだった。
「だが神以上に村で人気なのは、あのとき毅然としてはったりをかました神の嫁のほうよのう」
からからと笑いながらそう報告して、本来行うはずだった大祓よりも大分簡易的な厄払いをしてから、山の神は去って行った。
化け物が暴れたせいで破壊された神域の神社は、みなで協力して少しずつ修復していっている。曰くがあるものが収められた蔵は、外壁の修繕よりも先に再び封印をかけ直した。
平穏な日々が戻ってきた。
天翔が境内を駆け回る中で、ひよりと常葉は崩れた建物の残骸を集め、片付けていた。睡蓮が集めた瓦礫を運んで行った後、ひよりは後ろから声をかけられた。
「ひより」
「なんですか、神様」
振り返って返事をすると、若干残念そうな顔を向けられた。
「また神様に戻ってしまったな」
そう言われ、常葉が祟り神に堕ちようとしていたときに呼んだ名前のことを思い出した。
「あのときと同じ名で呼んでくれぬか」
子供の頃の記憶が蘇る。神社で会った男の子と、神だとは知らずに親しくなった。
――なんだと思う?
名前を問われ、緑の匂いから連想した名前で呼んでいた。神を勝手な名前で呼ぶなど、本来は許されないことのはずだ。
あのときも、祟り神ではない名前なら常葉がもとに戻ってくれるのではないかと必死になっていたから、自然と口にできた名だった。いまとなってはどうにも恐れ多い。
「で、ですが、神様の名前というのは大切なもので」
「常葉は祟り神として呼ばれるようになった名だ。守り神には別の名があってもよかろう」
ひよりのほうを見た常葉は、頷いて続けた。
「その名をつけたのが神のもとへ嫁いだ娘というのも、筋が通っているかもしれない」
名前をつけたのは嫁ぐずっと前のことだが。
「で、では……」
「様づけはなしで」
先に釘を刺されてしまった。頬が熱くなる。子供の頃は何度も呼んでいた名前だが、改まって頼まれると気軽に口にし難い。
しかし勇気を奮い立たせて、彼に近づき、爪先立ちになってそっと耳打ちした。囁くように、秘め事を伝えるように。
それは神社に嫁いで来た日に行われた祝言よりも甘く密やかな、二人だけの契りの儀式だった。
むかしむかし、忘れられた神様と花嫁は 上総 @capsule
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