足元の白月
いいの すけこ
目指すところは
真っ白い山の頂は、とても月には届かない。
仰ぎ見る頭上はまあるく空が切り取られて、白い満月が浮かぶ。見上げる空はいつだって狭くて、そして途方もなく高かった。
巨大な穴の中に、月光が降り注ぐ。岩石を貫く竪穴の洞穴は、まるで大きな枯れ井戸のようだった。
月の光に照らされた白い山は、ぼんやりと闇に浮かぶ。
昨日まででどれくらい、高くなったかしら。
洞穴の中に聳える白い山を見上げるのは、まだ幼い子ども。
山の高さは子ども二人分、月どころか竪穴の開口部にすら到底届かない。山と言うより塚という方が相応しいのだということは、無知な子どもには分からなかった。
ともかくも、少しでもお月様に近づかなくちゃ。
子どもは足元に散らばった『材料』を拾い上げて、胸に抱える。
洞穴の底を埋める、白い石くれ。
がしゃがしゃ、からから、かさかさ。ぱきぱき、ばきん。
「わっ」
踏み込んだ足元が深く沈んだ。材料は随分もろくなっていたらしい。
足首のそばで、誰かの頭蓋骨が子どもを見上げていた。
洞穴に打ち捨てられた人の骨を拾いながら、子どもは白い山を積み上げる。
青白い月明かりを淡く反射する人骨は、ぞっとするほど冷たい色をしていた。
少しずつでも高くなる山を、毎回登りながら骨を積んでいく。
裾野の緩やかな斜面に足をかけた時、ふと視線を感じた。
「なんとまあ、悪趣味な眺めか」
骨の山、そのてっぺんに。月を背負うようにして腰掛ける人影があった。
さっきまで誰もいなかったのに。
今まで誰一人、生きてこの洞穴に降りたものはいなかったのに。
(ううん、私がいるわ)
だから、うんと珍しいこととはいえ、何者かが現れることだってあるかもしれない。
誰、と問うより先に、子どもは言った。
「山から降りて、くーださい」
人影は大人で、男の人だった。真っ黒い髪と真っ黒い服と、真っ黒い目と――。
(あれれ、目は白と黒があべこべね)
白目が黒くて、黒目が白い。不思議な色をした瞳を細めて、男は言った。
「死者を冒涜するなと?」
「大人の大きな体で、山に登らないでくださいな。せっかく積んだのに崩れちゃう」
「供養のために、骨の塚でも築いているのか」
あくまで山を降りず、男は子どもを見下ろした。苦心して積んだ骨はとりあえず形を保っていたので、そのまま話を続ける。
「骨になっちゃった人のために、できることなんて何も無いよ」
「じゃあなんで、お前はこの骨の山を積み上げている?」
ぱきん、と、足元で白骨が折れる音がした。
「穴の外に出るため」
骨拾いを再開して、材料を集めながら子どもは語る。
「悪い王様が、たくさんたくさん人を殺すから。死んだ人をたくさんたくさん、この穴に捨てるのよ」
積み重なる人の成れの果ては、果たして幾億人の命か。砂粒ほどの欠片になった骨が、山をさらさらと滑っていく。
「あんま、覚えてないけどね。私もみんなと一緒に穴に捨てられたんだ。みんな骨になっちゃったけど、私はこうやって、なんでだかひとり残ったから」
家族が死体となり、廃棄物となり、一緒に穴へ捨てられた夜も、満月だった。届かないところにある星は瞬いて、空の上にある国におわすという神様は、助けてなどくれなかった。
「ここから出たくて、骨を積んでるの。骨が高い山になったら、それを足場にして穴を出られるでしょう」
「途方もないことを言う」
「岩肌は登れなかったんだもの。それより人がどんどん積み上がって、山になっていくのを見てたら、そっちのが登れそうだなって」
それでもまだまだ出口には届かないし、いつしか人も投げ込まれなくなったから、自分で積むしかないけれど。
「毎日毎日毎日毎日毎日毎日、頑張って骨の山を積んでるから、いつかはきっと届くよ」
そうして穴の外に出たら。
家族はもう、みんな骨になってしまったけど。
誰か、優しい人。あたたかいおうち。見つかるかもしれないし。
「……お前、いつからここにいる」
問いに首を傾げた子どもを、あべこべの瞳がじっと見つめている。
「満月は何回昇った」
「……
ずいぶんたくさんの時間、骨を積んだ気がするけれど。小さな体では少しずつしかできないし、すぐに崩れてしまうから。
「そうか」
男の瞳が揺らいだ。
黒と白が反転した目、白くて丸い虹彩は満月に似ている。飽きるほど満月を見上げ続けた子どもには、そう見えた。
「ずっとひとりで、頑張ったんだな」
その時、子どもの足元から風が吹いた。
長い年月を風雨に晒された骨の多くは軽く、枯れ枝のように風に巻き上げられていく。
「あ、わ!」
せっかく築いてきた山ごと風に攫われそうで、子どもは慌てて両腕を伸ばした。掲げた手の先に見える山の頂には、先程まで座していた男の姿はなく。
「……あれ?」
足元のはるか下、骨の山が見える。頭をあげるとすぐ真上に男の人の顔があって、その向こう、いつもよりずいぶん近くにお月様があった。
「私、穴の外に出た?」
もしかして、空を飛んでるのかしら。
急に怖くなって、子どもは男の胸に縋り付いた。それで男の腕に抱えられていることに気づいて、ああ、飛んでいるのはこの人なんだと理解する。
「あなたはお空、飛べるのねえ。びっくりだわ」
「お前だって、とうの昔に骨より軽くなっていたんだぞ」
魂は軽いからなと、男の人は言う。
「……そっかあ、私とっくの昔に、飛べたんだ」
ずっとお月様を目指していたけど。それよりもっともっと遙か、遠い国へ。
「やっとみんなと、同じとこに行けるんだね」
崩れかかった白い山の頂に、小さな頭骨が積まれている。ぽっかり空いた真っ黒い眼窩が、消えゆく子どものことを見上げていた。
足元の白月 いいの すけこ @sukeko
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