第2話 葡萄酒の昏い眩暈
10時を過ぎて、私も黒岩さんも他の客も着ているものを脱ぐ時間帯。私は恥ずかしさもあり、店のトイレの横にあるカーテンで仕切った着替え場所で褌姿になりました。褌は客自身が持参する場合と店が貸し出す場合があり、私は店で用意しているものを受け取り身につけていました。確かレンタル料が300円だったように記憶しています。薄い白の木綿生地は何度も使い込まれてガーゼのように肌触りが良く、股間の膨らみを手にとるように浮かび上がらせます。自分のその姿にすら刺激され、すでに
席に戻ると、黒岩さんはスーツを脱いでいるところで、上着が外された白いワイシャツの胸や腕は見事に太く、シャツ越しの乳首の隆起が大理石の彫像のようです。ネクタイをほどき、ボタンを外すにつれて
最初から私は、ああもう危ない、この人に支配されてしまうと確信していたのでしょう。いいえ、そうではありませんね。この男に
私が自分の薄甘い性癖に気付いたのは、もっと以前の小学生低学年の時分です。その頃子供たちの多くが見ていたテレビ番組に「変身ヒーローもの」があり、男児は同級生のほとんどが、毎週欠かさず見ていました。地球を危機に陥れる巨大怪獣が現れ、それを倒すためにヒーローが戦う展開は毎回同じです。普段は地球を守る警備隊の隊員として活躍している主人公が、宇宙怪獣が現れるなどの危機に際して巨大ヒーローに変身するという設定でした。ヒーローは銀色の逞しい肉体を持っており、変身直後の下からの立ち姿は股間の隆起がうっすらと分かりました。わずか3分間しか戦うエネルギーがないため、格闘で体力を消耗するうち、胸のタイマーの色が青から黄色、赤へと変わり最後は赤の点滅で危機を知らせます。私は毎回そのピンチの時間が楽しみでした。屈強なヒーローが痛めつけられ苦しんでいる状況に、表現し難いときめきがあったように記憶しています。後ろから毒々しい触手に動きを封じられ、それを解こうと体をのけ反らせて抵抗する時、見事に膨らんだ股間の陰影が映ったりし、表情は変わらぬのに苦しんでいることを表現するヒーローの苦悶の声にも、子供には説明のつかない高揚があったのです。
ヒーローが泥の中で踏みつけられ、崇高な正義の体躯が汚され切り刻まれることに
小学生の頃にテレビで見た映画の一つにも、大層ときめいたことがあります。「黄金の谷」というタイトルで、ジャングルで育った野生児的な主役の男優が、自然の秩序を破壊しに来る人間と対峙する物語です。そのヒーロー男優がまずもって私の好みでした。彼は映画のほとんどで、筋肉が発達した褐色の立派な体躯に、焦茶色の皮革でこしらえた小さい腰衣のみを身に付けたほぼ裸の姿です。彫りの深い野生的な顔立ち、髭剃り後の翳りの濃い頬のシャープさや引き締まった顎の輪郭も男らしさそのものです。物語の中で、男優演じる密林の王者はその肉体美を余すことなく誇示していて、私が性的興奮を覚えた場面が随所にありました。魚を獲っている途中で川から上がってきて、走り出すシーンではずぶ濡れの裸体が太陽に照らされ黄金色に躍動し、今にも脱げそうな小さな股間の布切れ越しに、成熟した男性のずっしりとした重みが揺れていました。また銃で上空から攻撃してくるヘリコプターと対峙する場面では、胸毛の広がりの上にロープを幾重にも掛けた姿で全力疾走し、汗まみれの体毛の卑猥さが際立ちました。迫り来る危機のときめき、
同じくびっしりと毛に覆われた太い腕が腰に挿した短剣を掴むまでの一連の動作や、銃を構えた敵兵に向かい己の剣の先を向け突進していく様は、普遍的な「闘うことで家族や子孫を守る雄」の象徴であり、その屈強な男性性の濃さに雌が魅力を感じるのも当然です。精子が濃く子供を多く残せる男を選ぶ方が、遺伝子的に正しいのですから。そのような仕組みを知らずとも、子供の私にとっての密林の王者の裸体は同じようにエロティックで抱かれたくなるものでした。
映画では敵に短剣で飛びかかる際に後ろ姿の腰衣がめくれて、逞しい尻の堅肉が露になったり、密林の木から木に蔓草につかまり飛び移る股間の膨らみの隙間に黒い影が見えたように覚えています。そうあってほしいとの妄想だったのかもしれませんね。後年その場面が見たくて映画のビデオを探したものです。残念なことに、「黄金の谷」は見つけることができませんでした。類似の映画はたくさんソフトが発売されていたのですが、そのどれもが主役を美しい美男が演じており、私の見た精液の匂いがしそうな男優のものではありません。記憶の中の裸体は、
12時を過ぎた店内は褌姿の男で満席です。客同士で好みが合えば、お互いに身を寄せ、それが時には愛撫となり、ねっとりとした接吻を続ける者もいましたし、股間の膨らみに顔を押し当てる人もいました。私はそれほど酒に強くなかったので、いつもブランデーを水割りで飲んでいたのですが、その日は黒岩さんから勧められたワインを2杯も飲んだせいで心拍音が分かるくらい胸が打ち、またその店内の雰囲気に当てられ、船酔いのような気分でした。どうしたの?と黒岩さんが私の肩に手を置いて顔を覗き込み、私が「酔っ払ったみたいです」と言っている間に含んだワインが口移しに捧げられました。さっき出会って、隣の椅子に座った男からの強引な口づけ。頬を両掌で包み込まれ、押しつけられた髭の棘の美しい痛み。あぁ私はこの男の虜になるのだと目を閉じ、唇を割って温かい葡萄酒が暗い芳香で流れ込んで来ると、その中に小さな錠剤のようなものが混じっていました。舌の上で苦く崩れていく何かを飲み込みながら、私は怖さとそれ以上の陶酔に囚われたのです。
オルフェを出た私たちは、黒岩さんの滞在しているホテルに向かって歩いていました。身体が湯気に包まれたように輪郭がぼやけて感じるのに、感覚がクリアで目に映る風景が鮮明に輝いているようでした。大通りから路地を曲がり、私鉄の線路沿いに北へ進む狭い道沿いの桜並木が花を咲かせている時期で、見事な桜のアーチが続いています。深夜で繁華街の外れにあるためか人通りが少なかったことを覚えています。 趣のある回転扉を押して館内に入ると、ロビーには誰もいません。フロント男が軽くお辞儀をし、すぐに下を向いて何かの作業をしているのが見え、私は黒岩さんの後ろからエレベーターに乗り込みました。薄暗い箱の中で激しいキスでもされるのかと期待していたにも関わらず、手を握られることもなくフロアの廊下を進み、1207号室に着いたのです。扉が開く時の緊張と鼓動の高まり。危険な世界へ足を踏み入れようとする心持ちでした。
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