旨いものは宵につくれ
高校生の時、よく夜中まで絵や小説を書いたりものを作ったりしていました。今とあまり変わりません。飽きると台所に行き、空腹でもないのに無意味に冷蔵庫を覗きます。若くして台所の実権を握っていた私は食材もほとんど自分で買いそろえていました。よほど散財しない限り予算は親持ちで使い放題、食材は選び放題。独り立ちしてから思うにそれはとても贅沢なことでした。
ある日の夜更け、冷蔵庫を開けるとカボチャが目に留まりました。気分転換に何か作ろう。細かいことをやった後にまた別の細かいことをする、あるあるです。唐突に私が何かを始めるのはいつものことだし、家族は特に気にしません。
丸ごとのカボチャを一刀両断。種を取り除き適当な大きさに切り分け、コンソメと玉ねぎと一緒に煮込みました。何を作るか考えていなかった私は、ぐつぐつ音を立てる鍋の前で虚無の眼差しをしていました。胸に去来する日々の懊悩、多数の善意より少数の悪意を信じてしまうことの不思議、明日の小テストめんどくせー、隣のにいちゃんの歌うミ○チル相変わらずへったくそだな、等々、思春期にありがちな悩みも含めて考え続けていました。しかし不思議なことに料理をしていると、些末なことはどうでも良くなってくるのです。
柔らかくなったところで火からおろし、カボチャの皮を外しミキサーも使わずに手で漉していきます。なぜそんなことをしたのか謎です。当時はすべて手作業でやるのがカッコいいと思っていたのかもしれません。今ならすぐさま機械に頼ります。
すべての材料を漉し終え鍋に戻し、はてどうしようと考えました。冷蔵庫にあった牛乳と生クリームをドボドボと注ぎます。気分が乗ってきた私は魔女のように「うひひひ」と笑いながら鍋の中身をぐるぐる掻き混ぜました。塩胡椒で味を調え、なんとなくカボチャポタージュが完成しました。
これが奇跡的に美味しかった。適当に作ったものほど美味しい。カボチャと玉ねぎの甘味、塩加減、コンソメの風味、すべてがまろやかに調和して自分が作ったとは思えない出来。野菜は自然のものだからその時々によって微妙に味が変わるし、同じものは二度と作れないだろうと思いました。
あれから何度かポタージュを作りましたが、あの夜更けのカボチャポタージュを超えるものは未だに作れておりません。
ちなみに翌朝はいつものように寝坊して学校は遅刻しました。高校卒業後数年経ってから聞いた話によると、母は遅刻魔の私に困った歴代担任からの電話に「子供の自主性に任せてますので、忙しいから電話かけてこないでください」と言っていたそうです。鋼の心臓。
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