第6話

(よし……やるか……)


工藤は屋上の端ギリギリのところで両足を止めた。高い所を苦手だと思ったことなど今まで一度もなかったのに、両足は小刻みに震えてくる。  


(大丈夫だ。これはリスクよりもハイリターンの方が大きい案件だ)


工藤は両手を広げると大きく深呼吸した。


そして屋上の下を覗けば、底なしの漆黒の海のような景色が広がっている。


工藤は深淵の闇の底に向かって呼吸を止めた。


(いまからおさらばするんだ──ゴミのような俺と)


「っ……!!」


工藤は勢いよくジャンプすると屋上の下へと身を投げた──。




暗闇の無重力の中、工藤の身体は真っ逆さまに落ちていく。


身体は重量で言うことをきかない。 


僅かに右足首に何かが絡みついている感覚がして、それが命綱であることに安堵する。


(まだか?──あとどの位落ちたら止まるんだ?!)




──『絶対大丈夫だよ』 


工藤はふいに最後に田辺から笑って言われた言葉を思い出す。


「……あっ……」  


工藤から小さく漏れ出た声はもう二度と誰にも届かない。


(──しまった!騙された!)


そしてブチっという音と主に右足首の命綱があっけなく千切れて、工藤の体は一気に地面へと加速して行く。


(くそっ……くそっ……こんなはずじゃ……っ)



──工藤が僅かに感じた田辺への違和感。


工藤が最後に話した田辺の笑顔には、いつもある筈なのに無いものが一つだけあったのだ。



笑えば──片側だけ出るエクボ。   




アスファルトがようやく見えた瞬間、骨と頭蓋骨が砕け散る音と、内臓が風船のように割れる感覚と共に、工藤の意識は一瞬で消え失せた。


※※


「やれやれ……」


仮面の男はそう言いながら工藤のジャンパーから札束を回収し、慣れた手つきで黒いビニール袋に工藤の遺体を詰めると白い仮面をようやく外した。


そして男は額の汗を拭った。


「……ハイリスクにハイリターンなんて存在しないんだよ。お前らみたいな奴らにはな」


男は工藤の死体を足で蹴る。


「工藤のやつ、銀行勤めをしていたとかで人の顔を覚えることが得意な上、警戒心も強くて厄介だったな」


──ブーッ、ブーッ


男はポケットの中のスマホを取り出すとスワイプした。


「はい──里見です」


里見は工藤の死体を見下ろしながら、電話をかけてきた相手に報告をはじめる。


「はい、任務完了しました。名前は工藤竜也、37歳。前職銀行員で横領により解雇。身寄りはなく既婚歴なし。はい……先程、写真画像送りました」


里見の電話の相手は誰だか分からない。なぜなら相手の声はヘリウムガスで声が変えられているからだ。


「えぇ。今回は一か八かでしたが無事、依頼者に新しい名前と戸籍を提供できますよ」


里見の仕事は至ってシンプルで合理的だ。


様々な事情から罪を犯し、犯罪者と呼ばれている者達の逃亡を支援し、身柄を保護している闇に包まれた団体組織がある。


里見の仕事はホームレスという、この世から消えても誰も気づかない存在を消して、犯罪者達に新しい顔と戸籍を提供する代わりに金を手にすること。


「……分かりました、また確認しておきます。では……」


里見は通話を終えると、小さくため息を吐き出した。


「もう次の依頼とは……人使いが荒いね」


次の仕事完了までにはまた三ヶ月ほどかかるだろう。


そして組織では早速明日から、工藤の年齢や背格好に似ている犯罪者を選別し、工藤そっくりになるまで最先端の整形外科手術を繰り返し行っていく。声帯も同時にいじり、よりオリジナルの工藤に近づけていく。


そうして出来上がった、中身は犯罪者だが見た目は工藤という人間が親しいホームレス仲間にビルから落ちたフリをするだけで、金が手に入る話を言葉巧みに教え誘うのだ。


──『内緒なんだけどさ……いい話があるんだ』



そしてまた金に目が眩んだホームレスがビルからひとり、またひとりと落ちてくる。


里見はホームレスが屋上から落ちて来るたびにいつしか金が落ちてくるように見えて、里見はひどく滑稽だった。


「次は……工藤と仲の良かった浜田だな」


里見は唇を三日月に模すとニヤリと笑った。







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落下〜無重力に堕ちていく〜 遊野煌 @yuunokou

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