『薔薇色』の例えを誤解された隣の席の先輩は、不憫可愛い。
ひっちゃん
誤解される先輩
「ふっふーん、順調順調♪」
夕方、プロジェクトチームの終礼を終えて自席に戻ってきた
先輩をリーダーに私こと
だがそこは流石の先輩。これまでに培ってきた信頼をもとにお客さんから的確に仕様をヒアリングして、大きな修正もなく設計を完了。着実に開発を進め、今進行中のテスト工程まで予定通りどころかやや前倒しに進捗している。
ここまでプロジェクトが順風満帆なのは先輩の手腕によるところも大きいのだが、何よりここしばらく先輩が不憫を呼び込んでいないというのも確実にプラスに働いている。巻き込まれるのは別に構わないのだけれど、やっぱりそういうイレギュラーな対応には時間も体力もかかるし、同じオンスケでも疲労度が全然違ってくるものだ。
……というか本当に近頃不憫な先輩を見ていない。それはすごく喜ばしいことのはずなのに、何というかこう……物足りなさがあるというか。だって不憫じゃない先輩なんて出汁のない味噌汁みたいなものじゃないか。……今のはちょっとライン越えてたかもしれない、本人には絶対に言わないようにしよう。
「楽しそうですね、先輩」
「もっちろん!」
先輩の隣の席に座りつつ当たり障りのない言葉をかけると、先輩からは元気な返事が帰ってきた。
「もうね、最近絶好調なの! ホント人生バラ色って感じ!」
なるほど、不憫な目に遭っていない自覚は本人にもあったらしい。そりゃあ不憫さえなければこの人、明るく人当たりも良くて可愛い上に胸も大きい天才エンジニアというびっくりするくらい人生イージーモードな人だもんね。絶好調なのも当然だ。
……当然なんだけど、その言葉はちょっと使いどころが微妙な気がする。間違ってはないんだけど、今の先輩の幸せそうな様子と組み合わさっちゃうと、間違いなく先輩の意図してない方向に捉えられてしまうというか。ほら、今まさに向かいの席の同僚が目を真ん丸にしてるし。
「よーし、この調子で最後まで走り抜けるぞー!」
そしてどうやら、先輩はそんな周囲の様子には全く気が付いていないようだ。……はっはーん、読めたぞ。今回の不憫はそういう方向から来るのか。
読めたからには、先輩の不憫案件フォロー係の私がやることなんてただ一つ。
「頑張ってくださいね」
「ありがとあっちゃん!」
……おや? なんで私はわざわざ周囲の誤解を助長するようなことを口走っているんだ?
いやほら、これはあれだ、ここで私が先回りして不憫を止めたらいずれバカでかい反動になって先輩に返ってくるかもしれないから。ガス抜きって必要だから。あくまで先輩を思うが故の行動であり、近頃不憫が見られていないことへの仕返しなんて一切思っていないよ、うん。
そして、それから数日後。
「あっちゃあああああああああああんっ!!!」
そうそうこれこれ、この先輩の声が聞きたかったんだ。久々に受けた椅子ごとタックルの衝撃は懐かしさすら覚える。
「どうしました?」
「どうしたもこうしたもないの! なんか私に彼氏ができたと勝手噂がすっごい広まってるの! なんで!? 私一回もそんなこといったことないのに!」
うん、知ってた。そりゃあんな幸せそうに「人生バラ色」とか連呼してればそうなるよね。先輩は単純に不憫がない人生の輝きを譬えただけだったんだろうから、これはもう不運なすれ違いとしか言いようがない。
ただ、ちょっと予想外だったのは。
「なんか『相手は超エリート大手商社マンらしい』とか『結婚秒読みらしい』とか『実はもう子供ができてるらしい』とか根も葉もないこと言われまくってるの! なんで!? どこからどう広まってるの!?」
尾ひれがつくどころじゃないくらいに噂が大仰になっていること。
いやホント、どこからどう広まっているのか私が聞きたい。何をどうしたら、あんなちょっとした一言にシロナガスクジラ並みの尾ひれがつくんだ。ここまでえげつない形で広まると知ってたら私だってあんな悪ふざけはしなかったよ。もしタイムマシンがあったらあの瞬間の自分をぶん殴ってでも止めさせたい。
「彼氏なんていないし結婚もしないしこどもだってできてないよ! そもそも私男の人ってあんまり興味ないもん! お願い信じてあっちゃん!」
先輩は必死の形相で私の両肩を掴んでガクガクと揺さぶってくる。どうしてそこまで必死になっているのかはわからないが、とにかく視界がぐらぐら揺れて気持ち悪い。このまま続けられたら椅子に座っているのに乗り物酔いしそうだ。
「わ、わかったから落ち着いてください」
私が先輩の肩を掴み返して押しとどめると、先輩もようやく私の様子に気づいたのかパッと手を離した。だがその顔は相変わらず強張っており、おずおずと上目遣いに私を見つめている。
「ホント……? 信じてくれる……?」
「信じますよ。だって先輩の恋人は仕事とお酒ですもんね」
「ち、違うけど否定しきれない……!」
「いやせめて実体のないものと無機物の二股かけてるところは否定してください」
「はっ!? そ、そうだよあっちゃん! 私は二股かけるような節操なしじゃないもん!」
「お酒一筋ですもんね」
「それもちがーう!!!」
そんなやり取りをしていると次第に先輩の表情も明るくなり、少しずついつもの私たちの雰囲気に戻ってきた。やれやれ、よかったよかった。
「とりあえず、彼氏の件は私も聞かれたら否定しておきますから」
「うん、ありがとあっちゃん。……てか、もしかしてもう聞かれてたりする?」
「まぁ、ちょっとだけ」
「マジかぁ……」
一応誤魔化したけど実は結構問い合わせが来てる。何なら他所の部署からも来てる。というかむしろ先輩のことを詳しく知らない遠目の部署からの問い合わせのほうが多いくらいだ。ここにきて先輩人気の高さを改めて感じた数日だった。……まぁこれだけ話を大きくした責任の一端は私にあるわけだし、これくらいのフォローは甘んじて行おう。
ついでになんか「百合の間に挟まる男はギルティ」とかいうよくわからないチャットも来てたんだけど、これにはなんて返すのが正解だったんだろうか。
「私は最初からわかってましたし、課内の人も似たようなものでしたよ。今回のは事故みたいなものだと思って、あまり気にせずいきましょう」
ガックリと項垂れている先輩の肩を軽く叩いて慰めの言葉をかけると、先輩はガバッと音が立ちそうな勢いで顔を上げた。その目は何故だか、やたらとキラキラしていて。
「……ありがとあっちゃああああああああああああああああああああああんっ!!!」
「ぐえっ」
私は何故か、感極まった様子の先輩に全力で抱きしめられたのだった。今の言葉のどこにそこまで先輩の心を揺さぶるものがあったのかはわからないけれど、先輩が喜んでくれたのなら良しとしよう。
……それにしても、先輩に彼氏、か。今回は先輩の様子からそんなのないって確信していたから何とも思わなかったけれど、先輩だって一人の女性なのだからそういうことだってありうるわけだ。
もし、先輩に本当に彼氏ができたら――何故だか私の頭は、それ以上を考えることができなかった。
そんなありえない仮定の話なんてどうでもいい。今は一人の後輩として、尊敬する先輩のために力を尽くすだけだ。
『薔薇色』の例えを誤解された隣の席の先輩は、不憫可愛い。 ひっちゃん @hichan0714
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