第3話



「……ね、ラファエル。聞いてもいい?」

 夕食後、暖炉の側でワインを飲みながら話をしていると、ネーリが口を開いた。

「ん……?」

「ラファエルはその……シャルタナって人と会ったことがある?」

 今日は忙しくなかったので、具体的にこれからどうしていくかという話は明日にしようと思っていた。ネーリが描いていた絵の話を聞いていた時、ふと、彼の方から話を切り出してきた。頬杖を突いたまま、ラファエルは優しい表情をする。

「今日は色々あった。疲れてない?」

「うん」

 大丈夫、とネーリの瞳が頷きながら、暖炉の火に輝いた。

 ラファエルは頷く。

「あるよ。ヴェネトに来てから友好的に付き合っている有力貴族の一人だ。ヴェネトにも色んなタイプの貴族がいるけれど、俺にとっては一番真新しくない種類の、というべきかな」

 つまりラファエルがフランスで日常会うような、軍人でもなく生粋の政治家というわけでもなく、あくまで君主制の臣下の見本となるような、貴族的な種類の貴族というわけだ。

「地位も名誉も、財産もある人が、なんで人攫いのリストなんかに関わってるんだろう?」


「――娯楽さ」


 グラスのワインを一口含んで、ひやり、とラファエルは笑った。

「地位も名誉も財産も持っていて、危険に手を出すなんて余程の欲求だ。

 有力貴族が狂うのは、愛か娯楽のどっちかしかない。

 ドラクマ・シャルタナは最初の妻とは円満に別れていて、妻は外国暮らし。ほとんどもう関りが無い。跡継ぎは長男と、次男がいて、これは王都ヴェネツィアではなく彼の本拠であるトルチェッロ島の本家で暮らしているらしい。だから別に焦って結婚する必要も、もう無いんだよ。共に行動している妹のレイファは兄のプライベートを束縛したり詮索したりしないタイプで、どっちも独身生活をそれぞれ楽しんでいる。つまり、ドラクマ・シャルタナにとって愛に必死になる背景はない。だからあのリストが本当ならば、娯楽のために、彼は危険に手を出している」

「でも……」


「分かってる。命がけだ。それでもやめられないんだよ。僕がヴェネトに来て感じたことは、今、世界においてヴェネト王妃は【シビュラの塔】を背景に権力を握っているけれど、ヴェネトの余程の有力貴族や、聖教会のトップに対しては助言も受けてるし会談もしているし、聞く耳を持たないような関係性というわけじゃない。つまり、三国を滅亡させた殺戮者である王妃とも、媚び諂いじゃなく国の重鎮として、笑ってお付き合いが出来ている人間はいるということだ。王都の市民の声は、君の方がきっと知ってる」


「……ヴェネツィアの人達は怯えてる。でも、【シビュラの塔】が火を噴いたからじゃない。街は……それよりもずっと前から、変な空気になってた」

「ユリウスの死後?」


 こく、とネーリは頷いた。

「……多分……。ゆっくりだけど」

「僕も君に聞きたいことがあったんだ。王妃セルピナのこと。本人には聞けないし、ヴェネト貴族にとって俺は今、王妃と信頼関係にあると見られてるから、あまり他の貴族に王妃のことを聞くのは得策じゃ無いんだ。探っていたなんて密告されてもたまらないし、どこまで知っているのだろうと思わせておくのはこっちにとって切り札になる」

「うん。僕も何か知っていたら教えてあげたいんだけど、でも……」

「いや。ずっとヴェネトにいた君が、彼女のことをあまり知らないというだけである程度の僕の疑問にはそれだけで答えてくれてるよ」

 ラファエルは小さく笑った。

 ネーリは隣に座りながら、ラファエルの横顔を見上げる。

 炎に照らされ、輝く彼の青い瞳には、知性が煌めいていた。

「ユリウスが譲位した後、現国王エスカリーゴ・ザイツが玉座についた。ユリウスが死ぬまでは、実権は彼が握り、王妃セルピナは表立って政治の場には現れていなかったということだろう? 俺は彼に会ったことがない」

「病気になる前、何度かサン・マルコ広場の行事で見たことがあるよ。穏やかそうな人だった。おじいちゃんとは違う感じだけど……」


「セルピナ・ビューレイは今の国王が病に倒れてから、初めて表立って出てきたんだ。だから、市民が彼女を支持している。【王妃】だからだよ。王を支える妻。でも僕が思うに、王妃として出てくるセルピナを民衆が支持したからといって、王として実権を握れば私欲と見なされ、反意を抱く人は多いと思う。王宮にいても六大貴族を始めとする有力貴族は、現時点で王妃が近々王太子に王位を継がせる意志を持っているから許容しているという空気をかなり感じるよ。

 だけど、悪いが彼女は穏やかな気性の旦那を影ながら支えるような素質を持った女性じゃ無い。どうしてすぐ実権を握らなかったのかなとずっと思っていたけど、ユリウスとの間に確執があったんじゃないかと思うと、全ての辻褄が合った。

 恐らく、ユリウスは譲位の時、エスカリーゴ・ザイツへの権力譲渡は積極的だったが、セルピナには政治に関わることを許していなかったんだと思う。ユリウスはヴェネトでは偉大な王と認識されている。彼の息子でない余所から呼んだ王に、実の娘であるセルピナが並んで出てくると、必ず彼女の方が存在感を持つ。

 以前彼女がヴェネト王宮に、少女時代の思い出が全く無いという話をしていた。

 確かにああいう人が昔から王宮にいたら、もっと歪な王宮の勢力図が出来上がっていたと思う。そう考えると、セルピナがヴェネト王宮に居を移したのはごく最近、例えば王が病に伏せってからなのかなって感じがするよ。

 ユリウスもそういう所があったけど、セルピナ・ビューレイもそこにいるだけでその場の空気をあっという間に支配するタイプの女だ。ずっとあそこにいたら他者にもっと影響を与えていたと思うんだ。

 ……ジィナイース。驚くかもしれないけど、落ち着いて聞いて欲しい」


 ラファエルがネーリの手をそっと握った。

 全て包み込まれる。

 本当に、彼は大きくなったと思う手のひらだった。


「病床にあるとされている国王は、すでに数年前に亡くなって、セルピナはそれを国民にも周辺各国にも隠してる」


 ヘリオドールの瞳が驚きに見開かれて、揺れた。

「恐らく王太子が即位後、頃合いを見てそれを発表するつもりだろうが、ヴェネトにおいて明確な彼女や王太子の対抗馬はいないのに、何故そんなことをする必要があるか、不思議なんだよ。側室がいるなら分かるけど、現国王にも、ユリウスにも公に認定された側室はいなかった。ヴェネトの未来をたった一人担う王太子の母妃。これ以上無いくらいの立場なのに、彼女は王の死を隠した」

「……理由はなんだと思う?」


「未熟な王太子の摂政役に、他の有力貴族をつかせないためだ。セルピナの腹心である、参謀ロシェル・グヴェンは父親が医者で、エスカリーゴの容態を見ていた主治医なんだ。

 王妃からこの父子は信任され、全ての事情も知らされている。ロシェルは非常に切れる男だけれど、実は貴族達からの評判は、さほど良くない。まあ、本当は彼の立場に自分たちがなりたかった人ばかりだったからね。嫌われるのも仕方ないかなと思うよ。本人はそんなこと気にする素振りもないから、貴族達の嫉妬なんてどうでもいいんだろう。

 僕もセルピナとこいつの愛人関係を疑ったこともあるけど、なんかどうも、そういう感じはしないね。ロシェルは王妃によく似てる。……なんていうか……王妃を補佐し、国のために尽くす情熱は感じるんだが、人としての愛情を感じないんだ。恋愛や思慕、そういう温かな、人間的な弱さだよ。愛すべきもの。

 セルピナはロシェルを腹心として自分の参謀にして、有力貴族達が政治に関わることを回避した。その代わり、【青のスクオーラ】という会合を開かせ、六大貴族達の特権は拡大させている。

 王宮は王妃の勢力、六大貴族達、その他の有力貴族たちというのが主立った縮図だ。

 それにヴェネツィア聖教会という中立勢力。

 六大貴族は王妃と他の貴族達の間に立ち、双方の意見を聞き、緩和するような動きをしている。彼らに王の死を隠したことからも、王妃が六大貴族達を警戒していることがよく分かる。……いや。彼らというより、自分が王宮から遠ざけられていた間の、王宮の過去の繋がりを警戒してるのかもしれない」


「ラファエルは、六大貴族全員と会ったことがある?」

「あるよ」

「すごいね、ラファエル。僕ずっとヴェネトにいたのに誰の顔も見たこと無かった」

 本当にすごいよ。そんな風に言われてラファエルは嬉しかった。

「ヴェネトの貴族の夜会とか何にも興味ないのにルゴーに言われて頻繁に夜会ちゃんと出ておいて良かった~」

「ルゴー?」

「すんごい口うるさい俺の副官。気になることは何でも詮索してくるから、君は会わない方がいい。悪い奴じゃないんだけどね、フランスへの忠誠心の塊のような人間だから」

 フェルディナントで言うと、トロイ・クエンティンのような存在がラファエルにもいるらしいとネーリは理解した。

「ヴェネトの六大貴族なら、ずっと続いてきた名門ってことだよね。おじいちゃんとも仲が良かった人がいるのかな?」


 ネーリはあまり、ユリウスのことを知らない。

 あんなに膝の上に乗せて寵愛していたが、ユリウスにはネーリを何か、自分の事情とは切り離して育てたいと思っている節があった。それが自分の抱える問題なのか、ネーリが【扉を開く者】であることに関わっているのかは、ラファエルにも分からない。知らないことはどうしようもないのだ。今は分かっていることから情報を整理し、これからどうすべきか考えていく時だ。

「実は僕も少し調べてみたんだが、ユリウスも在位の長い王だったから、六大貴族も当主が各家でほとんど代替わりしてる。ユリウスは最初の頃は城にいたようだが、即位数年後にはもう海に居を移していたらしい。今の当主達の父親のような人間達とは親しかったようだが、あまり陸には戻らなかったようだからな……。一緒に船に乗っていた護衛達が今もいたら、当時の状況なんかもよく知っているんだろうけど」


「【有翼旅団】……」


「うん?」

 ネーリは思い出した。

「ラファエル、そうだ……あのね、僕が……君と森で会ったとき」

 気にした彼に、ラファエルは笑いかけてやる。

「左手に自動弓をしてたのを覚えてる?」

「金属の音がしたやつだね。フェルディナント・アークから聞いたよ」

「あの武器……実はおじいちゃんの船に乗ってた人が作った武器なんだ」

「そうなの?」


「うん。大きく揺れる船の上で、片手でも使える武器としてその人が考えて、作ったんだ。

 彼はあれを【フィッカー】って呼んでた。おじいちゃんが身につけていたんだけど、城を出る時に僕が持ち出したんだ。だから、彼らがヴェネトを去った今、僕の持ってたものがこの世でたった一つの武器のはずなんだけど……、

 今の王都ヴェネツィアに、同じ武器を持ってる人がいるんだ。僕の武器は……あの時海に落ちちゃったんだけど、その後にもあの矢で警邏隊が狙撃されてる」


「本当に?」

「うん。僕の武器とは違うことがはっきり分かるんだ。矢の長さが違うから。あれは型にはめて矢を発射してる。一つ一つの型が違うから、違う武器って絶対に分かる」

「そうなのか……何者なんだろう。そういえばジィナイース。僕も【仮面の男】を一度だけ城下町で見かけたことがあるよ。夜道で……」

「いつ?」

「城からの帰りだ。馬車に乗ってた」

「僕じゃない」

「じゃあそいつがその、もう一人だったのかな」

「どんな人だった?」

「屋根の上にいて一瞬だったから……でも、森で会った君と見かけはそんなに大差はないと思う。白い仮面をつけて、外套を羽織った感じで。体格は遠目すぎて分からなかったけど。はっきり目が合った気がしたよ」


「……だれなんだろう……」


 ネーリは揺れる炎を見つめた。

「ユリウスと一緒にいた人間達は、あのあと君に一度も接触してきてないのか?」

 小さくネーリは頷いた。

「そうか……」

 ラファエルのこの十年は、ネーリと再会することだけが頭にあったけれど、彼と出会ってから少しずつ当時の周囲の人間の顔も、うっすらと思い出し始めている。

 ユリウスと共に行動していた、船団の男達。

 確かに彼らはユリウスを旗頭として、ヴェネトの為ではなく、ただ彼と共に戦うためにそこにいるようだった。彼らはユリウスの許に集っていたのだ。

 彼の死後、ヴェネトに留まらなかったというのなら、何となく理解は出来る。


(そもそも多国籍軍だったようだしな……)


 ラファエルはネーリの方を見た。それから、優しく頭を撫でてやる。

「あいつらのことは僕は分からないけど、ユリウスが君のことを鬱陶しいくらい溺愛していたことは知ってる。あいつが信頼しても無い王妃に、君の運命も人生も託すはずがない。

 それに……ユリウスは君を、無力な子供だとも思っていなかったよ。

 愛していたけど、身を守るすべも教えてた。君の持つ、多彩な全ての才能を愛してた。僕は信じてる」

「ラファエル……」

 彼は伸ばしていた片方の膝を立てて、頬杖をついた。

「王妃セルピナが、王の死を隠した理由が少し気になる。六大貴族は手放しで彼女を迎えているわけじゃ無い。王の代理として今は容認しているけれど、もし……」

 考えを巡らせる。


「僕には、ユリウスが何の言葉も残さず死んだとはどうしても思えないんだ。例え急な病でさえ。あいつならもっと前から手筈を整えて、自分の死には備えていたはず。例えば、ユリウスがエスカリーゴ・ザイツの後に君をすでに後継者として指名していた場合だ」


 ネーリは驚いた。

「それは……ないよ。だって僕は政治のことも何の勉強も受けてないし……王宮のことも知らない」

「君がユリウスと行動を共にしている間に学んだことは――どんな帝王学にも勝るよ」

 ラファエルが微笑む。

「人を率いることも、他国の人間に友愛で接することも、戦い方も、君は全て学んでる」

「ラファエル……」


「それに血筋で言えば、王宮にいるルシュアン・プルートと君は双子なんだから、あいつが王位を継げる立場なら君だって条件は同じだ。王位を継ぐ資格はある。

 だけど王妃セルピナは君に王位をどうしても継がせたくなかったとしたら……。

 前にも言っただろ。あいつは君を敵視しているけど、原因はユリウスとの不仲なんだ。

 君はユリウスの寵愛を受けた。

 ルシュアン・プルートはセルピナの生んだ子供じゃなくても、彼女が事実上の母だ。自分の子供を押しのけて、君を王位につけろなんていうユリウスの遺言は飲めなかった。

 だがあいつは偉大な王だから、遺言があればそれを推そうとする者も必ず現れる。

 六大貴族が君を推したら、まずいからな。

 だから彼らを政治から遠ざけて、ユリウスの遺言や王の死を隠蔽したのかも。エスカリーゴ・ザイツはユリウスの庇護の許、王位についた。セルピナの夫とはいえユリウスの遺言を破棄できなかったのかもしれない。王の死は病死の場合、必ず看取られる。その時にヴェネツィア聖教会の人間に証人として王の遺言を聞かれたら終わりだ」


「でもそれならお兄ちゃんを王位に継がせたいから、僕に王位は絶対に継がせたくないと言ってくれたら済むことだよ。あの人が僕にそう話してくれれば、僕は頷いた。別に王位につかなかくても、ヴェネトを守ることは出来る。おじいちゃんのように。

 何も人の死を隠蔽することはない。

 人の人生を奪う必要も」


 ラファエルは少しだけ、息を飲んだ。

 他意もなくネーリはまっすぐにラファエルを見上げて、そう告げてきた。

 全く、彼の言う通りだった。

 ネーリはルシュアンとは違い、大した後見人など一人もいない。

 ただ王妃が命を奪うと脅したりせず、名を奪ったりせず、きちんと一人の人間としてネーリと話せば良かった。彼に野心は無い。兄であるルシュアンの王位継承すら、なんなく認める。ヴェネトを守るためには王宮にいなくてもいい。

 それこそネーリがユリウスから学んだ、最も大きなことだった。

 王妃セルピナがネーリとちゃんと話をしていたら。


 ……【シビュラの塔】などに手を出す前に、話をしていたら。


 ルシュアン・プルートが王位について、ネーリがユリウスの時代のように国外で兄王の政治を支える、そういう生き方だって出来た。

 塔を撃つ前ならば。

 ……しかし彼女はそうしなかった。

 それが一体何故なのか。


(王妃セルピナは、ルシュアンとジィナイースの共同統治のような形を望んでいない)


 ネーリを王宮から追い立て、存在まで隠そうとした。

 彼女の行動の根本には、ただ一人、我が子たる王太子にだけ王位を継がせたいという、妄執にも似た強い思いがある。

(……この兄弟が双子だと考えるから、俺は結論を見誤るのかも)

 セルピナにとって我が子はルシュアンだけだ。

 ジィナイースは、妹の子供なのだ。

 そう考えれば、確かに王族にとってそれは、譲れない問題になってくる。

 王妃セルピナが一度だけ見せた、激しい、子供のような癇癪。


 生まれながら、王妃となる運命を背負った少女。


 類い稀な才覚と、覇気を持ち、輝く未来は約束されていた。

 妹は、女王のような姉の気質に気圧されて、いつも怯えたように息をしている少女だったという。

 王家に、全く違う色の二人の姫がいる……。

 妹は姉と共に居づらく、早々に、王家に釣り合わないような中流の貴族の許に嫁いだ。

 何もかも思い通りだったはずだ。

 たった一つだけ、願いが叶わなかったことがある。

 子供が出来なかったこと。

 幼い頃から、見下げてきた妹に頭を下げて子を一人もらったことが、そんなに彼女にとって、三国を消滅させても構わないほど、そういう衝動や怒りに変わるほど、許せないことだったのか。

 野心もなく、母ですらないラファエルには到底、理解出来なかった。


(……ジィナイースは母親に似てるのかな。

 ルシュアン・プルートは、ジィナイースに顔も性格もあまり似ていないけど)


 セルピナにとって、妹に似た容姿を持つネーリは、その美しい器に、ユリウスに似た強く、明るい魂を宿らせている。

 その彼が【扉を開く者】だと、運命から定められているとしたら。

 憎しみは分かる。決してそうはさせないけれど、身勝手な憎しみ、母というものの醜さ、そういうものがあることはラファエルも知ってる。今でこそ彼の母親はラファエルを「自慢の息子」と笑いかけてくれるけれど、小さい頃は本当に、見向きもされなかった。

 ラファエルは幼い頃自分を排撃した家族を、今はもう許して友好的に付き合っているが、時折彼らが親し気に笑いかけて来るその笑顔が、歪なものに感じられることはあるのだ。


(だが何故それなら手を下さないんだ。殺したいほど憎みながら、ジィナイースが絶望し、自分で死を選ぶような状況に追いやるだけで。自分からは絶対に手を下さない。……一体何を恐れてる?)


 そう、恐れてるのだ。

 ネーリに手を下した時に自分の身に起こる、何かを恐れてる。

ラファエルにはそう、感じられた。




◇   ◇   ◇


「お二人とも、いつまでも夜酒はよくありませんわ。

 温かいお茶をお持ちしました」

 アデライードがやって来た。

「嬉しいのは分かりますけれど、お話の続きは明日になさったらいかがですか? ラファエルさま」

 窘めるような優しい声で妹が言う。

「そうだね。ゆっくりお茶を飲んで、今日はこれくらいにしようか。

 ジィナイース。アデライードには君のことを全て話しておいた。

 ユリウス王の孫だということも。……それ以上のことも。構わないよね?」

 ネーリは微笑んだ。

「ラファエルがこの人は、と信頼した人なら勿論」

 アデライードが優雅に会釈をする。

「ネーリ様。そんなに高貴な御血筋の方とは知らず、粗茶など出してしまい申し訳ありません」


「アデルさん。僕の引いてる血なんて、大した意味はもう持ってないんだ。僕はただ、おじいちゃんに大きな恩があるんだよ。家族がいなくなったときに、たった一人僕を引き取ってくれて、大切に、愛してくれた。ただの家族じゃない。あの人がいなかったら僕は生きることも出来なかったかもしれなかったから。おじいちゃんの守りたいものがまだ残っているなら、それだけは守ってあげたいだけ。

 僕はこの国の王妃には疎まれてる。

 だからおじいちゃんの願いをもし叶えられたら、喜んで僕は彼女の前から消えるよ。

 この国のことは愛しているけど、憎まれたり自分がいることで混乱が起きるなら、住み続けようとは思わない。二度と彼女の前に姿を見せない覚悟もある」


「ネーリ様……」


 こういうことを言う時、ジィナイース・テラの纏う空気が変わる、とラファエルは思った。いつもの大らかで穏やかな印象が消え、凜とする。

 いつも政治や戦いのことなど口にもしない人なのに、覇気を纏うのだ。

 人を率いる運命を背負った人間だと、すぐに分かる。

 ラファエルはいつものただ、心優しい友であるネーリも好きだったが、時折彼が見せるこの不思議な気品も大好きだった。

 何人もの王族と会ってきた。

 生まれながらの王族達。フランスにもたくさんいる。

 ……でもやはり彼らに例え混じっても、ジィナイース・テラは特別光り輝いて見えた。


「ラファエル様と話したのです。これからこうして一緒に暮らしていただいて「ジィナイース様」とお呼びしていると、いざという時に公の場で呼んでしまったらいけないからと。

 ネーリさまとお呼びしても、お気に障らないでしょうか?」


 おずおずとアデライードが尋ねると、ネーリは笑って頷く。

「もちろん。今は僕も、『ネーリ』の方が気に入ってるんだ。僕の好きな人は、みんなネーリって僕のことを呼んでくれるようになったから」

 アデライードは安心したようだ。

 湯気の出る温かな紅茶を淹れながら、微笑んだ。


「かしこまりました。

 では、これからはネーリ様とお呼びいたします」




【終】

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海に沈むジグラート 第60話【二人の運命】 七海ポルカ @reeeeeen13

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