犯人の名は 〜番外編〜

平 遊

執着

「板倉くんどこかで見なかった?」


 その日私は、同じ学科の照井くんと一緒に、大学の構内の中を板倉くんを探して走り回った。照井くんの彼女で私の友達でもある美幸が、行方不明になったと照井くんから聞いたからだ。


「いたっ! 板倉くんっ!」


 カフェテリアの窓際の席、板倉くんのお気に入りの席に彼の姿を見つけ、私は駆け寄った。


「板倉くんっ、今ちょっといいかな」

「ダメだ」


 若干食い気味にしかもそっけなく、顔も上げずに板倉くんは本を読み続けている。


 中学高校と同じ学校で、今は同じ大学の学生の板倉くん。

 板倉 学。

 いつもひとりでぼんやりとみんなを眺めているか、そうでなければ黙々と本を読んでいる。 一言で言えば、『何を考えているかわからない奴』。それが、板倉くんだ。

 こう言うと、クラスの中では浮いていて存在感が薄そうな感じがするだろうけど、実際は真逆。中学高校時代の彼は度々、色々な人からちょっとした困りごとを相談されては、抜群のアドバイスで困りごとを解決し、密かな人気者だった。実はファンも多かったらしい。

『人気者』になぜ『密かな』という形容詞が付くのか。

 それは。

 彼が人を寄せ付けないオーラを醸し出しているから、だと言う。

 私にはそのオーラとやらは今でも良く分からないのだけれど、確かに取っつきにくいことは取っつきにくいし、少し変わっているとも思う。ただ、彼は本当は優しいということも知っている。そう。何を隠そうこの私も、彼に解決してもらったとある事件以来、彼のファンの一人なのだ。


 そばにいた照井くんは、板倉くんのあまりに連れない態度にちょっと引いているみたいだけど、こんなのはいつものこと。なんていうか、挨拶みたいなもの? だから私は板倉くんの本をさっと取り上げてもう一度言った。


「今、ちょっといいかな」

「……ったく。聞くから返せ」

「解決してくれたら、返してあげる」

「……はぁ……で、なんだ?」

「場所、変えよっか」


 板倉くんにではなく、照井くんにそう聞いてみると、照井くんは小さく頷いた。それを見て、私は板倉くんの鞄も人質ひとじちに――ん? この場合は、物質ものじち?――取ると、空き教室に向かって歩き出した。


「で?」


 空いた席に座った板倉くんが、あからさまに不機嫌丸出しの顔で私を見る。通路を挟んだ横の席に照井くんと私も腰を掛けて、板倉くんと向き合う。

 きっと、板倉くんは照井くんの名前も美幸の名前も覚えていないだろう、昔から人の名前を覚えるのが苦手な人だから。だからまず、私から事件の大枠を板倉くんに説明しがてら、名前も教えてあげることにした。


「あのね。私がよくいっしょにいる女の子、分かる?」

「あぁ。あの気の強そうなお嬢様か?」


 板倉くんの言葉に照井くんがムッとした顔をした。だけどごめんね、板倉くんに悪意はないから、と心の中で謝りながら話を続ける。


「そう。お嬢様だし確かに気は強いけど、でもすごく優しくんだよ。河合かわい 美幸みゆきっていうんだけどね。その子が昨日から行方不明で」

「だったら警察に」

「行ってるに決まってるだろ!」


 照井くんが声を荒らげる。

 そうだよね、うん、そうなるよね。

 だけど、板倉くんは特に驚いた様子もなく肩をすくめた。


「そうか。事件性なしってやつか」

「あぁ……」


 がっくりと肩を落とした照井くんに変わり、私が再度話を引き継ぐ。


「彼は、照井てるい なおくん。美幸の彼氏なの。昨日、美幸とでかける約束をしていたんだけど、お迎えに行っても部屋にいなくて、ご両親にも聞いたんだけど実家にも帰ってなくて、連絡も全然取れなくてね。それで、ご両親が今日警察に行ったんだけど、美幸の部屋はいつも通りに片付いていたし鍵もかかっていて特におかしなこともないから、もう少し様子を見ましょうって」

「気になってること、話してみろ」


 私の話を聞くと、板倉くんは照井くんの顔をじっと見た。

 さすが板倉くん。

 私まだ肝心な事何も言ってないのに、もう何かに勘づいてるみたい。


「実は俺、一昨日美幸と喧嘩して」

「理由は?」

「薔薇が」

「薔薇?」


 板倉くんの目の色が変わった。

 ように、私には見えた。



 照井くんの話はこうだ。

 1週間前から、美幸のアパートのドアの前に、薔薇の花が置かれるようになった。照井くんは必ず美幸を部屋まで送り届けるので、照井くんもその薔薇を目にしていたのだ。


 最初はオレンジ色の薔薇。

 翌日は黄色の薔薇。

 その翌日はピンク色の薔薇。

 その翌日は白い薔薇。

 その翌日は赤い薔薇。


 美幸は「私のファンの人かしら? オシャレなことするわね」なんて楽しんで花瓶に生けていたのだけど、さすがに気持ち悪いからと、照井くんはその薔薇を美幸に断りもせずに全部ゴミ箱に捨ててしまった。

 その事に怒った美幸と照井くんは口論になって、その日は喧嘩別れした。それが、一昨日のことだった。

 美幸はサッパリしていい子なのだけど、感情の起伏が激しい子で、照井くんとはたまに口論になるらしい。だけどいつも翌日には何事もなかったようにケロッとしているのだとか。


「だから、喧嘩が原因じゃないとは思うんだけど、落ち着かなくて。それにあの薔薇を置いてる奴のことも」

「いつも一緒にいる奴は今日はいないのか?」

「……は?……あぁ、陰山のことか?」


 照井くんの言葉を遮ってまで板倉くんが聞いたのは、照井くんの親友で陰山くん、陰山かげやま ただしくんのことだ。照井くんと陰山くんは小学校からの親友らしく、高校は別の高校だったものの、またこの大学で一緒になったんだとか。

 明るくて人付き合いも多い照井くんに対して、陰山くんは大人しくてあまり目立たない感じ。正反対な2人だけど、仲はすごく良いみたい。


 そんな、この場にいない陰山くんのことを突然聞かれた照井くんは、当然ながら、呆気にとられたような、怪訝そうな顔をしている。

 そして、こいつ本当に大丈夫か? とでも言いたそうな目を私に向ける。


 大丈夫! 絶対に大丈夫だから!

 板倉くんはちょっと変わってるから、今はまだ信じられないかもしれないけど、私を信じて!


 私は照井くんに向かって大きく頷く。


「お前らいつも3人でつるんでるだろ」

「陰山とは長い付き合いだからな。あいつ一昨日から体調崩してるんだよ。つかなんだよいきなり」

「じゃ、見舞いに行くぞ。家知ってるよな?」


 スッと立ち上がり、板倉くんは手ぶらのまま歩き出す。


「えっ? はぁっ? おいっ、ちょっと待てって!」


 照井くんは板倉くんの後を追いかける。私も、物質ものじちとしている板倉くんの鞄と本を持って、板倉くんと照井くんの後を追いかけた。

 相変わらず何のヒントもくれないけど、板倉くんはきっともう何か分かっているんだろう。そう思いながら。


「遅いぞ望!」


 ちょっとくらいは、待ってくれてもいいのになぁ……

 思いを込めて板倉くんの背中を見つめてみたけれど、板倉くんは珍しくスマホに夢中なようで、残念ながら私の思いは届きそうにはなかった。



「いいか。必ずちゃんとドアを開けさせろ。そんで中に入り込むんだ。大丈夫だ、俺たちも行くから」


 板倉くんからそう言われた照井くんは、近くのコンビニで食料等をたくさん買い込み、今、陰山くんが一人暮らしをしているアパートの部屋のドアの前にいる。

 板倉くんと私は、ドアスコープから見えない位置で待機しながら、照井くんを見守っている。

 照井くんがインターフォンを鳴らすと、しばらくしてインターフォン越しにくぐもった声が聞こえた。多分陰山くんだ。


「ごめん、正。やっぱ気になって。体調良くなったか? 食えそうなもの買ってきたんだ。ちょっと開けてくれないか? 渡したらすぐ帰るから」


 照井くんがそう言うと、鍵が外される音がしてドアが少し開いた。そこに足先を突っ込んだ照井くんが、ドアを大きく開いて持っていたコンビニの袋を陰山くんに押し付けながら、中に飛び込む。


「美幸っ! 美幸っ!」


 直……?


 小さいながらも、部屋の奥から美幸のとまどったような声が聞こえてきた。私も板倉くんを押しのけて部屋に入ろうとしたのだけど、何故か板倉くんにガッツリ腕を押さえられてしまった。


「ちょっと、なにすん」


 見上げた板倉くんは、怖いくらいに真剣な顔で、陰山くんをじっと見ている。


「間違いだらけだ、何もかも」

「えっ?」


 板倉くんの言葉に、陰山くんは困惑の表情を浮かべる。


「あいつはそんな奴じゃないだろ? こんなこと、わざわざしなくたって。一歩間違ったら犯罪者だぞ、お前」

「そう……だな」

「入るぞ」

「どうぞ」


 私には、板倉くんと陰山くんのやり取りの意味は全く分からなかった。だけど、陰山くんは納得したようで、すんなりと部屋の奥へ通してくれるようだ。板倉くんもいつの間にか私の腕を離してくれている。


「美幸っ!」


 私も照井くんに続いて部屋の中へと入った。


「望!? なんかごめんね〜、望まで巻き込んじゃって」


 私の姿を見ると、美幸は何故だか珍しく申し訳なさそうな顔をした。その隣ではこれまた珍しく照井くんが怒りを露わにした顔をしている。


「ほんとだよ! お前も正も、なにやってんだよほんとに!」

「だから、ごめんて言ってるでしょ!」

「それが謝る奴の態度かよっ!」

「うるさいわねっ! だいたい、直が鈍感なのが悪いんじゃないっ!」

「ちょっといいか」


 目の前で言い合いを始める美幸と照井くんに構わず割って入った板倉くんが、美幸に言った。


「聞きたいことがある」

「は? てか、あんた誰?」

「同じ学科の板倉だよ。板倉のお陰でお前がここにいるって分かったんだ。板倉に繋いでくれたのは春原だけど」

「あー……なるほど」


 照井くんの説明に、美幸がニヤリと笑って私を見る。


やだもう! 美幸なんか誤解してるかも! 違うってば! 私はただ、板倉くんの密かなファンなだけなんだからねっ!


 私の思いを知ってか知らずか、美幸は板倉くんと2人で話し始める。時折スマホをいじりながら。

 美幸には、よく板倉くんの話はしていた。

 中学の時に板倉くんに出会って、私のストーカー事件を解決してもらってから、密かなファンになったこと。その後も、板倉くんとはいくつも事件を一緒に解決してきたこと。……解決しているのは主に、板倉くんだけどね。


「密かなファンて。それはもう、間違いなく好きラブでしょ」


 美幸からはいつも、こう言われていた。

 その割に、美幸ったら板倉くんの顔覚えてなかったんだね。ちょっとホッとしたような、でもちょっと悔しいような……なんだろう、この複雑な気持ち。

 推しがあまりに人気になりすぎるのは嫌だけど、逆にあまりに知られなさ過ぎるのも悲しい、みたいな?


 一方の照井くんは照井くんで、ひとりポツンと部屋の片隅に立っている陰山くんに歩み寄り、小さな声で何かを話している。

 やがて、美幸と話を終えた板倉くんが、私の方に歩いてくると私の腕を取り、そのまま玄関へと向かう。私は板倉くんに引きずられるようにして、美幸にも照井くんにも陰山くんにも声を掛ける事も出来ずに、陰山くんの部屋を出た。

 たぶんそれは、板倉くんなりの3人への気遣いなのだろうと、私は思った。



「ねぇ、板倉くん」

「ん?」


 部屋から出た板倉くんは私が物質として持っていた鞄と本を持ち、私と並んで歩いている


「なんで美幸が陰山くんの所に居るって分かったの? 照井くんが鈍感て、どういうこと?」

「薔薇だよ」

「え?」

「あれは【薔薇色のラブレター】だったんだ。本数も関係あるけどな」

「陰山くんから美幸に?」

「いや、照井に、だ」

「……は?」

「あいつらはよく3人でつるんでた。陰山はそんなに喋る方ではないから大抵聞き役みたいだったけど、たまに話すのは植物の、特に花の話が多かった。それから、3人でいても、陰山が見ているのはいつでも照井だった」


 全く理解できない私にそう言うと、板倉くんはスマホを出して見せてくれた。そこにはこう書かれていた。


 オレンジのバラの花言葉(7日前)

「絆」 「誰かがどこかで」

 1本:あなたしかいない」


 黄色いバラの花言葉(6日前)

「友情」 「嫉妬」

 2本:この世界にはあなたと私2人だけ


 ピンクのバラの花言葉 (5日前)

「上品」「我が心君のみぞ知る」

 3本:愛しています


 白いバラの花言葉 (4日前)

「純潔」 「私はあなたにふさわしい」

 4本:死ぬまで気持ちは変わりません


 赤いバラの花言葉 (3日前)

「愛情」「貞節」

 6本:あなたに夢中


 青いバラの花言葉 (一昨日)

「奇跡」「夢かなう」

 7本:ひそやかな愛


「河合に薔薇の本数を覚えてるか聞いてみたら、写真を見せてくれたんだ。河合も見当はついていたみたいだ、薔薇は自分に宛てたものじゃないだろうって。贈り主についても贈り主の気持ちもな。だから、薔薇を捨てた照井に対して怒ったんだ。で、陰山に愚痴でもこぼしたんだろう。勢いで『あんな鈍感とは別れてやる!』とか。陰山はそれを真に受けて、7本の青い薔薇を。これだけは河合宛てだったんだろう。陰山から直接受け取ったって言ってたからな。だから河合は一度陰山と2人で話す必要があると感じて、自ら陰山の部屋に行ったんだ。だけどそこで話が拗れて、結果的に陰山が河合を拘束するような形になってしまった」

「えっ?」

「要するに、陰山は照井と河合が本当に別れたんだと早とちりして喜んだんだよ。これでまた、照井の隣は自分だけのものだってな」

「待って。もしかして陰山くんて」

「恋愛なのか友情なのか俺には分からないけど、間違いなく好意は持っているんだろう」

「照井くんに、だよね?」

「あぁ」


 それで私もようやく理解ができた。

 そっか、そういうことだったんだ。


「じゃあ、今回の犯人は、嫉妬?」

「いや……執着、だな」

「執着?」

「あいつは『唯一無二の親友』という立場に囚われすぎたんだ。親友に彼女ができて、自分の居場所が無くなるんじゃないかって焦ったんだろうな。俺には、照井は彼女ができたからって親友を蔑ろにするような奴には思えないけどな」


 なるほど、それで……と、私は板倉くんと陰山くんの会話の意味もようやく理解することができた。


「しかし、めんどくさいもんだな、執着ってやつは。そんなに固執しなきゃ、失う恐怖になんか囚われなくて済むだろうに」

「そう、だね」

「生きてりゃ失うものなんて山程あるけど、手に入るものだって山程あるんだから、執着なんてするだけ損だと、俺は思うけどな」

「……うん」


 わかってる。

 頭ではわかってる。

 だけど、人の気持ちはそう簡単に割り切れないことだってある。

 板倉くんの考えもそのとおりだと思うけど、陰山くんの気持ちも分かるような気がする。

 私は、もしそんな時が来たら、正しい判断ができるんだろうか……?


「どうした?」


 黙ってしまった私を不思議に思ったのか、板倉くんが私をじっと見ていた。少し分かりにくい、板倉くんなりの優しさが感じられる目で。その目を見たら、なんだか不安が和らいだ気がした。


 そっか。

 もしそんな時がきたら、板倉くんに相談すればいいのか。そうしたらきっと話をちゃんと聞いてくれて、バツグンのアドバイスをしてくれるはずだから。


「ううん、なんでもない!」


 それにしても、板倉くんてほんとすごいね!


 と言おうとした直前、板倉くんが言った。


「それにしても、相変わらずお前はなんでもかんでも相談受けては俺に振るんだな。受ける相談を少しは選べ。中学から全く成長が見られないにもほどがあるぞ」

「べっ、別にいいでしょっ! なんか問題あるっ!?」

「……いや?」


 チラリと私を見た板倉くんは、フッと小さく笑った。相変わらずと言うなら、板倉くんだっておんなじだ、良くも悪くも。

 取っつきにくいのは相変わらずだし、最初は乗り気じゃなくても、頼めばちゃんと話を聞いて解決してくれる。だから私はつい、いつも板倉くんを頼ってしまうのだ。


 ……私、全然悪くないよね?

 このままでもいいってことだよね? 板倉くん。



 翌日、大学で顔を合わせた美幸は、両親からもこっぴどく叱られたとケロッとした顔で話した後、


「ほんと、鈍感な男って困るわよね」


 なんて言いながら、照井くんと何故か板倉くんを見てニヤリと笑う。


「べっ、べつに私は」

「あっ、正! こっちこっち! 今日は帰りに3人でカラオケ行くよー、直の奢りで」


 私の抗議を聞くことなく、美幸は丁度教室に入ってきた陰山くんの所へ走って行ってしまった。


 照井くんと陰山くんと美幸。

 これからも仲良くできるといいな。


 そんなことを思いながら、私は板倉くんの隣の席に座った。板倉くんは私の方を見ようともせずに、本に目を落としたままだ。だけど、


「礼なら遠慮せずに受けてやるぞ。今日の講義はこれが最後だ」


 なんて、しれっと言ってくる。


「うん。じゃ、板倉くんの奢りでお礼させてもらおうかな」

「……はぁ?」


 ようやく本から上げた板倉くんの顔は、この上ないほどのしかめっ面。


 私もこんな風に、これからも板倉くんと一緒にいたいな。


 吹き出しそうになるのをこらえ、講義開始のチャイムを聞きながら、私は板倉くんを無視して教壇の方へと顔を向けた。


 これってやっぱり、ラブ、なのかな……


 なんて思いながら。

 でも、こればっかりは板倉くんには相談できないもんなぁ……


【終】

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