薔薇の聖女の薔薇を赦して

縁代まと

薔薇の聖女の薔薇を赦して

 私、文科真夜あやしなまよは民俗学を専攻する大学生だ。


 学ぶことは楽しいと幼稚園の頃に気づき、この国の文化に惹かれて民俗学の存在を知り、専攻できる大学を探して必死に勉強して入学したわ。

 大学という場所は自由と規律が両立する場だった。

 そして、その自由さは教える側にも言えることなんじゃないか……そう思いながら車に揺られている。もう何時間も。


「伯父さん、目的地にはまだ着かないの?」

「あはは、大丈夫。深夜までには着くよ」


 私の伯父は大学で民俗学を教えている教授で、こうしてたまに私を助手として連れ出していた。

 窓の外の景色は時間が進むにつれ緑の多いものに変わっていく。

 車に乗るのは嫌いじゃないけれど――馬車よりマシとはいえ、こうも長いとお尻が痛くなるわね。


 民俗学は民間伝承などから情報を得て歴史を紐解き、それを再構成する学問だ。

 だから自らの足で様々な土地に出向くことは大歓迎なのだけれど、今回は助手という名目でひたすらコキ使われそうな予感がひしひしとしていた。

 伯父は普段は優しい人だけど、民俗学が絡むと人が変わるから。


 それでも、この世界で生きるのは楽しい。

 そんな感想を抱くのは私が前世の記憶を持っているからだ。


 家族や友人知人には話したことはない。変人扱いされるどころか病院を勧められるかもしれないもの。

 なにせ私の前世は魔法や不思議な生き物が実在するファンタジーな世界の公爵令嬢マリアローザ・レッドクロフトだ。前世は海外のお姫様でしたと言い張る人よりヤバい、とこちらで過ごした二十数年で理解できるようになっていた。


 マリアローザであった頃の私は黒く波打った髪に赤い瞳を持つ女で、自分で言うのもなんだけれど美貌と地位を笠に着て好き放題していたわ。生まれた時から持っていた『特殊な力』があったのも大きかったと思う。

 言いたいことはすぐ口にしたし、やりたいことはすぐにやった。

 真夜として成長する中でその身勝手さを自覚して何度床を転がったことか!


 そのダメ押しが――この世界の乙女ゲーム『薔薇の聖女の恋はおしまい』だった。


 そのあらすじを見た時、前世の記憶の符合に驚いたのを昨日のことのように思い出せるわ。慌てて購入してプレイしてみると、世界観や登場人物のほとんどが見知ったものだった。

 その中に出てきたのが、マリアローザ・レッドクロフト。

 彼女は主人公にいじわるを繰り返す悪役令嬢だった。


(ある日その嫌がらせをするために召喚したブラックドラゴンが暴走、両足を負傷して生き永らえるも、私に恨みを抱いていたモブたちの私刑に遭い死亡……こんなところまで同じだなんて)


 もちろんルートによるけれど、正史ルートと呼ばれているものはそんな結末でマリアローザの出番が終わっている。

 このゲームが発売されたのは私が前世を自覚した十年以上後だから、ゲームに影響されて妄想を抱いたわけではなさそうだ。


 もし妄想なら、なぜゲーム内容と同じなのか。

 もし本当なら、なぜ生まれ変わったのか。

 そしてなぜ転生先で前世のことがゲームになっているのか。


 どっちだとしてもわからないことだらけで、折角打ち込めることを見つけたのになかなか集中できないことが多かった。

 今回はせめて調査中は気にしないようにしたいわ。

 そんなことをつらつらと考えていると、伯父が前を見ながら明るい声で言った。


「ほら、もう見えてきたぞ!」


     ***


 調査を行なう村の名は茨村いばらむら

 五十世帯ほどの小さな村で、何百年も昔からこの土地で農業をしながら生きているらしい。


 そんな茨村には古くからの言い伝えがあった。

 言い伝えを耳にしたのは伯父のツテで宿泊できる部屋を貸してくれたおばあさんに話を聞いていた時よ。村に着いた段階ですでに夕暮れに差し掛かっていたから、聞き込みを行なうのは明日にしようと夕飯をご馳走になっていた時だった。


「薔薇の森には棘名主とげなぬしがいる……?」


 棘名主。

 それは森の奥に住まう異形で、村人のほとんどは神として扱っているが「神ではなく化け物だ」と言う者もちらほらと存在しているという。

 姿は薔薇色の体に茨を巻きつけた牝鹿のようなものらしい。


 棘名主に気に入られると病を治してくれるが、機嫌を損なうと災いをもたらす。

 そんな存在として畏れられているとおばあさんは話してくれた。


「普段はあまり口外しないんやけどね、神様相手に人間がなにかできるわけないから大丈夫やろ。近づいた側がどうなるかは知らんが」


 おばあさんはそう言って笑う。

 つまり神様を求めて村の外から人が押し寄せて棘名主が害される心配はしていないけれど、不用意に近づいた側がどうなるかは知らないぞという話だ。

 私たちも調べた情報が悪用されないように気を配っている。だからこそ調べに行くのはすべて自己責任だ。――私たちも含めて。


「棘名主……」


 神や化け物として畏れられる棘名主に自分の過去を思い出す。

 前世の私、マリアローザは王国一番の癒しの魔法を持っていると持て囃されていた。これが思い上がる要員のひとつになった特殊な力だ。


 癒しの魔法は貴重で、国内に三人くらいしかいなかったと思う。

 大抵は切り傷を治す程度だったけれど、私は腹の中身が出るほど深い傷でも癒すことが可能で、金を積んで治してほしいと懇願する人間を幼い頃から山ほど見てきた。

 そしてある時から自分の機嫌ひとつで癒しを与えたり、逆に叩いたり蹴り出すことを選択するようになったの。


 その傍若無人ぶりは棘名主の振る舞いに似ていた。


(まあ私は神のように振る舞った愚かな人間で、こっちは正真正銘の神かもしれないけれど……)


 私は結局、ただの人間だった。

 ある日現れた異世界の『薔薇の聖女』が千切れた四肢をくっつけ、命を失った者でさえ一時間以内なら蘇らせられるという規格外の癒しの魔法を持っており、あっという間に立場を失ったのよ。


 ……いえ、立場はあったわね。

 薔薇の聖女の下位互換や予備という立場が。


(それを嫌がって聖女を傷つけようとして死んだなんて、本当に愚かだったわ)


 薔薇の聖女は神に選ばれ、神に呼ばれた本物の聖女。

 そんな彼女に害をなそうとしたのだから、あの結末もすべて神の怒りだったのかもしれない。


 そうぼうっとしている間も伯父は話に聞き入り、様々なことを訊ねていた。

 いつもより熱が入っているようね。明日は早起きさせられそう。

 それに備えて早寝を決意し、その晩は布団を借りて就寝した。


     ***


 ――早起きどころではない。


 伯父に肩を揺らして起こされた時、携帯端末の時計は深夜二時を示していた。

 あまりにも早すぎる。せめて日の出を迎えてからにしてほしい、と抗議しようとしたところで伯父が瞳を爛々と輝かせて言った。


「薔薇の森へ行こう、真夜」

「今から!? さすがに村の迷惑になるんじゃ……そもそも中に入る許可もまだ取ってないのに」

「だからこそさ、日中より夜間のほうが邪魔にならないだろう? 許可も確実に出るから事後承諾で大丈夫、気にしなくていいさ」


 違和感があった。

 伯父は民俗学が関わると人が変わるとはいえ、倫理観や常識はある。

 ここまで強引に進めようとする人だったろうか……。そんな疑問が心の中に湧き出たけれど、現に伯父は目の前で変なやる気に満ちていた。

 いくら不思議に思ったところで起きている事柄に変わりはない。


 このままだと伯父ひとりで森に行きそうな勢いだったので、仕方なく手早く準備をしてついて行くことにした。

 夜の森は危険だ。それに森って呼ばれているけれど、地理的にほぼ山の一部のようなものよ。遭難したら困るわ。

 しばらく真っ暗な道を進み、念のため登山用のアプリを確認するとGPSもちゃんと機能しているようだった。あとは足もとに気をつけながら進みましょう。


「伯父さん、ちょっと待ってってば」


 すぐに森へ入っていこうとする伯父を引き止めてヤマビル忌避剤を吹きつける。

 ……やっぱり変だわ。いつもこういうことには気を遣う人なのに。


 不安感を抱きながら山道を進む。

 なぜ薔薇の森と呼ばれているのか不思議だったけれど、そこかしこに薔薇の花が咲いていて納得した。しかも様々な品種があり、手入れされた庭園でしか見たことがないものまで咲いている。

 そのぶん棘のある茨も多く、私たちは細心の注意を払いながら前へ進んだ。


「山の奥には棘名主を祀った祠があるそうなんだ。おばあさんが教えてくれた」

「そこが目的地?」

「ああ、あとは石碑とかがあると嬉し……おや?」


 伯父が足を止める。

 つられて私も足を止めると、足音が消えて一気に周囲が静寂に包まれた。

 ――今ようやく気がついたけれど、虫の声すらしない。その事実にぞくりとしていると遠くから足音が聞こえてきた。


 明らかに人間の足音だわ。

 伯父とふたりで身を低くして息を潜めていると、視界に現れたのは数人の男女だった。普段着なので茨村の人らしい。手になにか持っている。


 目を細めてそれを見ていると伯父がその人たちの後を追い始めた。

 止めようと思ったものの、それで押し問答をしていたら忍び込んだことがバレてしまうかもしれない。

 伯父は大丈夫と言っていたけれど、私はちっともそんな気がしないわ。


「あれは……」


 茨と木々の隙間から覗き見ると、男女はとある小さな祠の前で足を止めていた。

 もしかしてあれが棘名主の祠なのかしら。

 男女は持ってきたものを祠の前に置くと、すぐに来た道を引き返していった。遠目に見る限りは蓋の開いた瓶と黒い糸の束に見える。


 男女が去ったのを確認した伯父が無言で懐中電灯をつけ、丸い光を祠へ向けた。

 瓶の中身は赤く見える。

 糸の束は独特の光沢を放っており――それが人毛だと確信させるのに十分な質感だった。


「やっぱり物騒な神様なのね。さっきのは棘名主は神様派の人たちかしら」

「かもしれない、……!」


 伯父が瞬時に懐中電灯を消す。

 もしかしてさっきの人たちが帰ってきたのかと身構えたけれど、違った。


 暗く、薔薇の芳香が漂う森の奥から何かがやってくる。

 それは薔薇色の体……つまりほとんど赤に近い体を持つ牝鹿だった。

 体には棘をいくつも生やした茨が絡みついている。ここまでは話に聞いていた姿と同じだったけれど、よく見ると目が二対あった。


「と、棘名主……?」


 足が竦んで動けない。

 私たちが見入っている目の前で棘名主は祠に置かれた瓶から液体を飲み干す。

 口の周りがてらてらと赤く光り、瓶の中身が血液だったことが察せられた。そのまま赤い口で黒髪を食む。

 その歯だけは、まるで人間のもののようだった。


「ひっ……」


 深く息を吸った拍子に引き攣った声が漏れてしまう。

 その瞬間、棘名主は勢いよく顔を上げ――そのまま飛び跳ねて逃げてしまった。


     ***


 伯父は元気だ。

 昨晩あんなことがあったのに元気に聞き込みに出ていっている。


 私はというと村へ逃げ帰った後も寝つけず、人生における『最低な体調』を更新しそうだったので叔父に同行するのは昼からにさせてもらい、部屋で休むことにした。

 静かな部屋で横になりながら昨晩のことを考えてみたけれど答えは得られない。


 ただ、そのせいだろうか。

 うとうとと微睡んだ際、夢の中に棘名主が現れた。


 祠の向こう側から顔だけを覗かせている。それが酷く気味が悪い。

 きっとサイズから考えて祠の向こうには人間ひとりしか隠れられないはずなのに、棘名主の顔以外が一切見えないからかもしれない。

 昨晩見た棘名主はもっと大きかった。


 今は赤くない口をぱくぱくと動かしている。

 歯が人間なせいで唇の動きまでそう見えてきた。

 だからなにか言いたげに見えてしまったけれど、声は一向に聞こえてこない。


 そうこうしている間に薔薇の芳香を焦げ臭いにおいが覆い隠し、気がつくと森は火に包まれていた。

 赤い赤い火だ。

 私が前世で私刑に遭い、最後に生きたまま燃やされた時のことを彷彿とさせる。


 ああ、これは私の悪夢の詰め合わせなのかも。

 それだけのことをしてきたのだから仕方ないわよね。

 そう唇を噛んでいたのは現実でも同じだったようで、痛みに目が覚めるとそこは部屋の中だった。もちろん棘名主はいないし、火の手も上がっていない。


 ただ、仄かに薔薇の香りが漂っていたのは気のせいではないかもしれない。


「……不思議な存在だわ。でも」


 どうしても棘名主が気になる。

 伯父はまだ戻っていない。時計を見ると午後一時を過ぎていた。

 昼に一旦戻って私を迎えにきてくれる予定だったけれど、おばあさんに訊ねてみてもまだ帰ってないそうなので、聞き込みに夢中になって時間を忘れているのかも。


 よし、伯父を探しにいこう。

 そのついでに遠目でもいいからもう一度だけ薔薇の森を見てみよう、と決めて外へと出る。

 伯父はたしかに様々な人に聞き込みをしていたようで、畑仕事をしている人に声をかけるとすぐに話を聞けた。ただ今現在どこにいるかはさっぱりわからない。


 まさかまた薔薇の森に行ったわけじゃないわよね?


 そう考えて冷や汗が流れる。

 別れる際に口酸っぱく二人一組での行動を約束してもらったけれど、昨晩のあの熱意を見た後だと不安が残るわ。今度は祠に直接触れて探しているかも。


(昼でも棘名主がいるかもしれないのに……?)


 少しだけ様子を見に行こう。

 ……自分で言った二人一組の約束を忘れ、私はいつの間にか薔薇の森に足を踏み入れていた。その過ちに気がついたのは十五分ほど悪路を歩いた頃だ。

 自分が反故にしてどうするの。


 そう恥じ入りながら来た道を引き返そうとして――足もとの枯れ葉と木の枝がずるりと滑る。

 どうやら下敷きになっていた枯れ葉が腐って柔らかくなっていたらしい。


 そのまま叫び声を上げる間もなく、私は崖下へと転落した。


「ッ……!」


 何度か体をぶつけながら転がり、最後に頭を強かに打つ。

 鼻に突き抜けるような痛みが走った。遅れて歯もじんじんと痛みだす。どうやら衝撃で歯を思いきり噛み締めてしまったようだ。

 体を起こそうとしたけれど、近くの岩に背を預けるだけで精一杯だった。


 今世もまた死ぬんだろうか。


 そう思った時、霞んだ視界になにか明るい色が入り込む。

 それは昨晩見たのと同じ、棘名主だった。異形の顔は間近で見ると霞んだ目でもわかるほど恐ろしい。その瞳に人間の意思のようなものが垣間見えるから余計に。


 棘名主は長い舌を出し、私の頬を舐める。

 ――いや、頭から流れた私の血を舐めたんだわ。


 あの供物のように食われるのかもしれない。

 そんな予感がしたけれど、私は抵抗することもできずに意識を手放してしまった。


     ***


 ああ、また夢なの。


 そう自覚できたのはあの頃のままの薔薇の聖女が王子と談笑している姿が見えたからだ。私は柱の陰からそれを眺めている。


 薔薇の聖女はユイカと呼ばれていた。

 本人は漢字で書いた名前を見せて「ユイカです!」と自己紹介していたので、今思うと唯香という漢字だったんだなと理解できる。

 ユイカの故郷は私が真夜として生きる世界と似た場所だったのかしら。


 ユイカはごく普通の茶髪に茶褐色の瞳を持つ少女で、年齢のわりには年若く見える子だった。人懐っこくて誰にでも好かれる性格、と説明すれば誰もが納得してくれたと思う。

 ただ、私は好いていなかったけれど。


 色んな嫌がらせをしてきたけれど、ユイカはなんでもかんでもポジティブに受け止めて距離を詰めようとしてきた。そう、あの子は私とすら仲良くしようとしたのよ。

 私の居場所を奪ったくせに馴れ馴れしく接してくる様子が大嫌いだった。


 なのにいつか絆されそうで、それが怖くてブラックドラゴンだなんて大それたものを呼び出そうとしてしまったのよね。

 馬鹿で間抜けな悪役令嬢。

 死に様も私にはお似合いだったわ。


(……死んだことが贖罪になるのかしら……)


 ならないから、またああして死ぬことになったのかも。

 私はまだ罪を背負っているんだわ。


 そう思った瞬間に目が覚めた。

 服はボロボロだったけれど、驚くべきことに傷跡ひとつ残っていない。何事かと目を瞬かせて何度も確認したものの結果は同じだった。

 そして疑問符だらけの心の中にある感情が湧き上がる。

 ――懐かしい。そんな懐古するような気持ちが。


 私は立ち上がって走り出す。痛みはない。

 道はわからなかったけれど、しばらくして例の祠の前に出た。

 その祠の傍らに棘名主が立っていた。夢の中のように首だけではなかったけれど、しっかりとそこに存在している。

 けれどもう怖くはない。


 私は前へ足を進めながら棘名主の名を呼ぶ。


「……ユイカ」


 薔薇の聖女としての、彼女の名を。


 棘名主は一瞬ぶるりと身を震わせたけれど逃げることはなく、なにか言いたげに唇を動かした。しかし夢の中のように声が出ない。

 代わりに私の額に己の額をくっつける。


 すると不思議な光景が頭の中に入ってきた。

 それがユイカの視点で見た過去の光景だとすぐに理解する。覚えるあるシチュエーションで私の、マリアローザの姿が目に入ったからだ。

 私は彼女の視点で過去を追体験し、マリアローザの死の一報まで見た。


 そして、なぜかユイカの視界は潤んでなにも見えなくなってしまった。


 その後のことだ。

 場面が切り替わるとユイカは何者かに追われていた。足を取られて転んだところをめった刺しにされる。治癒の魔法は自分自身には効かないから、ユイカはそのまま命を失ってしまった。

 きっと私のような愚か者が他にもいたのね。


「でも……あなたも私のように生まれ変わったなら、なぜそんな姿になってしまったの?」


 まるで呪いでも受けたかのようだわ。

 現実で目を開けると棘名主は……ユイカは悲しそうな顔をしていた。

 私はふと思い立ってウエストポーチからハサミを取り出す。そしてそのハサミで髪を切った。小さいものだけれど何度も切ることで毛束ができあがる。


「栄養になるなら食べなさい。あなたと話がしたいわ」

『……』


 少し呆然としていたユイカはおずおずと私の髪の毛に口をつけると、まるでカイバでも食べるかのように咀嚼して飲み込んだ。

 さっきの血と合わせると私だけでひと揃えのお供え物ができたわけね。


 癒しの力はお供え物を得たことで使えたものだったのかもしれない。

 それは彼女の前世の名残り。なら髪も与えれば一時的でも言葉を話せるようになるかも、と思ったのよ。


 一か八かの賭けだったけれど、ユイカはしばらく躊躇した後、そっと口を開く。


『……マリアローザ様』


 その声は昔聞いたものとそっくりだった。


     ***


 ユイカはこれまでに起こったことを説明してくれた。


 殺されてしまった後、ユイカを呼んだ神は怒り狂いながらもユイカを元いた世界に転生させようとしたそうだ。しかし神の怒りというものは人間の怒りとは性質が異なる。

 怒りに支配されているだけで、振るう力は禍々しさを帯びた。


 ユイカは無事に転生という形で帰郷を果たしたものの、その姿は異形と化していた。それが棘名主の姿というわけだ。

 一方、怒りの治まらない神は前世の世界を『物語の中の世界』として下層に堕とした。そのため、ここでは乙女ゲームとして存在しているらしい。


 しかしそれは怒りに任せて力づくで行なったこと。

 気がつけば神も余力がなく、人間の姿を失った聖女を助けるには力が足りなかったそうだ。


「そこで私にあなたを助ける役目を課したの……?」


 私の問いにユイカはこくりと頷く。


『マリアローザ様の魂は私が殺された段階ではまだ彷徨っていました。神はその魂をこちらに送り込み、癒しの魔法で私を救ってもらいたいようです』

「でも私、こっちで魔法は使えないわよ」

『それはこの時のために封じられていただけです』


 ……完全に神様の道具だったわけね。

 聞けばここへ呼び寄せたのも神の間接的な影響だったらしい。

 だから伯父がおかしな様子だったり、私も迂闊に薔薇の森へと入ってしまった。


 ユイカをいじめていた私に神も思うところがあったはず。だからこれは贖罪の場ではなくただの罰なんだわ。

 そうぽつりと零すとユイカは『違います!』と語気を荒げて言った。


『神は、神は私の気持ちを考慮してくれただけなんです』

「あなたの気持ち?」

『私は……ずっとマリアローザ様のことをお慕いしていました』


 思わぬ告白にこの場がどこかも忘れてぽかんとしてしまった。

 ユイカが私を好いていた?

 あんなにいじわるばかりしてきたのに?


 疑問だわ。疑問すぎる。だからそれを真正面からぶつけると、ユイカは体の茨を震わせながら言った。


『赤い瞳に涼しげな目元、美しい黒髪に凛々しい雰囲気……初めて出会った時から強く惹かれたんです。一目惚れです。そんな相手に少しいじわるされたくらいでは諦められませんよ』

「す、少しじゃなかったと思うけれど」

『最後はそうでしたね。……でも恨む気持ちより、貴女が死んでしまったことが悲しかった』


 ユイカは視線を落とす。


『お慕いしています、マリアローザ様。あの時は言えなかった。やっと言えた……』

「ユイカ……」

『この姿で理性を保つための贄が血なのは貴女の目の色、黒髪は貴女のことを想ったからでしょう。気持ち悪くてごめんなさい』


 でもそれだけ私のことを好いているということはよく伝わってきた。

 ユイカは四つの目をこちらに向ける。


『この使命を終えれば神はマリアローザ様を赦します。だから私を癒してください』

「……その言い方だと、貴女は自分が救われたいのではなく私に救われてほしいみたいね」

『はい』


 臆面もなくそう答えたユイカに溜息が出てしまう。

 こんな……こんな姿になってもまだ、昔のようにお人好しだなんて。

 そんなところが嫌いだったけれど、不思議と今は嫌な気持ちにならない。


「……わかったわ。貴女をその姿から解放してあげる」

『!』

「でも本当に癒しの魔法でどうにかなるの?」

『癒しの魔法は穢れを祓うもの。こちらの世界に渡ったことで少し変質はしていますが問題はありません。――ただ、この肉体はもう使えないでしょう』


 だから浄化された後は再び生まれ直すことになります、とユイカは言った。

 つまり癒した後に『棘名主』は死ぬわけだ。


 まったく、今度はこっちが見送る側になるだなんて思いもしなかったわ。

 でも一度決めたことは覆さない。もう後悔なんてしたくないもの。

 私はユイカの薔薇色の額に手を当てる。絶対にまた使える日なんてこないと思っていた癒しの魔法が発動する気配がした。


 懐かしい感覚に身を任せながらユイカの穢れた肉体を癒していく。

 四つの目から黒い涙を流しながら、ユイカの肉体がほろほろと解れるようにして消え始めた。光の粒子は美しく、あっという間にそれが視界を覆い……そして。


 真っ白な魂だけになったユイカは、昔と同じ姿をしていた。

 そして負けず劣らず真っ白な薔薇をこちらへ差し出す。


『ありがとうございます、マリアローザ様。これは赦された証です』

「……」

『どうか、この薔薇の色のように生きてください』


 ユイカにはもう時間が残されていないのか、そのまま見る見るうちに消えていった。

 私は乱暴に薔薇を受け取って、最後に半透明になったユイカを力の限り抱き締める。物理的には触れ合えないから、これは『ふり』だ。でも私は今、たしかにユイカを両腕で抱いていた。


「こっちの返事もまだでしょう。本当に私のことが好きなら、また会いにきなさい」

『……! は、い!』


 ユイカは泣き笑いの表情で消えていく。

 光の粒子は白かったけれど、最後だけ頬を染めた彼女のような薔薇色をしていた。


     ***


 それからも私は普段と変わらずに生きた。


 ただひとつ違うのは、それが本当に赦された人生だということ。

 罪人ではなく、過去に囚われることもなく、ただの文科真夜として生きている。

 これはユイカと関わることで得たものだ。本人は巻き込んでしまったと気にしそうだけれど……その必要はないと、次々に会えたら返事も一緒に伝えましょう。


 そう考えながら窓際に飾った白い薔薇を眺める。

 赦された証はあれから何年経っても枯れることなく存在し、あれが夢ではなかったと証明し続けてくれていた。

 この薔薇がなかったら自分の記憶を少し疑うこともあったかもしれない。


 すると部屋のドアが無遠慮に開かれた。

 伯父だ。せめてノックくらいはしてほしいと何度も言っているのだけれど聞いてくれない。伯父の家に居候しているので勝手に鍵をつけられないのが困ったところね。

 伯父はいつものようにわくわくした様子で言う。


「真夜! 隣県に不思議な子がいるらしいんだ。調べに行こう!」

「伯父さん、あれから民俗学だけでなくオカルトにも興味津々ね……」


 そう、このお誘いは仕事ではなく趣味。伯父もまた棘名主の件で変な影響を受けてしまったらしい。


「お前も好きだろう? その子はな、生まれながらに人を癒す力を持っているらしいんだ!」


 しかも不思議なことに瞳が薔薇色をしているのだという。

 そう熱く語る叔父の前で小さく笑い、私はイスから立ち上がる。


「そうね、――迎えに行きましょうか」

「迎えに?」

「ほら、先に行くわよ」


 ドアを開けて一歩踏み出す。

 春の陽気は麗らかで、ふわりと舞った風には仄かな薔薇の香りが混ざっていた。

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