薔薇色
沢田和早
薔薇色
夜が更けてきた。そろそろ就寝時間だ。すでに僕は寝巻代わりのスウェットに着替えている。
「じゃあ頼みますよ」
「うむ。安心して眠るがよい。果報は寝て待つものだからな」
普段と変わらぬでかい態度で布団に胡坐をかいているのは僕の先輩だ。
先輩は小学校で一学年上、中学校で一学年上、高校で一学年上、そして現在、大学では一学年上ではなく同級生である。先輩は一年浪人してしまったからだ。
同級生を先輩と呼ぶのもおかしな話だが、小学校の頃からそう呼んでいるので、今更別の呼び方を考えるのも面倒くさい。先輩も「よせよ、同級生だろ」などと反論したりもしないので、そのまま呼んでいる。
「先輩が僕のアパートに泊まるのは初めてですよね。みすぼらしい部屋ですみません」
「確かにボロいし居心地は悪いが一晩だけなら我慢してやろう」
相変わらずお世辞のひとつもないんだな。こっちだってこんな安アパートに先輩を泊めたくはないのだが、大事の前の小事と割り切って受け入れるしかない。なにしろ先輩に頼んだのは僕のほうなんだし。
あれは数日前の昼食後だったっけ。最初に話し掛けてきたのは先輩だった。
「おまえ、最近元気がないな。どうかしたのか」
「わかりますか。実は寝不足なんですよ」
「寝不足? 夜のバイトでも始めたのか」
「違います。悪夢に悩まされているんですよ」
昔から夢はよく見るほうだった。そのほとんどは無意味で脈絡がなくすぐに忘れてしまうような他愛のないモノばかりだったのだが、ここ数日、眠りを中断させられてしまう
「悪夢か。どんな夢なんだ」
「パンツ一枚で暴風雪の中に立たされたり、つま先を地に着けずマラソンさせられたり、自転車に乗ったまま転落したり、山中で迷子になって帰り道がわからなくなったりする夢です」
「ほう。俺には身に覚えのない出来事ばかりだな」
先輩の目が泳いでいる。たった数日前の出来事を忘れたとは言わせない。
「シラを切っても無駄ですよ。雪娘を忘れたんですか。餅を貰いに神社へ行ったのを忘れたんですか。メダカを食べて山の怒りを買ったのは誰でしたっけ。どれもこれも身に覚えのある出来事ばかりでしょう」
「いや、まあ、そんなこともあったかな」
「あんな異常な体験をさせられたせいで僕の安眠は奪われてしまったんです。何とかしてください」
「何とかと言われてもなあ。具体的にどうすればいいんだ」
「悪夢ではなくもっと楽しい夢、そう、例えば薔薇色の幸福に包まれた夢を見られるようにしてください」
「薔薇色の夢か。わかった、考えてみよう。手間賃として一万円くれ」
さすがにこの要求は承諾し難い。悪夢の原因の半分以上は先輩なんだから。
「一万円は高すぎませんか。それに暗記ペンは無料で使わせてくれたじゃないですか」
「あれはおまえが留年すると俺が困るからだ。同級生でいるためには一緒に留年せねばならんからな。だが今回は違う。おまえが悪夢に苦しんでも俺は少しも困らない」
「寝不足で勉強に身が入らず留年するかもしれませんよ」
「なるほど。それは困るな。じゃあ手間賃は千円でいい」
いきなり九割引きになってしまった。まあ千円ならいいか。
「わかりました。ではよろしくお願いします」
こんなわけで先輩は薔薇色の夢を見られる装置の開発に着手し、本日ようやく完成したので僕のアパートへやって来たのだ。
「まずは実物を見てもらうとするか」
と言いながら「これから雪山登山にでも行くんですか」と尋ねたくなるような巨大リュックから先輩が取り出したのは単なる毛糸の帽子にしか見えなかった。本当にこれで薔薇色の夢が見られるのか。実に疑わしい。
「では装置の説明をしよう」
それから始まった長い説明はほとんど理解できなかったので省略するが、記憶の中にある薔薇色的な体験や願望を抽出し、夢の中に表出させるものらしい。駆動電源は二本の単三乾電池で、帽子とはコードで接続されている。
「この帽子を被って眠ればいいんですか」
「そうだ。それだけでおまえは薔薇色な夢を見られる。さあ、やってみろ」
これまでの発明品同様、今回もロクな結果にならないことは目に見えている。しかしここ数日ずっと悪夢を見続けていることだし、たとえ薔薇色な夢を見られなかったとしてもさほど落胆することはないだろう。僕は帽子を頭に装着し布団に潜り込んだ。
「じゃあ先に休ませてもらいます。先輩はどうするんですか」
「しばらく観察してから俺も寝る。寝袋は持参しているから心配するな」
と言いながら巨大リュックから寝袋を取り出す先輩。本当に何でも入っているなこのリュック。
「そうですか。ではおやすみなさい」
「おやすみ。良い夢を」
僕は寝た。すぐ眠りに落ちた。気が付くと夢の中にいた。
「おおお、これは!」
眼前に現れたのは荘厳な宮廷の大広間だ。壁も床も天井も薔薇色。室内に流れている優雅な演奏曲も薔薇色。空気さえも薔薇色ではないのかと思われるほど僕の両目も両耳も脳内も薔薇色に染められてしまった。
「ようこそ。こちらへいらっしゃって」
薔薇色の美女に招かれて扉を開ければ絢爛豪華な大浴場だ。素っ裸になって薔薇色の湯に満たされた浴槽に身を沈める。薔薇の香りが鼻孔をくすぐる。はあ~、疲れが癒やされる。
「お背中、お流ししますわ」
薔薇色のシャボンに包まれて全身が清められていく。体だけでなく心の中も薔薇色に包まれる。
「次はこちらです」
風呂から上がり薔薇色のローブに身を包んで次の部屋へ入る。そこは薔薇色の大食堂だ。テーブルの上には古今東西の贅を尽くした御馳走が並べられている。
「さあ、召し上がれ」
着席した僕の両側にはまたしても絶世の美女。食事の作法は知らなくても大丈夫。二人の美女が代わる代わる僕の口に料理を運んでくれる。
「このスープ、美味しいねえ」
「薔薇のスープですわ。花びらも食べられますのよ」
「このお肉、美味しいねえ」
「薔薇色ですけどバラ肉ではありませんことよ。お間違えにならないでね」
「このお寿司、美味しいねえ」
「薔薇色ですけどバラ寿司ではありませんことよ。お間違えにならないでね」
ああ、何たる至福。見るモノ聞くモノ触れるモノ全てが極楽。これぞ薔薇色の夢。先輩、心から感謝します。こんな素晴らしい装置を発明してくれるとは。これなら一万円払っても満足できただろうな。
「うひゃうひゃ。これぞこの世のパラダイス。薔薇色の夢万歳!」
上機嫌で料理と美女を楽しむ僕。しかしおめでたい時間が永遠に続かないことは現実でも夢でも同じである。突然食堂に男が乱入してきた。
「ほう、これがおまえの薔薇色の夢か。ご馳走と女によってデレデレにされたおまえの顔のなんと嘆かわしいことよ」
「せ、先輩!」
乱入者は言わずと知れた先輩である。驚きと羞恥心で茫然とする僕。いや、でも美食と美女は男の二大欲求でしょう。権力欲を表出させていないだけでも褒めていただきたい。
「なぜここに……」
「そりゃこれは俺の夢でもあるからな。あの帽子は夢をリンクさせる機能もあるんだ。俺も帽子を被って寝たから同じ夢を見ているってわけさ」
どうしてそんな余計な機能を付けるのかなあ。他人の夢に入り込むなんて悪趣味にもほどがある。
「あ、それじゃ先輩も一緒に楽しみましょうよ。向かいの席へどうぞ」
「それはできん。これはおまえの薔薇色の夢であって俺の薔薇色の夢ではないからな。俺の薔薇色はこうだ!」
先輩が両手を挙げると周囲の情景は一変した。美女もご馳走も薔薇色の大食堂も消え、僕と先輩は荒野の中に褌一丁の姿で立っていた。一面の曇天の下、吹きすさぶ寒風が肌を刺す。
「うう、寒い。これのどこが薔薇色なんですか」
「薔薇色は他人から与えられるモノではない。己の力でつかみ取るモノなのだ。さあ走れ。走れば体も温まる」
荒野の中を走り出す僕と先輩。やがて道は上り坂になった。息が切れる。それなのに少しも温かくならない。汗さえ出ない。水の音が聞こえてきた。滝だ。
「よし。次は水行だ。滝に打たれるぞ」
「冗談でしょ。どうしてそんなことをしなくちゃいけないんですか」
「薔薇色のためだ。つべこべ言わずやれ」
問答無用で滝壺に放り込まれた。冷水に激しく頭を叩かれて意識が遠のきそうだ。逃れようとしても先輩が両足をしっかりつかんでいるので滝壺から出られない。寒い、冷たい、苦しい。
「も、もう限界です。勘弁してください」
「情けないヤツだな。では食事にするか。この網でメダカをすくい取れ。イワナは駄目だぞ。まだ禁漁期間だからな」
ようやく滝壺から解放された僕は流れが穏やかな場所でメダカをすくう。百匹ほど獲れただろうか。
「焼いて食うぞ。こっちに来い」
いつの間にか川辺には焚火が用意されていた。メダカを先輩に渡して火に当たる。暖かい。冷えた肌の表面からじんわりと熱が染み込んでいく。
「焼けたぞ。食え」
ふりかけみたいな焼きメダカを頬張る。美味しい。得も言われぬ充足感が腹の中から全身に広がっていく。
「どうだ、これこそが薔薇色なのだ」
「そうですね。これが本当の薔薇色なのかもしれません。ああ、なんだか眠たくなってきました」
「ならば眠るがよい」
焚火の温もりを心地好く感じながら僕は目を閉じた。たちまち薔薇色の幸福に包まれて僕は眠りに落ちた。
* * *
「おい、いい加減に起きろ」
先輩の声で目が覚めた。そこは見慣れたアパートの部屋。カーテンを通して朝日が差し込んでいる。夢の中で眠ったから現実世界で目覚めたというわけか。それにしても今日は久しぶりにぐっすり眠れたな。気分は最高だ。
「どうだった、薔薇色の夢は」
「途中までは良かったんですけど先輩が出現してからは最悪でしたよ。僕の夢に入り込むなんて最低です。でもあの帽子は素晴らしい発明ですね。ずっと使わせてもらいますよ」
「ははは。それは良かったな。だがあの帽子は発明品ではない。百均で買ってきた普通の帽子だ」
「えっ、どういうことですか」
「おまえの見た夢は全ておまえ自身が作り出した夢だったのだ。帽子は関係ない」
それから先輩の説明が始まった。先輩は一睡もせずずっと僕を観察していたらしい。眠りの中で見る夢は一度ではない。何度も繰り返し夢を見る。しかし覚えているのは最後に見た夢だけなのだ。それは僕にも当てはまる。最初は自分の欲望に沿った夢を見ているが、最後の夢だけが悪夢になってしまう、それで悪夢ばかりを見ていると勘違いしてしまった、という説明だった。
「大浴場もご馳走も美女も俺も滝行も、全てはおまえ自身が勝手に夢の中へ登場させたのだ」
「ちょっと待ってください。先輩は一晩中眠らずに僕を観察していたんですよね。どうして僕の夢の内容を知っているんですか」
「そんなもの、寝顔を見ていれば誰だってわかるだろう」
いや、普通の人は寝顔を見ただけで夢の中身なんてわからないでしょう。これも先輩の中に封じられている魔王の力の片鱗なのかな。これからは先輩の前で眠りこけたりしないように注意しなければ。
「まあそれについてはどうでもいいです。だけどどうして最後だけ悪夢になるんだろう」
「室温だな。この部屋の暖房器具はコタツだけ。部屋全体を暖めることはできない。夜明け頃には室温が七℃になっていた。しかもおまえの布団はペラペラの煎餅布団。あまりの寒さに体が悲鳴を上げて悪夢を見させていたのだろう」
そうだったのか。確かに悪夢で眠りを中断されるのは夜明け頃が多かったし、いつも寒さで体が震えていたからな。
「あ、でも今回は悪夢を見てもぐっすり眠れましたよ。どうしてかな」
「それは俺の発明品のおかげだ」
先輩が布団をめくった。見覚えのない毛布が挟み込まれている。
「おまえの悪夢の原因が部屋の寒さであることは見当が付いていた。そこで電気掛け毛布を作っておいたのさ。夢が悪夢に切り替わった段階で電気毛布を布団の下に挟んでやった。たちまち夢は薔薇色になりおまえは安眠できたというわけだ」
「だったら最初から電気毛布を使わせてくれればよかったんじゃないですか」
「そんなことをしたらおまえがどんな悪夢に苦しんでいるかわからなくなるだろう。俺に苦しめられるおまえの姿は見ていて気分が良かったぞ」
本当に悪趣味だなあ。しかし今回ばかりは先輩に感謝しなくては。これで悪夢からは解放されるはずだ。
「何はともあれ礼を言います。ありがとうございました」
「うむ。その電気毛布、大切に使ってくれ」
手間賃に払った千円では電気毛布は買えない。先輩の手作り毛布、一生の宝物にしよう。
その日以降、電気毛布のおかげで僕が悪夢を見ることはなくなった。しかし別の問題が持ち上がってしまった。あまりにも寝心地が良すぎるのだ。布団の中はポカポカでも部屋の中は極寒のままである。起床時刻になっても布団から出るにはかなりの気合いが必要だ。
「ああ、このまま薔薇色の布団の中で一生過ごしたいよう」
薔薇色の温もりの誘惑を簡単に振り切る方法はないものか。先輩に相談したいところではあるが、何でもかんでも他人頼りでは真の薔薇色は得られない。今度ばかりは自力で解決の道を模索することにしよう。
薔薇色 沢田和早 @123456789
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