第三十六話 エピローグ 終わりの続きに

 実力テストから数日後、西条が眠い目を擦りながらいつも通り眠い目を擦りながら登校すると、何やら廊下に人だかりが出来ていた。


 (ん?なんだ?あれ)


 不思議に思い近寄ると、その人だかりから、猛スピードでこちらに抜けてくる。


「うお、なんだ...!?」


 ソレは西条の肩に思いっきりぶつかったが、振り向きもせず、人集りとは反対方向に駆け抜けて行った。


「いってぇ。まじでなんだよ...」

 

 肩を擦りながら歩いていると、前方から何処か聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「おい西条!来んの遅せぇよ!」


 声を掛けてきたのは同じクラスの友人である、藤井拓海であった。


「拓海か。それでこれは一体何の集まりなんだ?」


 肩を擦りながらも、面倒くさそうに答える西条の姿を見て、小さく呆れたように溜息をつく。


「何って...今日が結果発表だよ」


「結果発表...?」


「実力テストだよ!」


「え、今日だっけ、嘘だろ!?」


 もちろん、自分のテスト結果には自信しか無かった。

 だがまだ心の準備が出来ていなかった。


「それで、どうだった...?」


「あんときの自信はどこ行ったんだよ!」


「……まぁ、自分で見てみな」


  藤井の言葉に促され、西条は人だかりの中へと足を踏み入れた。

 廊下の掲示板には、学年全体の中の、上位50名迄が張り出されていた。

 ざわざわとした生徒たちの声が飛び交い、各々が自分の順位を確認しては、喜びや落胆の表情を浮かべていた。


 (くそ、意外とこういうのって緊張するな……)


 「……一応、30位から見るか」


 万が一の可能性も考え、慎重に目を走らせていく。

 だが、そのリストの中に自分の名前はなかった。


 「まぁ、ここになかったなら、次は20位以内か」


 おそらく自分が位置するであろう順位。

 少し期待を込めて、さらに上の欄を見上げる。

 しかし――そこにも、“西条零”の名前はなかった。


 (……え?)


 胸の奥に、不安がじわりと広がる。

 ペンを走らせた感触も、解けた手応えも、確かにあったはずなのに。


 (嘘だろ……?どこで間違えた!? マークミスか?それとも、記述の計算ミスか……?)


 自信があっただけに、名前が見当たらないことに動揺する。

 手のひらにじんわりと汗が滲むのを感じながら、さらに下の順位を確認するが、やはり見つからない。


 そんな彼の肩を、後ろから軽く叩く者がいた。

 「どうだったよ、お前の順位?」


 振り向けば、藤井拓海がニヤニヤしながら立っていた。


 「やべぇ……50位以内に俺の名前がねぇ。マジでミスったかもしれねぇ」


 「はぁ? お前、マジで言ってんのか?」


 藤井は半ば呆れたように、掲示板の上の方を指さす。


 「もっと上だよ、ほら」


 西条の視線が、藤井の指先を追う。

 そこにあったのは――


 第9位 西条 零


 「……マジかよ」


 驚きのあまり声が漏れる。

 転入してたった一ヶ月、しかも今回のテストはだいぶ出遅れ、本格的に始めたのは半ばから。

 それでも、この名門校でこの順位を取れたことに、西条は驚きを隠せなかった。


 「すげぇじゃねぇか、西条! 9位ってお前、天才すぎんだろ!」

 藤井がニヤリと笑いながら肩を叩く。


 「……ははっ、マジでやり切ったって感じだな」

 

 いつものようなチャラけた軽口も叩かず、自然な笑みが零れる。


 すると、ふと背後から聞き覚えのある落ち着いた声がした。

 「おめでとうございます。西条くん」


 振り向けば、花ヶ崎星羅が柔らかく微笑んでいた。

 その表情には、まるで自分のことのように喜ぶ気持ちが滲んでいる。


 「まぁ、当然の結果ですわね。貴方なら、やれると信じておりましたもの」


 「改めて、ありがとう。花ヶ崎さんのおかげで、俺はここまでやり切れた」


 西条は少し照れくさそうに頭をかきながら、それでも真っ直ぐに感謝の言葉を口にした。

 その言葉には、彼女が支えてくれた時間の重みがしっかりと込められている。


 「ふふ、あの約束、覚えてらしたんですわね」


 星羅はどこか誇らしげに微笑む。

 まるで、「当然の結果ですわ」と言わんばかりの余裕ある態度だ。


 「まぁな。全部花ヶ崎さんのお見通しだったってわけか」


 西条が肩をすくめると、星羅は優雅に微笑みながら、わざとらしく首を傾げた。


 「そんなことありませんわ。私だって、貴方がマークズレのような初歩的なミスをしていないか心配でしたのよ」


 「心配する所そこ?」


 思わずツッコミを入れ、西条はため息をつく。


 「いやいや、普通は”問題が解けてるか”を心配するんじゃねぇの?」


 「だって、貴方がちゃんと理解していたことは、私が一番よく知っていますもの」


 さらりと断言され、西条は苦笑するしかなかった。

 

 「ところで……」

 

 藤井がふと、辺りを見回しながら呟く。


 「朝比奈の姿が見えねぇな。お前に勝負ふっかけてたのに、結果を見ずに帰ったのか?」


 そんな言葉に、どこか記憶と記憶がまるでピースの様に繋がる感覚を覚える、


 「……恐らく、さっきすれ違ったぜ」

 

 西条は先程、猛スピードで走り去った人物のことを思い出す。

 

 「あいつ……どんな成績だったんだ?」


 少し離れた場所で、ひそひそと噂話をしている生徒たちの声が聞こえてくる。


 「朝比奈さん、今回かなり順位落としたらしいよ……」

 

 「えっ、マジ? でもあの人なら余裕かと思ってたけど……」

 

 「なんか、さっきも相当動揺してたぜ」


 (……なるほどな)


 西条は、掲示板の下の方を見つめた。

 そこには、朝比奈凛の名前が、これまでの彼女の順位とはかけ離れた場所にあった。


 (プライド、ズタズタってところか)


 これが、彼女にとってどれほどの屈辱か。

 西条は、以前の彼女の高圧的な態度を思い出しながら、ふっと苦笑を浮かべた。


 「……まぁ、俺は俺のやるべきことをやっただけだ」


 西条は腕を組み、窓の外を見ながら淡々と言葉を続ける。


 「それに、勝った後にウダウダ言いたくねぇしな」


 その言葉には、勝負にこだわる彼なりの矜持が滲んでいた。


 「でも、朝比奈になんかペナルティつけてたんじゃなかったのか?」


 藤井が興味深げに問いかける。


 「あぁ、もちろん今もアイツの言ったことは許せねぇ。だけど——」


 西条は言葉を切り、少し考えるように視線を落とした。


 「……アイツも、白鳳で必死だったんだろうさ」


 「それに、あんだけ見下してた俺に、ボロボロに負けたんだ。これ以上のペナルティなんていらねぇだろ」


 西条は肩をすくめ、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべる。


 「だから、今回はこの”結果”をペナルティってことで、手を打ってやってくれねぇか?」


 藤井はしばらく考え込むように視線を泳がせたが、やがて小さく笑って頷いた。


 「お前らしいな。まぁ、全然いいぜ。腹は立ったけど、ハナからそこまで気にしてたわけじゃねぇしな」


 市原も腕を組みながら、少し考え込むような仕草を見せる。


 「私も異論はないよ。ただ……これで朝比奈さんが少しでも改めてくれると嬉しいんだけどね」


 星羅は静かに頷きながら、目を細める。


 「そうですわね。学びがあれば、それで十分ですね」


 そんなやり取りを終え、それぞれに別れを告げ、一人で校舎を後にする。

 夕陽が長い影を伸ばす校庭を横切り、校門へと向かおうとしたその時、探していた人影が視界の端に映った。


 朝比奈凜。


 彼女もまた、一人で校門の前に立ち尽くしていた。

 西条に気づくと、一瞬躊躇したように視線を逸らし、それでも意を決したように口を開いた。


 「……今回はたまたまだから」


 どこか気まずそうに呟く彼女の表情には、プライドと悔しさが入り混じっている。

 西条は思わず苦笑しそうになったが、同時に呆れと苛立ちが胸の奥に燻るのを感じた。


 ――まだそんなことを言うのかよ。


 だが、すぐにその感情を押し殺し、静かに息を吐く。


 「もちろん、あの言葉はまだ許せねぇ。けど、お前も必死だったんだろ?」


 その言葉に、朝比奈は目を見開いた。


 「……え?」


 環境にしがみつき、自分の立場を守ろうと足掻く姿。

 それは、かつての自分にも重なる所があった。


 「過去のことより、これからどう生きるかが大切なんじゃねぇか?」


 西条はポケットに手を突っ込みながら、わずかに視線を逸らし、ゆっくりと言葉を続ける。


 「お前のクラスの連中、お前のこと心配してたぞ」


 朝比奈は驚いたように顔を上げる。


 「嘘だ、私のことを……?」


 「当たり前だろ。お前が負けたらどうなるんだって騒いでたぞ」


 彼女は戸惑いの色を浮かべ、唇を噛みしめる。

 信じられない、というような表情をしていた。


「お前も、少しは他人に寄り添ってみたらどうだ?」


 「……っ!」


 朝比奈の表情が険しくなる。

 それでも、西条は構わず言葉を続けた。


 「誰も信じねぇのは自由だ。けど、最初から突っぱねてたら、本当に一人になるぞ?」


 その言葉に、彼女は息を呑んだ。

 何かを言い返そうとしたが、結局、口を閉ざしたまま立ち尽くす。


 西条はそんな彼女を一瞥し、再び帰路へと歩き出す。

 そして、背中越しに最後の一言を残した。


 「……ま、せいぜい考えとけよ」


 残された朝比奈は、その場で立ち尽くし、夕陽の中で西条の後ろ姿を見送っていた。


  一人になると、どこか春らしく、湿気を孕んだ空気感がふと過去の記憶が蘇らせる。

 彼にとって、特別な季節が訪れようとしていた。


 何気なくスマホを取り出し、日付を確認する。


 「……来月で、もう十四年か」


 ――お袋と親父が死んでから

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花咲き紅く染まる ひらがな元太 @hiraganagenta

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