キミとシャニムニ踊れたら 第7話「どうでもいいよ」
蒼のカリスト
「どうでもいいよ」
1
小6の6月下旬の湿った雨が吹き叫ぶ公園で、アタシは晴那との11回目の喧嘩を行う為、公園に呼び込んだ。
ヤツを砂場に押し倒し、馬乗りになって、これまでの恨みを晴らすように、殴り続けようと決めた。
「何で、殴って来ないんだよ、てめぇ」
これまでは、ワンパンで殴り続けていたのに、晴那はやり返すことは無かった。 「勇者気取りか、ふざけやがって・・・」
あたしは殴ることが出来なかった。
「てめぇの所為だ、晴那。てめぇの所為で、アタシの人生は滅茶苦茶だ」
殴ろうと考えれば、考える程、拳を上手く握ることが出来なかった。
雨の所為で、体が冷えて行き、体力と思考が削られていく。
「てめぇさえ、居なければ・・・てめぇがいなけりゃ、最強はアタシだったのに・・・」
やっと、恨みを晴らせると思っていた。やっと、アタシはコイツに勝つことが出来る。
そう思っていたはずなのに、どうして。
「返せよ、返せよ、返せよ、アタシの人生!!」
本当はそんなことどうでも良かったんだ。本当はどうでも良かった。
本当はおめぇに笑って欲しかったんだ。
その時だった。
その時の笑顔をアタシは忘れることが出来ない。
あいつは、挑発するような不敵な笑顔で笑っていたのだ。
言葉を発するわけでも、何をするわけでもない。ただ、笑っていたのだ。
「なんで、笑ってるんだよ?何だ、てめぇ、そのツラ」
怖かった。体が強張る程、怖かった。 思い出す度に体が強張り、何もかもが壊れてしまった。
「やめろ、やめろ、やめろ、やめてくれ、そのツラで笑うなぁぁぁぁぁぁ」
非力な小娘の力の抜けた形だけの拳を振りかざそうとしたその時だった。
駆け付けて来てくれたのは、晴那のお袋さんがアタシの手を止めてくれた。
「華ちゃん・・・」
「火輪さん・・・」
傘を捨て、ずぶ濡れになってでも、アタシを抱きしめてくれた火輪さんが、アタシを人間に留めさせてくれたんだ。
「もう、いいんだよ。もう、いいんだよ。泣いてもいいんだよ。辛かったね・・・苦しかったね」
「ちが・・・ちがうよ・・・。アタシは晴那を傷つけた。怒ってよ・・・おこってよ・・・。アタシはひどいことしたんだよ。なんで・・・なんで・・・。なんで、なんでよ・・・。なんで、怒ってくれないの?」
火輪さんはその後、何も言ってくれなかったが、彼女の温もりをアタシは死ぬまで忘れないんだろうな。
その後、アタシは警察と両親にしこたま怒られた。
怒鳴るばかりで、アタシに目線を合わせようともせず、自らの正論振りかざす奴らの言葉なんて、アタシには何も響かなかった。
もう・・・何もかもがどうでも良いんだ。もう、何もかもがどうでも良くなっていた。
2
現在
「何やってんの?2人とも」
9月に入った休日の早朝。
いつものように、ランニングをしていた帰り道。公園に立ち寄ると妃夜と中村の2人が、楽し気に談笑していたのだった。
「なんで、おめぇがいるんだよ・・・。晴那・・・」
妃夜は困惑の表情を浮かべていた。
「お前には聞いてない。何で、妃夜がここにいるかって、聴いてるんだ」
「私は・・・」
「やめろ、晴那。悪いのは、アタシなんだ、こいつは」
「妃夜の髪を引っ張っておいて、何言ってんの?そんなんで、許されると思って」 どうして、こんな言葉が出て来たのか、あたし自身、よく分からなかった。
妃夜を守りたかったのか、それとも、取られると思っての嫉妬だったのか。
どちらにせよ、言葉は一度出てしまえば、取り返しがつかないことをその時、あたしは再認識することとなる。
「うっざ」
「妃夜?」
「羽月?」
同じタイミングで話した中村とあたしに彼女は冷たい表情で、言葉を発した。
「あんた、私の何なの?何で、あんたの許可が必要なわけ?」
「だって、こいつは」
「私だって、許してない。許せるわけないでしょ」
「すまん」
「謝らないで。謝って欲しくて言ったんじゃない」
「だったら」
まくしたてるように、言葉を交わすあたしの限界はすぐそこまで近づいていた。
「過去は過去、今は今。私は変わりたいの。私は髪を引っ張った中村じゃなくて、今の中村と話しているの」
「妃夜・・・」
言い返せなかった。彼女は変わろうとしていた。
変わろうとしていた彼女をあたしは遮ろうとしていたんだ。
「あなたと中村に何があったか知らないけど、いちいち、介入しないで」
「やめろ・・・。その言葉は」
「何だ、それ?」
あたしの中で糸がプツンと切れる音がした。何かが、壊れた気がした。
「お前、何様のつもりなんだよ」
「暁?」
「もう、知らねぇよ。お前のことなんて、もう・・・どうでもいいよ」
あたしは逃げ出すように、全速力で公園を飛び出した。
あたしは、放さないと決めたその手を自分で振りはらった。
あの時と変わらない。
目頭の熱さに比例するように、情けない惨めなあたしは自分の特技でしか、自分を表現することが出来なかったんだ。
「ばかひよ」
3
小学校三年生のあたしは一言で言うとやさぐれていた。
有り余る体力と鬱陶しい両親の所為で、いつも喧嘩に明け暮れていた。
いつもちょっかいを掛ける男子と殴り合いもしたし、偶に女子を傷つける男子を殴ったこともあったけど、女子とは喧嘩しなかった。
見かねたかーちゃんは、知人の営んでいる陸上教室へと連れて行った。
正直、柔道とかがやりたかったあたしだったけれど、仕方なくあたしは陸上をやることになった。
週一回競技場で開催される陸上教室で、挨拶を済ませたあたしに絡んで来た変な女が居た。
「ふっふふ、ざこが現れたもんだぜ」
開始早々、あたしに雑魚と言って来たのが、中村華との出会いだった。
「何だとぉぉぉ」
突っかかろうとするあたしに、代表に木村さんの無言の圧にあたしは体を動かすことが出来なかった。
「ここはけんかする所じゃなくて、陸上する場所です。勝負をするなら、走りで決めなさい」
今思うと滅茶苦茶な話だったが、木村さんの言葉には幼いあたしでも、一理あると思ったらしく、何も出来なかった。
「おまえ、だれだ」
「おまえ言うな!アタシはなかむたはにゃ。陸上で宇宙1になるオンナだ。覚えておけ」
よく分からない話に、あたしは呆然となった。
「華ちゃん、自分の名前噛んでるよ」
「華ちゃん、そんなんだから、皆やめちゃうんだよ」
「華ちゃん、そういうとこだよ」
「うるしぇえ。だまっちょれぇ」
しょうもない茶番もあったけど、最初の頃はとにかく楽しかった。
お兄さんお姉さんと一緒に週一回競技場で体を動かす時間は楽しくて、何処にでも行ける気がした。
初めて、中村と競争した時は、裸足で走ろうとして、怒られ、まだ成長期だったのもあって、途中で転んで、大号泣というほろ苦い記憶が強かった。
「ざまぁみろぉぉぉぉ。にゃっははははははは」
「しょうもないよ、華ちゃん」
「はずかしいよ、華ちゃん」
「器ちいさすぎだよ、華ちゃん」
「さっきから、うるせぇんだよ。アタシが勝って、何が悪いんだよ」
中村の周りはいつも賑やかそうに見えた。
「悪いとか、悪くないじゃない」
あたしに駆け寄って来た年中の男子。爽やかな坊主頭であたしに手を差し伸べてくれた。
「くやしいぃよぉぉ、くやしいぃぃよぉ」
転んだあたしを起こしてくれたその彼は、あたしを優しく慰めてくれた。
その優しい右手は、いつもあたしや周りの女子にちょっかいを掛けて来る男子とは違うてをしていた。
「華、新入生をいじめて楽しいか?」
「だって、そいつが」
「そいつじゃない。暁晴那、せなだ」
「だってぇ」
「華だって、最初の頃はそうだったろ」
「やめろよ、言うなよ、駆君」
彼の言葉に動揺を隠せない中村の姿にあたしはいつの間にか、笑顔になっていた。
「そうなんだぁ。はずかしいね」
「そうだよ。誰だってそうなんだ。だから、だいじょうぶ。晴那は速くなれるよ」 こんなあたしを慰めてくれた人が居た。
彼の名前は、速見駆。
あたしの初めての彼氏、そして、あたしが人生を狂わせた人、その人である。
4
それからのあたしは、どんどん陸上にのめり込んだ。
基礎練習がメインで、怠いと思うことは無かった。
走れば走る程、自身の体を理解していく解放感がクセになった。
バカみたいに走ることが、何よりも楽しくて、その時だけは自由でいられる。
嫌な男子もウザい弟たちとも、勉強からも解放されたような気分になった。
何もかもが窮屈な世界で、あたしは翼を手に入れたのだ。
小5になった頃には、大会荒らしと言われる程の実力者となった。
同時に、中村はやる気が無くなったらしく、顔を見せることは無くなった。
中村だけじゃない、沢山居た生徒がどんどんいなくなっていく感覚をあたしは肌で感じていた。
「静かになって、せいせいするわ」
その中に残っていたのが、あたしの親友である朝である。
当時は詩ちゃんとからかって、ボコられそうになったのは、良い思い出である。
「だけど、皆が居ないとさみしいよ」
「ヤツらは弱かっただけ。やりたいヤツだけやればいい」
「何のマンガ?」
当時から、個人主義者だった朝だったが、それを止められたのは、他でも無い駆さんだった。
「そういうこと言うもんじゃないぞ、詩」
「だって、そうだろ。大体、晴那が」
「なんで、あたし、巻き込まれてるの?」
「だれが悪いわけじゃないんだよ。だけど、そんな寂しいことは言うなよ。楽しいこと、共有出来たら、それでいいじゃん」
「おいおい、後輩に駆がまた説教してるぜ」
「流石、駆さん。尊敬します、一生付いていきます」
「いいんじゃない。かけっちょらしくてさ」
「何か、暑くなってきたから、飲み物買ってくるわ」
駆さんは、皆の憧れの人だった。理性的で真摯で誰よりも真面目。
朝も、彼の言葉だけは、ちゃんと受け止めていた位だ。
その日の練習帰り、かーちゃんの車に乗り込もうとしたのこと、涼が帰って来なかった。
先ほどまでは一緒だったはずなのに。
「何処行ったんだか」
「あたし、探してくる」
「気を付けてね」
かーちゃんと分かれ、あたしは競技場を走り回った。
競技場は閉鎖されており、何処にもいない。近くのサブトラックにも、公園にも、涼はいなかった。
それから、かーちゃんからメッセージが届き、どうやら、会えたようだと書いてあった。
しかし、文章には続きがあった。
人生で初めてフラれたんだって 華ちゃんに そっとしといてあげて
あたしは、涼がとんでもない物好きということが分かった。
あたしは、すぐさま、駐車場に戻る為、再び走り出した。
涼が何で振られたかも知らないまま。
5
小5の年が明けた明くる冬の日、駆さんが脚を怪我した。
オーバーワークによるものだった。
「無茶し過ぎ。小学生で体壊してどうすんだ」
「すいません」
活動中、木村さんに怒られる駆さんの姿にあたしはどうしてこんなことをしているのか、ただただ疑問でしかなかった。
その理由が、あたしの所為と知るのは、少し後のことである。
「まだ、こんな所で人生を無駄にするな」
「はい・・・」
駆さんは、その日を境に陸上教室を訪れることは無かった。
あたしは小6になり、駆さんがいなくなった穴を埋めるべく、頑張ろうとしていた時のこと。帰り支度をして、自転車で帰ろうとしていた時だった。
「理不尽ですよね」
「どうしたの、梅ちゃん」
「その呼び方、止めて貰っても宜しいですか?晴那さん」
駐輪場で、櫻井があたしに突っかかって来た。
「何が言いたいの?」
「晴那さんが疫病神って、話ですよ」
やくびょうがみ?どういう意味か、よく分からなかった。 いい意味ではないことは、理解出来た。
「そうなんだ」
「そう言う所ですよ、そういう所。そういう所が、華ちゃんや駆さんを追い詰めたんですよ。皆が皆、晴那さんみたいに強くないんですよ」
「お前さ、何が言いたいわけ?」
鈍感なあたしに対して、朝がキレ始めた。
「陸上部、辞めてくれませんかね?晴那さん」
「辞めたら、どうなるんだ」
「別に、私がスッキリするだけです」
「お前、気持ち悪いな」
朝のストレート過ぎる言葉に、櫻井ははち切れんばかりの怒りを表情で表していた。
「はっ?」
「帰る」
その頃から、マイペースだった朝は自転車に乗って、颯爽と帰って行った。
「何だよ、お前ら、揃いも揃って。バカにしやがって」
「あたし、何も言ってないんだけど・・・」
「晴那さん、いずれ、後悔することになりますよ」
「そうなのかなぁ?」
今よりも、ぼやけていたあたしには、何のことだか、よく分からなかった。
今なら、分かる。あたしが入る前から、うちの陸上教室は良い雰囲気だったが、中村が辞めた頃から、様子がおかしくなった気がする。
その原因が、あたしの成長速度に皆が追いつけなくなっていたことによるものが、起因していると当時の自分に気付けと言うのは、何とも酷な話だった。
その日の夜、かーちゃんにその話をした。
当時は今より、素直で何でも話していた。
「晴那はどうしたいの?」
「どうしたいって?」
「陸上好き?」
「好きだけど、何で?」
「だったら、それでいいと思うよ」
それ以上の話はしてくれなかった。
きっと、その先は自分で考えろと言うことだったんだろうけど、当時のあたしは、何も見えてなかったんだ。
小6になってから、久しぶりの競技会でのこと。
小中合同の競技会にて、目撃した駆君の姿にあたしは言葉を失った。
髪を伸ばし、何処かやさぐれていた彼の姿は、あの頃の明るくて誠実な彼ではない別人のように見えた。
それが、あたしにとっての一生の後悔になるなんて。
6
競技会終わりのその日、あたしは意を決して、駆さんに話しかけた。
「駆君!」
「ちょっと、ごめん」
同級生達と離れ、あたしに向かって来た。
「久しぶり」
「あぁ」
「元気・・・じゃないよね・・・」
「そんなことは無いよ」
気丈に振舞う駆さんの姿に、あたしは唇を噛んだ。
「今度、遊ばない?」
「えっ・・・」
無邪気な笑顔で、彼を誘うその頃のあたしは、天使だったのかもしれない。
駆さんもそんなあたしに釣られて、見せた笑顔をあたしは生涯、忘れることは無いだろう。
それから、ちょくちょく、駆さんとあたしは一緒に遊んだ。 走ったりはしなくても、ただ、歩いたり、バッティングセンターに行ったり、キャッチボールをしたりもした。
宝多先輩が冷やかしに来ることもあったっけ。
その時は、ボールをぶつけて、帰れと言ったこともあった。
そして、5月末には、頭を坊主頭に戻し、気持ちも整っていたように見えた。
「元気になって、良かったよ」
「そうだな」
2人で、夕方、公園でキャッチボールをしていた。
「なぁ、晴那」
「ん?」
「俺たちって、付き合ってるんだよな?」
「ん?付き合うって、何?」
駆さんは座り込み、マジかぁと呟いていた。
「何々、どうしたん、駆君?」
「何でもない、何でも無いよ」
「ん?」
今思えば、駆さんはあたしが愛しているから、付き合ってるんだと思っていたのだろう。
当時のあたしの彼への思いは好意とかは無くて、素直に彼を元気づけたかっただけなんだ。
あたしは駆さんに近づき、彼に話しかけることにした。
「だいじょうぶ?」
「平気だよ」
「なら、いいや。そろそろ、帰らなきゃ」
駆さんはあたしを引き留める為、立ち上がり、あたしの腕を掴んだ。
「駆・・・くん?」
「だったら、俺と一緒に居て欲しい。これからもずっと」
言葉の意味は分からなかった。それが愛の告白であり、その言葉を捻り出す為にどれだけの勇気が必要だったのか。当時のあたしには理解出来なかった。
家で見るものは、男の子向けのスポーツ漫画か、バトル物、女の子向けの作品なんて、殆ど見たことが無いあたしが、恋と言う物に関心を持つなんて、ありえなかった。
「いいよぉ!これからもよろしくね」
「ああ」
きっと、駆さんはあたしが意味を理解してないことに気付いていたのだろう。
それでも、隣に居たかったのは、彼はあたしのことが好きだったからだ。
どうであれ、あたしと駆さんは付き合うことになった。
しかし、その関係はたった一週間で終わりを迎えることとなる。
あたしは駆さんをぶん殴ったのだ。
7
現在
「暁、本当に陸上部なのか?これで、バトンパス4回目だぞ」
「これでも、リレーは4番手任せられるウチのエースなんだけどね」
もうすぐ、体育祭と言うその日のリレー練習。
あたしは、結城からのバトンを受け取ることが出来なかった。
「晴那、大丈夫ですの?」
「ごめん・・・」
「らしくないですわ。そこはミスっちゃったとか、余裕余裕という場面ですわ」
「リレーメンバー変えるか?」
今回のリレーメンバーの一人、結城雅人。野球部ポジションはセカンドの走りに絶対的自信を持っている。
彼からのバトンパスに、あたしは二回取り損ね、二回オーバーゾーンを出てしまった。
「いや、無理っしょ。矢車ちゃんはともかくとして、暁ちゃん以外で4番手任せられる人なんて、居ないよ。本気で勝つならの話だけどね」
同じ陸上部の緋村の言う通りだ。何より、あれだけ自信満々に言っておいて、此処で逃げる訳には行かない。
「大丈夫、何とか、取り戻すから」
「そうですかい。だったら、いいけどさ」
彼はあたしのことを邪見に扱ってはいるが、それでも実力を認めているのは、あたしが短距離で実績をあげられているから。
「今日はこれ位にして、別競技の練習に使おうぜ。最悪、一発で決めた方がいいかもな」
「緋村が良いなら、いいんだが」
「今日は解散に致しましょう」
その場は解散となり、あたし達は校庭を後にした。
結城と緋村の2人は、別のグループに合流し、あたし達2人は応援合戦の方へと足を向けようとしていた。
「どんまい、どんまい、その調子で行こうぜ」
背後から聞こえて来たのは、他でもない中村とクラスメイトとのバトンパスのやり取りだった。
「今はバトンを持つ感覚だけ、覚えればいい。これがあるか、無いかで色々変わるからな」
「ありがとう、中村さん。助かるよ」
「うちのキャプテンより、やりやすい」
「バカ、後ろ後ろ」
中村と同じ陸上部を含めたリレーメンバーとのやり取りを盗み聞きしていることが、バレたので、あたし達はその場を後にして、
「わたくしも中村さんとリレーやりたかったですわ。それもこれも、あなたの所為ですわ、晴那」
「だけど、最後に勝つのは、あたし等だよ」
「そういう方便は練習で実績上げてからにしなさいな」
その通りだと思った。このままでは、あたし達では勝てない。
それより、あたしは中村の人当たりの良い態度に驚いた。
担任すらも、匙を投げた彼女の転身ぶりには、引くレベルで驚いていたのが、実際の所だ。
「中村さんも変わろうと藻掻いているんですわね」
「そうかもね」
「べ、別に晴那が藻掻いてないとか、そういう話じゃありませんわ」
「気ぃ遣わないでよ。友達でしょ?」
天は何処か、照れた顔であたしを見つめた。
「ともかく、今は応援練習に向かいましょう」
「あたし、保健室行くわ」
あたしは、保健室に向かおうと天と別れようとした時だった。
「晴那。これだけは忘れないでくださいな」
「ん?」
「わたくしはあなたを一人にするつもりはございませんから」
「なんだそれ」
「何たって、わたくしはあなたの親友ですもの」
天の言葉は何処か眩しくて、それが何処か悲しくて。
中村も、妃夜も変わろうとしている。同じ場所を周回しているのは、あたしだけだった。
どうしたら、あたしはこの周回から抜け出せるのだろうか。分かり切った答えを前にしても尚、あたしはこのぬるま湯から、抜け出すことは出来なかった。
8
小6の6月上旬。初めてのキスはゲロの味がした。
あたしは拳を握りしめ、駆さんの頬を思いっきり、ぶん殴った。
あたしは駆さんの家から逃げ出すように、走りだした。
近くの公園の水道で口を濯いだ、何度も濯いだ。
何度も何度も何度も口を濯いで、唇が切れるくらい、濯ぎ続けた。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
唇の肌触り、あの匂い、思い出す度に寒気がする。
時間と共に強張る体に、あたしの体温がどんどん下がっていくように見えた。
今すぐにこの気持ちを吐き出したい、何もかも流し去りたかった。
「やっぱり、そうだったんだな」
駆さんはここまで、追いかけて来た。
「駆く・・・」
彼の頬は赤く腫れあがっていた。
傷つく彼の姿に、あたしは取り返しのつかないことを悟った。
「晴那にとって、俺は気持ち悪いか」
言葉が出てこなかった。その通りだし、その通りでも無かった。
彼の姿が怖く見えた。それは手負いの獣のようなその姿にあたしは何も出来なくなっていた。
「分かってたんだ。お前が何の関係も無く、俺と隣に居たいだけだって。舞い上がってたんだ。俺はバカだな、晴那は俺のことなんて」
言い返せなかった。怖かったのだ。
彼を傷つけた後悔であたしの口は重く閉ざされていた。其れ以上、話すことを許さない程に、あたしは立ち尽くすばかりだった。
「晴那、分かってくれ。俺はお前のことが」
その先の記憶はよく覚えていない。
気付いた時には、駆さんは居なくて、其処が近くのトイレだったと言うこと、其処で一人蹲り、泣き腫らすあたしを探していたお巡りさんが見つけてくれたとのこと。 その後、かーちゃん達が駆け付け、事情を尋ねられたものの、あたしは無言を貫いたため、その日は何事も無く釈放された。
駆さんがあたしの家に謝罪にやって来たが、あたしは布団の中で一人引きこもっていた。
悪いのは、あたしなのに、あたしが謝らないといけないのに、あの時のキスを思い返せば、思い返す程、あたしの体はどうすることも出来ない位、弱くなっているような気がした。
後になって、駆さんの家が母子家庭と知り、あたしは己が犯したことの重大さを思い知り、余計に気持ちばかりが荒んでいった。
初めて学校を3日間休み、いい加減、学校に行かなきゃと思った時だった。
「晴那ちゃーん!」
部屋に訪れたのは、かーちゃんだった。
「ねぇねぇ、アタシとキャッチボールしない?」
「学校行ってくる」
「行かなくていいよ、あんな所。それより、キャッチボールしよ。やっぱ、ピザ食べる?注文しようか?」
「あたしは学校にいくの!」
あたしは服を着替え、部屋を出ようとした時だった。
「待って」
「何で、止めるの?学校行かなきゃ」
「晴那、無理してない?」
「あたしは平気だから、もうほっといてよ」
あたしはカバンをまとめ、かーちゃんを突き放した。
止まっているのが、性に合わなくて、学校に行くのは、何ともあたしらしい。
それから、学校に行くとあたしの噂は校内に広まっていた。
あたしのあだ名はゴリラになっていた。ガタイの良い駆さんをぶん殴った筋肉バカという意味合いだそうだ。
周囲は、あたしを遠ざけた。皆、筋肉バカのあたしとは付き合いたくは無いのだから。
「晴那さん、あたくしはゴリラは大好きでしてよ。何たって、森の」
ゴリラと言われても、話し続けて来たのは、今思えば、天位のものだった。
こんなあたしにも、話しかけて来たのに、あたしは彼女の真心を踏みつけるように、沈黙を貫いた。
あたしもどうでもよかった。スポーツ以外、どうでも良かったあたしにとって、本当に何もかも、全てがどうでも良かった。
学校に行っても、寝ているか、落書きを書くような悪いあたしは、今思えば、悲しかったんだと思う。
独りぼっちになりたかった、誰にも言えなかった。かーちゃん達は知っていたかもしれないけど、誰にも言えなかった。
その日、1人で下校しようとした時だった。
「晴那!」
校門前に居たのは、他の誰でもない中村と梶野だった。
すぐに帰りたかったあたしは、そのまま、校門を通り抜けようとしたが、中村は襲い掛かって来た。
「駆君の仇ィィィ」
その言葉にあたしは、過剰に反応してしまい、拳を握りしめ、中村の鳩尾を精一杯の一発をお見舞いした。
「うぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛」
後ろから、ゴリラが暴れてるぞ、逃げろ逃げろと言う同級生の言葉が聴こえて来た。
すぐさま、教師たちが近づいて来た。
ぼろぼろの中村を背にあたしは見下すように、彼女を睨みつけた。
「明日は必ず勝つ・・・グハ」
「中さぁぁぁん」
これがあたしにとっての2つ目の後悔、あたしを今も苦しめている中村との因縁の話。
そして、それが中村の、華の精一杯の慰めと知らない愚かなあたしの悲劇の始まりでもあった。
キミとシャニムニ踊れたら 第7話「どうでもいいよ」 蒼のカリスト @aonocallisto
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