薔薇色の肉球
@akihazuki71
第1話
二日続けて雪が降り、町は真っ白に包まれた。何年振りかの積雪は、或る者には歓喜を与え、或る者には辛苦を与えた。
その雪も、三日続いた晴天で消えていった。そんな穏やかな日の午後、隣り合う家の飼い犬と飼い猫が垣根越しに話していた。
「あの時は助かったよ。ありがとう、サクラ姉ちゃん。」
サバトラ柄の猫が少し照れくさそうに言った。
「ううん、コテツ。チャンスがなくてちょっと遅くなってしまったけど。」
落ち着いた感じの柴犬が少し申しわけなさそうに言った。
サバトラ猫のコテツは老夫婦と一緒に暮らしていた。元ノラネコのコテツは、ここから少し離れた場所で生まれ育った。母親やたくさんの兄弟姉妹、そしてその子ども達といった大家族の中で、暮らしていた。
しかし、自分の足で歩き回れるようになると、日に日に遠くへ出かけるようになり、とうとう帰ることが出来ないくらい遠くまでやって来た。そして、今の家の庭で動けなくなっているところを助けられたのだった。
「なんであんなことになったのかな・・・オイラ、よく覚えていないんだ。」
コテツはここでの暮らしも三年が経ち、今では縄張り持ちの猫として、その界隈では知られた存在となっていた。去年から一年に一度生まれた場所へ帰ってみることにした。今年も六日前の朝、家を後にした。去年同様、帰省先では大歓迎された。
だが今年は予想もしなかった大雪となり、コテツは帰路の途中で思いもかけない災難に遭ってしまった。それも隣の家の敷地の中で。そこをお隣同士で仲の良い飼い犬のサクラに助けてもらったのだった。
「悪いことは早く忘れてしまえばいいわ、こうして無事だったんだから。」
まだ不安そうなコテツに、サクラは優しく微笑んだ。
「うん、そうだよな。姉ちゃんの言う通りだよな。」
コテツは顔を上げてサクラに笑いかけた。サクラももう一度微笑んだ。
しばらくの間、二匹は話をしていた。コテツは一年振りに会った母親達のことをいろいろと話して聞かせた。楽しそうに話すコテツを見て、サクラは一安心した。
あっという間に時間は過ぎ、サクラの家の家族が帰宅したようだったので、コテツは自分の家へ戻って行った。
帰宅した家族を出迎え家の中へと戻ったサクラは、末娘が帰ってすぐに冷凍庫を開けるのを見つめていた。末娘はそこに自分の求めるものがあることを確認すると、嬉しそうに微笑んだ。
五日前、末娘は生まれて初めて見たこんもりと降り積もった雪に大喜びした。そして、生まれて初めて雪うさぎを作った。しかし、その後天気が変わり晴れてくると、雪うさぎが溶けてしまうと言って泣き出してしまった。それで母親は仕方なく雪うさぎを容器に入れ、冷凍庫の中にしまってあげたのだった。
それ以来、末娘は毎日何度も冷凍庫を開けて、雪うさぎがそこにあることを確認していた。冷凍庫が開けられる度に、雪うさぎがブツブツと恨み言を吐き出すのが、サクラにだけ聞こえてきた。その度に、サクラの心の中に暗く重い感情が湧き続けた。
母親が夕食の準備を始めると、サクラは少し離れた所からじっと見ていた。水が流れる音がして、包丁が心地良いリズムを刻むと、フライパンがコンロに置かれ、火が点けられた。ジューと大きな音がしばらく続くと、母親は何かを思い出してコンロの火を弱めると、冷蔵庫に向かった。冷凍庫を開けて中を覗き込むと、雪うさぎが入れられた容器を取り出して、すぐ傍にある踏み台の上に置いた。母親がガサゴソと音をさせて探し物をを始めると、サクラはコンロの方へ向かった。弱火になっていたコンロの調整レバーを、鼻先を器用に使って強火に引き上げた。
やがてフライパンから煙が立ち始めると、サクラは小さく吠えた。気付いた母親はポリ袋を手に慌ててコンロに戻って来た。サクラは冷凍庫が開いたままになっていたので、急いで行って両前足を浮かせ器用に扉を閉めると、すぐさま踏み台を隠すようにして座った。扉の閉まる音に気付いた母親は「ありがとう」と声を掛けると、何も気付いていないようですぐに調理に戻った。
ダイニングテーブルに家族が揃い、食事が始まるとサクラはそっと部屋を出てキッチンへ来た。部屋の中は暖かく、踏み台の上に置かれたままの容器の中にはすでに半分くらい水が溜まっていた。
「許さないんだから、絶対に。」
雪うさぎは目の前にいる柴犬に向かって怒りをぶつけた。
サクラは何も言わず、黙って雪うさぎが水になっていくのを見ていた。
サクラは誰もいないリビングルームへやって来た。その一角に置かれていた小さな仏壇の前で座ると、そこに飾ってあった銀製のフォトフレームに入ったエコー画像の写真を見上げた。
それはサクラが「サクラ」と呼ばれるずっと前の話だった。
気付いた時には「自分」はその小さな箱の中から、外の世界を見ていた。そこはとても暗くて、とても寒くて、そしてとても寂しい所だと思った。
それに比べてそこから見える外の世界は、とても明るく、とても暖かく、そしてとても楽しい所だと思った。それなのにそこにいた女の人は、毎日泣きながら「自分」を見ていた。その隣には男の人がいて、その女の人の肩を抱いていた。
その女の人は、きっと「自分」と同じなのだと思った。
しばらくすると女の人に笑顔が戻り、そのお腹に大事そうに手を当てて嬉しそうに「自分」を見ていた。やがて女の人に抱かれたとても小さな女の子がやって来て、とても小さな手を伸ばして笑いかけてきた。とても小さな女の子はだんだん大きくなって、「自分」のことを「お姉ちゃん」と呼んだ。
外の世界は前よりも、もっと明るくもっと暖かく、そしてもっと楽しい所になっていた。そこにはもう「自分」と同じだと思うものは無かった。その時「自分」の中にとても黒くて重い、とても嫌な感じのするものが湧いてきた。
さらにしばらくすると、その女の子がとても小さな女の子を抱いてやって来た。女の子が「お姉ちゃんだよ」と言うと、その腕の中のとても小さな女の子は、とても小さな手を伸ばして「自分」に笑いかけてきた。その時、「自分」の中に暖かいものが広がっていき、辺りが光に包まれていくように感じた。
再び気付いた時には「サクラ」と呼ばれ、周りを何人もの人に取り囲まれていた。
不意に誰かに抱きかかえられ、どこかに連れて行かれた。
「お姉ちゃんだよ。」と女の子の声がした。
目の前には小さな箱があり、その中に銀製のフォトフレームに入ったエコー画像の写真が置かれていた。その瞬間、サクラの中に知らない記憶がよみがえった。
それは自分があの箱の中からこちらを見ていた時の記憶だった。それは自分がこの家に生まれて来るはずの子どもだったという記憶でもあった。
その時から、サクラは「お姉ちゃん」として大事なものを守ろうと決めた。
夕食が終わると、キッチンで騒ぎが起きた。末娘が泣き出し、それにつられるようにすぐ上の娘も泣き出した。サクラが駆けつけると、一番上の娘が二人の妹の頭を撫でて慰めていた。そして、母親が床にかがんで何度も「ごめんね」と謝っていた。
サクラは末娘の傍へ行くと、体をすり寄せて泣き顔を見上げた。
どうにか騒ぎが収まり家族が寝静まると、サクラは自分のベッドをそっと抜け出すと、リビングルームへやって来た。窓辺へと近づいて行くと、鼻先でカーテンを押し上げて窓の外を見た。
月明かりに照らし出された庭に、バラの木が植わっているのが見えた。サクラはこの家に来て初めてバラの花が咲いた日のことを思い出した。
昼下がりの庭にサクラと母親がいた。淡いピンク色のバラが咲いている前で、母親がしゃがむと、その隣りにサクラも腰を下ろした。母親は花にそっと手を添えると、このバラは自分が落ち込んでいた時に、再び立ち上がる力を与えてくれた大切な花なのだと、サクラに言い聞かせるように話した。
そしてサクラの前足を少し持ち上げると、足の裏をのぞき込んだ。バラの花と同じ色の肉球が見えた。
「この桜色のバラは幸せを運んでくれた、同じ色の肉球もきっと幸せを運んできてくれるはず、だからあなたにサクラと名前をつけたのよ。」
母親はそう言って、サクラに微笑んだ。
おわり
薔薇色の肉球 @akihazuki71
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