存在と爆破
里見詩情
第1話
「自殺したい」という意味で言っているにもかかわらず、「俺は俺を爆破したい」と語る時の、なんという滑稽さよ。
俺は俺を爆破して自殺を図りたかった、のだが、それは俺の人生、とやらに、何の意味ももたらさなかった。これまで一度も来たことのない、知らぬ街の、知らぬ駅前の、知らぬロータリーの、知らぬ喫煙所の、中で、知らぬ人々の顔を、眺める。知らぬ大気が流れ、知らぬ日差しの下、俺は何も知らぬ筈だった。のだが、俺には全てが、あらゆる一切が、「彼女」の存在と合一化してくる。ような、気がしていた。
彼女のことを考えすぎて、全ての人間が、彼女に思えてくる。駅前の街の文字の表記全てが彼女の名前の表記に思えてくる。知らぬ大気の流れが、彼女と共に過ごしていた日々に流れる風の流れに、思えてくる。それが、そんな、感覚が、全て、全て、気の迷いであることはわかっている。わかっている。のだが、俺にはどうしてもそう思えてくる。思えて、しまう。
死んだ筈の、彼女に、思えてしまう。死んだ筈の、風俗嬢とやらをしていた、あの、彼女に。それほどに、俺は、彼女がいとしかった。俺のズボンのポケットには、彼女からもらった手紙やら、彼女と俺が学生時代に交換した名札やら、「壊れたから捨てておいてくれ」と言って渡された彼女の鞄についていたキーホルダーやら、が、入っていた。のだが、今の俺には、本当にそれが彼女からもらったものであったか、もうわからなくなっていた。
そもそも俺は、彼女と付き合っていたのか、すら、わからなくなってくる。俺には、もう、彼女を愛していたという事実すら、わからなく、なって、くる。
たばこを、吸いながら、その煙の味もまた、わからなく、なってくる。俺は、誰を、何を、愛して、いたのか。わからぬ。そもそも、愛とはなにか。その意味、存在、理由、形而、いや、愛とは幸せとやらを指すのか、指さぬのか、ならば幸福とは、不幸とは、いや、幸福とはなにか、何を指すのか、不幸とは、なにか。いや、もう俺が幸不幸を決めるものではないし、ならば俺にはもう幸せも不幸もわからぬ。のだが、ならば愛の先の幸福も、幸せも、俺にはわからぬ。のだが、愛の先の幸せが無いのならば、わからぬのならば、俺の愛とやらは何だったのか、もう、わからぬ。わからぬのだが、俺は間違いなく、彼女を愛していた。愛していた筈、なのだが、俺にはもう全ての意味がわからぬ故、全ての意味がわからぬ。故に、俺の感情も、誰に何に向けての感情だったのか、あれは幸せだったのか、すら、わからなく、なってきて、涙が、涙が、止まらなく、なる。爆破したくなる。全てを。
喫煙所ですすり泣く異様な「俺」という存在に、喫煙所に居合わせた奴らは異様な視線を向ける。のだが、なぜ奴らはそう平然としていられるのか、俺には逆にわからなかった。
本当は、彼女は死んでいない。いないのだ。彼女と別れた悲しみを、どうにかしようと、俺は俺の記憶を、他でもない俺の意識の介入によって無理やり捻じ曲げ、彼女を死んだことにして精神の安定を図っていたに過ぎぬ、のだ。俺は、愛故に、愛について気が狂っている、のだが、気が狂い始めている自覚があるのだが、もし気が狂っていなかったとしても、愛について、考えると、気が狂うのは必然ではなかったか。
彼女と別れる以前に、彼女が風俗なる場所で働いていたことも、俺にはどうでもいい。仮に別れなかったとしても、俺には何をもって愛とするのか、わからぬのだ。愛という存在が、俺の、なかで、強烈に存在感を示している故に、眩しすぎて俺にはわからぬ。のだが、俺は、俺には、愛しか残されていない、故に、もう全てがいとおしくなってくる。奴ら、お前ら、も。目の前の灰皿、大型モニター、ラーメン屋の看板、ガードレールすら。生きとし生けるもの全て、いや、神羅万象全てがいとしく、思えて、くる。涙が出る程に。それ故余計に涙が溢れ、るのだが、喫煙所の奴らは、お前らは、渋い顔して俺を見て、いる。俺の世界はこんなにも愛に満ちている、というのに。
のだが、お前らはやはり渋い顔でもって俺を物珍しそうに、もしくは嫌そうに、見ている。わかっている。わかっているのだ。お前らにもお前らの中にも、愛は、あるだろうということが。俺にとっての彼女という存在が、お前ら一人一人にも、いるだろうということが。しかし。しかし、だが、それでも、お前らは平然とした顔で、渋い顔で、嫌そうな顔で、もって、生きている。お前は、お前らは、お前らの中に愛があるというのなら、そのすました顔をどうしてできるというのだ。と、思う、のだが、お前らはお前らの苦悩の果てに、そのすました顔というやつを、しているのだろう。
だが、だがな。だがしかし、それでも、それでもなお、お前らは愛について、考えていない、ように、見えてしまう、のだ。
だとしたら。いやしかし。だからこそ。いやしかし……。あらゆる一切が、もう俺にはわからなかった。俺は俺を爆破するしかなかった。
俺は、俺の涙という爆発しそうな現象が、真夏の光に蒸発させられるのを、ひたすらに待っていた。
存在と爆破 里見詩情 @satomi-shijo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます